第89話 格の違い
「――断ります」
音がなくなった。
静まりかえった空間でフリッツのこめかみがピクッと動いた。
「気のせいですかねぇ? 今、断ると聞こえたような」
「断る……と、言ったんです……」
再びフリッツのこめかみがピクピクと動いた。
空気が一気に張りつめる。
「状況わかってますかぁ? あなたが断れば、どうなるか。
あなた勘違いしてます? 自分が二侯爵なのだから、断ってもいいと思ってますかぁ?
いいや、あんな地位は、女王が勝手に決めただけの中身のないもの。
誰もあなたのことを認めてなんていないんですよぉ。
そしてこの女王の命は、女王独断のものじゃないんです。この違いわかりますぅ?
女王の後ろ盾があるから、女王の命に逆らっていいということじゃないんですよぉ?
さっきのは脅しじゃない。貴族に恥をかかせただけで、極刑に値するんです。
平民を優先して、貴族を蔑ろにしたら……家族もろとも処刑になるかもしれませんよぉ?」
「そんなこと……知ったことじゃない……!」
「じぇぇいッッ!!」
フリッツは気勢と共に剣を抜いて、僕の首元に刀身を添えた。
悲鳴が室内に響いた。
「クソガキの癖に調子に乗るなッッ!
たまたま怠惰病を治療できた程度の雑魚が、何を偉くなったと勘違いしてんだ、あぁっ!?
てめぇはただの道具なんだよぉ。怠惰病治療ができなけりゃただのガキでしかねぇ。
舐めた真似してんじゃねぇぞッッ!」
殺気が僕に向けられている。
フリッツの後方で貴族達は僕を見下すような視線を向けていた。
自分の息子の治療を任せる相手にするような目じゃない。
本当に彼等にとって平民は奴隷のようなものなのだろう。
ふつふつと込み上がる。
込み上がって止められない。
この感情は一体なんだ。
今まで感じたことがない。
こんなどす黒く、重く、禍々しい感情は。
不思議と身体に力が戻る。
いや麻痺してくる。
僕は『立ち上がった』。
フリッツの殺意を真っ向から受ける。
「舐めた真似をしているのはそっちだ!
平民? 貴族? アドン? 女王の命?
そんなのはどーーでもいいんだよッッ!
僕は命令だからここにいるわけでも、怠惰病を治療してるわけでもない!
僕が、そうしたくてここにいるんだ! 僕がそうすべきだと思っているから治療しているんだ!
女王の命令だから? そんなのはどうでもいい!
女王の命だとしても納得しなければ従わない! ただ拒否する理由もないから従ってただけだ!」
「な、んだと、貴様ぁぁっ! 貴族を! 王族を! 馬鹿にするかァッ!」
「知ったことじゃないッッ! 僕は僕が決めたことしかやらない!
極刑にする? 家族も処刑にする? やってみろよ、クソ野郎。
そんなことしたら、僕は地獄の果てまででも関わった全員を追って、報いを受けさせてやるッッ!
貴族だろうが、女王だろうが、魔族だろうが関係ない!
全力で、どんな手段を使っても絶対に許さないッッ!」
この感情に身を任せる。
汚らわしくもどこか心地いい感情に。
僕の体温はあがり、脳は沸騰しそうだった。
フリッツは鬼の形相で僕を睥睨する。
顔を赤らめ、震えていた。
「こ、ここ、このガキがあぁっ! こ、ここまでの不敬、タダで済むと思うな!
貴様はここで僕自らが処刑してくれるっ!」
「やめろぉぉぉーーーッッッ!!」
ラフィの叫びが虚しく響く。
フリッツは感情のままに体重を後方へ流し、僕の首に添えられていた剣を一気に引いた。
「きゃああああっ! シオン先生--っ!!」
悲鳴が再び部屋に響き渡る。
誰もが手で目を覆い、悲しみに脱力し、声を張り上げていた。
フリッツは嬉々として口角を上げる。
そして僕を見上げて、その表情は凍った。
「な、なぜ、生きて」
僕の首には少しの傷もない。
普通の人間ならば確実に頸動脈を寸断されていただろう。
しかし僕には魔力の膜がある。
少なくなった魔力でも集中すれば外部からの攻撃から身を守ってくれる。
シールド。
僕が持っている魔法の一つ。
大した腕もない騎士もどきの剣技程度であれば、完全に防げる。
わなわなと震えるフリッツに向かい、僕は一歩踏み出す。
「おまえは三つの間違いを犯した。
一つ、僕を脅迫した。僕は脅迫に屈しない。むしろ嫌悪している」
一歩フリッツに近づいた。
フリッツは恐怖に顔を歪ませながら一歩下がった。
「二つ。僕の家族を脅迫の材料に使った。
僕は家族を大事にしている。その家族を汚した奴を僕は許さない」
「ひっ、ひぃっ!?」
一歩前へ。
フリッツは下がるが、後ろには壁があり、それ以上は下がれない。
「三つ。おまえは『クソガキ』の癖に調子に乗った。
調子に乗ったガキにやることは一つしかない」
僕は全身に巡る感情の正体に気づいていた。
これは怒り。
圧倒的な怒りだ。
今まで感じたことがない感情。
思い出す限りでは一度も怒った経験がない。
しかしあまりの疲労と、色々なストレスと、身勝手な連中の態度と、理不尽な状況と、必死に抗う人達に降りかかる不幸と、そして今までのすべてが積み重なり限界が訪れた。
簡単に言おう。
つまりキレた。
「う、うわあーーーっ!」
フリッツは僕の圧力に押されたのか剣を振りかぶった。
あまりに遅く、稚拙な動き。
姉さんや父さんと比べると欠伸をしても躱せる。
だが、そんなことをする必要もない。
剣が僕の顔面に落ちてくる。
僕は避けない。
そして。
『僕は剣ごとフリッツをぶん殴った』。
「げびぅっっ!?」
刀身が砕かれ、僕の拳はフリッツの顔面にめり込む。
頭蓋が歪む感触が肩まで伝わる。
フリッツのすぐ後ろにある壁が衝撃で吹き飛んだ。
フリッツは壁を突き抜ける。
数メートル飛んでようやく勢いがなくなり地面に落下すると、そのままゴロゴロと転がって、反対側の壁に激突すると止まった。
「お仕置きだ。クソ野郎」
僕は吐き捨てるように言うと、フリッツの部下達を睨んだ。
奴らは顔を見合わせると、フリッツを抱えてへこへこしながら帰っていった。
残ったのは貴族の両親とその息子。
平民だけの中に、貴族三人が護衛もなしに残されてしまった。
奴らはようやく状況を理解したのか、途端に狼狽えはじめた。
「おい。そこの肥満のおっさんと時代遅れのザマス女」
これは僕である。
「だ、誰のことを言っている! 我々はアドンの大貴族――」
ふんぞり返っている馬鹿貴族を僕は睨みつけた。
「知らねぇよ。黙ってろ。次言葉を吐いたらぶん殴るぞ」
「…………すみません」
さすがに状況がわかったらしく、太った貴族の父親はふんぞり返ったまま謝った。
「最後に治療してやるから大人しく待ってろ。騒いだら治療しない。いいな?」
「な、何を言っているザマス。最初に息子ちゃんを治療するのが――」
「あ?」
「…………わ、わかったザマ……わかりました」
ザマスの母親は汗を垂れ流しながら言った。
まったくなんでこんなくだらないことで時間を消費しないといけないんだ。
みんなも怖がってるじゃないか。
僕は椅子に座ると目の前にいる患者を治療した。
怒りのせいか、身体が軽い。
さっきまで死にそうなくらいの眠気と怠さがあったのに。
しかし誰も動かない。
今まで看護師達はすぐに患者さんを運んでくれていたのに。
ウィノナはあんぐりと口を開けたまま。
ラフィでさえ、呆気にとられて僕を見ている。
なんだろう。
もしかして……やりすぎてしまったんだろうか。
正直、感情的になりすぎて、自分がやったことを客観的に理解できてないんだけど。
大変なことをしちゃったんだろうか。
ああ、別に父さん達の心配はしてない。
父さんは滅茶苦茶強いし、姉さんもリハビリが終わったら戦える。
グラストさんもいるし、他にも頼りになる人がいる。
女王相手となれば抗えないかもしれないけど、こんなことで理不尽に処刑をしたりはしないだろう。
もしそうなれば僕の全力を以て戦う。
魔法の恐ろしさは僕が一番わかってる。多数相手でも引けを取らない。
それはそれとして、だ。
大立ち回りをしてしまったから、みんな、引いているのではないだろうか。
まずい。
これまで築いた僕のイメージが。
と、とにかくいつも通りにしないと。
僕はできる限り、自然な笑みを浮かべながら、次の患者の前に移動した。
ここまでくれば待つよりも、自分で移動した方が早い。
身体も元気だし。
この勢いに任せて治療を続けよう。
そうした時。
「うおおおおお! シオン先生、すげぇっ!」
「か、格好いい! シオン先生、格好よかったぞ!」
「スカッとした! 先生があいつをぶっ飛ばしてくれて!」
「騎士なんて偉そうなくせに何もしない奴らばっかだからね!
ほんと、あいつが吹き飛んだ様を見た時は、胸がすく思いだったよ!」
一気に沸き立つみんな。
あれ? 受けてる?
引かれたかと思っていたのに。
この土地に暮らす人たちにもいろいろあるのだろうか。
まあ彼等が嬉しそうだからいいか。
と、気が抜けたのか足がふらつく。
あら、ダメだ。
どっと疲れが……。
誰かが後ろから支えてくれた。
ラフィだ。
「また無茶をする奴だ」
「あ、ありがと」
「限界間近の状態で力を出せば本当に死ぬぞ……。さっさと治療をして休め」
「……うん、そうするよ」
ラフィに支えられ、治療を続けた。
その後、僕は何とかすべての患者を治療することに成功した。
王都サノストリアにいる怠惰病の患者達、総勢1万人を治療できたのだ。
僕は最後の患者を治療すると同時に、気を失った。
怒りのおかげで残っていた気力や活力や体力や魔力が何とかもっていたらしい。
精根尽き果てて、意識を絶つ寸前、みんなの笑顔と心配そうな顔が目に入った。
僕は幸せを感じつつ、ようやく眠りにつけた。
これで憂いはない。
やりきった。
達成感と幸福感を抱き、僕は意識を手放した。
ちなみに馬鹿貴族達の息子は最後に治療した。
相手が誰であれ約束だったからね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます