応援コメント

「三月十一日」」への応援コメント

  • お疲れ様です。

    >悲しい歌よ 風になれ

    このフレーズがいいですね。
    経験した人にしかわからない苦しみ、悲しみに対して、私たちは何と言葉をかけたらいいのかと思います。
    言葉はやはり万能ではない。でも歌や物語は違うのかもしれない、と感じました。
    大事なのは気持ちなので、気持ちを残せるのだとしたら、詩はいいな、と思います。

    作者からの返信

    崇期さん、たくさん読んで頂いたうえに評価まで、ありがとうございます。

    あの震災のあと、「つらいのは自分だけじゃないんだ」「前を向いてゆくしかない」などという痛ましい言葉があちこちで聞かれました。力を奮い起こして生活の場を再建しようとされる方々にとっては「泣くひまなんか無い」毎日であったのだろうと思います。

    でも悲しみを我慢して泣かずにいたら、胸の奥に悲しみの涙が溜まって湖になってしまいます。わたしが最愛の父を亡くしたときがそうでした。泣くことが出来なくなってしまったのです。悲しいのに辛いのに泣けないというのは苦しいものでした。

    悲しいときは泣くんです。人間はそういうふうにできているんです。
    泣くことが難しいほど凍てついてしまった心には歌や詩や物語が有効です。
    自分以外の誰かが流す涙に触れて、涙が湧いてきます。そして癒やされます。

    「頑張れ」は自分だけに言う言葉です。
    辛いときは素直に泣いて欲しい。暗い湖で迷子にならないで欲しい。
    それほど深い悲しみの心に届くような詩が書きたいと思いました。

  • 忘れたふりをしたり、笑えるふりをしたり、人間って生きることに難儀な生き物です。でも、悲しみを歌にしたとき、心に正直になれる気がします。

    作者からの返信

    ポンポコさん、ありがとうございます。
    詩は素の自分が隠せなくて、恥ずかしくていたたまれないのですがw
    この詩を書いたのは、津波で御主人とお子さんをなくされた女性が取材に答えて「最近やっと普通に暮らせるようになりました」と頬笑まれている記事を見て、ものすごく悲しくて書いたんです。この人に前を向くしかないなんて言わせないで欲しくて、僭越だとは思ったのですが書いてしまいました。

  • つい先日、平成の終わりのテレビでも、平成の出来事として放送されていましたね。
    忘れられない出来事ですし、風化させないよう歌い続けないとですね。

    作者からの返信

    あさみさん、ありがとうございます。
    今この時も悲しむ人がいることを忘れないでいなければと思います。