【短編集】あやかしの人々

妖狐ねる

キグル民族の憂鬱 ─まるまるワンダーランドの裏側─

キグル民族の憂鬱 第1話「犬居良男の新たな仕事」

「よし、着いたぞ」


 僕はテレビ局の駐車場に車を停め、後部座席にいる3人に声をかけた。


「もう顔を上げてもいいか?」


「ああ、ここなら見られてもなんとかなる」


「わかった」


 そう言うと、全部倒された後部座席に横たわる赤い男が体を起こした。──「赤い男」というのは、服の色だとか比喩だとかではない。文字通り、彼の体は赤いのだ。


「ふぅ……やっぱりこの空間に3人は厳しいね……」


 赤い男の反対側で寝ていた白い女も起き上がる。同時に、長い耳が天井にぶつかった。


「いてて……早く降りてよー」


 赤い男と白い女の間に挟まれた黄色い男が、仰向けのまま言った。


「よし、降りるぞー」


 赤い男がドアを開け、頭が引っ掛からないように注意しながら車を降りる。


 ──「着ぐるみ」という単語は、一般には「人体着用ぬいぐるみ」の略とされている。だが、それは“人間の社会”で後から考えられた偽りの語源だ。本来着ぐるみは「キグル身」の意で、人間が「キグル」と呼ばれる民族と接する際、彼らにとって親しみやすい姿になるために生み出されたものだ。ヒト属の一種ではあるのだが、アフリカに起源を持つとされる人間とは異なり、彼らの祖先はシベリアで暮らしていたという。極寒の地で過ごす彼らは人間よりも大きく毛深い、二足歩行の獣のような姿へと進化した。そして、僕はそんな彼らを“職場”へと連れてきたのである。


「福山さん、お連れしました」


「おお、その方たちが……」


 エレベーターでテレビ局の地下に降りると、番組プロデューサーの福山さんが出迎えた。


「ほら、ご挨拶」


 僕は一歩下がり、キグルの3人を促した。


「初めまして、キグルのポピーと申します」


 ウサギのような顔をした白い女が口を開いた。3人の中で最年長なのもあり、その雰囲気には余裕が漂っている。


「オレはロビン、15歳だ!」


 犬のような顔をした赤い男が続けて言った。


「ああ、15歳ってのは人間年齢で言うところの25歳くらいです」


 僕はキグルに馴染みのない福山さんに補足を入れる。


「あ、ボクはゲニ……じゃなくてエニシです」


 猫のような顔の黄色い男が気弱そうに挨拶をする。彼の本来の名前は「ゲニス」というのだが、人間の感覚では彼のイメージに似合わないため、「エニシ」という芸名を名乗ることにしてもらっている。


「私は『まるまるワンダーランド』のプロデューサーを務める福山です。『福山P』とでもお呼びください」


 福山さんが名刺を差し出すが、ロビンたちは互いに顔を見合わせ、どうするべきなのか迷っているようだ。


「それは名刺といって、人間が挨拶の際に差し出すものだよ。受け取って」


 僕の言葉を聞いたロビンが、福山さんの手から名刺をむしり取った。この辺りもいろいろと教えてやらなければな……。


「しかし、本当に着ぐるみみたいですね……ちょっと触ってもよろしいですか?」


「おう!」


 ロビンが腕を差し出し、福山さんが恐る恐るそれに触れる。


「うわっ……え、これ布じゃないんですか?」


「それがキグルの肌です。神経も通っています」


「へぇー……」


 キグルは本来、人間の目につかない場所で生活している。そもそも個体数が少ないこともあり、普通の人間が彼らの姿を見ることはなかなかないし、あったとしても「着ぐるみを纏った人間」としか思わないだろう。だから、彼の反応はいたって自然だ。


「ああ、失礼しました。皆さんのお部屋にご案内いたします。


 そう言って、福山さんが廊下を進んでゆく。ロビンたちが後に続くが、結構ギリギリの大きさだ。


「こちらが皆さんに生活していただくお部屋です」


 福山さんがドアを開けると、かなり広い部屋が広がっている。人目につく場所で生活できない彼らのために、僕と福山さんで相談しながら作ったものだ。


「ここがオレたちの部屋……!」


「元々は倉庫だったのですが、置いてあったものを隣に移して改造しました。これくらいの広さがあれば十分ですよね?」


「はい、ありがとうございます」


 地下なので窓はないが、天井には十分な光量のLED照明が取り付けられている。床には畳を敷き、テーブルや椅子、テレビに本棚と、一通り必要なものを揃えた。これだけあれば申し分ないだろう。あとは必要になったものを適宜加えていくつもりだ。


良男よしおもここに住むのか?」


「いや、僕は元々住んでいる家があるからね。ここは君たち3人の部屋だよ」


「そっかー……」


 ロビンが少し残念そうな声を出す。キグルは表情筋が退化しているため、感情表現は声が主となる。


「まあ、どうせ毎日来るからね。寂しがることはないよ」


 そう、僕が彼らをここに連れてきた理由。それは春から始まる子供向け番組『まるまるワンダーランド』のためだ。……というより、彼らの仕事として番組を作ってもらった、と言った方が正確か。僕とロビンは古い付き合いなのだけど、ある日突然「オレもテレビに出たい」と言われたのである。どうやら子供向け番組に出演していた着ぐるみをキグルと勘違いしたらしいのだが、彼らの見た目ならば着ぐるみとして出演してもバレないだろうと考え、この計画を進め始めた。僕はよく一緒に仕事をする福山さんに頼んで、彼らをメインに据えた番組の企画を出してもらい、様々な問題をクリアしながら今日まで漕ぎつけたのである。


「ねえ良男さーん、お腹空いたー」


 床に座り込んだエニシが言った。そういえば、ここに来る途中のサービスエリアから何も食べていないな……。


「失礼しました。それでは社員食堂へ──」


「待ってください。彼らが食事しているところをほかの社員に見られるのはまずいですよ」


「あっ、そうですね……では、こちらまでお持ちします。何か食べたいものはございますか?」


「オレ肉が食べたい!」


「ボクはお魚ー」


「じゃあ、私はサラダを……」


「えーっと……」


「ああ、僕が行きますよ。僕もお腹空いてますし」


「すみません……」


「いえいえ、こちらこそいろいろとありがとうございます」


 僕は社員食堂で焼肉定食と焼き魚定食、カツ丼を注文し、持ち帰るからとパックに詰めてもらった。サラダは定食のセットで賄えるし、カツ丼は僕が食べる分だ。

 部屋に戻ると、キグルたちは福山さんから番組の説明を受けていた。といっても、ちゃんと聞いているのはポピーだけで、ロビンとエニシは退屈そうにしている。


「おう、買ってきたぞ」


「わーい!」


 エニシが飛びつき、袋からパックを取り出す。


「そうそう、今回はこうやって詰めてもらったけど、今度からは弁当か何かにした方がいいと思うから、そこのところよろしく」


「ベントウ……?」


「こんな感じで箱に詰めたご飯のことだよ」


「それなら、こちらでご用意しますよ。いちいち買いに行くのも面倒でしょうし」


「いいですか?じゃあお願いします」


 やれやれ、キグルたちがテレビに出演するにはまだまだ問題が山積みだな……。そんなわけで、僕・犬居いぬい 良男は今日から彼らの世話係になってしまったのであった。

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