第9話 Troublemaker

 俺は万年筆を手に原稿用紙を眺めていた。さて、いよいよ最終楽章ってところだな。どう書き出そうか?やはり徐々に盛り上げていって…。いや、むしろ佳境から入って…

 ノックの音が響く。

「ハーイ、進捗どうデスカ?」

 ハクトウワシだ。ドアを開けると青いドレス姿の彼女が立っていた。

「Good evening!気分を変えて、ディナーに行きまショウ!」

「お前、何でドレスなんだ?」

 ハクトウワシの視線が僅かに下がる。

「What do you say?トモヤこそ、どうしてズボンを脱いでいるの?」

 言われて気付いた。いつの間に?これじゃ俺が変態みたいじゃないか。

 慌てて部屋の中を探す。どうして俺はズボンを冷やしているんだ?我ながら理解出来ん。ハクトウワシは携帯電話を取り出して何かしている。

 急いでズボンを穿くと、俺はハクトウワシと共にレストランに向かう。

「折角リゾートホテルに来ているのですカラ、もっとenjoyしなくては。」

「俺達は仕事で来ているんだぞ。」

「適度に息抜きした方が能率も上がりマスヨ!」

 …とか言って、こいつ自分が遊びたいだけじゃないのか?全く。それでもまあ、部屋で独りで食事するよりは良いか。

 リゾートホテルのレストランだけあって落ち着いた雰囲気のいい店だ。流れているのはヘンデルの『水上の音楽』か。良い選曲だ。

「この鴨肉のローストは美味いな。」

「そうでショウ。サーモンのカルパッチョも美味しかったデスネ。」

 満面の笑みを浮かべるハクトウワシ。だが、目を細めると笑顔が悪戯っぽい表情に変わる。

「…何だよ?」

「ふふ、残念だったわね。ここにいるのがタイリクオオカミではなくて。」

「なんでここでオオカミが出て来るんだよ?」

「さあ、どうしてでショウネ?」

 くそう、あながち的を外れていないのが悔しい。確かにこういう雰囲気のある店で彼女と食事をするのは良いな。

 デザートのシフォンケーキも美味かった。満足して店から出る。

「この後はどうしまショウ?」

「部屋に戻って仕事の続きだ。」

「そうデスカ。ワタシはバーに行ってきマス。トモヤも気が向いたらどうデス。仕事漬けは毒デスヨ。」

 そう言って軽やかに歩き去るハクトウワシ。本当にいい性格してるな。“bald eagle”じゃなくて、“bold(図々しい) eagle”じゃないのか。ちょっと羨ましいぜ。

 部屋に戻った俺は執筆を続ける。


“遂に見つけたぞ。故郷を滅ぼした男よ!”

“ふふふ、ここまで来た事は褒めてくれよう。だが、鋼鉄将軍の異名を持つこの俺の敵ではない!”

 ………………

“今ここに…”

“聖戦の始まりを告げる!”

 ………………

“友よ、家族よ、繰り返す運命の螺旋を切り拓く為、我に力を!”

“我が覇道を阻む者よ、消え失せよ!”

 ………………

“今ので全て見切った。”

“つけあがるなよ、小娘!”

 ………………


 ふう。疲れた。俺は軽く伸びをすると立ち上がり、時計を見る。ふむ、寝るにはまだ早いか。…俺も息抜きをするか。

 バーに入りカウンター席に座る。ハクトウワシはどこだ?見回すと、奥のボックス席にハクトウワシと二人の男の姿が。…エンジョイしているようだな。

 バーテンダーが注文を聞いてくる。青い髪の美形だ。男の俺でもドキっとする様なハンサムだな。薔薇の花が似合いそうだ。

「ジョニーウォーカーの黒をシングル、ジンジャエール割りで。」

「かしこまりました。」

 ここに籠ってもう半月程か。タイリクオオカミの顔を見ていない。独りでいるのには慣れたと思っていたけどな。

 不意に銀髪のフレンズの面影が頭の中をよぎる。俺は記憶を振り払うようにグラスをあおった。

「もう一杯お作り致しましょうか?」

「ああ、ロックで頼むよ。」

 グラスを傾け琥珀色の液体を口に含む。今度は一口、二口とじっくりと味わって飲む。次第に身体が火照り、独特の浮遊感を覚える。グラスに反射する光を見ているうちに、タイリクオオカミの瞳が思い浮かんできた。

 …彼女に会いたいな。



 ヒトとフレンズが共に生きる街ジャパリポリス

 無数の出会いと別れが交錯し

 数多の笑顔と涙が生まれるこの街で

 人々は生きていく未来へと繋がる今日を



 その日、午後になってハクトウワシが部屋にやって来た。

「Good afternoon!トモヤ、早速プールに行きまショウ!」

「早速過ぎるだろ。俺はいいから、お前一人で楽しんでこいよ。」

「水着デスヨ、水着!見たくないんデスカ?」

「ミス・ハクトウワシの水着はセクシー過ぎて俺には毒だなぁ。」

 そう言って彼女に背を向けたのだが。

「…そう残念ね、タイリクオオカミの水着が見られなくて。」

「何?」

 反射的に振り返る。

「今朝、フロントのロビーで彼女を見かけたわ。ふふ、私の眼に狂いは無いわ。あれは確かにタイリクオオカミとアミメキリンだった。」

 腕を組んで得意気な表情を見せるハクトウワシ。確かにこいつの視力は折り紙付きだ。タイリクオオカミがここに来ている。こうしちゃいられん!

「…でも仕方ありませんネ。作家の原田テツヲ先生は仕事熱心な人デスカラ。残念無念、折角のチャンスだったのに。…って、アレ?トモヤ?」

 部屋を見回すハクトウワシの背に俺は語気を強めて叫ぶ。

「何をグズグズしている!早速プールに行くぞ!後に続け、ハクトウワシ!」

 振り向いた彼女は素早く敬礼をする。

「Yes sir!」

 早速別館にある屋内プールにやって来た。タイリクオオカミはどこだ?

 水着姿の男女が見えるが、タイリクオオカミは見当たらない。

「まずはひと泳ぎしまショウ。」

 鮮やかな青いビキニ姿のハクトウワシが言う。猛禽類特有の精悍で引き締まった肢体に豊満なバスト。冗談半分だったが、実際セクシーなボディだな。自信に満ちた挑戦的な表情も魅惑的だ。

「ふふ、ワタシに見惚れてしまいましたカ?」

「…向こうにいる男がお前のこと見てるぞ。俺に構わず声を掛けてこいよ。」

 美女なのは認めるが、何故か色気を感じないんだよな。

「トモヤこそ女の子を誘ったら?一途なのも良いけど、他の子にも興味を持った方が良いわよ。」

 ハクトウワシはため息を吐き、肩をすくめてみせるとプールに向かう。尾羽が左右に揺れる。あ!そうか、こいつ鳥系フレンズだからケモ耳と尻尾が…、ふとタイリクオオカミのピンと立った耳とフサフサの尻尾が目に浮かんだ。

 そんな俺を尻目に優雅な姿勢で飛び込むハクトウワシ。たちまち向こう側に辿り着く。プールサイドに上がった彼女に男が声を掛ける。

 それよりタイリクオオカミはどこだろう?見当たらないな。考えてみれば彼女がここに来るとは限らないし。…俺も誰かに声を掛けようかな。そんな事を考えた矢先に、何やらざわめきが耳に入ってきた。

「おい、見ろよ!」

「すげえ美人。」

「スタイル良いわね。羨ましい。」

「モデルかしら?」

 見ると、背の高いフレンズが歩いて来る。気品のある顔立ち。すらりと伸びた手足。黄色のビキニが健康的な色気を醸し出している。本当にモデルみたいだな。

 件の美人と目が合った。

「あーっ!」

 彼女は高い声で叫ぶとこっちに向かって駆け出した。つられるように俺も足元に注意しつつ小走りに彼女の方へ進む。嫌な予感がする。

「どうしてここに…、きゃっ!」

 案の定、見事に足を滑らせた彼女の身体が空中で回転する。くそっ、間に合え!

 咄嗟に俺は床と彼女の間に身体を滑り込ませる。柔らかい重みが俺の顔と身体に覆い被さった。

「ううん。はっ!だ、大丈夫ですか?」

「いいから、早く降りろ。お前のでかい尻が。」

「どこ触ってるんですか、変態!スケベ!」

 彼女は立ち上がり尻を押さえながら赤面する。

「お前が原因だろ!プールサイドで走るんじゃねえ!」

 全く。外面そとづらは完璧なのにな。天はお前に二物を与えなかったな。アミメキリン。

「相変わらず騒々しいな。もう少し落ち着いた方が良いよ、アミメ君。」

 心臓が高鳴った。聞き慣れた筈の声がとても懐かしく感じる。アミメキリンの長身の陰からタイリクオオカミが歩いて来る姿が見える。

「おや、奇遇だね。会えて嬉しいよ、智也。」

 黒いワンピースの水着とそこから覗く白い肌が眩しい。胸元のレース編みがセクシーだ。ハイレグから伸びる生足が実に素晴らしい。このままずっと眺めていたい。

「…智也?どうしたんだい?」

 とても素敵だ、タイリクオオカミ。

 ケモ耳も澄んだ瞳も艶めく唇も浮き上がった鎖骨も腰のくびれも揺れる尻尾も引き締まった太腿も何よりふとももが素晴らしい。

 ケモ耳からつま先までまさに理想的だ。いっそのこと君を…

「駄目!オオカミさん!それ以上近付いたら危険です!」

 アミメキリンがタイリクオオカミの腕を掴み、俺と彼女の間に割って入ってくる。邪魔するな、オオカミの体が見えないだろ!

「今の智也さんはヒトじゃありません!あの眼は獲物を狙うケダモノの眼です!」

「…お前、俺を何だと思ってんだ。」

「そんないやらしい眼でオオカミさんを見ておいて、どうせスケベなことを考えていたんでしょう!」

「何だと!俺はただ…」

 くそう、完全に否定出来ないのが悔しい。

「アミメ君、少し落ち着こう。」

「そうよ、オトコなんてみんなケダモノよ!みんなカラダが目当てなんだわ!」

 タイリクオオカミの宥める声もよそに感情的に叫ぶアミメキリン。何だ?いつもと雰囲気が違うな。アリツカゲラの生霊でも取り憑いてるのか?

 それよりも、その言葉は男として心外だ。俺はなにもオオカミの体にしか興味がない訳じゃないぞ。

「尻を触ったのは悪かったよ。ひとまず落ち着けって。」

「やっぱり!私のこともそんな風に見てたのね!」

 落ち着かせようと声をかけたつもりが藪蛇か。参ったな、こうなるとなかなか治まらない。

「ハーイ、everyone!How are you?」

 やけに明るい声が響き渡る。ハクトウワシだ。ビーチボールを抱えた彼女が数人の男達と一緒にこちらにやって来る。

「オオカミにキリン、丁度良かった。皆で一緒に遊びまショウ!」

「それは良いな。ほら、アミメ君、智也、気を取り直して私達も行こう!」

 渡りに船とばかりに話を合わせるオオカミさん。

「よし行こう!機嫌直せよ、アミメ。折角のプールなんだから。」

 オオカミさんに引っ張られ渋々といったていでプールに入るアミメキリン。暫くすると、いつもの笑顔を見せて俺達とボール遊びに興じる彼女の姿があった。やれやれ、単純と言うか神経質と言うべきか。まあ良いか。

 笑い声を響かせる彼女を見ているとこっちまで頬が緩む。本当にはたで見てる分には美人なんだよなあ。

 ハクトウワシが投げたビーチボールが勢い余ってプールサイドに転がる。すると側にいた男の子がボールを取ろうと駆け出し、転んでしまう。

「Sorry、大丈夫?」

 ハクトウワシが男の子に声をかける。

「もう、あんたってグズなんだから。」

 それを見たフレンズの女の子が呆れたように言う。

「うう、お姉ちゃんのイジワル!」

「駄目よ、弟と仲良くしなくては。」

 プールサイドに上がって男の子を助け起こしながら、ハクトウワシは優しく女の子を窘める。

「さあ、仲直りしましょう。」

 そんな彼女の様子を見ていると自然と胸の奥が温かくなってくるようだ。

 視線を泳がせるとオオカミさんに男が話しかけているのが目に入る。俺は水を掻き分け彼女に近付く。

「タイリクオオカミ、上がってちょっと休憩しないか。」

 そう言って彼女の腕を掴むとやや強引にプールサイドへと向かう。男に一瞥をくれる事も忘れない。

 思わずこんな行動に出てしまった。我ながら大胆だったかな。掴んでいた彼女の腕を離す。

「…悪いなオオカミ、何だか無理に引っ張ったりして。」

 彼女は腕を軽くさすって俺を睨む。

「全くだ、今日の君はケダモノだな。私をどうするつもりだい?」

 言葉に詰まる俺に彼女は悪戯っぽく笑ってみせる。

「なんてね、冗談だよ。正直ちょっと困っていたんだ。助かったよ。」

 プールサイドに手をついた彼女の身体が浮き上がる。水に濡れた尻尾とお尻の丸みが素晴らしい。

「どうした、智也。ほら、丁度ビーチチェアが空いているよ。」

 こちらを振り向くタイリクオオカミ。濡れた水着とまだ水の滴り落ちる髪と肌。下から見上げた彼女の脚がとても素晴らしい。

「智也?」

「あ、ああ。先に行っててくれ。すぐ行くから。」

 身体を屈めながら答える。今はその、体の一部が勝手に。…ケダモノですいません。



 その夜、頃合いを見計らってバーに向かう。カウンター席に座るタイリクオオカミが見えた。なかなか絵になるな。そう思っていると、青い髪の美形のバーテンダーと談笑している。…何だ、この気持ち。少なくとも愉快じゃないな。

「何だあいつ。俺のタイリクオオカミと気安く話しやがって。」

「タイリクオオカミは俺のものだ。俺だけのものだ!」

「勝手に声当てするな、アミメキリン。ハクトウワシ、お前もだ。」

「そう思ってたくせに。」

「素直じゃありませんネ。」

 こいつらときたら、アミメ1号と2号とでも呼ぶか?ため息を吐くと俺はカウンターに向かう。タイリクオオカミの隣に座る。俺達の両隣にアミメキリンとハクトウワシも座った。

「やあ、智也。両手に花だね。」

「冗談はよしてくれ。敢えて形容するならベラドンナにマンドラゴラだ。タリスカーのロックをシングルで頼む。」

「どっちがどっちでショウネ?ワタシはニューヨークを。」

「やだなぁ、“美しい女”だなんて。ピニャ・コラーダ下さい。」

「ふふ、私はレッドブレストをロックでもう一杯貰おうか。」

 俺達はグラスを合わせ乾杯する。オオカミさんと二人きりじゃないのはちょっと残念だが、まあ良いか。久し振りに楽しい夜になりそうだ…

「チクショー!オトコなんてみんな死ねばいいんだ!」

 グラスを呷っては叫ぶアミメキリン。マンドラゴラの方だったか。四人で楽しく飲んでいた筈なのに、どうしてこんな事に。

 初めのうちは軽めのカクテルを飲んでいたのが、ギムレットになり、ウイスキーの水割りからロックになり、今やストレートをがぶ飲みしている。

「もう一杯下さい。」

 もう五杯目だぞ。

「アミメって飲むとこうなるの?」

「いや、いつもはこんな事ないんだが。」

 オオカミさんが声をひそめる。

「付き合っていた男と別れたらしくて。」

 大きな音を立ててアミメキリンがグラスをカウンターに叩きつける。

「はっきり言えよ!オトコに捨てられたってよー!」

自棄やけになるなよ、アミメキリン。」

「アミメ君、もうそれぐらいにしておいた方が。」

 ハクトウワシはいつの間にか姿が見えない。本当、要領の良い奴だ。

 アミメキリンがこちらを向いた。目が据わってる。

「二人もぉ、こんな所にいないでぇ、さっさと部屋で、ふぁっくす、すればいいでしょう!」

 …部屋にFAXは置いてねえよ。いや、違うのは分かってるけどさ。

 アミメキリンの目からぽろぽろと涙が零れる。

「うう、どうして。私って、そんなに、魅力がないんですか?」

「アミメ君。」

 オオカミさんがアミメキリンの肩に手を置く。

「そんな事無いだろ。」

 俺は上着のポケットからハンカチを取り出しアミメキリンに渡す。

「じゃ、じゃあ、私のどこがいいのか、言ってみてよぉ。」

 そう言って俺を見つめてくる。オオカミさんは俺に頷いて見せる。しょうがないなあ。

「顔が綺麗で、背が高くて、足が長くて、かなりスタイルが良いモデルみたいな体をしている…」

「そ、そんなぁ、褒めすぎですよぉ。いくら私が美人で知てきで魅力てきな美しょうじょめい探偵だからって、もう!オオカミさんがしっとしちゃいますよー。えへへ。」

 一転して上機嫌で照れ笑いをするアミメキリン。そこまで言ってないし、お前美少女っていう歳じゃないだろ。何というか、チョロいなアミメ。そんな事だから。…まあ良いや。とにかく機嫌が直って良かった。

「タクヤさんはカノジョとかいるんですか〜?私、今夜はひとりでさびしいな〜。」

 今度は美形のバーテンダーに絡んでいる。さっきは男なんて死ねばいい、なんて言ってた癖に。懲りない奴だ。

「随分とアミメ君にご執心の様じゃないか。ふむ、君は面食いなんだな。」

「君の方こそ、ああいう美形が好みなのか。さっきは楽しそうに話していたな。」

 横目でオオカミを見ると彼女は口元を綻ばせ、いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべてみせる。くそ、色っぽいな。

「もちろん、嫌いじゃないさ。…でも今は気になる相手がいてね。」

 なんだって!?

 思わず目を見開いてオオカミの顔を見つめる。

「なんだい、意外そうに。私にだってそういった相手ぐらいいるさ。」

「そりゃ、そうかもしれんが。…気になる男って、誰なんだ?」

「ふふ、さあてね。ちょっと口が滑ってしまったな。」

 彼女は澄ました顔でグラスを傾ける。からかっているのか?それとも…

「さて、そろそろお開きにしようかな。アミメ君。」

 アミメキリンは半開きの目でカウンターに突っ伏していた。年頃の女がして良い顔じゃないぞ、アミメ。大丈夫か?

 結局酔い潰れてしまったアミメキリンを抱きかかえて、俺はオオカミと彼女達の部屋へ向かう。

「悪いな、君に頼ってしまって。」

「別にいいさ。友達だからな。」

「尻を触るほど仲の良い、ね。」

「どんな友達だよ。誤解しないでくれ。俺はアミメには興味は無いんだ。」

「じゃあ、誰になら興味が有るんだい?」

 それは、勿論…

 答えが喉まで出かかった。言ってしまっていいんだろうか?横目で見るとタイリクオオカミの頬が赤い。酔ってるからか。どうしよう。さっきの事もあるし、この流れは…

 いや!アミメキリンを部屋に運ぶだけだし。さすがに展開が急過ぎるだろう。俺とタイリクオオカミが、そんなことに…

「…智也、…智也!」

「お、オオカミ、嬉しいけど、そういうのはもっとお互いを、知ってからじゃないと…」

「何を言ってるんだい?私達の部屋はここだよ。」

 カードキーを手にしたオオカミさんが怪訝そうに俺を見ている。

「…悪い、ちょっと意識が。飲み過ぎたかな?」

「大丈夫かい?悪かったね。君ももう休んだ方が良いよ。」

 彼女に続いて部屋に入る。ホッとしたような、ちょっとガッカリしたような。

「うう〜ん。」

 アミメキリンが呻いた。起きるのか?ひとまずソファーに座らせよう。

「オオカミ、水を持ってきてくれ。」

「分かった。君の分も用意しよう。少し休んでいきなよ。」

 俺はアミメキリンの肩を軽く揺する。間近で見ると本当に美人なんだな。

「はっ!」

 起きた。まつ毛の長い目がぱっちりと開く。彼女と目が合った。

「アミ…」

 彼女に話しかけようとした刹那。凄まじい金切り声が。同時に強い衝撃を感じた。視界が揺れる。何だ、地震か?

 俺は何故か床に寝ている。どうして天井に扉が?アミメキリンの姿が見える。よく落ちないな。いや、これは…

 上下の感覚が戻った。俺は大の字の姿勢で廊下の壁に背中を付けている。

「この、エロガッパーー!」

 アミメキリンが叫ぶ。

「俺は…、ヒトだ…、ごほっ…」

 こいつ、本当にミックスなのか?俺は第一世代の、アフリカゾウのミックスだぞ。徐々に鳩尾の辺りに痛みが。

「ひいばーちゃんは、言っていた。サバンナで、最も危険な生き物は、キリンだと。」

 俺は床に尻餅をつく。部屋の扉が無情にも閉まる音が聞こえた。



 俺は湖の畔をタイリクオオカミと歩いていた。清々しい風が新緑の匂いを運んでくる。遠くの山が青く霞んで見える。

「昨日は災難だったね。智也。」

「冗談じゃないぜ。全く。あのアミメキリンめ。」

 鳩尾が痛い。部屋に戻ってから見たら痣が出来ていた。ライオンだったら即死だったな。

「君も酷いじゃないか、オオカミ。俺を放っておくなんて。」

「悪いと思ったけど、アミメ君を落ち着かせるのに一苦労だったんだよ。君は頑丈だから大丈夫だとも思ったんでね。」

 悪びれる風もなく笑ってみせるオオカミ。軽く睨むとウインクを返してきた。ちぇっ、狡いな。

 俺は目を逸らし湖の水面を見やる。この湖は自然に出来たものではなく、人工のダム湖だ。造ったのはビーバー達らしい。フレンズ工と言うべきか。俺達が歩いている堤防も全て木と土で出来ていて、外側を石を積み上げ組み合わせた石垣で覆っている。凄い技術だな。

「ところでアリツさんはどうしたんだ。一緒じゃないのか?」

「彼女は彼女で楽しんでいるようだよ。二人でね。」

 成る程、アミメと違ってやり手だからな。

「それに、ここは彼女の実家とは…」

 呟いたオオカミと目が合う。俺は軽く頷き返す。

「百年戦争か。」

 ジャパリポリスを二分する勢力、不動産会社ホームARITUKAとヴァーミリングァホテルは互いに群れを形成し、最早誰の目にも終わりの見えない泥沼の戦いを百年以上も続けていた。

 何故、不動産会社とホテルが対立するのか?今を遡ること一世紀以上もの昔、まだネイティブフレンズ達が多くいた時代。動物としての性質を色濃く残す彼女達は縄張り意識はあっても、“家”の概念を持たなかった。

 そんなフレンズ達にヒトと同じように“家”に定住する事を説き、住居を提供していたのがアリツカゲラだった。

 一方、一つ所に留まらず自由に行き来するフレンズ達の為に宿泊施設を造り、ヒトに対しても放浪生活を勧めていたのがオオアリクイだ。

 例えるなら農耕民族と遊牧民族の対立みたいなものだな。ポリスの発展と共に両者の対立も激化していった。今や混血種であるミックスが多数を占めているが、俺のように家を持たない住人も少なくない。無論、タイリクオオカミのようにネイティブで定住しているフレンズも多いけどね。

 かくして、アリツカゲラ一族とアリクイ一族とは単なる商売敵にとどまらず、思想的な対立にまで発展し、そしていつの日か戦いの舞台は宇宙へと…

 でもまあ、所詮はフレンズのやる事だし騒ぐほどでもないか。

「百年続く戦争と言えば物々しいが、とどのつまりは客引き合戦だしなあ。」

「当事者達は本気のつもりだけどね。いつだったか君もアリツさんに勧誘されていたね。」

 普段はおおらかなアリツカゲラがあの時ばかりは大真面目に語っていたな。

「ヒトもフレンズも家に住み規則正しく生活すべき、言ってる事は間違っちゃいないけどな。」

 ただ、正直押し付けがましいと言うか、これに関してはオオカミさんも呆れ気味だったな。

「君にも夜歩きが過ぎる、食事が不規則、まるで母親かお姉さんみたいだったな。」

「そもそも私は元来夜行性なんだけどな。オオカミは旅をする動物だし。」

 隣を歩くタイリクオオカミの髪が風になびく。横顔も素敵だな。手を繋いでもいいかな?こう、さり気なく…

 指先が軽く触れ合う。彼女が突然走り出した。あれ?嫌だったのかな?それにしてもいきなり逃げることはないだろう。それとも、またケダモノネタで俺をからかうつもりなのか。全く。

 タイリクオオカミは堤防の縁に立ち下を覗き込んでいる。

「どうしたんだオオカミ、危ないぞ。」

「智也、来てくれ!」

「何だい、またフレンズでも見たのか?もうその手は…」

「早く!」

 俺はオオカミに駆け寄る。彼女と並んで下を見るとそこには…

 なんとも形容し難い光景だ。今の時期、まだ湖の水位は低い。湖面と俺達のいる場所とのほぼ中間、堤防から何かが生えている。何だこれは?いや、頭のどこかでは分かっているのだが、理解が追いつかないと言うか。深刻な状況なのだろうが、どこか間抜けな絵面と言うか。

 太い尻尾と二本の脚。フレンズの下半身が石垣から生えている。何を言っているか分からないだろうが、俺にもさっぱり分からん。

「智也、マフラーを出してくれ。下に降りる。」

 オオカミの冷静な声で我にかえる。

「あ、ああ。分かった。」

 古い記憶、サバンナの光景が脳裏に浮かぶ。けものプラズムがマフラーを形成する。

 タイリクオオカミはマフラーを腰に巻き付けると石垣を蹴りながら降りて行く。フレンズの隣に並ぶとその腰を両腕で抱える。

「引き抜いたら持ち上げてくれ!」

「ああ、いいぞ!」

 オオカミが両脚を屈め石垣を蹴った。埋まっていたフレンズの身体が引き抜かれる。俺は彼女達を持ち上げる、と同時に目を疑った。

「何だこれは!?」

 オオカミも驚愕の声を上げる。引き抜かれたフレンズの上半身は黒い塊に包まれていた。セルリアン!?

 着地したオオカミは抱えていたフレンズを地面に横たえる。

「気を付けろ!」

 屈み込むオオカミに俺は叫ぶ。彼女の右手が虹色の輝きを帯びる。フレンズの上半身を覆っていた黒い塊が白く染まり煙の様に消え去った。

「まだ息がある。」

 フレンズの顔に耳を近付け呼吸を確認するとオオカミは彼女を抱き上げる。

「早く医者に診せよう!」

 ホテルに向かって駆け出すオオカミ。俺は彼女の腰に巻き付いたままのマフラーを素早く外し、見る間に小さくなる彼女の背中を追いかけた。



 ホテルのロビーに駆け込むと既に人だかりが出来ていた。タイリクオオカミがいた。側の長椅子の上にフレンズが横たわっている。

「ニホンリスさん!?どうして…」

「警察に連絡を!」

「皆様、落ち着いて下さい。」

「ここの設備ではこれ以上のことは、すぐに病院に運ばなくては。」

 ホテルのスタッフ達の声が聞こえてきた。周りの客の不安な囁きも。それを掻き消す様にオオカミの落ち着いた声が響く。

「とにかく皆慌てずに行動するんだ。安全が確認されるまではここにいること。もし部屋に戻るのなら、一人では行かず二人以上で行動し、戻ったら無闇に外に出るな。何かあったらすぐに助けを呼ぶんだ。いいね?」

「タイリクオオカミ。」

「智也。アミメ君が心配だ。様子を見てくるから、君はハクトウワシを頼む。」

 その時スタッフの一人がおずおずと口を開いた。

「わ、私、さっきニホンリスさんを、見たんです、けど。」

 何だと。オオカミと視線を交わす。

「そいつがセルリアンだ!」

「そいつはセルリアンだ!」

 俺達は同時に叫んでいた。

「行こう、オオカミ。まずはアミメを確保しないと。」

「そっちは私が、君はハクトウワシを…」

 オオカミの言葉を遮る様に俺は彼女の肩に手を置く。

「一人じゃなく二人で行動するんだろう?」

 彼女の瞳を見つめて言う。

「…分かったよ。相棒。」

 エレベーターに乗り込みオオカミ達の部屋へ向かう。その途中、俺は携帯電話でハクトウワシに連絡しようとしたのだが…

「くそっ、肝心な時に限って出て来ない!あの鳥頭!」

「やはり君はハクトウワシの所に行った方がいいんじゃないか?」

「そうしたくても居場所がはっきりしないからな。部屋に居ればいいんだが。」

 エレベーターの扉が開いた。

「まずはアミメが先だ。」

 俺達は部屋に向かって走る。

「アミメ君!」

「アミメ!」

 中に入ると同時に叫ぶが返事は無い。

「アミメ君!居ないのか!?」

「アミメキリン!…でかいケツ!」

「…駄目だ。ケータイも置きっ放しだ。どこへ行ったんだろう?」

 思わず舌打ちが出る。そこへ部屋の外から悲鳴が聞こえた。

 俺とオオカミは部屋を飛び出し廊下を走る。途中、他の部屋の扉が開き客が顔を出す。

「外に出るな!セルリアンだ!」

 廊下を曲がった所でフレンズとセルリアンの姿が目に入る。

「オレっちに構わず逃げるッス!」

「そんなのイヤであります!自分達は運命共同体であります!」

 倒れたフレンズをもう一人が助け起こそうとしている。セルリアンが触手を伸ばす。くそ!間に合わない!

 俺の脇を蒼い影が疾走はしり抜ける。中空に虹色の軌跡が描かれるとセルリアンが砕け散った。一つ、また一つ。まるで流星だ。美しささえ感じられるその獣の動きを、俺は立ち尽くして見ている事しか出来なかった。

 タイリクオオカミが倒れているフレンズに手を差し伸べる。我に返った俺も彼女達に駆け寄る。

「ワーオ!セルリアンをやっつけたんデスカ。スゴーイ!」

 妙に軽い調子の声が響いた。

「ハクトウワシ!お前、こんな時にどこへ行っていた!?」

 つい声を荒げてしまったが、ハクトウワシは驚いた様子もない。

「アイムソーリー!セルリアンが出たと聞いて急いで来まシタ!」

「…そうか、ひとまず彼女達を安全な場所に。」

「そんなことより、早くニホンリスを見つけナイト!」

「………!」

 何か考えるより先に足が床を蹴っていた。胸の奥が熱い。頭の芯が痺れる様な感覚だ。

「智也!」

 タイリクオオカミが俺の身体を押し留める。

「感情的になるな!落ち着くんだ!君はヒトだろう!」

 オオカミの瞳が真っ直ぐに俺を見つめてくる。彼女の言葉が俺の心を射抜いた。

「今は二人を安全な場所に連れて行くんだ。ハクトウワシは私に任せろ。」

 そう言うと口角を上げ笑顔を作って見せる。

「私を信じろ、相棒。」

 タイリクオオカミは自信ありげにウインクする。それを見て熱が引くように心に落ち着きが戻って来る。分かったよ、相棒。

「君を信じるよ。オオカミ。」

 俺は倒れていたフレンズを抱き上げる。丁度反対側のエレベーターホールだ。もう一人のフレンズとエレベーターに乗る。まずはロビーへ戻って、それからアミメキリンも探さなくては。

 頼むぞオオカミ、待ってろよアミメキリン、ハクトウワシ!



 智也の背中を見送って、私はハクトウワシに向き直る。

「行こうかハクトウワシ。ニホンリスを探そう。」

「イエース!」

 私達は並んで歩き始める。

「ところで君は今までどこに居たんだい?昨夜は途中で姿が見えなくなってしまったが。」

「それはチョット、プライベートなことなのデ。」

 ハクトウワシが一歩遅れる。私は構わずに進む。

「私と君の仲じゃないか。君が居たのならその部屋は探す必要は無いな。無駄足を踏まない為にも、番号を教えてくれないか?」

「706号室デス。」

 真後ろに彼女の気配を感じる。距離は三歩半。

「そうか、ありがとう。…なら、お前はもう用済みだ。」

 振り向きざまに手刀を払う。ハクトウワシの肩から伸びた触手を斬り裂いた。後ろに飛び退いたハクトウワシの瞳が紅く染まる。

「本性を現したな。」

 全身が毒々しい緑に変わったセルトウワシが怒りに顔を歪ませる。

「シット!ファッキンウルフ!アイルキルユー!」

「やってみろ、出来るものならな!」

 セルトウワシが急降下し右手を突き出す。私は左に半歩ステップを踏み奴の攻撃を躱すと右腕を交差させ拳を突き出した。拳が奴の顎を捉えた。

 腰を落とし左拳を奴の右脇腹に叩きつける。奴の身体が前屈みになる。

 膝を使って右拳を突き上げる。拳が奴の顎を打ち抜いた。

 左足を踏み込み右腕を振りかぶる。膝の発条ばね、腰の回転、背中の筋力、全身のエネルギーが拳に伝わっていく。渾身の右ストレートがセルトウワシの顔を打ち貫く。

 奴の身体が床に倒れる、かに見えたがゆらりと浮き上がった。しぶといな。紛い物とはいえさすがはハクトウワシといったところか。

 私は膝を曲げオーソドックスに構えると軽くステップを踏む。セルトウワシは天井付近で浮いたまま動く気配を見せない。ダメージの回復を待っているのか。ならば、こちらから仕掛ける!

 一歩踏み込むと跳び上がる。オオカミの跳躍力を舐めるな。

「ふん!」

「グアッ!」

 奴の腹に蹴りを叩き込む。

「…ファァック!」

 着地した私にセルトウワシが回し蹴りを放ってくる。足を踏み込み奴の脛に肘打ちを当てる。骨の砕ける感触があった。

 悲鳴を上げ脛を押さえて床に倒れるセルトウワシ。勝負あったな。

 セルトウワシはこちらを睨み付け、なおも立ち上がる。その気概だけは褒めてやる。だがこれで終わりだ!

 獣の記憶、獲物の喉笛を咬み裂く感覚が蘇る。けものプラズムが刃を形成する。

 右手の刃がセルトウワシの胸を貫く、筈だった。

 視界から奴の姿が消える。振り向いた私の眼に影が映る。咄嗟に左腕で奴の拳を受け止める。

 既に奴の姿は無い。私は床に伏せる。野性の勘としか言いようがない。頭上を鋭い一撃が通り過ぎた。

 素早く起き上がり壁を背に構える。左から右へ紅い影が横切る。眼で追えない!

 影が空中で静止する。セルトウワシだ。全身から紅い光が陽炎の様に立ち昇っている。

「オーバードビースト、…発動!」

 セルトウワシの姿がぼやけ視界から消える。落ち着け。私は眼を閉じ感覚を研ぎ澄ます。感じ取れ。奴の殺気を。…来る!

 そこだ!左拳を突き出す。手応えが無い!?

 眼を開くと突き出した拳の数ミリ先でセルトウワシが止まっている。奴は恭しく身を屈めると拳にキスをしてみせた。

「ナメるな!」

 振り下ろした右の手刀が空を切る。顎に衝撃を受ける。左拳を突き上げる。右の脇腹に鋭い痛みが走る。視界が覆われる。顎を庇った右手が痺れる。

 決して広いとは言えないホテルの廊下を奴は眼にも止まらぬ速さで飛び回っている。

 右拳を振りかぶる姿が見えた!左手で顔を庇う。…腹を蹴られた。熱い液体が喉までせり上がってくる。

 くそ、何が慣性の法則だ。セルトウワシの動きは急加速と急停止を繰り返しているぞ。ヒトの叡智なんていい加減なものだ。

 先程フレンズ達が襲われていた場所で私は右手を壁につき身体を支える。致命傷という程ではないが身体のあちこちが痛む。

「クソ!」

 回し蹴りを放つが逆に脛に激痛を覚え尻餅をつく。それでも立ち上がると奴を睨む。セルトウワシが突進して来る。右手の指先が壁のボタンを押す。

 チャイム音がして背後の壁、エレベーターの扉が開く。

 私は仰向けに倒れる、エレベーターの室内に。セルトウワシが急停止する。おっと逃さないよ。倒れる勢いを利用して突き出された奴の腕に両脚を絡み付け、エレベーター内に引きずり込む。

 奴より早く立ち上がると室内のボタンを押す。今度こそ終わりだ!

「ここなら自慢の、オーバードビースト?それも使えないだろう。」

 言われてセルトウワシは周りを見回す。狭いエレベーターの室内を。

「お前は私の友達を傷付けたな。そして、何よりも…」

 今なら分かる気がする。智也にとってハクトウワシがどういう存在か。

「彼を怒らせた。」

 私の背後でエレベーターの扉が閉じた。



 エレベーターの扉が開くと、俺達はホテルのロビーに戻った。

「怪我人だ!空けてくれ。」

 空いたソファーにフレンズを寝かせる。

「感謝するであります!」

「後は任せるぞ。」

 俺はエレベーターに向かおうとした。

「もし、お待ちになって。」

 落ち着いた品のある声が俺を呼び止める。

「私は当ホテルのオーナー、金谷と申します。オオアリクイのフレンズでございます。」

「俺は未来智也。」

「未来様、不躾を承知で申します。私どもにお力をお貸し願えないでしょうか?」

「本来ならば、この様な事をお客様に申し上げるのは心苦しいのですが…」

 スタッフが続けるのを俺は遮って言う。

「御託はいい、協力しよう。ひいばーちゃんは言っていた。一人は群れの為に、群れは一人の為にと。」

 俺はオオアリクイとスタッフと一緒に状況を確認する。

「現在、部屋に残っているお客様の安否を確認しております。」

 スタッフがひっきりなしに内線電話を掛けている。

「555号室は問題無い。オオカミの部屋だ。」

 彼女なら無事だ。

「706号室の浅野様と連絡が取れません!」

「ニホンリスが担当している区域だ!もしかすると!」

 そこにアミメが?いや…

 セルリアンに襲われたのでなければアミメキリンは自分で部屋を出た事になる。アミメが向かう場所。ひょっとして…

「バーだ。バーのスタッフは?残っている者はいるか!?」

「…駄目です、繋がりません!」

 俺はタイリクオオカミに携帯電話を掛ける。

「智也か!」

「タイリクオオカミ!無事か!」

「当然だろう。私を誰だと思っているんだい?それより…」

「706号室だ!そこに行ってくれ!セルリアンが…」

「丁度良かった。今入るところだよ。恐らくここにハクトウワシが…」

「タイリクオオカミ!気を付けろ!…オオカミ!」

 短いようで長く感じる沈黙の後オオカミの声が返ってきた。

「…ハクトウワシ!…智也、ハクトウワシだ!」

「本当か!無事なのか!?…他には!セルリアンは!?」

「落ち着け!…大丈夫、息はあるよ。他には誰もいないようだ。」

「706号室に人をやってくれ!怪我人がいる。俺はバーに向かう。」

 俺はオオアリクイに告げると歩き出す。

「タイリクオオカミ、そっちに人をやったから入れ替わりで君もバーに向かってくれ。」

「バーに?いや、分かった!」

「アミメキリンはバーにいる。」

 実は確証がある訳じゃない。直感としか言い様がない。だが今はそれを信じるだけだ。

「もし、お一人では危険です。」

「悪いが足手まといだ。俺よりハクトウワシを頼む。…非常階段はここだな。」

 追いすがるオオアリクイに言うと俺は非常階段の扉を蝶番から引きちぎる。

「修理代は料金につけといてくれ。」

 非常階段を駆け登る。出口の扉を体当たりで開けるとバーに向かって走った。

 バーの扉を開けると俺の眼に見慣れた人影が飛び込んできた。

「僕のことはいい、君は逃げるんだ!」

「そんな、タクヤさんを置いて逃げるなんて出来ません!」

 床に倒れた、いや下半身が床に埋まったバーテンダーとアミメキリンだ。更に彼女達に迫るもう一つの影。

「フフフ、お二人とも素敵です。じゃあ仲良く一緒に埋めちゃいましょうねー。」

 俺は影に向かって扉を投げつける。ぶつかる直前に扉が消えた。俺は構わずに椅子や観葉植物を投げつける。いずれも空中に現れた黒いベールに包まれて消えてしまう。

「智也さん!」

「無事か、アミメキリン!」

「私はなんとか、でも…」

 俺は彼女達に駆け寄るとバーテンダーの腕を掴んで持ち上げる。彼の下半身は黒い塊に包まれていた。本物のニホンリスと同じだな。

「足が動かない。早く逃げろ!」

「タクヤさん、私を庇って、あの黒いのに。そ、それで床に身体が…」

「下がってろアミメ!こいつは俺がやる。」

「で、でも!」

「お前に何かあるとオオカミが悲しむ。」

 彼女の悲しむ顔なんて見たくない。彼女には笑顔でいて欲しい。だから…

「あなたも中々素敵ですねー。埋めてもいいですか?いいですよね?」

「お前独りで埋まっていろ。コキュートスの底にでもな!」

 瞳を紅く光らせたフレンズ型セルリアンの掌から胡桃ほどの大きさの黒い塊が飛び出す。

「ウフフ、みんな埋めちゃいますよー!」

 セルリアンが塊を投げると、それは一瞬で大きくなり目の前に黒いベールが広がる。

 俺の脳裏に闇夜に吠える獣の姿が浮かぶ。

 蒼い輝きを帯びたマフラーがベールを切り裂く。驚愕するセルリアンの身体にマフラーを巻き付ける。

 俺は左の掌を突き出す。小指から順に指を曲げていく。けいしんちんさい太白たいはく。左拳を構える。

 マフラーで拘束したセルリアンを引き寄せる。左足を踏み込み拳を突く。

「相勝星拳突き!」

 全身全霊の一撃が奴の胴体を貫いた。

「こんな、ところに、穴が、う、埋めなきゃ、埋めないと、う、埋めてー!」

 フレンズ型セルリアンは砕け散った。

「智也さん!」

 振り向いた俺にアミメキリンが抱きついてきた。

「全く、一人で勝手に出歩くな!このケツデカ無能キリンが!」

「うう、ごめんなさいー。」

「…まあ、お前が無事で良かった。」

 俺もアミメキリンを抱きしめると優しく頭を撫でてやる。彼女は俺の胸元に顔を埋める。

 ふと入口の方に眼をやると、とても見慣れたシルエットが。タイリクオオカミが無言で佇んでいた。

「タイリクオオカミ、いやこれは違うんだ!」

「きゃっ!」

「誤解しないでくれ!俺はアミメとは何もしてないんだ!」

「ちょっと、なんで突き飛ばすんですか!」

「前にも言ったが俺はアミメには興味は無いんだ!」

「智也さん!あとさっき私のお尻が大きいとか言ったでしょう!」

「お前は黙ってろ!余計な事を言うな!」

「なによー!私が頭カラッポの無能な尻軽女とか言ったくせに!」

「そこまで言ってないだろう!事実を捏造するな!」

 俺とアミメキリンが睨み合っているとオオカミさんが大きなため息を吐く。

「やれやれ、二人共分かったから、もうその辺にしといたらどうだい。」

「…あのう、そろそろ僕のことも助けてくれないかな。」

 遠慮がちなバーテンダーの声が届いた。



 チェックアウトを済ませた俺はソファーに座ってロビーの様子を眺めていた。事件から三日経ち、もうホテルはいつもの様相を取り戻している。

「どうしたんですか、そんな所で。ああ、またオオカミさんのお尻を見てるんですね。」

 アミメキリンが隣のソファーに座る。

「惜しいなアミメ、俺が見てるのは彼女のふとももだ。」

「…はぁ。ほんと、男の人って…」

 呆れた様に呟くアミメキリン。しばらく俺達は無言で座っていたが…

「結局、真犯人は見つかりませんでしたね。」

 ニホンリスとハクトウワシを襲った犯人、フレンズ型セルリアンの正体は不明だ。

 病院で意識を取り戻したニホンリスは耳の長いフレンズとしか覚えておらず、ハクトウワシはバーを出た所で男に声を掛けられたそうだ。二人とも襲われたのは706号室のようだ。

「706号室の浅野さん、本物の方は私達が来た日にチェックアウトしたそうですけど。」

 直後にフロントに、予定が変わったのでもう暫くホテルに泊まるからチェックアウトは取り消す、と電話があった。だが、その後ホテル内で浅野を名乗る人物を直接見た者はいない。恐らく、部屋の掃除に行ったニホンリス以外は。

「本物がチェックアウトした時に犯人もホテル内、多分このロビーにいたんだろう。そして携帯電話を掛けて客になりすまし部屋に向かったんだ。この手口、前に映画で観たな。」

「智也さんって、知識が映画ばっかりですよね。」

「映画には人生があるんだぞ。知らないのか、アミメキリン。」

「…それで、犯人はいつホテルから逃げたんでしょう。」

「俺とタイリクオオカミが散歩に出た頃、同じ様に他の客に紛れて何食わぬ顔でホテルを出たのさ。」

 前の日の夕方にニホンリスが湖の方に行くのをスタッフが目撃している。例の能力で本物を始末しに行ったんだろう。そして夜にハクトウワシを…

「自分は安全な場所に逃げて、残った二人が他の客を襲う。ただ誤算だったのは、予定よりも早くタイリクオオカミが本物のニホンリスを見つけてしまった事だ。」

 そのおかげで被害は最小限で済んだ。

 そこまで考えて俺はある可能性に気付いた。セルトウワシはオオカミ達の部屋の階にいた。もしかすると奴の狙いはオオカミだったのか?

 そもそもハクトウワシを襲ったのは何故だ?自分の姿を見ただろうニホンリスを襲ったのは分かる。だがどうして彼女を…

 今回の相手はこれまでのセルリアンとは毛色が違う気がする。

「智也さん、大丈夫ですか?」

 アミメキリンが俺の顔を覗き込んでいる。

「ええと、でも良かったですよね、ハクトウワシさんも、一応無事でしたし。心配してましたよ、オオカミさんが。」

「ああ。あいつが簡単にくたばるもんか。鳥頭め、オオカミにまで心配かけさせやがって。」

「違いますよ。オオカミさんは智也さんのことを心配してるんです。ハクトウワシさんのことでショックを受けてるんじゃないかって。」

「俺なら平気だよ。」

 アミメキリンが俺の目を見つめてくる。

「…嘘だ。本当は何て言うか、胸が重いって言うか、結構こたえたな。」

 アミメキリンは優しく俺の頭の後ろを撫でる。

「お前もありがとうな、アミメ。」

「私の方こそ助けてくれてありがとうございます。ふふっ、あの時の智也さんカッコ良かったですよ。まるでヒーローみたいでした。」

 俺とアミメキリンは互いに微笑み合う。

「そうだ、アミメキリン。話は変わるんだが、オオカミさんの、その、気になってる男って、誰か知らないか?」

 途端にきょとんとした顔で俺を見つめるアミメキリン。何だ?

「それ、本気で言ってるんですか?」

 彼女は息を吸い込むとわざとらしく大きなため息を吐いてみせた。

「ほんとにもう、この二人は。…鏡を見た方がいいですよ。」

「どういう意味だよ、それ。」

 答えずにアミメキリンは両手を上げて、やれやれという風に首を振ってみせる。

 なおも問い詰めようとすると、タイリクオオカミの声が聞こえてきた。

「やあ、待たせたね。それじゃあ行こうか。アミメ君、智也。」

「はい!オオカミさん。」

 二人は連れ立って歩き始めた。

「おい、アミメ!」

「言葉通りの意味ですよ。」

 振り向いたアミメキリンが馬鹿にしたように言い返す。

「何の話だい?」

「何でもありません。」

 くそう、馬鹿にしやがってアミメキリンのくせに。

 俺は二人の後を追う。追い付いた所で落ち着いた品のある声が俺達を呼び止めた。

「未来様、望月様。」

 振り返るとホテルのオーナー、オオアリクイが佇んでいた。

「この度は御二方の尽力により、お客様とスタッフの生命を救って頂き感謝の念に堪えません。心より御礼の言葉を申し上げます。誠にありがとうございました。」

 深々と頭を下げるオオアリクイ。

「私達はすべきだと思った事をしただけだよ。」

「ああ、それに俺達だけじゃない。貴女達の協力があったからだ。」

「みんなで掴んだ勝利ですね!」

 良い事言ってるが、お前は何もしてないだろ。

「…何か?」

「…いや、何も。」

 そんな俺達のやり取りを見たオオカミさんが真顔で言う。

「君達、このホテルに来てから随分と親しくなったようだが、怪しいな。やっぱりナニかあったんじゃないのか。」

「ナニもありませんよ!智也さんとなんか。」

「何度でも言うが、俺はアミメキリンには興味が無いんだ。」

「ははは、分かったよ。それじゃあ、私達はこれで。」

「お世話になりました!」

 俺はオオアリクイに会釈を返すと二人の後に続いてホテルから出る。雲間から眩しい陽射しが注ぎ樹々の緑が映える。今日はいい天気になりそうだ。

「皆様、行ってらっしゃいませ。スタッフ一同またのお越しをお待ちしております。」



 開発管理省調査部所属のギンギツネよ。こんな話を知っているかしら?

 ヒトとフレンズとの間に生まれた、最初のミックス。彼はヒトとフレンズ、二つの世界を守る為に戦ったそうよ。そんな彼を人々はこう呼んだわ。“ジャガーマン”と。



 次回 『I give my heart to you』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る