第90話 友人ならば当たり前

 目覚めた。

 僕は跳ねるように上半身を起こす。


「むっ!?」


 傍にいたのはラフィだった。

 辺りを確認するとどうやら、僕は自宅へと戻ってきているようだった。

 どこかの部屋のベッドに横たわっていたらしく、毛布が掛けられている。

 服も変わっていた。

 寝ている間にウィノナが着替えさせてくれたんだろうか。


「やっと起きたか。調子はどうだ?」

「……なんだか頭も身体も重い」

「それはそうだろう。なんせ一日と半日も寝ていたんだからな」

「そんなに!? よ、予想以上に寝てたんだ……」


 丸一日くらいは寝ているだろうと思っていたけど、まさかそれ以上とは。

 そういえば窓から太陽の光が射しこんできている。

 朝のようだ。

 鳥の鳴き声が室内まで届いている。

 部屋にはベッドとタンスと机があるだけ。

 王都へ来てから初めて入ったけど、僕の部屋なのかもしれない。

 何だか落ち着かないな。

 故郷の村とは違って、無駄に広いし。


「魔力はどうだ?」

「うーん、三分の一ってところかな。大分、回復してるね」

「そうか。気絶するように寝る前はほとんど魔力がなくなっていると言っていたからな。

 シオンが怠惰病になるんじゃないかと思ったが……」

「多分、それはないよ。僕は怠惰病にはならないと思う」

「そうか。おまえが言うのなら安心したぞ」


 条件は判然としないが、僕やローズのように怠惰病にならない魔力を持った人間は稀にいるようだ。

 魔力の存在を認識し、コントロールしているから何となくわかるけど、僕が怠惰病になることはないと思う。

 枯渇すれば怠惰にはなるけど、必ず魔力は回復する。

 それができない時は、僕が死んだ時だけだと思う。

 僕が言うと、ラフィは安堵するようにため息を吐いた。


「それであの後、どうなった? 問題なかった?」

「ああ、特に問題はなかった、と言いたいところだが色々とあったぞ。

 おまえが気絶してから私とウィノナとで、ここまで運ぼうと思ったんだが、まあ、医師や患者の家族達が、我も我もと手伝いを申し出てな。

 結局手伝ってもらい、屋敷まで運んだはいいものの今度はおまえを心配して、自分達にできることはないかと言い出した。

 おまえが寝ている間に食材やら調度品やら、いわゆるお礼の品を持ってきて困ったんだぞ」

「お、おお……まさか受け取ってないよね?」

「丁重に断った。誰もかれもが無料で治療してもらったことを気にしていたようだぞ」

「今回だけだからね」


 通常、どんな病気であれ無料で治せば、ただ働きをすることになる。

 そうなれば医師や看護師達が生活できない。

 治療に対価を求めなくなり、対価を支払わないことが当たり前になれば、経済的にも医学的にも大きな問題となる。

 しかし怠惰病は特殊だ。

 世界的に広がっているという理由もあるし、今のところ僕しか治せない。

 医師も人間だ。お金がなければ生きてはいけないし、希少な技術を持つ人間の報酬は基本的に高額になるものだ。

 成果には正当な対価を要求することは当然のこと。

 だから初回だけは無料である、という風に周知はしている。

 世の中にいるのは善人ばかりではない。

 人は一度、受けたことに関してそれは当たり前だと思い、それは継続され、変わらないと考えてさえいるのだ。

 例え一般的な常識やモラルを持っている人でも感覚が麻痺することは多々ある。

 線引きは必要だということ。


「それで他には? 女王の使いとか」

「来たぞ」


 やっぱり。

 それはそうだろう。

 来ない方がおかしい。

 さてどう出るか。

 僕は行動に後悔はない。

 正直、自分が何をしたのか、記憶が曖昧だけど。

 フリッツを吹き飛ばしたことは覚えている。

 女王から護衛の任を受けたフリッツを殴ったのだ。

 一応公務中だし、最低でも公務執行妨害的な罪状が下るとは思っていた。

 僕だけの問題で済めばいいけど。

 周囲に危害が及ぶのなら全力で阻止する。

 それだけのカードを僕は持っているはずだ。

 こんな時に謙虚でいる必要はないのだから。

 僕は固唾を飲んで次の言葉を待っていた。

 そしてラフィは困惑した様子のまま、口を開く。


「シオンが疲労から起きないと話したら、起きたら連絡をくれと言っていた」

「…………それで?」

「それだけだ」

「それだけ? 他には何も?」

「何も。お咎めはないようだったな。出頭しろとも言われていない。

 ただ起床したら報告をするようにと」


 これは一体どういうことだ。

 貴族らしきフリッツだけでなく、アドン国の貴族にも僕は不敬を働いた。

 それなのに何もない?

 僕がルグレだからとか、唯一魔法を使え、怠惰病を治療できる存在だからとか、色々と理由は浮かぶ。

 しかし、ここまで何もないものだろうか。 

 おかしい。

 何も起こらないのは、不気味に思えた。


「ラフィはどう思う?」

「どうも、使いの者にはシオンへの敬意が見えた。

 例え公務であろうと多少なりとも内心は態度に出るものだ。

 使いの者には不遜さも傲慢さも微塵も感じず、むしろ萎縮している様子だったからな。

 故に女王にはシオンに害をなす意図はないと考えるが……ぶっちゃけて言っていいか?」

「え? 何?」

「私はな、頭を使うのが苦手だ。あまり頭はよくない」


 真っ直ぐに見つめられて言われたもんだから、僕は思わず吹き出してしまった。

 こんな真剣に自分は頭がよくないと言えるものだろうか。

 真面目すぎる。こういうところがラフィのいいところでもあるけれど。

 僕が笑ってしまったからか、ラフィは鼻息を鳴らした。


「ふん。そこまで笑わずともいいだろう。自覚はあるのだからな!」

「ごめん、馬鹿にしたわけじゃないんだ。

 ただ……くふっ、真顔で言われるとは思わなかったよ……」

「こ、こら! わ、笑うなと言っているだろう!

 まったく! 失礼な奴だ! まったく、ほんとにまったく!

 とにかくそういうことだから! 私の言うことは話半分で聞いておけ、いいな!」

「わかったよ。ありがとね」


 プリプリと怒っているラフィの横顔を見て、じんわりと心が温かくなる。

 王都でも僕は一人じゃないんだなと思えた。


「で? シオンはどう思うんだ?」

「さあ、どうだろうね。あの日の出来事が、女王の耳に入ってないとは考えにくい。

 別の誰か、相当な権限を持つ人が情報操作でもしない限りはね。

 わざわざそんなことをする人がいるとは思えないけれど」

「となると女王自身が問題視していないか、問題となっていても不問にしているということか」

「そういうことになるね。いくらなんでも何のお咎めもない、というのは気になるけど」

「いやあり得るぞ」

「お? その心は」


 ラフィは人差し指を立てて、得意顔で言った。


「女王がフリッツやあの貴族が嫌いだったから、ぶっ飛ばしてくれて清々したとかな!」


 どうだ!? とばかりにニッと笑うラフィ。

 僕は苦笑を浮かべることしかできない。


「女王がそんな個人の感情で判断したりするかな。

 国内の人間であるフリッツだけならまだしも他国の、しかも『大帝国アドン』の貴族に手を出しちゃったんだよ。

 情勢に無知な僕でもわかるくらいには結構な問題だよ」


 世界大陸最大規模の軍事国家アドン帝国。

 すべてにおいてリスティアの数十倍を誇る、大帝国。

 詳しくは知らないけど、どう考えても大国であるアドンと、小国であるリスティアは同列として扱われてはいないだろう。

 経済力、軍事力、総合的な国力は比べるまでもなく、リスティアが劣っている。

 世界的に立場はリスティアが下のはず。

 その大国の貴族を後回しにするようなことをした上に、失礼な態度を取った。

 しかも女王の命であったのに、だ。

 何もないことがおかしい。

 嫌な予感しかしないんだけど。

 嵐の前の静けさ、ってやつだろうか。


「ふ、ふん! じょ、冗談だ! シ、シオンを試したんだぞ!

 よくぞわかったな! 褒めてやるぞ! がははっ!」


 目が泳いでいる。

 完全に本気で言っていたな。

 あえて言及する必要性も感じなかったので、僕は何も言わず生暖かい視線を送るだけだった。

 ラフィは誤魔化すように、話題を変えた。


「し、しし、しかしだな! シオンがあれほど怒るとはな。私も驚いたぞ。

 普段は温厚で、大人びているからな。怒ったところは初めてみた。

 人が変わったようだったぞ」


 その時のことはあんまり覚えてない。

 かなり頭に来ていたらしく、記憶が飛んじゃったんだよね。

 ただフリッツや護衛の兵士や貴族達に怒鳴り散らしたことは覚えている。

 ああ、あとフリッツを吹き飛ばしたことも何となく覚えている。

 正直、結構スカッとしたことを覚えている。


「うーん、実はあの時以外に、過去に怒った記憶がないんだよね」


 日本にいた時も、怒った経験はないかも。

 不満を持ったり反論したりとかはしたけど感情的になって怒りを露わにしたことはないと思う。


「つまりあれは人生で初の怒り、と?」

「そうなるね。あの時は色々と限界だったから。肉体的にも精神的にも」


 あんな状態では、さすがに理性的に思考することなんてできはしない、と思う。

 なんかやってしまった感はあるけど、やってしまったものは仕方がないので受け入れるしかない。 思い出すとどんよりとした気持ちになるけど。

 やっぱり感情的になって暴れて、よしよくやった! と自分では思えない。

 例え正当性があっても、感情がむき出しにしたということには変わりがないわけだから。


「……当たり前だが、シオンも人間なんだな」

「人を化け物みたいに言うのやめてくれる?」


 呆れ顔で言うと、ラフィは肩を竦める。


「そういう意味ではないが……。

 いいか? シオンは自分の事を客観的に見えていないようだから説明してやる。

 その年で大人顔負けの落ち着いた性格と知識、度胸と行動力。

 その上、魔法なんて技術を自分で開発した才覚としつこさ、執着心を持ち合わせている。

 どんな状況でも広い視野を持ち続け、立ち止まらないある意味では猪のような信念もある。

 常人では諦めるような状況でも、一人で進み続ける鈍感さは、誰にでも持ち得るものではない。

 これらすべてを兼ね備えた子供、いや大人さえいないだろう?」

「最後に行く毎に言葉が辛辣になってない?」

「気のせいだ。とにかくだ。

 そんな人間がいたら周りから見ればこいつは本当に子供なのか、そして人間なのかと思うものだ。

 もちろん人間なのだから、この表現は比喩のようなものだ。

 単純に、自分達と違いすぎる人間に対しての賞賛と畏怖のようなものだ」

「賞賛と畏怖、ね」


 喜んでいいのだろうか。

 まったくもって嬉しくないんだけど。


「私としては少し安心したがな。

 常に正しく人の先を進む人間というのは、周りから見れば危ういからな」

「どうして?」

「心の内がわからないからだ。

 おまえはマリーが病気の時、私達に愚痴も吐かず、黙々と怠惰病の研究をしていただろう?

 両親には言っていたかもしれないが、私達は聞いていない。

 そんな状態が一年と半年以上も続いた。友人としては心配して当然だろう」


 言われてもみれば愚痴を言った記憶がないな。

 父さんや母さんにも言ってないと思う。

 別にやることは決まっているし、やると決めたのは僕だし、僕にしかできないと思っていたから。

 それに誰かに話しても解決できないことならば、ただ単に相手に重荷を背負わせることになる。 そんなことはしたくない。

 姉さんには結構重荷を背負わせていたような気がするけど。

 多分、僕にとって姉さんは特別なんだろう。

 だからといって両親や友達を信用していないということでもないんだけど。

 言葉にするのは難しいな。


「僕は別に不満なんてなかったしなぁ。

 やるべきことがあって、頓挫してもその度に解決策を模索するだけだし」

「……それが、周りからすれば心配になる理由だ。

 普通の人間は失敗すれば諦めるか、再度挑戦するにしてもその度に心が摩耗する。

 そして不満を持ち、将来を悲観し、誰かに打ち明けようとするのが当たり前だ。

 だがおまえは多くの困難を自分の力だけで乗り越えてしまった。

 誰に愚痴を垂れるでも相談するでもなくな。

 誰かに何かを頼んだり話をする時、すでにおまえの中には目標や目指すべき方向が決まっている。

 それはな、相談とは言わない。ただの建設的な話し合い、議論、あるいは報告だ。

 しかも黙々と正しい道を自分で見つけ、その解決方法を自分で探して、実行している。

 つまり誰の力を借りずとも、大抵のことを自分だけで完結してしまっているということだ。

 今回のことに関してもだ。

 ほとんどシオンが治療をしただけで、周りの人間は大したことはできなかっただろう。

 それは仕方がないとしても、やはり力になりたいと考えるものだ。友人ならばな」


 そんな風に、見られていたことに僕は驚きを隠せない。

 言われてみればそうなのかもと思う部分もあった。

 悩みを明かさない友人を心配するのは当然のことなのかもしれない。

 彼女は僕を見てくれている。

 それが嬉しかった。


「友人なら、か。ラフィは本当に僕を心配してくれたんだね」

「友人ならばこれくらい当たり前だ。

 あまり無茶はするなよ。私にできることは少ないが、それでも必ず何か力になれるはず。

 傍には私がいると、覚えておいてくれ」

「うん、ありがとう。きちんと覚えておくから」


 僕がにこにこと笑うとラフィは気まずそうに視線を逸らした。

 こういうところはコールと似ているような気がする。


「卑怯な奴だ、本当に。そんな顔をされてはこれ以上は何も言えん」


 言葉とは裏腹にラフィは柔和な笑みを浮かべる。

 コールも言っていたけど、僕の周りにはいい人が集まってくれている。

 ありがたい。

 人に恵まれているということを忘れちゃいけないな。


「ありがとう、ラフィ」

「いい。気にするな」


 当たり前のことだ。彼女の顔はそう言っていた。

 軽い調子で返されると、何も言えない。

 彼女には色々と世話になっている。

 これが当たり前じゃないってことを、理解しておかないといけない。 

 何かあった時、なくても何か返したいところだ。

 時間ができたら、食事にでも誘おう。

 イストリアでも、王都でも、どうも時間がなくて、友達と一緒に過ごす時間は短かったし。

 一緒にいても仕事や任務の話ばかりで、友人というよりは同僚みたいな感じだったからね。

 その内、ゆっくりできる時にはラフィを誘おうかな。

 なんて考えているとなぜか怒っている姉さんの顔が頭に浮かんだ。

 そして胸元に光る赤い首飾りが光った気がした。

 いや、気のせいか。

 ただ光を反射しただけだ。

 父さん、母さん、姉さん、それに他のみんなは元気だろうか。

 また会いたいな。


「とにかくもう少し休め。体調がよくなったら城に報告に行けばいい。

 怠惰病に関しての仔細を話すべきだろうからな」

「うん、わかったよ、ありがとう」

「ああ。それでは私は帰る。仕事があるからな。しっかり休めよ」


 ラフィは手を上げて別れの挨拶をすると、部屋を出て行った。

 今までずっと付き添ってくれていたんだろうか。

 ラフィはそういうことを一切言わないからな。

 自分が辛い時もあるだろうに。

 誇らしく、頼りがいがある友人のことを思い、僕は身体を起こす。

 お腹が空いた。

 外にウィノナがいるだろうか。

 食事を作ってもらおう。

 そう思い、部屋を出た。

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