第7話 Physician of friends

 その日、俺はオオカミさんの自宅で立ち尽くしていた。目の前ではタイリクオオカミがリビングの床の上に仰向けになり倒れている。その横でアリツカゲラが彼女を見下ろしていた。

「一体どうしてこんな事に。」

 タイリクオオカミ、クールで知性と気品に溢れ、気高く凛とした表情、飄々としてどこか神秘的な雰囲気、思慮深さと野性味と少々の茶目っ気を合わせ持った、とても魅力的なフレンズだ。

 だった、と言うべきだろうか。今、俺の目に映るのは変わり果てた彼女の姿だ。

「嫌だー!ヤダヤダヤダ、やだー!」

 喚きながら仰向けになって手足をばたつかせるタイリクオオカミ、だったもの。

「私は行かないぞー!」

 駄々をこねる様からはクールビューティの面影は欠片も見当たらない。おまけにあられもなく両脚を広げているので、その…、何というか…

「いい加減にして下さい!みっともない。智也さんに見られてますよ。」

 アリツさんの声を聞いてピタリと動きを止める駄々っ子オオカミ。次の瞬間には、腕組みをして壁にもたれかかり、余裕の表情を浮かべる彼女の姿があった。

「やあ、よく来てくれたね。大したもてなしもないけど、寛いでいってくれ。ふふ。」

「今更カッコつけても遅いですよ。」

 オオカミさんの頬が微かに赤らむ。いつもの凛々しい顔つきも魅力的だが、はにかむ様子もなかなかに可愛い。

「いや、これは、その…。参ったな。」

 一つ咳払いをして彼女が続ける。

「…ところで、どうして君はしゃがみ込んでいるんだ?」

 その場に膝を抱えてうずくまる俺を見て怪訝な表情を見せるオオカミさん。一方のアリツさんは顔をにやけさせながら言う。

「“オトコ”が“立ち上がって”しまったんですね。」

「アリツさん!」

 思わず叫び返す。なんてことを言うんだ、このフレンズときたら。

「…?彼はしゃがんでいるじゃないか。」

 オオカミさんは意味が分かっていないようだ。

「ふふふ、それはですね…」

「そんな事より、結局何があったんだ!?オオカミさんが大変な事になったって聞いたから、飛んで来たってのに。」

 すると、アリツさんはテーブルの上に置かれた数枚の紙片を俺に差し出す。何かの通知書のようだ。ざっと目を通す。

「抗体サンドスター値の検査結果じゃないか。それに…、予防接種の案内?」

 顔を上げると、オオカミさんが軽く頬を膨らませてそっぽを向く。

「そうなんですよ。オオカミさんったら、予防接種を受けるのを嫌がって。」

「…注射が怖いのか。」

 フレンズ化の特徴の一つに免疫機能の向上がある。簡単に言えばフレンズは滅多な事では病気にならない。体内のサンドスターが抗体の様な働きをする為と言われている。その働きを数値化したものが抗体サンドスター値だ。この値の高さがそのまま免疫力の高さでもある。

 しかし、サンドスターを大量に消耗するとこの抗体サンドスター値が下がり、免疫力も低下する。それを補う為にサンドスターの補給や各種の予防接種が必要になる。

「病気に罹ったらオオカミさん死んじゃうんですよ!」

「生き物は死ぬ時は自然に死んでいくものさ。それを人間だけが無理に生きさせようとする。」

 …君はいつから闇医者になったんだ?

 サンドスターの恩恵もあり、かつて猛威をふるった病害のほとんどは駆逐された。だが、未だ克服出来ていない病気も存在する。その一つが狂犬病だ。発症すれば致死率は100%。哺乳類、特にイヌ科フレンズにとって宿業ともいえる病だ。

 俺は大きくため息を吐くと、顎を上げてタイリクオオカミを見下ろしながら言った。

「オオカミさんがこんなヘタレだったとは。失望したよ、ワオンソン先生のファンをやめようかな。」

「何だって!…君、私の漫画のファンだったのか。いや、そうじゃなくて…」

「オオカミは所詮イヌの仲間だしな。人間に服従した腰抜けの獣だし…」

 聞いたオオカミさんは途端に顔を赤らめる。無論、恥ずかしさからではない。

「オオカミは、私は腰抜けなんかじゃないぞ!」

「じゃあ予防接種なんか怖くありませんよね。」

 一瞬言葉に詰まったオオカミさんだったが、俺とアリツさんの視線を受けて半ばやけくそ気味に答えた。

「いいだろう。お前達温室育ちのミックスに、ネイティブである私の野生の力を見せてやる!」

 元が動物だけにネイティブは良くも悪くも根が単純だ。とりあえず上手くいった。俺とアリツさんは視線を交わす。ちなみに俺は生まれも育ちも保護区だけどね。

「早速出かけるぞ。ついて来い、智也!」

「あ、待って下さい。オオカミさん、先にお風呂に入りましょう。智也さんも手伝って。」

「ああ、良いよ。…って、ええっ!?」



 ヒトとフレンズが共に生きる街ジャパリポリス

 無数の出会いと別れが交錯し

 数多の笑顔と涙が生まれるこの街で

 人々は生きていく未来へと繋がる今日を



 俺は浴室でオオカミさんの髪を洗っている。

「………」

「どうしたんですか。さっきから黙って。」

 雨合羽を着込んだアリツさんがオオカミさんの脚を洗いながら話しかけてくる。

「………」

「オオカミさんの生まれたままの姿が見られて嬉しくないんですか?」

 今更だが、ヒトとフレンズの混血である俺達ミックスと違って、ネイティブつまり純粋なフレンズであるタイリクオオカミの生まれたままの姿とは、普段のあの格好だ。彼女の服はけものプラズム製で、元は毛皮の一部だ。だから着たまま風呂に入れて、一緒に洗える。実に合理的だ。…期待して損した。

「一体何を期待していたんだ、君は。」

 俺の心を見透かしたようにオオカミさんが言う。

「まあまあ、年頃の健康な男子なんですから、ふふふ。」

「全く、仕方のない生き物だな。オトコというのは。」

 俺は彼女の髪をシャワーで洗い流してやる。

「熱っ!地味な嫌がらせはやめてくれ。」

 やがて体を洗い終わると彼女は全身をぶるぶると震わせる。水飛沫が飛び、俺にもかかった。

「あ、済まない。今のはわざとじゃないんだ。つい癖で。」

「気にするな。イヌの習性だから仕方ない。」

「私はイヌじゃないって言ってるだろ。怒るぞ。」

「はいはい、二人とも子供じゃないんですから。」

 俺達を窘めると、アリツさんはバスタオルを取ってオオカミさんに渡す。俺にも洗面用のタオルを渡してくれた。更にドライヤーとブラシを用意する。

 アリツさんがドライヤーをかけ、俺がオオカミさんの髪をブラシで梳かしてやる。

「オオカミさんは結構、癖っ毛なんだな。」

「うん、君はストレートの方が好みかい?」

「まあ、そんな所かな。」

 一瞬、銀色の髪の感触が蘇った。

「あら、残念でしたね。オオカミさん。」

「どうして私が残念がるんだい?」

「でもブラッシングして貰えて嬉しいでしょう?」

「べつに。」

 にべもなく答えるが、さっきから尻尾を振りっ放しだ。こういう所は分かり易いな。

 オオカミさんの洗濯が無事終わり、俺達はリビングに戻った。

「しかし、さすがに風呂にはきちんと入ってくれよ。俺にはそっちの方がショックだったぜ。」

「今回はちょっと仕事が忙しかっただけだ。いつもは入っているよ。」

「その言葉を信じたいけど、オオカミの言う事だしな。」

「君もオオカミが嘘つきだという噂を信じているのか?」

「火の無い所に煙は立たない、と言うしな。」

「百聞は一見に如かず、という諺もあるよ。」

 そこへ、盆を持ったアリツさんがやって来た。俺達の前にティーカップを置く。この香りはシナモンか。

「二人は本当に仲良しですよね。」

「そう見えるか?」

「そう見えるかい?」

 言ってから俺とオオカミさんは互いに顔を見合わせた。

「見えますよ。」

 屈託のない笑顔を浮かべてアリツさんが答える。

 俺達は三人で談笑しながら楽しい時を過ごした。

 …いや、そんな場合じゃない。

「予防接種を受けに行くんだろ。のんびりしてる場合か。」

「そうだったっけ?」

「さっきの勢いはどうしたんだ。さあ、行こう。タイリクオオカミ!」

 俯くオオカミさん。ケモ耳が垂れ下がっている。くそ、ちょっと可愛いじゃないか。でも、騙されないぞ。

「やっぱりオオカミはイヌだったのか。」

「イヌ呼ばわりするな!行くよ!…全く、大体君はイヌを馬鹿にし過ぎじゃないか。」

「当然だろ、ネコの方が賢い。」

「何?」

 再び顔を見合わせる俺とオオカミさん。

「ほら、二人とも。」

「アリツさんは…」

「どっちが賢いと思う?」

 問われたアリツカゲラはさも当然という顔で答えた。

「一番賢いのは、カラスですよ。」

 全くもって納得いかなかったが、これ以上言い争っても埒があかない。俺はオオカミさんと連れ立って部屋を出た。



 車で向かうつもりだったが、彼女の希望で二人で歩いて行く事になった。

「たまにはこうして歩くのも良いものだろう。」

「否定はしない、とだけ言っておこう。」

 まあ、確かに悪い気分じゃない。まだ風が冷たかったが、オオカミさんと二人で並んで歩いているとそれも気にならない。むしろ心地いいくらいだ。

 俺達は商店街でウィンドウショッピングをしたり、屋台で買ったクレープを食べ比べたり、二人だけの時間を楽しんだ。

 …いや、楽しいけど、こんな事をしてる場合じゃない。

「オオカミさん、そろそろ病院に行かないと。」

「………」

「タイリクオオカミ。」

「もう少しだけ…。貴方の傍に居たいの。」

 そう言って俺の腕にしがみついてくる。くっ、狡いぞ。やっぱりオオカミは狡猾な生き物だ。仕方なくそのまま歩いて行くのだが、確かこの先は。

「オオカミさん、本気か?これ以上進むと。」

 俺は立ち止まり顎をしゃくってみせる。顔を上げ前を見たオオカミさんの目が大きく開いた。俺達の前にある建物は…

「い"っ!」

 顔を赤らめ慌てて俺から離れるオオカミさん。

「な、何を考えてるんだ!君って奴は!」

「こっちの台詞だ!誘ったのは君の方だろ。」

 昼間だが、周りには二人連れの男女の姿がちらほらと見える。

「どうするんだ?俺とここに入るのか、それとも病院か?俺はどっちでもいいぞ。」

 そうは言ったものの、心臓がドキドキして頬が熱い。俺は腕を組み、どうにか平静を装ってみせる。

 オオカミさんは赤くなった顔を隠すように俯くと、踵を返して足早にその場を去って行く。俺も一つ息を吐くと後に続いた。



 さて、紆余曲折あったが目的の場所に着いた。

「根西フレンズ病院か。」

 古い館のような外観をした建物だ。立派な正門がある。ジャパリポリスでは珍しいな。

「智也、何故フレンズになったのかも分からない、こんな私について来てくれて。本当にありがとう。もし戻ってこれたら、また一緒にクレープを食べよう。それじゃあ、元気で。」

 そう言って駆け出そうとするタイリクオオカミ。

 俺は彼女の腕を掴む。

「どこへ行くつもりだ、オオカミさん。そっちは病院じゃないだろ。」

「う…」

「この期に及んで茶番をやってる場合か。全く…」

 往生際の悪いフレンズだ。そんなに注射が嫌なのか。…ま、気持ちは分かるけどね。

「さあ、行こう。大丈夫、すぐに終わるよ。さっさと済まして、デートの続きをしよう。」

「分かったよ。…がっかりしたかい、こんな情けないフレンズで。」

「そんな事は無いさ。俺も注射と歯医者は嫌いだ。」

「ありがとう。ふふ、君は優しいな。ところでデートするのは構わないが、お泊まりは無しだよ。」

「分かってるよ!そこまでは言ってないだろ。」

 やれやれ、少しは調子が戻ってきたようだ。

 中に入ってまずは受付を済ます。相手はミケネコのフレンズだ。何というか、妙に貫禄のある姐さんといった感じのフレンズだ。

 待合室には他にも何人かのフレンズがいる。皆顔馴染みのようで寛いだ様子で過ごしている。

「セルリアンと戦った方がマシだよ。」

 ため息を吐きながらオオカミさんが零す。

「大仰だな。怖いと思うから余計に怖いのさ。もっと気楽に構えろよ。」

「ふん、君は見てるだけだからそんな事が言えるんだ。いっそ君が代わりに受けたらどうなんだ。」

「何馬鹿な事言ってるんだ。」

 やがてオオカミさんが呼ばれる。立派なトサカをしたニワトリのフレンズについて診察室に向かう。

「智也、頼みがあるんだ。手を握っていてくれないか。」

 強張った面持ちでオオカミさんが言う。それぐらいお安い御用さ。互いに手を握り合って歩く。

 でも、これじゃあ俺達まるで…

 診察室に入る。人当たりの良さそうな中年の医師と、隈取りのある目つきの鋭いフレンズがいる。オオカミ?いや、イヌなのか?

「タイリクオオカミさん、狂犬病の予防接種ですね。それでは準備しますので、ちょっとだけお待ち下さい。」

 そう言って根西医師と隈取りのフレンズはワクチンの用意をする。

「大体、狂犬病でヒトが死んだのは何百年も前の話だろう。それなのにどうしてイヌのフレンズだけが、フレンズ差別だ。」

「ハクトウワシから聞いた話だと、リバティポリスの環境保護区内で狂犬病に罹ったオオカミが発見された事があったらしい。」

 尤もそれも百年近く昔らしいが。

「発症したら助からないのは今でも変わらないんだ。」

 俺はオオカミさんの手を強く握る。

「俺は嫌だぞ、オオカミさんが死ぬなんて。俺も君の傍に居たいんだ。」

「智也。」

「タイリクオオカミ。」

 俺達は互いに見つめ合う。

 根西医師が咳払いをする。

「もういいですか。こちらの準備は出来ました。」

「あ、はい。」

「すいません。」

 …しまった、こんな事してる場合じゃなかった。

 隈取りのフレンズがオオカミさんの右袖を捲り上げて消毒をする。根西医師が注射器を構える。

 オオカミさんは両目をぎゅっと瞑り、俺の手を強く握ってくる。その身体が小刻みに震えている。こんな時になんだが、怯える彼女も可愛い。

 根西医師と目が合う。彼は口の前で人差し指を立ててみせる。俺は頷き返す。

「はい、終わりましたよ。」

「…えっ、もう終わった?」

 拍子抜けした様子のオオカミさん。

 おもむろに隈取りのフレンズが正面に立ち、ペンライトを取り出す。

「最後に一つだけ検査をします。正面を向いて、そのライトの光を顔を動かさずに、目だけで追って下さい。」

 ペンライトが上下に振られる。それを目で追うオオカミさん。ライトの動きが段々速くなる。根西医師が注射針をオオカミさんの右腕に突き刺す。オオカミさんは気付かない。注射針が引き抜かれる。

「はい、もう結構です。問題ありません。」

 にこやかに根西医師が告げた。



「いやー、どうって事なかったな。予防接種なんて。ははは。」

 帰り道、タイリクオオカミは実に上機嫌だ。ほんの二時間程前、みっともなく駄々をこねていたとは思えない。喉元過ぎれば、と言うか。全く調子がいいんだから。

 しかしまあ、オオカミさんの意外な一面が見られて良かった。ますます彼女の事が…。何だろう、この感じ。以前にもこんな気持ちを抱いていたような。あの時は銀色の髪のフレンズが隣に。

「どうした、智也?」

 オオカミさんが俺の顔を覗き込んできた。

(どうしたの、智也?)

 今になってどうして彼女の事を…

「何でもないよ。それよりも…」

 丁度その時、腹の虫が鳴った。オオカミさんがクスッと笑う。

「もう正午を過ぎているな。いや悪いな、付き合わせてしまって。お礼にお昼は私が奢るよ。」

「そうか、別に大したことじゃないけどな。」

「いや、考えてみると君には何かと助けられている。」

 感慨深げに彼女は言う。

「君はいつだって、私が独りの時に寄り添ってくれる。私にとって大切な…」

 彼女の横顔がいつもより輝いて見える。不意に言葉が出た。

「俺にとっても君は大切なひとだよ。これからもずっと君の傍に…」

「相棒だ。…ん?」

「そば、ソバ、蕎麦にしよう!蕎麦が食いたいな!」

 何を口走ってるんだ俺は!?くそ、調子狂うな。何だってこんな事に。

 とにかく目についた店に駆け込むと、俺とオオカミさんは昼食をとる。

「…こう言うのも何だが。薬味無しで蕎麦食って美味いのか?」

 てっきりカツ丼を頼むのかと思ってたが。そういえば、ネイティブフレンズはタマネギを食べても平気なんだっけ?

「このままでも食べられるよ。昔、試しにワサビを食べたら酷い目にあってね。はは、ヒトはどうしてこんなモノを食べるのか、今でも不思議でしょうがないよ。」

「ははは、俺も初めて食べた時はそうだったよ。大人はよくこんなのが食えると思ったね。でも、今じゃ薬味無しの方が食えないけどな。」

 昼食を済ませ、会計の為にレジへ向かう。すると何やら困惑した声が聞こえてきた。

「あれ、あれ?お財布が。…どうしましょう。」

 頭に輪っかを付けたフレンズが立往生している。

「よかったら立て替えるよ。」

「え?でも…」

「ひいばーちゃんは言っていた。困った時はお互い様と。」

「払うのは私なんだけどな。」

 振り向くと不機嫌そうな顔のオオカミさん。何で怒ってるんだ?と思ったが、すぐにいつもの笑顔を浮かべる。

「冗談だよ。彼女の分と合わせて払うよ。幾らだい?」

 そう言って伝票を店員に渡す。

 店を出て、俺達は自己紹介をする。

「どうもありがとうございます。おかげで助かりました。私はキンシコウです。」

 深々と頭を下げるキンシコウ。話を聞くと彼女は修行の旅をしていて、ジャパリポリスには着いたばかりらしい。是非ともお礼をさせてくれと言う彼女に、ひとまず交番の場所を教えて俺達は別れる事にする。

「この街にはしばらく居るんだろ。縁があればまた会えるさ。」

「ああ、お礼は次の機会で構わないよ。そうだな、コーヒーでも奢って貰おうか。それじゃ。」

 キンシコウと別れ二人で歩く。おもむろにオオカミさんが口を開く。

「それにしても、君は意外と軟派なんだな。可愛い子と見ると見境なしとは。」

「おいおい、それは無いだろう。困ってたから声をかけただけだ。オオカミさんこそ意外と冷たいんだな。」

 俺は彼女を横目で睨む。彼女も睨み返してくる。間を置いて、どちらともなく笑い声をあげる。

「ふふふ、冗談冗談。君らしいと思うよ。」

「ははは、分かってるよ。」

 お互い機嫌良く通りを進む。さて、オオカミさんとの楽しいデート再開だ。そう思った矢先、彼女が立ち止まる。

「どうした、オオカミさ…」

 ガラスの砕ける音が響く。次いで絹を裂くような悲鳴。

 …楽しい時間になりそうだ。



 俺達の目に商店街の惨状が映る。通りにはショーウィンドウのガラスが飛び散り、ビルの壁や街路樹には鋭い爪痕が刻まれている。怯える人々、その場にへたり込む者もいる。見たところ怪我人が出ていないのが幸いか。

 そして、元凶と思しきフレンズの姿。明らかに尋常ではない様子だ。

「セルリアンか!?」

 身構えるタイリクオオカミ。

「気を付けろ、オオカミ!」

 暴れフレンズがこちらに気付く。その瞳が光を帯びて煌めく。

 オオカミが地を蹴る、とほぼ同時に奴は彼女の目前に迫る。速い!奴が右腕を振る。膝を屈めて躱し、オオカミは奴の腹に拳を叩き込む。両拳による連撃。奴が左腕を振り下ろす。オオカミが横に跳び退く。

「こいつ…!?」

 オオカミの右手が蒼白い光を放つ。二つの影が交差する。よし!オオカミの手刀が奴の右腕を斬り裂いた。…筈だった。

「…こいつは、セルリアンじゃないぞ!」

「何だって!?」

 奴が右腕を振り上げ、オオカミに跳びかかろうと身構える。

「タイリクオオカミ!」

 俺はマフラーを伸ばし奴の右腕に巻き付ける。なんて力だ。同じミックスなら腕力で俺に勝てるフレンズはまずいない筈…

「智也!」

 オオカミが奴の首に回し蹴りを放つ。だが、奴は怯む様子さえ見せない。こっちを向いた、来る!俺は両腕を上げ防御姿勢をとる。次の瞬間、全身に衝撃が走る。まるでバスにでも撥ねられたみたいだ。

 奴が振り下ろしてきた右腕を反射的に掴んでいた。俺は身を屈めて奴の腹に頭突きをするようにぶつかる。左腕を奴の股間に差し入れ担ぎ上げる。そのまま地面に頭から落とす。古流柔術、キヌカツギだ!

「無事か!智也!」

 オオカミが駆け寄って来る。俺は右手で彼女を制し、奴との距離をとる。奴が地面に手をつき、ゆっくりと起き上がった。


 ネコ目ネコ科ヒョウ属。主にユーラシア大陸東部の寒冷地方から熱帯地方にかけて生息する大型の肉食獣。鋭い爪と牙を持ち、前脚による一撃はスイギュウの頭蓋骨を粉砕する。アジアでは古来より力の象徴とされ、聖獣として或いは暴虐の獣として畏れられてきた。


「こいつはトラのフレンズだ。」

「もし、ネイティブなら俺と君でも敵わないぞ!トラは地上最強の生物だ!」

 しかし、何だってフレンズが。背中を冷たい汗が流れる。タイリクオオカミ…

「智也、こいつは私が引きつける。だから…」

「オオカミ、俺が囮になる。だから…」

「君は逃げろ!」

「君は逃げろ!」

 俺とタイリクオオカミは顔を見合わせる。

「私の方が強いんだから言う通りにしてくれ。」

「女は黙って男の言う事を聞けよ。」

 俺達は睨み合う。

「薄々思ってたけど、君は考えが古いな。」

「前から思っていたが、君は行動が単純だな。」

 耳をつんざく雄叫び。言い争ってる場所じゃない。俺達は身構える。

 トラのフレンズは叫び続ける。やはり様子がおかしい。しきりに頭を振っている。苦しんでいるようにも見える。どうする?攻撃するならチャンスだが。

「見つけましたよ、アモイさん。」

 音もなく一人のフレンズが舞い降りる。眼鏡をかけた鳥のフレンズだ。アモイと呼ばれたトラのフレンズが彼女の方に向き直る。一声吼えると跳びかかった。が、彼女は素早く身を翻す。

「落ち着いて下さい。」

 なおも暴れまわるアモイトラ。

「とにかく、おとなしくさせないと。智也、私が奴の気を引く。」

「分かった、俺が動きを押さえる。」

 俺とタイリクオオカミは頷き合う。二人ならやれる、筈だ。

「その必要は無いわ。」

 俺達の背後から黒い影が飛び出した。後ろからアモイトラを羽交い締めにする。

「遅いですよ、メグさん。」

「いいから、早くしなさい!」

 鳥のフレンズが鞄から何かを取り出す。ハンドガンタイプの注射器だ。彼女はそれをアモイトラの首に押し当てる。プシュッ、という音がして薬液が注射される。

 メグと呼ばれたフレンズが離れると、アモイトラは虚脱したようにその場に膝をついた。

「あなた達、怪我はない?」

 眼鏡を直しながら、メグと呼ばれたフレンズが俺達に言う。

「お手数をおかけしました。」

 鳥のフレンズが軽く頭を下げる。

「諸君、御苦労だった。」

 振り返るとまたもや眼鏡のフレンズが立っている。白衣を着ており、立派なもみあげと左右の撥ねっ毛が特徴的だ。

「誰なんだ、あんたいったい?」

「私はバビルサ。教授と呼びたまえ。フッフッフ。」

「教授、アモイさんを確保しました。」

「こちらは私の助手のメロウ君とメグ君だ。」

 二人のフレンズを指して言う。

「わたくしはメガネフクロウのメロウです。」

「メガネグマのメグよ。」

 俺が口を開く前にバビルサが右手を突き出す。左手で眼鏡を押し上げる。何だろう、既視感のあるポーズだ。

「待ちたまえ、私には全てお見通しだ。原田テツヲ、いや未来智也君。」

 てっきりヤギとか言い出すかと思ったが。アミメ類ではなかったか。

「フフフ、私の情報網を甘くみてもらっては困る。父は冒険家で考古学者の未来今日太郎、母は西部特別環境保護区の管理官でZOO級フレンズ、アフリカゾウの莉伽。」

「あなたがあの“ロングノーズ”の息子。」

 感心したようにメガネグマが俺を見る。

「そして君は、サンドスター研究の第一人者望月和彦博士の娘、タイリクオオカミだ。」

「私の事も知っているのか。」

「望月博士の高名は私の耳にも届いている。…惜しい人を亡くしたな。」

「それで、この状況は、そのフレンズは一体何だ?バビルサ教授。」

 アモイトラは座り込んだままだ。ひとまず危険は無さそうだが。

「フフフ、よくぞ聞いてくれた。これぞ私が作り出した野生解放薬の効果に他ならない!」

 得意気に話すバビルサ。だが、すぐに不満気な表情を見せた。

「君たち、そこは、“野生解放薬!?”と驚いてみせるところだろう!」

 …前にハクトウワシが同じような事言ってたような。やっぱりアミメ類だ。

「…やせいかいほうやく!?」

「…ヤセイカイホウヤク!?」

 仕方なく驚いてみせる俺とオオカミさん。それを見て満足気に笑うとバビルサは続ける。

「言うまでもないが、ヒトとフレンズの混血であるミックスは両者の特性を受け継ぐ。しかしながら、フレンズとしての能力は減少し、第三世代に至っては野生解放も出来ない。昨今、ポリス内におけるセルリアン発生の頻度は増加の一途を辿り、加えてフレンズ型セルリアンの出現、ネイティブフレンズの発生率の低下、それらに対処する為の方策として私が開発したのが、この野生解放薬なのだよ!これによってミックスの身体能力の大幅な向上並びに野生解放を可能にし戦闘能力の強化をはかる。全てはフレンズとポリスの平和を守る為!これこそが私の本来の計画なのだよ。」

 一気にまくし立てるバビルサ。まあ、目的は大体分かった。

「しかし、それでどうしてアモイトラが暴れるんだ?」

「ポリスの平和どころか、むしろ混乱を招いているね。」

 俺とオオカミさんの疑問を聞いて、それまで得意気だったバビルサは困ったように口を閉じる。代わって助手の二人が口を開いた。

「そもそも第二世代以降のミックス用に開発した物を、第一世代であるアモイさんに投与するのは無理があったのでは。」

「それ以前に、分量もろくに計っていないし、何より本人に説明すらしていないわ。」

 俺達四人の視線がバビルサに突き刺さる。

「うーむ、間違ったかな?しかし、実験に失敗は付き物だしな。アモイ君は犠牲になったのだ。科学の発展の為の尊い犠牲にな。」

 悪びれもせずに呟くバビルサ。しれっと何を言ってるんだ、このフレンズは。

 その時アモイトラが呻き声をあげる。

「気が付きましたか、アモイさん。」

「うう、私は。教授、また私を、騙したな。」

 立ち上がろうとするが、頭を押さえしゃがみ込んでしまう。薬の影響か、あるいは…、いずれにしろ辛そうだ。

 俺とオオカミさんは目を合わせる。事情を知らなかったとはいえ、かなり本気で攻撃したからな。さすがに心が痛む。

「急遽作られた野生解放薬のせいで私の身体はボロボロだ!」

 アモイトラはバビルサを睨む。

「君の身体がそうなったのは私の責任だ。だが私は謝らない!」

 もうこいつには何を言っても無駄のようだ。

「とにかく救急車を呼ぼう。」

「それがいい。じきに警察も来るだろう。」

 ひとまず騒ぎは治まり、周りには野次馬が集まってきた。

「すいません。通して下さい。」

 聞き覚えのある声がして、一人のフレンズがやって来る。キンシコウじゃないか。彼女も俺達に気付き微笑む。が、すぐに真顔になるとアモイトラに近付く。

「大丈夫ですか?さあ、横になって。」

 うつ伏せになるアモイトラ。その背中にキンシコウは両手をかざす。その手が淡い光を放った。何だ?けものプラズムじゃないぞ。

「はっ!」

 キンシコウの両手の人差し指がアモイトラの背中に中程まで埋まる。アモイトラの身体からサンドスターが溢れだした。キンシコウの指が引き抜かれる。

「これで大丈夫、楽になったでしょう。」

「あ、ああ。ありがとう。」

「おお、アモイ君が立った。これは一体?」

「サンドスターの流れを整え、余剰分を外に出しました。でも無理は禁物ですよ。」

 サンドスターの流れを整える?それは…

「下がって下さい。道をあけて!」

 もう一人聞き慣れた声がする。

「…また貴方達ですか。まるでジャパリポリスのトラブルメーカーですね。」

 リカオン刑事の呆れ顔が目に入る。

「それはないぜ。俺達はむしろ…」

「私達は騒ぎを治めようとしていたんだ。」

「言うなればトラブルシューターだ。」

「とにかく皆さん詳しい事情を聴きますから、同行してもらいますよ。」

「メロウ君、後は任せたよ。」

 そそくさとその場を立ち去ろうとするバビルサ。

「どこへ行くんだ?教授。」

 アモイトラが立ち塞がる。さすがミックスとはいえトラのフレンズ。凄い瞬発力だ。

「つ、次の実験の準備だ。」

「よもやお一人で逃げるつもりですか?教授。」

 メロウとメグが背後を押さえる。

「教授、お前が謝る意思を見せないのなら…」

 アモイトラが両拳をバビルサのこめかみに押し当て、頭を締め上げる。

「いだだだだ、やめろアモイ、落ち着け!」

 さらに力を込めるアモイトラ。助手二人も止めるつもりはないようだ。この二人とバビルサの関係、なんとなく察しがつくけどな。

「こ、このままでは、私の頭脳が破壊し尽くされてしまうー!」

 やれやれだ。せっかくのデートが台無しだよ。俺とオオカミさんは互いに苦笑いを浮かべてみせた。



 その夜、オオカミさんの自宅で俺達は寛いでいた。

 アリツさんのシチューとハクトウワシのミートパイに舌鼓を打つ。

 食器を洗い終えてリビングへ戻ると、ココアの匂いがする。

「ご苦労様。冷めないうちにどうぞ。」

「ありがとう。アリツさん。」

「悪いな。皿洗いをさせてしまって。…昼間の事、気にしてるのかい?」

「あれは売り言葉に買い言葉ってやつだろ。お互い様さ、気にしてないよ。」

 空いているソファに腰を下ろす。

「なんかもう、二人は夫婦みたいですよね。」

「アミメ君、いきなり飛ばし過ぎじゃないか。ああ、もしかして妬いているのかな。ふふ。」

 口調は平静だが顔が少し赤くなっている。

 その様子を見ていたアリツカゲラがニヤリと笑う。まずい。

「それはもう、一緒にお風呂に入った仲ですし。」

「な!どういうことですか!?いつの間にそんな関係に!」

「アリツさん!誤解を招く言い方はやめてくれ。」

「あら、隠さなくてもいいじゃないですか。ね、智也さん。」

「智也、君からも言ってくれ。」

 駄目だ。何を言っても墓穴を掘るとしか思えない。

「彼とアリツさんとで私の体を洗ってくれただけだよ。」

「さ、三人で、ナニしてるんですかー!」

「ふふふ、智也さんが手に持った固いものから、熱い液体がほとばしってオオカミさんに…」

「ななな、なんてハレンチなー!」

 …嘘は言っていないところがタチが悪い。

 なおも弁解しようと試みるオオカミさん。済まないタイリクオオカミ、俺は力になれそうにない。あの状態のアミメキリンには何を言っても通じないだろうし、アリツカゲラは火に油を注ぐばかりだし。

 俺は身体を縮めてその場を離れ、クッションに座っているハクトウワシの背後にまわる。彼女はお得意のノートパソコンで先程から熱心に何かを検索しているようだ。

「何を探しているんだ?」

「シッ、静かに。もう少しでここの防壁が破れそうよ!」

 こっちはこっちで、ヤバイ行為に勤しんでいた。

 ハクトウワシは器用に片手でキーボードを叩きつつ、鞄から何かの端末を取り出して、それをパソコン本体に接続する。

「フフフ、この“ランチパック”とウイルスプログラム”スプーキー”があれば…」

 ディスプレイ上に流れる文字配列を素早く目で追いながら、凄まじい速度でキーボードを叩き続ける。

「この私にhacking出来ないものは無いわ!」

 ディスプレイの表示が切り替わる。

「Yes!I did it!」

 ガッツポーズをとるハクトウワシ。表示された内容を読み進めていく。

「動物環境省の機密レベル4、Artificial Friends Projectについて。」

「人工フレンズ計画?」

「貴方達が出会ったプロフェッサー・バビルサはこの計画によって生まれたフレンズですね。…非常に高い知能を持ち、大学ではフレンズ病理学と薬学を専攻。博士号を取得後は学術研究省に所属。大学教授として教鞭をとるかたわら、客員として医療衛生省の研究機関にも出向しています。」

「ただのお騒がせフレンズじゃなかったのか。」

 画面が変わって見覚えのあるフレンズの顔が現れた。

「バビルサの助手じゃないか、メロウとメグだったな。」

 いつの間にかオオカミさん達も一緒に画面を覗き込んでいた。

「この二人もバビルサと同じなのか?」

「その通りデス。」

「あら、二人共なかなか素敵な眼鏡ですね。」

 更に画面が変わる。

「待ってくれ!これは、…父だ。」

 画面には白衣を着た男性が映っている。その顔には見覚えがある。

「オオカミさんのお父さん?」

「俺も覚えている。望月博士だ。」

「父がこの計画に関わっていたのか…」

「昼間バビルサがサンドスター研究の第一人者と言っていたな。」

「ああ、そうだった。私も研究内容についてはよく知らないんだ。…バビルサといえば智也、莉伽さんはZOO級フレンズだったんだな。」

「ああ。」

「ズーキュウフレンズ、って何でしたっけ?」

「では、それも調べてみまショウ。」

 ハクトウワシがキーボードを操作し始める。が、警告音が鳴り画面にはWARNINGの文字が。

「機密レベル5デスカ、このままではアクセス出来まセン。」

「おいおい、大丈夫なのか?」

「ウーム。ま、今日はこの辺にしておきまショウ。」

 そう言うとまた素早くキーボードを叩く。

「結局分かりませんでしたね。」

「ZOO級フレンズの情報は一般には公開されていないのか。」

「オオカミさんはどうして知っているんだ。」

「私の師匠もZOO級フレンズだからね。」

 オオカミさんの師匠か。

「ダイアウルフか?」

「ご名答。」

「ちょっと、私達にも説明して下さい!」

 不満顔でアミメキリンが言う。

「分かったよ。…動物環境省がフレンズの強さを大まかにランク付けしたものさ。タイリクオオカミならA級だな。」

「アフリカゾウも本来はA級なんだが、第一世代のミックスである智也はB級だろう。」

「なら、私もB級デスヨ。フフフ、お揃いデスネ。」

「じゃあ、私は?」

「アミメ君は、C…?」

「D級じゃないか?」

 ネイティブならA級なんだが。とにかく説明を続けよう。

「それで、A級の上がZ級だ。ええと、ヤマタノオロチとか。」

「オリジナルのキュウビギツネもだな。」

「その上がZO級、その更に上のランクとしてZOO級が置かれているんだ。守護獣として四つの保護区に居る。東部のシロナガスクジラ、南部のトラ、北部のダイアウルフ。そして西部がアフリカゾウ、…俺の母さんだ。」

「あれ?でも今、アフリカゾウはA級フレンズって言いましたよね。」

「本来はね。ZOO級フレンズはある特殊なサンドスターによってフレンズ化しているんだ。」

「その特殊なサンドスターというのは?」

「…オオカミさん知ってる?」

「いや、私も聞いていないな。」

「…まあ、こんなところだ。あとは自分で調査したらどうだい。名探偵のお孫さん。」

「むむむ…!」

 両拳を握りしめて気合を入れるアミメキリン。対照的にオオカミさんは俯き加減だ。彼女と目が合った。俺は目で合図すると飲み終えたカップを持ってキッチンに向かう。彼女もついて来た。

「どうした、オオカミさん。大丈夫か?」

「ああ、ちょっとね。」

「望月博士の事だろ、俺も驚いたよ。」

「…正直、びっくりしたよ。父の事は何でも知っているつもりだったけど、知らない事も多いんだな。」

「…俺も、…父さんの事はよく知らないんだ。」

「ヒトはどうして、物事を隠したがるんだろうね。」

 俺はオオカミさんの肩に軽く手を置いた。彼女が顔を上げる。顎をしゃくってリビングの方を示す。

「ZOO級フレンズ、謎のサンドスター、人工フレンズ計画!これは事件、いえ陰謀の匂いがしますよ!今こそこの名探偵アミメ・クリスティの孫アミメキリンの出番です!」

「秘密をつくりたがるのは、ヒトの習性の一つかもな。謎、秘密、ミステリー。ヒトが人生を楽しむ為のスパイス、とでも言うかな。オオカミさんもそういうの好きだろ。」

「………」

「いや、ごめん。茶化すつもりはなかったんだ。ええと…」

「ふふっ、アミメ君は楽しそうだな。ありがとう、智也。元気づけようとしてくれたんだろう。分かっているよ。べつに落ち込んでるわけじゃないよ。驚いただけで、大丈夫さ。」

 オオカミさんはにっこりと笑ってみせる。

「君は本当に優しい男だな。莉伽さんも言っていたな、きっとお父さんに似たんだろう。」

「ありがとう、オオカミ。」

「こちらこそ、智也。」

 彼女の手が俺の頬に触れる。薄桃色の唇が濡れているようで、いつもより艶めいて見える…

「あー!二人で何やってるんですか!?」

「Oh!キリン、駄目デスヨ。ラブシーンの邪魔をしては。」

 慌てて俺とオオカミさんは離れる。せっかくいい雰囲気だったのに。おのれ、アミメ!

「あらあら、それじゃあ後は若いお二人に任せて、私達はおいとましましょう。」

「何を言ってんだ!俺も帰るよ。…じゃあお休み、オオカミさん。」

「お別れのキスはいいんですか?」

「う る さ い !」



 その日、病院で抗体サンドスター値の検査を終えた私は智也と二人で植物園にいた。様々な植物が生えていてなかなか興味深い。私も散歩で何度か訪れている。夜中に来る事が多いから、こうして昼に歩くのは新鮮な感じだ。…デートスポットとしても人気らしいな。

 温室ドームの中は暖かい、チョウが舞っていてここだけ春のようだ。更に奥のドームは熱帯植物用らしい。私は暑いのはちょっと苦手だからそこまでは行った事はないが。

 休憩用のベンチや芝生もあり、ちょっとしたピクニックも楽しめる。お弁当を持ってくれば良かったかな。ふふ、何にせよ良い気分だ。楽しい時間を過ごせそうだ。

 だが、その希望は儚く消えた。

「俺は最強だ!」

「おお、強そうだなあ。私と勝負しないか?」

「これ食ってもいいかな?」

「た、食べないで下さーい!」

「じーー…」

「ハシビロコウ!なぜ見てるんです!?」

 あちこちでヒトとフレンズが暴れている。いや、奇行に走っていると言った方がいいか。何だか見覚えがある光景だ。それを裏付けるように聞き覚えのある声がした。

「おお、君達は未来君に望月君じゃないか。」

「またあんたか。バビルサ。」

「教授と呼びたまえ。」

 私は智也と顔を見合わせて、ため息を吐く。

「それで、この騒ぎはあんたの仕業だな。」

「今度は何の実験なんだい?先日のアモイトラに比べると、少しはマシな様子だが。」

「待ちたまえ!私はまだ何もしていないぞ。今日は学生達と息抜きにピクニックに来ただけだ。」

 芝生にレジャーシートが敷かれ、ウォータージャグが置いてあるのが見えた。

「皆でお茶を飲んでいたら突然こんな事になって、私も事態が掴めていないんだ。」

 智也が落ちていた紙コップを拾い、ジャグからお茶を注ぐ。私とバビルサは紙コップの中の液体を覗き込む。一見普通の麦茶のように見えるが…

「…こ、これは。けもの水じゃないか!」

「けもの水?」

「けもの水?」

 私と智也が同時に声を上げる。見事にハモったな。

「これは野生解放薬の原料だ。飲むと一時的にフレンズとしての能力が向上するのだが、理性的な行動がとれなくなるという副作用がある。」

「それがどうしてお茶に入ってるんだ?」

「魔法瓶に入れて保管しておいたのだが…。学生が間違えて入れてしまったのだろう。」

「…そんな物を魔法瓶なんかに入れて、まさかそこらにてきとうに置いといたのか!?」

「管理体制が杜撰過ぎるだろう。」

 全く、知能が高い割に抜けているな。…天才の奇行の様なものか。

 とにかくどうにかしないと。幸い学生達以外に人はいないようだ。

「こうなっては仕方ない。」

 バビルサが懐から何かを取り出す。シュッと音がして手に持ったそれから煙が噴き出した。小型の発煙筒のようだ。

 バビルサがそれを幾つか辺りに放り投げる。たちまちドーム内が白い靄に包まれる。程なくして靄が消え去ると、学生達もおとなしくなり、その場にしゃがみ込む。

「フフフ、前回の失敗から作り出した、暴走ミックス用の無力化ガスだ。効果は抜群の様だな。」

 得意気に笑うバビルサを見て私と智也は顔を見合わせる。

「やっぱり最初から実験するつもりだったんじゃないか。」

「同感だ。ところで智也、君は何ともないのか?」

「ああ。」

「フム、動物環境省の最新のデータによると未来君の抗体サンドスター値は三万近くあるしな。抗体値が高いミックスには効果が無いのか?研究の余地があるな。」

「三万?通常のフレンズの三…、四倍近いじゃないか。どうりで頑丈な訳だ。」

「これくらいで驚いちゃいかんよ。彼の母親の莉伽君の抗体サンドスター値は五十三万だ。」

 そこまでいったら、もう計測する必要は無いんじゃないか。

 何はともあれこれで一件落着か、と思ったのだが…

「眼鏡に実用性なんて必要無いわ!自分を飾る為のものよ!」

「眼鏡は遠くが見えれば良いのです!ファッション性など無用です!」

 言い争う声が聞こえてくる。

「メグ君とメロウ君だ。あの二人もけもの水を飲んでいたのか。」

「まずいな。オオカミさん、猛烈に嫌な予感がするぞ。」

「ああ、早く止めなくては。」

「待ちたまえ!彼女達が相手では君と未来君でも分が悪い。これだけは使いたくはなかったのだが。」

 また懐から何か取り出した。

「これは超野生解放薬だ!望月君、君が飲めばZ級の、いやそれ以上の力が得られるかもしれない!だがどんな副作用があるか…、しかし、これも皆を救う為だ!どうか…」

 バビルサが持った小瓶を智也が手で払う。落ちた小瓶にひびが入って中の液体がこぼれた。

「ああ!何をするんだ!私の超野生解放薬が!」

「黙れ、俺のタイリクオオカミを実験台にするな。」

 口調は静かだが有無を言わさぬ迫力だ。どこか莉伽さんを思わせる。やっぱり親子なんだな。バビルサも気圧されたのか反論出来ない。

「行くぞ、オオカミ。」

「ああ、でもどうする?確かにネイティブの二人相手では私達でも厳しいぞ。」

 私はバビルサを見る。彼女もネイティブフレンズだが。

「わ、私は頭脳担当なんだ。戦いは苦手だ。」

 …仕方ない、私達でやるしかないか。

「分断して一人ずつなら何とかなるだろ。俺達なら。問題はどうやるかだが。」

「やはりそういうことですか。」

「キンシコウ!」

「アモイトラさんから、バビルサさんがまた何か企んでいそうだと聞いて来たのですが。」

 そう言ってバビルサを一瞥する。

「まずはあの二人を止めるのが先決ですね。」

「これだけ言っても分からないとは、ファッションセンスの欠片も無いようね!」

「貴女とはこれ以上の議論は不要のようですね!実に無駄な時間を過ごしました。」

 いよいよもって一触即発だ。二人の瞳が輝きを放つ。最初から野生解放するつもりか。

「私はメガネグマさんの相手をします。二人はメガネフクロウさんをお願いします。」

「一人でか?相手はクマだ、力じゃ絶対に敵わないぞ!」

 智也に対してキンシコウは微笑んで答える。

「ご心配なく。それにまだ闘うと決まった訳ではありません。」

「確かに動物のメガネグマはおとなしくて自分からヒトを襲うような事は滅多にない。しかし、今のメグ君は…」

「案ずるより生むが易しだ。そこの眼鏡が素敵なお二人さん!」

 二人が私達の方を向く。

「二人共、まずは落ち着くんだ!ファッションも実用性もどちらも大事だろう。」

「そうです!お二人が喧嘩する必要はありません!」

 二人は互いを見やり、落ち着きを取り戻した、かに見えたのだが…

「眼鏡は優れたファッションよ。それなのに…」

「眼鏡は実用的な道具です。どうして…」

「あなた達は眼鏡をかけていないの!」

「貴方方は眼鏡をかけていないのですか!」

 叫ぶと同時に二人はこちらに襲いかかってくる!

 私は跳躍しメガネフクロウの頭上から手刀を振り下ろす。悪いが手加減は無しだ!だが手応えが無い。躱された!?次の瞬間、左からの衝撃を受け、私は地面に背中から落ちる。

「後ろだ!オオカミ!」

 智也の声に、起き上がろうとした私はまた地面に伏せる。頭の上を何かが通り過ぎる気配がした。

「大丈夫か!」

「左だ!智也!」

 駆け寄ろうとした彼にメガネフクロウが攻撃を仕掛ける。

「智也!」

「俺はいい!奴の動きを止めてくれ!」

 止めると言ってもな。厄介だ。速さもそうだが。くっ、今度は右か。音がしない。目だけで動きを捉えるのは。…っ!何とか躱せた。難しいぞ。

 オオカミの自慢の耳もフクロウ相手では無用の長物か。音がしない相手がこれ程厄介だとは。…待てよ。耳…、音…。確かフクロウは…!

 私は大きく息を吸い込むと遠吠えをする。

「叫べ!智也!」

 もう一度吠える。メガネフクロウが体勢を崩すのが見えた。

 智也も雄叫びをあげる。さすが察しが早くて助かる。メガネフクロウの動きが止まる。頭を押さえている。私と智也が同時に雄叫びをあげる。ついに彼女は地面に落ちた。

 智也が彼女に近付く。彼女が突き出した腕を掴むと足を払って倒す。彼女の首に足を絡めた。

「カノウ流三角落としだ!」

 なおも抵抗しようともがくメガネフクロウ。そこに注射器を持ったバビルサが歩み寄る。私は思わず後退る。

 バビルサの注射でメガネフクロウはおとなしくなった。

「こっちはどうにかなったな。」

「キンシコウは?」

 普段はおとなしいといってもクマは猛獣だ。ネイティブフレンズであるメガネグマの腕力は私達の比ではない。正面からやり合っては…

 正直、目を疑った。彼女を見くびっていた訳ではないのだが。

 メガネグマの攻撃をキンシコウはいとも容易くいなすと、流れるように反撃に転じる。美しい舞のような、それでいて激しい怒濤のような動きだ。

 何より彼女の全身が輝いている。けものプラズムともサンドスターとも違う。

「何だあの輝きは?野生解放ではないぞ。」

「…輝心拳!?」

「知っているのかね、未来君!」


 輝心拳 …フレンズを愛し、フレンズに愛された者はその心に輝きを宿す。その心の輝きを極限まで高めた時、人を超え獣を超えた神秘の力を得るという。

 かつて暗黒の時代、この力でフレンズと共に戦った戦士がいたという。

 光のオーロラを身に纏い、心に太陽を宿したと言われる人の戦士はいつしか“光の戦士”あるいは“太陽の子”と呼ばれた。

 …この拳法を極めた者はサンドスターの流れを視る事が出来、それを操る事も出来た。フレンズを活かすと同時に殺す事も可能な活殺自在の拳。

 仮に邪な意志を持つ者がこの拳を振るえば、大いなる災いをもたらすだろう。故に真にフレンズを愛する者だけがこの拳法を継承する事を許されたという。

 民観みんみ書房 『輝心の拳 〜伝説と真実〜』より一部抜粋


「まさか、実在していたとはな。」

 キンシコウがメガネグマを追い詰める。

「はあぁっ!」

 彼女の一撃を受け、ついに膝をつくメガネグマ。その身体からサンドスターが抜けていく。アモイトラの時と同じだ。

「これでやっと一件落着かな。」

 その後、メロウ、メグ、学生達は正気を取り戻した訳だが…

「結局の所、原因はあんたに辿り着く訳だな。バビルサ教授。」

「偶然にしては出来過ぎのような気もするけどね。」

「待ちたまえ。今回は本当に偶然なんだ。私は超野生解放薬の調合をしていて、ついうっかり魔法瓶を置き忘れてしまったんだ。」

「…つまり学生達を超野生解放薬の実験台にする事が、本来の計画だった訳か。」

「おお、その通りだ!鋭いじゃないか。」

 私達はため息を吐く。

「どうやら、少しお灸を据える必要があるようですね。」

 キンシコウが穏やかだが、毅然とした口調で告げる。後退るバビルサ。智也のマフラーが彼女を拘束する。

「な、何を!?」

 キンシコウの指がバビルサの身体に突き入れられる。

「七百八ある経絡秘孔の一つ、龍頷を突きました。今のあなたの身体は剥き出しの痛覚神経に包まれています。」

 キンシコウが軽くバビルサの頬に触れる。

「痛っ!」

「もう離して結構ですよ、未来さん。」

 智也がマフラーを解く。バビルサが歩き出した。

「な、何だ!?足が勝手に動くぞ!」

「しっかり反省して下さいね。」

 にこやかに告げるキンシコウ。

 バビルサが向かう先、そこには蜜蜂が飛び交っていた。

「ま、まま、待ってくれ!こんな状態で蜂になんか刺されたら。ししし、死んでしまうー!」

「御自分で止めてみたらどうですか。」

 満面の笑みで言うキンシコウ。見かけによらず、えげつないな。オオカミの私でもさすがにそこまではやらないぞ。

 バビルサは白衣の下から何かを取り出そうとするのだが…

「痛ーい!」

 まあそうなるだろうな。

「メグ君!メロウ君!後生だから、助けてくれたまえ!」

 しかし、助手の二人は眼鏡を外してしまい。

「あら、眼鏡がないから何も見えないわ。」

「申し訳ありません、教授。眼鏡がないのでお役に立ちそうにありません。」

「そんなー!だ、誰かー!助けてくれー!」

「自業自得とはいえ、さすがに…」

「可哀想かな。」

 私と智也にキンシコウが小声で言う。

「大丈夫です。龍頷の効果は一分程で消えますから。」

 それなら一安心、なのかな?蜜蜂に刺される事には変わりないが…

「それでも性根は変わらないと思うけどね。」

 そう呟く智也。私は先程の彼の言葉を思い出した。

 俺のタイリクオオカミ、か。不意に笑みが零れる。

「どうした?オオカミさん。」

「何でもないよ。ふふ。」

 色々あったが、今日も良い日になりそうだ。

「わ、私はこんな事ではめげないぞ!科学の発展には失敗は付き物なんだ!うわー!は、蜂がー!」



 キンシコウです。皆さんはご存知ですか。大昔にはフレンズと同じくらい強い人間が沢山いたそうなんですよ。聞くところによると、オオカミ一族の技は何でも、伝説の狼と呼ばれた人間の技が元になっているとか。そんな強い人達と一度手合せがしたかったですね。

 ところで、誰ですか?私の事をいやらしい目で見ているのは。指先一つでダウンさせちゃいますよ。



 次回 『Master of the wolves』

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