第51話 彼女の声

 遮光カーテンの隙間から差し込んでくる早朝の陽光に、俺は不意に目が覚めた。


 気怠い身体を起こすと周囲を見渡し、欠伸をひとつする。


「ふぁ〜……もう朝か」


 自身の頬を擦りながら長年愛用してきたベッドに別れを告げると、俺は自室を出てリビングへと向かった。


「あ……」


 一階へと繋がる階段を軋ませながら下りてゆくと、俺の鼻腔を芳ばしい香りが撫でてくる。


「今日の朝食はベーコンか」


 ゆっくりとした足取りで階段を下りると、リビングのドアをゆっくりと開けた。

 すると、キッチンの方で長い黒髪をうなじの辺りでひとつに束ねた女性がエプロン姿で調理をしていた。


「おはよう。母さん」


「あら、つっくん。今日は早いのね?」


 フライパンを持ったままこちらに笑顔を向けてきたのは、俺の母さんだ。

 母さんはベーコンに胡椒を振りかけると、それを菜箸で炒めながら言う。


「ねぇ、つっくん。悪いけれど、道場にいるお父さんを呼んできてくれない? もうすぐご飯よ〜ってね?」


 母さんはそう言うと、俺にウィンクを投げてくる。

 それにはいはいと、面倒そうに頷くと、俺は早朝稽古をしている親父のもとへ向かった。


 ○●○


 我が家に隣接する道場に到着すると、筋骨隆々とした俺の親父が、上半身を曝け出した袴姿で竹刀を振るっていた。


「親父。母さんがもうすぐ飯だとさ」


「ん? おぅ、ツルギか! どうだ、たまには稽古をつけてやるぞ!」


「ん〜……そうだなぁ、たまには相手をしてやるかな?」


 俺がそう言うと親父は「生意気な」と、口にして苦笑混じりに竹刀を放り投げてきた。


「んで、ルールは?」


「ハッハッハ! そんなもの、先に一本取った方が勝ちだ!」


「オーケー、それなら……行くぜ!」


「来い、息子よ!」


 俺は一刀流の構えで竹刀を振り抜くと、同じように竹刀を構えた親父と朝稽古をした。


 ○●○


 小一時間ほど親父と稽古をしてリビングに戻ると、朝食の支度を終えた母さんが、にこやかに微笑んで待っていた。


「さぁ、それじゃあ朝食にしましょうか!」


 両手を合わせてニッコリ笑う母さんに俺と親父も倣って両手を合わせると、家族三人で『いただきます』と、声を揃えた。


「ハッハッハ! 母さんの作る飯は美味いからな。幾らでも食えるな」


「そう言ってこの前ピーマンを残したのは誰かしら?」


 調子の良い事を口にする親父に母さんがジトっとした目を向ける。

 その視線を受けた親父は頬を引き攣らせて、「ハッハッハ! そうだったかな?」と、誤魔化すように視線を逸らしていた。


「まったく、いい歳してピーマン食えねぇとか子供かよ?」


「ハッハッハ! バカを言え。俺はピーマンが食えないのではない。ピーマンが俺に食われるの拒否しているんだ」


「あら。それじゃあ、私もお父さんに料理を作るのを拒否しようかしら?」


「じょ、冗談だよ母さん。ちゃんとピーマンは食べるから許してくださいお願いします!?」


 親父はそのガタイに似合わず母さんにはいつも頭が上がらない。

 土下座をして必死に頭を下げているこの光景を俺は何年も目にしてきた。

 でも、こんなに朝から騒がしいというのに、俺の心はとても弾んでいてとても楽しかった。

 こんな日常が続くなら、それも悪くないと……。


 ――ツルギくん。


「え?」


「どうしたのつっくん?」


「いや……今、誰かに呼ばれたような気がして」


「おいおい、まだ若いのに大丈夫か? 夜な夜なあの頭に被っている変なゲーム機のせいで寝ぼけているんじゃないのか?」


「んなわけあるかよ親父。アレは俺にとって神器だ。まぁ、本当に気のせいかもしれねえから別にいい――」


 ――ツルギくん。


「あ……まただ! 一体誰なんだ?」


 直接頭の中に響いてくるような女の子の声に俺は周囲見渡した。

 しかし、どこを見ても声の主である人物は見当たらない。


「……やべぇなこりゃ。とうとう美少女の声が幻聴として聴こえるほど俺の妄想力が発達したか?」


 ――ツルギくん、目を覚まして!


「いやいや。目を覚ますって、俺はもう目が覚めて……」


「ツルギ」


「あ? なんだよ親父?」


 不意に名前を呼ばれて俺が振り返ると、親父と母さんが神妙な面持ちでこちらを見つめていた。


「ツルギ。こんなことをお前に言うのは心苦しいのだが……」


「つっくん。アナタを待っている人が向こうにいるから戻りなさい」


「なに言ってんだよ母さん? それに親父もどうしたんだ?」


「ツルギ。お前はまだここへ来るべきではないということだ」


「ここって……なにがだよ?」 


「つっくん。お父さんとお母さんは、いつでもつっくんのことを見守っているから忘れないで……」


 母さんはそう言うと、涙を零しながら儚く微笑んできた。

 その隣に腰掛けている親父も瞳に涙を浮かべて口を引き結んでいる。


「なんなんだよ……二人して一体なにを――」


 ――ツルギくん! お願いだから、目を覚まして!


「あ」


 その声に、俺の記憶が呼び起こされてゆく。

 俺はこの声の主を知っている。

 それは俺にとってかけがえのない大切な存在感であり、彼女のために俺は戦うと決意したんだ……。


「……エクス、か?」


 ――ツルギくん!


 ふと天井を見上げてみると、眩く蒼い光が俺を照らしてきた。

 その光の中心には、金色の長い髪をした彼女がいて俺に向けて片手を伸ばしているように見えた。

 そして、俺はようやく気が付いた。


「……そういうことか。親父、母さん」


 俺が振り返ると、親父と母さんの二人が優しい笑顔を浮かべていた。


「ごめん。やっぱ、戻るわ!」


「うん、行ってらっしゃい。つっくん」


「ハッハッハ! 頑張れよツルギ!」


 小さく手を振る両親二人に俺はサムズアップしてみせると、蒼い光の中心に向けて片手を伸ばした。

 すると、真っ直ぐに伸ばした俺の手を彼女がしっかりと掴んで引き戻してゆく。

 

「今、戻るからなエクス! ん?」

 

 眩い光の中に俺の体が吸い込まれてゆく。

 その時、親父と母さんの方に目をやると、二人から少し離れた位置に前髪で目元が隠れた白髪の見知らぬ男の子が立っていた。

 はて? あの子は一体誰なのだろうと訝しんだ直後、俺の意識が光の中に導かれていった。

 

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