地獄からの帰還者

おぶち

第1話プロローグ

 青年は走っていた。夜も更けた暗い森の中、雨でぬかるんだ地面を踏みしめて。。服は跳ねた泥で斑になっている。そんな事も気にせず青年は走っていた。その後ろには青年を追いかける者が2人。楽しそうに気味の悪い笑みを浮かべながら手に剣や弓を持って追いかけている。


「ほぉーら、そんなちんたらしてると間違って殺しちまうぜぇ。」


 剣を持つ1人が言う。青年はその言葉に見向きもせず森を駆けた。


(くそっ、なんでこんなことに。)


 青年は心の中で舌打ちをする。青年は森で

薬草を拾っていただけだった。薬草は比較的高くで売れる。それを売り、少しでも孤児院の足しにしようと思っていたのだ。その帰り道、この2人に追われたのだ。


「こんな薄汚いガキはスラムの奴だぁ。1人くらい消えても誰も気づかねぇ。さっさと殺るぞ。」


 弓を持った男が言う。そうだ。青年は身ぐるみを剥がされたり、売られたりするために追いかけている訳ではない。ただ、男達の殺しという快楽のために追いかけられているのだ。


 男が弓をつがえ矢を放つ。矢は青年の髪を掠めた。青年は間近に迫った死の恐怖に足が止まりそうになる。しかし、止まっても待つのは死のみ、太ももを叩き走った。


「次は外さねぇ。」


 ギチギチと弓を引く音が森の静寂に響く。青年は目を閉じた。


「止めなさい。」


 森の中に芯の通った低い声が響いた。青年は目を開く。すると老年の男と衛兵の集団が目の前にいた。青年はその集団の陰に飛び込んだ。


「人を殺めるのは法で認められていない。武器を降ろせ。今ならまだ積みは軽いぞ。」


 衛兵の1人が言った。男たちは舌打ちをしてその場に武器を捨てた。衛兵達が男等を取り押さえる。そしてそのままどこかへ連れていった。


「こんな夜遅くにすまないね。」


 老年の男は先程の衛兵に言った。


「いえ、国民の命を守ることが私達の義務でありますから。」


 衛兵はきっぱり言った。そして他の衛兵の後に着いていく。


 老年の男は青年の冷えた体を抱き抱え、森の出口に歩いていった。



 朝、青年は孤児院の保健室で目を覚ました。


(安心して眠ってしまったのか。)


 青年は自嘲気味に笑った。その笑い声に気がついたのか老年の男が部屋に入ってきた。


「夜遅くまで帰って来ないから心配していました。無事で良かったです。」


「院長先生、昨夜はありがとうございました。私なんかのために衛兵の方まで呼んでいただいて...」


 青年がそう言うと院長先生という男は青年の頭を軽く撫でた。


「人の命に重さの違いはありませんよ。それは貴方のような者でも、この国の王でも同じです。」


 院長先生は皺の多い顔で微笑んだ。青年が物心がついた時から変わらない笑顔だった。青年が言葉に困っていると少女が飛び込んできた。


「ガレッタさん、大丈夫ですか。」

 聖職者の証である純白のローブを崩し、肩で息をしながら少女は言った。


「大丈夫です。心配してくださりありがとうございます。」


「なら良かったです。ガレッタさんに何かあったらと考えたら心配で...でも私には敬語は要らないって何度も言ってますよね。そろそろ直してくださいよ。」


「ミカさんはシスター様ではないですか。私にはとても出来ません。」


 ガレッタという青年は少女に困った顔を見せながら言った。ミカと呼ばれた少女は頬を膨らませた。不満なようだ。年はガレッタの方が3つほど多い。年上から敬語を使われてもあまり嬉しくないのだろう。


「直にガレッタから話しますよ。シスター・ミカ、待つことも大事ですよ。」


 院長先生が言った。


「じゃあ、仕事をしましょう。院長先生、どの仕事が残っていますか。」


 ガレッタがベッドから起き上がった。院長先生とミカが心配そうに見つめたがお互い付き合いは長い。諦めたように苦笑いした。


「子供達の布団を干すのを手伝ってくれませんか。今日は久しぶりに太陽が輝いています。布団を干すには良い天気です。」


「わかりました。すぐにします。」




 ガレッタは他の子供達と同じようにこの孤児院で育った。院長先生に拾われ、出来る限りの教育を受けた。お陰で読み書きも出来るし簡単な計算も出来る。衣食住も与えられた。彼はさして裕福な生活は送っていないが、温もりのある生活を送ることは出来た。


その事に感謝して孤児院に残り院長先生の手伝いをしていた。その傍ら薬草を取ったりして収入を得れば孤児院の為にと院長先生に渡していた。


「よし、出来た。」


 布団を干し終えると昼食の鐘がなる。


(もうこんな時間か、随分と寝ていたようだ。)


 そう思いながらガレッタは食堂にと向かった。



 ミカがこの孤児院に来て1年が経つ。教会の見習いシスターである彼女はこの孤児院に修行という名目で派遣されていた。あと半年もすれば教会に戻る。ガレッタはそれが少し寂しかった。彼女は孤児院とその周辺しか知らないガレッタにとって様々なことを教えてくれる賢者のような人であった。そして、淡い恋心も抱いていた。


「ガレッタさん、遅かったですね。みんな待ってますよ。急いで手を洗って下さい。」


 ミカは言った。子供達が早く早くと急かす。ガレッタは水道で手を洗って席についた。

 ミカは聖職者である。その淡い恋心は叶わないとガレッタは知っていた。


 この物語はまだ始まらない。

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