第86話 非情な宣告

 ツルギが生存している事を知って安堵したエクスとカナデは、ヒルドを連れてアヴァロン研究棟の一階フロアにある喫茶店の中にいた。


 三人はコの字型のテーブル席にそれぞれ腰を下ろしており、各々が注文した商品を目の前に置いて神妙な面持ちでずっと黙り込んでいた。


「……っ」


「……っ」


「……っ」


 エクスはミルクティーを注文したが、まったく手を付けずその表面をジッと見つめており、カナデは大好物のショートケーキセットを頼んだが、その手にフォークを持ったまま視線を落としていた。


 そんな二人の中間席に座るヒルドは、一言も発せず意気消沈している二人の様子をチラチラ窺いながらカプチーノをティースプーンで混ぜていた。


 ツルギが無事だったという情報を得て、二人がいつも通りの元気を取り戻すものだと思っていたヒルドだが、エクスとカナデの表情は今も優れず、口を引き結んだままだった。


 彼女たちが素直に喜べない理由……それは、彼が魔剣ダーインスレイブに寄生されてしまっている可能性が高いという報告を受けたからだ。


「……レイピアさんの話でツルギくんが生きていることがわかってすごく嬉しかったけれど、魔剣に寄生されている可能性が高いと聞かされたらどうしても不安になるよね」


 最初に口火を切ったのはエクスだった。


 エクスはすっかり冷めてしまった湯気の立たないミルクティーのカップの縁を指先でなぞると、ぽそりと言葉をこぼす。

 すると、その正面席に座るカナデが訊く。


「ねぇ、エクスちゃん。その、魔剣に寄生された人はどうなっちゃうの?」


「それは……」


 不安そうな面持ちで質問してきたカナデに、エクスは答えに逡巡する。

 ダーインスレイブに寄生された人間がどうなるのかを直接視認したのは、この中でエクスだけだ。

 そんな彼女の表情から期待できる言葉が返ってくる事はないと気付き、カナデが慌てた様子で言う。


「で、でもさ! つーくんはバカでスケベでどうしようもないけど、やる時はやる男じゃん? だから、その魔剣とかを逆に使い慣らしちゃってるんじゃないかなぁ〜なんて……ない、かな?」


 カナデがそう言うと、エクスは「……うん」と、一言だけ呟いて顔を伏せてしまう。


 魔剣について詳しくないカナデでも、エクスの様子を見ればツルギの置かれている現状がよくないものだと安易に想像できてしまう。

 それを隣で見ていたヒルドも、なんとも言えないような顔をして視線を下げてしまった。


(やっぱり、寄生された人がどうなるかなんて言えるわけありませんよね……)


 彼女はダーインスレイブに寄生された経験を持つ父親のヘグニからその話を聞いていた。

 その知識が頭にある以上、ツルギが今どのような状態になっているのかを容易に想像できてしまう。

 きっと、その事実を知ればカナデもまた落ち込んでしまうだろうと思い、ヒルドも閉口することを選んだ。

 そんな黙り込むエクスとヒルドに、カナデは恐る恐る訊く。


「やっぱ……ヤバイ感じ、なの?」


「なんとも言えないかな……でも、私もカナデさんが言う通りツルギくんのことを信じているよ。なんていうか、ツルギくんには底知れない力があるっていうかさ、どんなピンチに陥っても必ずひっくり返す力があるから今回も戻ってきてくれるんじゃないかって……」


「だ、だよねー! つーくんは昔から悪運強いっていうかそういうぎゃ……ぎゃっきょ? ちゃっきょ? みたいなのに強いっていうかさー。アタシ的に元気に帰ってくるんじゃないかな〜なんて思うんだよね〜!」


「カナデさん。それを言うなら逆境に強いですよ?」


「はえっ? そ、そんなの知ってたし! わざと間違えただけだから、あははは〜……はぁ〜っ」


 落ち込むエクスの前で明るく振る舞うまおうとするも、カナデもその胸中には不安が渦巻いており、やはり俯いてしまう。

 カナデにとっても、ツルギは傍にいて当たり前のような存在だった。

 そんな彼がいないだけで、こんなにも心苦しいことになるなどと、ひと昔前の彼女なら考えもしなかっただろう。

 

「……」


「……」


 再び訪れた沈黙。

 しかし、それを破ったのはヒルドだった。


「あの、エクスさんにカナデさん。本当にスミマセン!」


「ヒルドちゃん?」


「どしたの急に?」


 いきなり頭を下げてきたヒルドにエクスとカナデが当惑する。

 するとヒルドは、二人に謝罪を続けた。


「ツルギ先輩が魔剣に寄生されちゃったのは私のお父さんが原因です! ですから、私は……その、お二人に謝りたくて……」


 ヒルドからしてみれば、最愛の父が無事に帰還してくれたのはとても喜ばしいことだった。

 だが、その代わりに二人にとっての想い人であるツルギが魔剣との戦闘で片腕を失い、更には魔剣に寄生され行方不明となったという話を聞かされれば素直に喜べるはずもなく、むしろ罪悪感の方がまさった。

 ヒルドはそのことに強い責任を感じていたから二人に頭を下げた。

 しかし、その行為に対してエクスは首を横に振る。


「ううん。これはヒルドちゃんのせいじゃないよ。そもそと私が……彼のパートナーである私がちゃんとツルギくんの傍にいてあげられなかったことがいけなかったんだよ……」


「エクスさん……」


 頭のアホ毛をシュンとさせ、自責するようにエクスが呟く。

 彼女にとって、ツルギを失ったのは自分が彼をひとりにしてしまった事が原因であると、ずっと後悔していた。

 以前にも村正との一件でツルギが死にかけたのも、自分が駆けつけるのが遅れたからだったと思い深く反省していた。

 それなのにと、エクスは悔しげに下唇を噛んでいたのだが、その発言をカナデが否定する。


「エクスちゃん。それ、違うっしょ?」


「え?」


「レイピアさんから聞いたけどさ、エクスちゃんは大怪我した仲間を助けていたんでしょ? もしそこでさ、エクスちゃんがその人を放ってつーくんと一緒に行っちゃったらその人が死んじゃったかもしれないわけじゃん? だから、エクスちゃんのしたことは間違っていないし、なんも悪くないっしょ! 少なくとも、つーくんなら絶対そう言うと思う!」


 レイピアからその話を聞いていたカナデは、自分を咎めようとするエクスの考えをきっぱり否定した。

 現に彼女の的確な判断のおかげで重傷を負ったカーテナは命を落とさずに済んだ。

 それを後悔したなどと思って欲しくないからカナデはそう強く伝えたのだ。

 

「エクスちゃんは誰かのために必死になっていたわけだし、仲間が傷付いていたならそれを助けて当然っしょ? だからさ、エクスちゃんはなんも間違っていないんだからそれで自分を責めちゃダメっしょ!」

 

 いつの間にか席を立ち、自責の念で苛まれていたエクスを見てカナデは熱弁していた。

 そんな彼女の姿に心を打たれたのか、エクスが泣きそうな顔をして頷く。


「そう、だよね……私、どうかしていたのかもしれない。傷付いた仲間がいるのに、ツルギくんの傍から離れたことを後悔しているなんて言ったらツルギくんに怒られちゃうよね? ありがとうカナデさん。私を叱ってくれて……」

 

「エクスさん?」


 カナデにそう言われ、自分の考えを改めたエクスだったが、突然その瞳から涙をこぼし始めた。


「ホント、どうしちゃったんだろうね私ったら……ツルギ、くんが……いないと、ホントにダメでさ……」


「エクスちゃん……」


「カナデさんが折角励ましてくれたのにゴメンネ……でも、私……やっぱりツルギくんがいないと……ダメ、かな」


 とめどなく溢れ出る涙を両手の袖口で拭うも、全てを抑えきれずエクスはついに泣き始めた。


「ツルギくん……会いたいよぉ……」


 エクスにとって、ツルギの存在は心の支えであり、彼女の精神面を司る重要なファクターだった。

 彼を失うこと……それは、エクスにとって絶望に近かった。

 共に魔剣の精霊に両親を奪われ、その寂しや切なさを共有し、励まし合い互いに寄り添って苦難を乗り越えてきた。

 そのつがいを失った今のエクスには心の奥底から湧き上がる悲しみを抑えることが困難であり、心がボロボロになりかけていたのだ。


 未だかつて、こんなに弱々しくなったエクスを見た経験のない二人には、戸惑いが大きかった。

 エクスはいつも笑顔で逞しく、どんな苦難にも正面から向き合い戦ってきたとカナデは思っていた。

 しかしそれは、ツルギが彼女の傍にいて初めて成し得てきたことであり、彼を失った今のエクスのメンタルはとても脆弱で触れただけで壊れてしまいそうだった。


「ツルギくんがいないなんて嫌だよぉ……私は、ツルギくんが居てくれなきゃ……無理だよ……」


「え、エクスちゃん! 大丈夫だよ、つーくんは必ず帰ってくるって!」


「そうですよエクスさん! ツルギ先輩は必ず帰って来ますよ! だから、気を確かに持って――」


 と、嗚咽を漏らして泣きじゃくるエクスをカナデとヒルドが必死に慰めている時、喫茶店の入り口から四十代くらいの軍服姿の男が数名の部下を引き連れて入店してきた。


 男がは店内の奥にいたエクスを見つけると、厳しい表情をしてブーツのカカトを鳴らしながらズカズカと歩んでくる。


「キミがエクス・ブレイドだな?」


 胸元に勲章を付けた軍服姿の黒髪男性は不躾にそう言うと、眉間にシワを寄せてエクスの顔を見下ろした。

 そんな彼の顔を見上げてエクスたちが戸惑っていると、軍服姿の男は話を続ける。


「私の名は『スヴァフル』。アヴァロンの魔剣討伐部隊で大佐を務めている者だ」


 男の自己紹介にエクスとヒルドの二人は表情を強張らせると、その場で立ち上がり背筋を伸ばした。

 すると、それを見ていたカナデが不思議そうに首を捻る。


「ねぇ、ヒルドちゃん。この人って、この前にさぁ……」


「ちょ、カナデさん! この人はアヴァロンの上層部の方ですよ? そんな、指差したりとかしちゃダメですってば!?」


 悪びれた様子もなくスヴァフルの顔を指差すカナデの手を無理やり引っ込めさせると、ヒルドがあわあわとしながら様子を窺う。

 すると、スヴァフルは目元の涙を拭って鼻を啜るエクスを見て眉を顰めた。


「なんだ? なにを泣いているんだキミは? これから大事な話があるのだ。少しは体裁を改めたまえ」


「ねぇ、ヒルドちゃん。このおっさんエクスちゃんになんて言ったの?」


「大事な話があるからしゃんとしろと言ってます」


「ちょ、アンタさぁ! エクスちゃんは今、それどころじゃないってわかんないわけ!?」


「ちょま、カナデさん! ダメですよ!?」


 傲慢な物言いをするスヴァフルに激昂するカナデをヒルドが慌てて押さえつける。

 それを尻目にスヴァフルは鼻を鳴らすと、皮肉を交えて口を開く。


「フンッ。この場に相応しくない一般人を置きながらこの話をするのはいささか容認できないが、まぁいい……。ところで話を戻すが、調査隊からの報にあったが、キミのパートナーである草薙ツルギが行方不明であるらしいな?」


 問いただすようなその質問にエクスは一瞬だけ眉を顰めたが、それを偽ることはできないと判断して首肯した。


「……はい。報告にある通りです。彼は……草薙ツルギくんは行方不明となっています」


「そうか。なら、都合が良い」


「え? それはどういうことですか?」


 唐突に言われたその台詞にエクスが当惑気味に聞き返すと、スヴァフルが冷たい声音で言い放つ。


「アヴァロンよりキミに命令する。エクス・ブレイド。キミには、現在のパートナーであるし、こちらで用意した新たなセイバー候補と再契約をしたまえ」


「…………えっ?」


 予想していなかったその命令にエクスは呆然と立ち尽くし、それを間近で聞いていたカナデとヒルドも口を開けたまま凍りついた。


「ちょ、待ってください! ツルギくんはまだ――」


「魔剣の精霊に寄生されたセイバーは、最早アヴァロンの敵でしかない。いずれ討伐隊を編成し、粛清することになるだろう。それを鑑みて我々はキミに新たなセイバー候補と契約をするようにわざわざ伝えに来たのだ。新たなセイバー候補とは明日にでも面会すればいい。契約解除の日時は追って説明する」


 スヴァフルは冷淡にそう告げると、部下を連れてその場から去ってゆく。


 その後ろ姿を見つめていたエクスは、力なく座席にヘタレ込むと、絶望した表情で瞳の色を失っていた。


「……ツルギくんと、契約を解除? そんな……ウソでしょ?」


 うわ言のようにそう呟いたエクスの声は、喫茶店内に流れるクラッシックの音楽に溶かされるように儚く消えていった……。

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