第三部
第55話 プロローグ
鬱蒼とした樹木に包まれた森の奥。
太陽光を遮るように天高く伸びた木々の枝葉から僅かに差し込む木漏れ日が、ひとりの男を照らしていた。
「ふむ。ここがその場所か」
草花を踏み鳴らす足音が止まると、額に深い傷のある男が周囲に目を配る。
男の体躯はガッシリとしており、日頃から厳しい鍛錬を行っていることが伺えた。
隆々とした筋肉の上に纏うものは、防刃性と防弾性に優れた装備一式。
それを纏う彼の姿はまさに戦士のそれだった。
「本部から聞いた情報では、ここで別動隊の消息が途絶えたというが」
耳に届くのは、野鳥の声と風に揺られて木葉が擦れ合う音。
それ以外に聴こえてくるのは、男の息づかいだけだった。
「ブレイブ。魔剣のオーラはどうだ?」
『いいや。なんも感じ取れねぇな』
「そうか」
男が『ブレイブ』と呼称した左手に装着されたガントレットのような篭手は、アヴァロンの聖剣技師が新たに開発したAIを内蔵する『新型の精霊』である。
機械とはいえ、精霊として大半の能力は保有しており、これからの時代を先駆ける第一歩となるデバイスだ。
強いて難点を挙げるなら、この精霊には自律型のAI、つまりは、自我が存在しており、かなり傲慢で口が悪いということだ。
だが、それでも男は嫌な顔一つせず、新たなパートナーを受け入れていた。
『ケケッ。この俺様に契約してもらえた事を有り難く思えよこの軟弱野郎』
「あぁ、感謝しているよ。俺にとって、妻以外の人間と再契約を結ぶなんてあり得ないことだ。だから、機械であるお前が俺を選んでくれて本当に感謝している」
『あ? また昔の女の話かよ。オメェも女々しい男だな』
「そうかもしれんな」
悪態をつく機械のパートナーに自嘲した笑いを漏らすと、男は憂いを帯びた目を伏せて胸元に手を入れた。
男はかつて人間の精霊と契約を結んでいた。
それは彼の妻であり、最愛のパートナーだった。
しかし、その彼女は数カ月前に現れた強力な魔剣との攻防戦で命を落とした。
それからというもの、男は他の者とは契約を結ばず、ひとり塞ぎ込んでいた。
だが、第一線で魔剣と戦ってきた彼の力は大きく、上層部から戦線に戻るよう催促され続けていたが、彼はそれを拒んだ。
そんな彼を不憫に思ったアヴァロンきっての聖剣技師が、人ではなくAIを搭載した新型の精霊を彼に与え、男はようやく戦線に復帰したのだ。
「妻よ。女々しい男である俺を許してくれ」
『もう聞き飽きたぜその台詞』
呆れたような声を漏らす篭手型の精霊に一瞥をくれると、男は胸元から取り出したロケットペンダントを開いた。
その中に写された亡き妻と健在する娘の顔を見てから短くため息をこぼすと男は天を仰いだ。
「あれから時が経ったというのに、この胸に空いた穴はなかなか埋まらないものだ」
『あのよ、オメェのひとり語りを毎度聞かされる俺様の身にもなれよ。正直、ウンザリだぜ』
「そうだな。すまない。今のは忘れてくれ」
謝罪して
戦線に復帰した以上、ここで過去の悲しみに打ちひしがれている場合ではない。
今は自分に与えられた任務を遂行し、平和な世界を取り戻すことこそが、新たな精霊を与えてくれた聖剣技師への恩返しであり、なき妻への弔いとなる。
そう男は心の中で思った。
『おい。どうするんだ? 進むか戻るか決めてくれ』
「ふむ。魔剣のオーラをお前が感知していないとすれば、ここに用はないな。他を探してみるとしよう」
と、そのとき、男の背後で茂みがざわついた。
「ブレイブ!」
『おうよ』
男が左手に装着した籠手に呼びかけると、足元に青い空間が開き、そこから大剣が現れた。
身の丈ほどあるその大剣の柄を掴むと、男はどっしり構えて、茂みの方を鋭く睨みつけ息を潜める。
しかしその刹那、ざわつく茂みの中から飛び出してきたのは一匹の野ウサギだった。
それをを見て男は肩を落とすと、かぶりを振って大剣を下ろした。
「ふぅ。驚かせおって」
『ケケッ。ビビったのか?』
「しばらく戦線を離れていたからな。どうにも感覚が鈍い」
男の緊張は杞憂に終わった。
野ウサギは長い耳を立てて周囲を見渡すと、そのまま茂みの奥へと帰ってゆく。
それを見送った男は大剣を肩に担ぎ、眉をハの字にして溜息を吐いた。
「やはりここではないようだな。もう少し奥を調べて――」
『待て、魔剣のオーラを感知したぜ。それも複数だ』
と、左手に装着した籠手が警笛を鳴らした。
籠手の中心に輝く菱形の宝石『ホーリーグレイル』が、振動と点滅を繰り返し、主に警戒するよう促す。
その様子に男は大剣を構え直すと、周囲に視線を配った。
「おい! 隠れていないで姿を見せろ!」
男の怒号が森の中に木霊する。
耳を澄ませてもみても、敵の足音が聞こえてくることはない。
だが、男が一歩だけ踏み出したその直後、茂みの奥から赤黒いモノが飛んできた。
男はそれを大剣の腹で受け止めてみせると、剣の腹にどろりとした赤い液体と肉塊のようなものが付着し、やがて男の足元に落ちた。
「これは、さっきのウサギか」
『ケケッ。えげつねえことをしやがる』
大剣の腹を伝い、男の足元に落ちたものは数秒前に見た野ウサギの死骸だった。
その死骸を見て男は胸糞悪さを覚えると、茂みの奥を睨みつける。
「いつまで隠れているつもりだ。早く姿を見せろ!」
怒鳴るような男の声に茂みの奥からゆらりと人影が幽鬼のように現れた。
その現れた人影に男は目を凝らすと、驚愕したように目を見張る。
「バカな……。なぜ、キミが!?」
『おい、後ろだ!』
突然、背後から感じた二つの気配に男は振り返ると、両手に持った大剣を大きく振り抜いた。
それから数分の間、森の中に激しい金属の衝突音が断続的に鳴り響いていたが、いつの間にか森は元の静寂を取り戻しており、いつしか男の姿も消えていた。
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