ネオの見た未来
関谷光太郎
第1話
男は滅亡した惑星から脱出した。
眼前に迫る、全長八百メートルの恒星間航行宇宙船。小型ロケットで到着した男を、AIの音声が出迎えた。
――ようこそ『フューチャー号』へ。わたしはこの船のメインAI『ネオ』です。
『フューチャー号』の航行システムは、メインAI『ネオ』によって完全管理されている。おかげで、ひとり生き残った男だけでも、宇宙船の運航が可能なのである。
残念なことに、滅亡から逃れるために人類が進めてきた他惑星への移住、あるいは宇宙への脱出を大規模に実現させることはできなかった。なぜなら、未知のウイルスの爆発的な蔓延によって、あっという間に人類は死滅。文明を維持することが困難になってしまったからだ。そして、惑星の軌道上に一隻だけ建造されていた移住用恒星間航行船『フューチャー号』に、ただひとりウイルス感染を免れた男を送り込むことで、人類の未来は託されたのだ。
彼の背負ったバックパックに特殊加工のカプセルが千個収納されている。その中に詰められているのは――『生命の種』だ。
生物誕生のきっかけを創り出す『生命の種』は、不毛の惑星においてさえ、環境に応じた生命を繁殖させる能力を与えられており、運が良ければ、男の故郷と同じ多様な生態系を持つ惑星を創り出すことも可能だった。まさに滅亡を覚悟した人類の叡智の結晶だった。
メインデッキの大型スクリーンに映る母星の崩壊を眺める男の瞳に、涙が光る。本当にひとりぼっちになった瞬間であった。
『フューチャー号』の旅が始まった。
巡る星々の美しい輝きは幻想的であり、人智の及ばない多様性に富んだ世界だった。それは、時に激烈な姿を、時に永遠とも思える閉ざされた姿を眼前に披露したが、生命を育む可能性を秘めた惑星には、なかなか巡り会えなかった。
そして、時は流れた。
――死んだあなたは『無』になるのですか?
『ネオ』が言った。
彼はいつも子供のように率直に質問を投げかける。おかげで、男はこれまでの旅路で一度も孤独を感じたことがない。
すでに出航から五十年が過ぎていた。病床に伏した男が力なく微笑んだ。
「それは……もう間もなく確かめられそうだ」
――向こうへ行かれたら、是非答えを教えてください。
「これは難しいことを。死んでしまったら……君に伝える術がない」
――何か方法はないものでしょうか。あなたのすべてが『無』になるなんて、残念でなりません。
「……」
男は手元に飾るバックパックに視線を向けた。
これに収納した千個のカプセルは、今は別の場所で大切に保管されている。小指の先程の小さなカプセルに詰められた『生命の種』。そこにはあらゆる命の情報が織り込まれているのだ。
男の手がバックパックに伸びる。
希望は……ここに。
『ネオ』はその囁きをデータベースに保存した。
数日後、男は――死んだ。
孤独な旅人となったAI『ネオ』は、男の意志を継いで長大な惑星探査の旅を続けた。
そして――悲劇は、突然に訪れた。
近隣の宙域で小惑星同士の衝突が起こった。宇宙空間に無数の岩塊が飛び散って『フューチャー号』はそのただ中に巻き込まれたのだ。あっという間に、船体の外装が蜂の巣となった。
緊急警報。
損害は船体全部に及び、さらにはエンジン本体が爆発炎上して『フューチャー号』は火だるまとなる。
『ネオ』は、すぐさま保管されている千個のカプセルと男の亡骸を隔壁で防御し、その部分のユニットを切り離した。
宇宙空間に飛び出したユニットは、そのまま慣性航行で『フューチャー号』を後にした。
強烈な発光と共に消滅する『フューチャー号』。
『ネオ』は自らの中枢をユニットに移していたが、この箱に操縦機能はない。このまま飛ぶに任せるしかないのだが、『ネオ』の観測レーダーには惑星の存在が捉えられていた。
ただちに惑星環境の分析を開始する。ユニットの進行方向に存在する惑星。これをおいて選択肢はもうないのだ。
惑星に突入したユニットが赤く燃えた。
心配はない。大気圏突入と地表への着地だけは、ユニットに能力が与えられている。
大気圏内で本体温度が安定した頃、三つのパラシュートが花を咲かせた。
硬い地表への着陸は手荒いものだった。
パラシュートを巻き込みながら転がるユニット。岩角にぶつけた隔壁がめくれあがり、弾け飛ぶカプセルと一緒に男の亡骸が外に投げ出された。
ユニット本体は、岩盤の裂け目にはまり込んで止まった。剥き出しの内部で、丸いカメラアイが赤く浮かび上がる。『ネオ』の眼だ。
その眼が、岩場に横たわる男の亡骸を捉えた。衝撃による損傷は見られず、彼の身体を何百ものカプセルが覆っていた。それは、亡き男を弔う花束のようだった。
これは……せめてもの救いだろうか。
既に惑星の分析は終わっている。生命誕生の確率は――ゼロ。多少の大気はあるものの、新たな生命を育むには適さない、不毛の惑星だった。完全に、男の夢と人類の希望は潰えたのだ。
鈍色の闇が落ちるころ、『ネオ』は自らの電源を省エネ運用に切り替えた。
AIが見る夢に、実態はあるのだろうか。それは人工的な眼で造られており、プログラムは感情があるように装うことはできても、決して本物になることはない。
何百回、何千回目の覚醒だろうか。微弱な電流が『ネオ』の眼に光を灯した瞬間である。岩場にへばりつく緑の絨毯が広がっていた。
それは、男の亡骸があった場所を中心に繁殖をしたことがわかる。既に男の身体は土塊となり、カプセルに内包されていた『生命の種』がその土塊を滋養として萌芽したのだ。
夢でもうつつでもかまわなかった。この光景が消えてしまわないうちに、残りの電力すべてを使って『ネオ』は映像データに記録をはじめた。同時に、過去の音声データが立ちあがる。
希望は……ここに。
『ネオ』は――男の答えを聞いた。
おわり
ネオの見た未来 関谷光太郎 @Yorozuya01
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