第169話 スキンシップは程々に

 政代さんから預かった北条先輩へのプレゼントを抱え、俺は妙に上機嫌なマドカさんと共に彼女の部屋へと向かっていた。

 それなりに夜が更けてきた事もあり、お屋敷の廊下はしんと静まり返っている。

 この屋敷で住み込みで働く人たちも現在は自室に戻っているのか誰ひとりの姿も見ることはなく、暗がりの廊下では俺とマドカさんの息遣いと床板の軋む音だけが聴こえていた。


「なんかすげぇ静かですね。まだ夜の10時過ぎくらいなのにみんなもう寝てるんすかね?」


「いいえ、流石にそれはないと思います。皆、ここで働く者たちは今からが個人の自由時間ですので部屋に籠もって羽を伸ばしているのでしょう」


「そうなんですか?」


「ここで住み込みで働く者たちにとって、週末の休日以外での楽しみといえば、仕事を終えたあと。つまり、これからが本番という事ですよ」


「あぁ、確かに勤務時間外ですもんね」


「その通りです。そして、勤務時間外ともなれば今宵も若い男女が他の同僚たちに悟られぬよう、互いにどこかで落ち合いせっせと愛を育むというわけです」


「そうなんですかっ!?」


「これだけ広いお屋敷ですからね。人目につかず、そういう行為に勤しむ事も可能というわけですよ。つい先日ですけど、私がこの時間帯に廊下を歩いていたら誰もいないはずの客間から男女の激しい息遣いが聴こえてきて……」


「いやいやいやいや、そういう他人のプライベートを覗き見るの止めましょうよ!」


「フフフッ、今のは冗談ですよ。流石にここで働く者たちでも、時と場所は弁えているからそんな事はありません」


「そ、そっすか」


「あら、少し期待していましたか? 流石は変態のツルギさんですね。頭の中が年中発情期なのでしょう」


「そんな事ねぇよ!? 俺だって、時と場所くらいちゃんと弁えるわい!」


「あらあら、そうでしたか。これは失礼しました」


 俺の反応を楽しむようにマドカさんはクスクス笑うと、口角を少し上げたままスタスタと歩く。

 気のせいかもしれないけれど、俺に耳かきをしてくれてからのマドカさんがずっとニコニコしているような気がしてならない。

 男に耳かきをできたことがそんなに嬉しかったのだろうか? 


「あの、マドカさん。さっきからずっとニコニコしてますけど、そんなに耳かきが出来て嬉しかったんですか?」

 

「あら、別に私は耳かきが楽しかったわけではないですよ。ただ私は、ツルギさんに耳かきをできたことが嬉しかっただけです」


「え? なんで?」


「それは勿論、ツルギさんに耳かきをしながらどのタイミングで鼓膜を突き破って差し上げようかと、ずっと考えていたからですね」


「そんな危ねぇこと考えながら俺に耳かきしてたのぉ!? こちとら完全に安心しきって任せていたのに、それ聞いたら途端に鳥肌が立ってきたんですけどぉ!」


「フフフッ、そんなの冗談に決まっているじゃありませんか。やっぱり、ツルギさんはおバカさんですね? まぁ、そこが可愛らしいのですけれど」


 もう何度目かもわからないけれど、俺をからかうマドカさんは本当に楽しそうだ。

 まぁぶっちゃけ、俺自身もからかわれるのに慣れてきたから特にイラッとする事はないんだけれど、なんだか釈然としないもどかしさだけは残る。

 なんというか、一度でもいいからマドカさんをギャフンと言わせてみたい。

 なんなら、それはもうギャフンとかだけじゃなく、人目につかないです場所であんな事やこんな事をしてヒーヒー言わせて……って、なにを言ってるんだ俺は? 完全にエロゲーのやり過ぎだな。


 そんなしょうもない事を考えながら腕組みして歩いていると、視線の先に北条先輩の部屋が見えてきた。


「さて、時音ちゃんのお部屋が見えてきましたね。一応伝えておきますけれど、寝巻き姿の時音ちゃんに興奮していきなり襲いかかるようなマネだけは絶対にしないでくださいね。その時は私も心を傷める覚悟でツルギさんを殺しますよ?」


「俺をなんだと思ってるんすかマドカさん? 俺がそんな人間に見えますか?」


「見えなくもないですね。しかし、童貞野郎のツルギさんの事ですから、いざそういう場面になってもひよってしまい、なにもできないというのがオチでしょうけれど」


「童貞でなにが悪い! つーか、自分の本能を抑えられないとか野生動物じゃないんですよ俺は!?」


「あら、それなら私がこんな風にしても我慢が出来ると?」


「え?」


 呆けた返事をした俺の片腕にマドカさんは抱きついてくると、浴衣越しでもわかるほどたわわな胸を押し付けてきた。

 この感触と大きさから察するに、恐らくDカップくらいはあるだろう。

 それにしても、さっきから肘に当たるおっぱいの感触がものすごくフカフカプニプニしているというか、妙に生温かくて柔らかい。

 あれ? ひょっとして、これは――。


「あの、マドカさん。まさかとは思うけれど今……ノーブラ?」


「一般的に浴衣の下に下着を身に着けたりはしないと思いますがそれがなにか?」


「ま、マジっすか!?」


 マドカさんの口から発せられた決定的な証言に、俺の全神経が片肘に集中する。

 浴衣の下に下着を身につけていない……だと!? なにそれ最高じゃん!

 とはいえ、からかい上手のマドカさんだ。

 そうやってまた俺を騙して楽しむつもりかもしれない。

 ここは念の為に確認しておこうと思う。


「ほ、本当に着けてないんですか?」


「えぇ、着けていませんよ」


「ホントに? 肘でツンツン突いちゃいますよ?」


「そんな事でウソをついてなんのメリットがあるのですか? なんなら、その目と手で直接確かめてみますか? ほら――」


「えぇ? あ、いや、ちょっと……あ、あばばばばっ!」


 ……なんという事でしょう。

 事もあろうにマドカは俺の片手をやや乱暴に握ると、それをそのまま自身の胸元にグイグイと近づけてゆくではありませんか!

 これには流石の俺ちゃんでも興奮しちゃう。

 やだ、どうしよう! 

 これ、お触りしても良き? 

 モミモミしても良き? 

 唐揚げ美味しく作るならモミモミ〜とか口ずさみながら揉みしだいても良きな展開なのかしらん!?


 な〜んて期待をしていると、マドカさんが俺の顔を下から覗き見るようにして笑い、その手パッと放した。


「フフッ、冗談に決まっているじゃありませんか。本当にツルギさんは変態さんですね?」


「そ、そりゃないでしょマドカさん! つーか、マドカさんみたいな可愛いお姉さんにそんな事されて平然としていられる男子なんてこの世にいなくね!?」


「あら、今のは褒め言葉として受け取っておきましょう。さて、それでは時音ちゃんの部屋へ入りましょうか」


「あ、はい……そっすね」


「フフッ、残念そうな顔。まるで、お預けをくらった飼い犬のようですね?」


 一気に燃え盛った俺のリビドーを一瞬で鎮火してくるマドカさんは鬼以外の何者でもないだろう。

 正直、触ってみたかった。

 モミモミしてみたかった。

 それこそ、唐揚げを美味しく作るならの歌を唄いながらモミモミしたかった。

 でも、そのチャンスは虚しさと共に消え去ったわけだ。

 こんな焦らしプレイのようなやり取りが幾数回も続けば、理性という名のウォールマリアを兼ね備えた俺とて壁面に亀裂が生じかねない。

 ダメだ、忘れろ! 

 大浴場で見た光景と肘に残るあの柔らかな感触を全て忘れ去るんだ!

 ノーモアおっぱい! ノーモアおっぱ……いや、それはダメだ。俺のポリシーに反する! やっぱり、触りたい!


 な〜んて自分の中でアホみたいな葛藤をしていた矢先、マドカさんが再び俺の片腕に自身の腕を絡めてポヨポヨな胸を押し付けてくる。


「さぁ、行きますよツルギさん」


「んもぅ、そうやって事あるごとにスキンシップしてくるの禁止!」


「あら、別に減るものでもないですし、良いではありませんか?」


「そ、そうやってまた俺の幼気な心を弄ぶつもりなんでしょそうなんでしょ!?」


「そんなことありませんよ。そこまで言うなら、今この場でお好きなように――」


「……あの、人の部屋の前で堂々と大きな声を上げながら破廉恥な行為をするのは止めてくれるかしら?」


 突然、すぐ近くから聴こえた声に視線を向けてみると、いつの間にか部屋の扉が開かれており、その手前で戯れ合う俺とマドカさんを軽蔑するような目で見つめる寝間着姿の北条先輩が立っていた。

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