第96話 とても好きです
ウィノナは事情の説明を始めてくれた。
「じ、実は、私は子爵家の出なのです。これでも一応、貴族の娘なのです。
もしかしてご存知でしたか……?」
「女王に聞いたよ。貴族ってところだけね」
「そう、ですか……私の家は、昔二侯爵家だったようなのです。
私が生まれる前、父が若かりし頃、二侯爵から子爵へ降格したようで」
爵位を奪われたり、降格する場合、それなりの理由がある。
時代や環境が変われば、現状維持も難しくなるだろう。
しかし二侯爵から子爵へ降格するというのはよっぽどのことだ。
何かしでかさない限りはありえないだろう。
僕はその部分を追求しなかった。
聞かずとも話すだろうと思ったからだ。
だったら僕が聞くよりも、彼女自身で話した方がいい。
その方が、気持ちは楽だろうから。
「……父の家系は代々二侯爵として名を連ね、十数代も続いていたらしいのです。
父もその流れの通り、二侯爵として家督をつぐ予定でした。
しかし、ある時、税収を不当に搾取し続けた人間が捕まりました。
その犯人は我が家、オロフ家の近親者だったのです。
正確には祖父の妹の息子ですので、祖父の孫で、父の甥です。
しかも、図らずもオロフ家直轄の領地で不正は行われていた。
祖父はその事実に長年気づかずに、むしろその孫を可愛がっていたそうです。
結果、オロフ家は二侯爵から子爵に降格しました。
完全に爵位をはく奪するという話もあったそうですが、歴史を見ればそれはできないと女王様が仰って、子爵で留まることができたとのことです。
それからは……どんなことがあったのか想像に難くないかと思いますが」
代々引き継がれていた二侯爵の地位を、愚かな身内のせいではく奪された。
そうなればその犯人はもちろん、関わった人物、看破できなかった人物、そして家長に責が及ぶ。
栄華は瓦解し、彼等にとっては地獄だったかもしれない。
平民の立場からすれば贅沢な悩みだと思うかもしれないが。
幸福は絶対的なものじゃなく、相対的なものだ。
その人にとって幸せでも、他人にとっては幸せではないことは腐るほど存在する。
「そうして父の代では私達は子爵となりました。
私が生まれる前のことなので、私には不満はないのですが……。
当然、父はそうではなかったようで。
常に『二侯爵の座に舞い戻る。生き恥を晒し続けることには耐えられない』と言っておりました。
しかし残念ながら男の子には恵まれておりません。
私は、いつ来るかもわからない『二侯爵の御仁から受ける婚姻の申し込み』のために日々研鑽を強いられました。
貴族の娘ならば、本来は家事などできません。
そんなものは侍女にでもやらせておけと言われるだけ。
もちろん王族や高貴な方に仕えることを良しとする家系の貴族達もいますので、一概には言えませんが。
とにかく私は幼い頃から、婦女として、妻として、侍女としての教養を学び続けました。
そんな折に、侍女のお話をいただきました。
しかも父の悲願である二侯爵の侍女としての依頼。
これを受け、父は言いました。
『いいか、ウィノナ。二侯爵の人間はどうやら子供らしい。しかも丁度、思春期の子供だ。
おまえも今まで婦女としての教養を学んだはず。その知識を活かし、陥落するのだ』と。
そうして二侯爵の妻として嫁げば、悲願に近づくのだ、と。
傍系だとしても二侯爵の親族ができれば、今後、強力な後ろ盾にもなるので」
だからやたら僕に迫ってきていたのか。
あれが長年の勉強の結果とは。
どういう経緯でああなったのかという疑問しか浮かばない。
とにかくウィノナは僕と結婚するための布石として、あんなことをしたのか。
「それにしても、もっとやり方があったんじゃないかな」
「……ち、父が、その、十代の男性は……猿のようなものだと。
常に盛っているので、誘えばイチコロだと、言われまして……」
「ま、間違ってはいないだろうけど……逆に繊細な部分もあると思うよ」
男の方がピュアというか潔癖な部分もあるし。
全員ではないけれど、思春期の男は女性を神聖視している面もあるからなぁ。
僕はまったくないけどね。
もう、そういう時期はとっくの昔に過ぎたよ、うん。
「そ、そうなのですか? 千人は男を籠絡してきたという方からも師事を受けたのですが」
嘘っぽいな。
なんか私はこの方法で彼女ができましたとか、札束の風呂に入りながらこうして金持ちになったとかいっている広告並に嘘っぽい。
しかしウィノナは素直な性格みたいだし、鵜呑みにして実践したのだろう。
やり方は、ある意味では間違ってはないと思うけど。
ウィノナは可愛らしいし、スタイルもいい。
誘い方が悪くても、誘われるだけでなびく男も少なくないだろうし。
むしろその拙さがいいとか思われるかもしれない。
僕にはまったく意味をなさなかった、それだけのことだ。
「……こ、これが私の理由です。申し訳ありませんでした、シオン様。
あなたを利用するようなことをして」
ウィノナは目尻に涙をためていた。
頬は染まったまま、身体は震えている。
彼女には多くの感情が去来しているだろう。
僕に申し訳ないという気持ちもあるだろう。
けれど恐らく最も強い感情は違う。
恥ずかしい。
きっとずっとそう思っていたはずだ。
彼女は僕の侍女となってから毎日、夜のお供を申し出た。
女性から。
しかもうら若き乙女だ。
穢れを知らない少女から抱いて欲しいと言うことがどれほど恥ずかしいか。
それもこんな肌を晒すような格好で。
女性の心がわからない僕でも、わかるくらいだ。
辛かっただろう。
ウィノナは一筋の涙を流した。
「も、申し訳ありません。申し訳……ありま、せん……」
それでも謝罪を続けるウィノナ。
自分が一番辛いのに。
僕への罪悪感もあるだろう。
そして恐らくは父親の指示を達成できなかったという思いもあるだろう。
でも僕は、彼女の悲しみはそれよりももっと深い部分にある気がした。
僕はそっとウィノナの頭をぽんっと叩いた。
僅かにビクッと震えたウィノナだったけど、頭の手を払いのけることも逃げることもしなかった。
顔を見ると驚いているだけで、不快感は見えない。
僕は年下だ。肉体的には。
精神的には年上だ。
だからというわけではないけれど、今、彼女に必要なことはなんとなくわかった。
年下に頭を撫でられると不愉快かもという不安はあったけど、問題はなかったようだ。
彼女にあるのは戸惑いだけだった。
「謝る必要はないよ」
「で、ですが、わ、私はシオン様を騙すようなことを」
「うーん、騙されてないしなぁ。それにウィノナは演技が上手くなかったからね。
僕に被害はまったくないよ」
「そ、それでも、だ、騙そうとしたのは間違いないですっ」
「そうだね。でもそれは父親に言われたからでしょ?
ウィノナの意志じゃない。ウィノナがそうしたかったわけじゃないよね?」
「それは……そうですが……で、でも」
「今だけ、でも禁止」
僕が優しく頭を撫でると、ウィノナは恥ずかしそうに俯いた。
撫でられたことないのかな。
「あうっ」
僕が手を動かすだけで、彼女の身体が硬直していた。
しかしやがて少しずつ慣れたのか、身体から力が抜けていく。
「事情はわかったけど、僕はウィノナじゃないからウィノナの本音も、して欲しいこともわからない。
ねえ、ウィノナ。君はどうしたいの?」
「わ、私は、シ、シオン様の奥方に」
「それは君のお父さんの願いでしょ? 君の願いは何?」
「わ、私の願い……?」
「そう、君の願い」
「私の願い……わ、わかりません」
ウィノナは怯えるように首を横に振った。
それは彼女の本心だとは思えなかった。
そうするように言われて、そうしないように言われたのだと思った。
僕は言葉を続けた。
「じゃあ、君が好きなことは?」
「わ、わかりません……」
そうか。
彼女は……ずっと指示をされて生きてきたのか。
好きなこともわからないなんて。
自分の意志も、好き嫌いもわからなくなるくらい、押さえつけられてきたのか。
だから彼女はいつも怯えていたのか。
僕はウィノナのことをほとんど知らない。
だからわかった気になりたくはない。
彼女は自分のことがわからなくなっている。
自分の意志がわからないのなら。
この質問をするべきだろう。
「君が……したくないことは何?」
「私が……したくないこと……?」
「そう。したくないこと。何がしたくない? 嫌いなこと、ものでもいいよ」
僕はできるだけ優しく言った。
僕よりも年上のウィノナは、怯えた幼い子供にしか見えなかった。
怖くて怖くて泣きじゃくるしかできない子供と同じだった。
僕が撫でる度に、彼女は左右に少しだけ揺れた。
最初に比べてリラックスしているようだった。
「わ、私は」
「うん」
「……私は、人が苦手です」
「そうか。そうだと思ったよ。他には?」
「は、話すのも苦手。上手く話せないから。でも、話すこと自体は嫌いではないです」
「聞くことはどう?」
「好きです。お話を聞くのは好き。私に話してくれていると思うと嬉しいです。
シオン様がよく、私に聞いてくれるのも好きです。
大丈夫? 休んでいいよって言われると、心が温かくなります。
ご、ご飯を食べた後、おいしいって言ってくれるのも好きです」
それは『好きなこと』だった。
彼女にもそういうことはある。
ただ気づけないだけ。
いや、気づけないように自分を抑え込んでいるだけなのだろう。
「家事はどう? 嫌い?」
「き、嫌いじゃないですが、お掃除は、ちょっと大変です」
「ご、ごめん。人を増やす予定だから少し待って」
「い、いえ! も、もも、申し訳ありません。な、生意気なことを」
「生意気じゃないよ。きちんと意見を言ってくれる方が僕は嬉しいな」
僕は彼女の頭を撫で続けた。
言葉と表情だけでは彼女を安心させられない。
だから撫で続ける。
言葉よりも触れるだけで伝わることもある。
聞こえなくとも、見えなくとも、僕の心がわかるように。
大丈夫、怒ってない。そんな風に思わないから、と。
僕の思いが通じたのか。ウィノナは恐る恐るといった感じで僕の顔色を窺った。
「大丈夫。僕は怒ったりしないよ」
言った後で思い出した。
ウィノナの前で思い切り怒ってしまったことを。
あまり覚えてないけど、ラフィ曰く人が変わったようだったとのことだった。
相当にやらかしたのだろう。
そう思うと冷や汗を掻いてしまう。
しかしウィノナは怯えてはいなかった。
なぜか先ほどの言葉で、むしろ落ち着きを取り戻したようだった。
「そ、そうですね……シオン様はお優しい方ですから」
「へ? あ、あのでも、以前、施設で僕、結構怒っちゃったみたい、だけど」
「あ、あれは確かに怖かったですが……シ、シオン様はみんなのために怒ってくださったので。
だ、だから怖かったですけど怖くないと言いますか。
シオン様はいつもお優しいですし……そういうところはとても好きです」
「え? あ、そ、そそ、そう? あ、あはは、嬉しいなぁ」
この娘、わかっているのだろうか。
真っ直ぐに好きなんてことを言っちゃったりなんかしちゃってるんですが。
僕がただの童貞で、ただの思春期真っ盛りの男子だったら惚れちゃってたぞまったく。
うるさくなった心臓を強引に押さえつけた。
僕は心を落ち着かせると、ウィノナに言う。
「ねえ、ウィノナ。君の立場を考えると簡単なことは言えないけど、自分を安売りするようなことはもうやめない?
ウィノナも嫌だろうし、僕も申し訳ない気持ちになるし」
「そ、そうすると……お父様の」
「悲願が叶わない、か。でもねそんな方法で二侯爵になってもそれは仮初だよ。
すぐに破たんすると思う。僕も二侯爵になったのは最近だし、この地位が安泰とは思えない。
僕と結婚しても、君のお父さんの願いは叶わないと思うけれど」
ウィノナは何か言おうとしたけど、口をつぐんで、俯いてしまう。
「……で、では、私はどうすれば」
「どうって、好きにしたらいいんじゃない?」
「好きに……ですか?」
「うん。君のお父さんの悪口を言うつもりはないけどね。
やっぱり子供でも自分の人生を歩むべきだと思うんだ。
もちろん、そういう人ばかりじゃないし、強制される人生もある。
それを受け入れて、妥協して生きていくことも、否定されるべきじゃない大事な人生だ。
だけどウィノナは今の人生に納得してないんじゃない?
ウィノナ。もう一度聞くよ。君はどうしたいの?」
普段の立ち振る舞い、言動、そして今の彼女の姿を見れば、間違いなく今の生活を好ましいと思ってはいないだろう。
どんな人生を歩もうとその人の自由だ。
僕から見ればおかしいと思う選択もその人からすれば正しい選択なのかもしれない。
だから僕が判断する条件は一つ。
その本人が納得しているかどうか。
ウィノナはそうではない。
だったらやるべきことは決まっている。
しかし今までの環境から逸脱し、新たな生活をすることは簡単なことじゃない。
怖いし、不安だし、慣れた環境に留まりたくなる。
例え進む先が幸福に満ちているとしても、不幸な今の生活に残る。
そんな考えを僕は理解できる。
でもその人生の先に幸福はない。
幸せになりたいなら、不幸を打ち破り、怖くとも自分の足で進む勇気が必要だ。
「わ、わ、わわ、私は……私は……私は………………この生き方が、嫌です……っ!
この、誰かよくわからない人のために、父のためだけに生きる人生が、嫌です……。
わ、私は、私は……もっと、女の子として……生きたい。
お洒落をしたいっ! 友達も作りたいっ! 旅もしたいし、色んな景色も見たいっ!
沢山新しいことを知りたいっ! そして、こ、恋もしたい……です……」
最後の方は恥ずかしそうに顔を伏せた。
頑張ったんだろう。
彼女は己を奮い立たせて、自分の感情と向き合った。
それはとても勇気がいることだ。
今までの彼女の生活の一部しか知らない僕にでもわかる。
彼女はずっと我慢して、そしてずっと変わりたいと思っていたのだろう。
僕はできるだけ淀みなく言った。
「そっか。じゃあそのやりたいことをやっていこう。
ウィノナの人生はまだまだ長いんだ。今からだって始められる」
「で、ですが、そんなことをしたらお父様が」
「僕が何とかするよ。こう見えてそれなりに特権があるからね」
女王と懇意だという、ね。
僕は彼女の要求をかなり呑んでいるのだ。
僕からの要求もそれなりに呑んでくれるはず。
僕もかなりの対価を払うことになっているし、これからもなるだろう。
だから多少のわがままは聞いてくれるはずだ。
ダメなら僕がどうにかする。
「か、仮に、家を出られたとしても、女一人が生きていくのは難しいです……。
私は子爵家の長女としてここにいます。出家した場合、働き続けられません……。
お、お父様に連れ戻されるでしょうし」
「それもこっちでどうにかするし、匿ってもいい。
あくまで手助けだから、すべて世話をするってわけじゃないけど。
別のところで働きたいなら何とかするよ。
一つ一つに言及するときりがないから言うけど僕は金銭的にも、他のことでも君に手を貸すつもりだよ。
僕が焚き付けたみたいなもんだしね。責任はとるよ」
あんぐりと口を開けたままのウィノナは、僕をじっと見ていた。
そんなに驚かれると僕も反応に困るんだけどな。
「ど、どうして、そこまで」
「一つ、これも何かの縁だから。
二つ、僕が言いだしたから。
三つ、僕がそうしたいって思ったから。
そして四つ――」
僕は一呼吸置いてから口を開いた。
「――ウィノナが助けを求めているように見えたから」
ウィノナは驚きの表情のままに僕を見ていた。
しかしやがてその表情は変わる。
彼女はくしゃっと顔を歪ませ、堰を切ったように泣き出す。
そして。
僕の胸に飛び込んできた。
「あああぁぁあぁぁ! うああぁぁっ! ううっ、あああっぁっ!」
感情のままに泣きじゃくる彼女の背中を、僕はやんわりと撫でた。
大丈夫、大丈夫だと伝えるために。
「よしよし、もう大丈夫。大丈夫だからね」
「ううっ、シオン様ぁ! シオン様ぁぁーーっ!」
僕はそっと彼女の頭に触れた。
もう触れるだけで萎縮したりはしない。
ウィノナは素直に僕の行動を受け入れてくれた。
幼い子供をなだめるように僕は何度も何度もウィノナの頭を撫でた。
絶え間なく響く嗚咽と泣き声は、いつまでも絶えることはなかった。
●○●○
研修会当日。
僕はすでに起床し、着替えを終えて、研修会の準備を終えていた。
「えーと、ペンとインクと用紙と魔法書と念のために雷火も持っていって……。
他には、そうそう研修講義のカリキュラム表も。後は――」
何度も確認していたのに、忘れ物をしそうだった。
我ながら間が抜けている。
もっと慎重にしないと。
そうだ身だしなみも。
鏡を見ると僕は服装を確認した。
普段着とは違う正装。
しかしそれは女王に謁見を求める時の服装とは違う、いわばセミフォーマルのような服装だ。
妙に締め付けるような圧迫感はないけど、普段は着ない服のため違和感はある。
身長は然程高くないため、見栄えはよくない。
ただ、見た目に関してはあまり頓着がないので、正直に言えばどうでもいい。
そうそう、片翼のマントも必要だ。
国家に忠誠を誓うという意味合いを持つ正装。
僕にその忠義があるかどうかはおいておくとして。
これをつけねばらない場に出るということは覚えておかなければならない。
とにかく、これで問題ないはず。
コンコンと扉が叩かれた。
入室を促すと、入ってきたのはウィノナだ。
「あ、あああ、あ、あの、シ、シオン様、じゅ、じゅじゅじゅ」
「お、落ち着いてウィノナ」
顔が真っ赤だ。
耳どころか首まで真っ赤だ。
真っ直ぐにこちらを見ることもできないらしく、ウィノナの視線は天井から地面に何度も向けられていた。
僕も顔が熱い。
昨夜のことがあって、朝になった時、顔を合わせた僕達はほぼ同時に俯いてしまった。
それもそのはず、あんなに胸中をさらけ出したのだから。
感情的になり、互いに触れあい、抱き合い。
そうして朝になり、冷静になれば、恥ずかしいと思って当然だ。
とにかくこのままでは話が続かない。
僕は恥ずかしさを振り払って言葉を紡ぐ。
「え、えと、じゅ、準備はできたよ。そろそろ行こうか」
「は、はい。ま、参りましょう」
ぎこちない二人。
でも昨日まで感じていた高い壁はなくなっているように感じた。
二人に距離はある。
けれど道は真っ直ぐ続いているように思えた。
僕達はこれからだ。
少しずつ近づき、仲良くなればいい。
これは男女の関係という意味ではないけれど。
廊下に出て玄関に向かう道すがら僕はそれとなく聞いた。
「だけど本当にいいの? お父さんに言わなくて。
僕から働きかけるけど」
実際に交渉するのは僕じゃないけど。
まあここまでそれなりに功績を残し、これからも色々と働くんだから、これくらいのわがままは許容してもらわないと割に合わないし。
女王も文句は言わないだろう……と思う。
「は、はい……ま、まま、まだ心の準備がで、できないので。
シオン様にはご迷惑を、おかけしますが……」
ウィノナの反応は当然だろう。
昨日今日でいきなり覚悟を決めて、家を出るなんてこと、できるはずもない。
ウィノナはずっと父親に言われるままに生きてきた。
彼女の人生はこれからで、彼女が自分の意志で今後を決める時間が必要だ。
少しずつ変わっていけばいい。
それまでは僕が世話をするつもりだ。
「いやいや迷惑なんてことはないよ。ウィノナが侍女のままでいてくれると心強いし。
家事もできるし、気遣いもできる。とても優秀な人だと思っているからね。
それに性格も、優しい人だってことはわかってるから」
そうでなければ怠惰病患者の治療をしている時に、真摯に手伝いなどできはしない。
彼女は優しい人だ。
ただ過去に見たことがないほどに不器用で素直なので、時々、はらはらするけど。
それも彼女の魅力なのかもしれない。
「ん? どうしたの?」
話をしている最中も反応がなかったため振り返ると、ウィノナは俯いていた。
耳だけは見えた。真っ赤だ。
まだ恥ずかしさが残っているのだろうか。
「い、いい、い、いえ。な、なな、な、なんでもありませんっ」
「そう? ならいいけど」
とにかく元気みたいだし、大丈夫か。
昨日に比べて心も体も軽い。
ウィノナと本音で話せたことが大きいだろう。
王都に、親しい人間はほとんどいない。
だからか少しでもウィノナと親しくなれたことが嬉しかったんだと思う。
僕も単純だな、なんて思いながら玄関に到着した。
「じゃあ、行こうか」
「は、はいっ!」
いつも以上に明朗な声が返ってきて、僕は少し驚いた。
なぜかウィノナも自分の声に驚いた様子だったが、すぐに顔を赤くした。
僕はウィノナの頭にぽんっと手を置いた。
身長はほぼ同じだけど違和感はあまりない。
ウィノナは身体を委縮させることはなかった。
ただ窺うように僕を見ていただけだった。
彼女は怯えていない。
それがわかると僕の心は温かくなった。
僕は自然に笑みをこぼした。
するとウィノナも笑顔を咲かせた。
その笑顔は彼女が初めて見せた笑顔だった。
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