第84話 最適化

 第二怠惰病患者収容施設。

 すでに深夜。

 しかし治療は続いている。

 大部屋には僕とウィノナ、患者とその家族、そして付添いの医師と看護師がいる。

 さらに後方には幾つものベッドが並びそこに患者達が横たわっている。

 彼等の傍には家族達が不安そうな顔をして待っていた。

 こんな時間に治療をしているのは僕が提案したからだ。

 しかし、患者の家族も一も二もなく了承してくれた。

 彼等からすれば少しでも早く治療してくれるならありがたい、ということなのだろう。

 イストリアでの治療でも、深夜や早朝に診療所を訪れた家族達がいたことを思い出す。

 誰だって家族を早く治して欲しいと思うものだ。

 それは僕にとってありがたかった。

 治療時間の延長を頼むことで時間を費やせば、本末転倒だからだ。

 僕は患者を見下ろす。

 二十代の男性だ。

 家族は若い女性と熟年の夫婦。

 彼の両親と婚約者らしい。


 僕は不安そうにしている家族達の視線を受けつつも動揺せず、いつも通りに患者の胸元に手を置く。

 ただし『左手』だ。

 いつもは利き腕である右手を置くようにしている。

 僅かな感覚を見逃さないために、慎重を期して右手を使っていた。

 だが過去に数千人もの治療を終えているため、右手による治療に関してはかなりの熟練度があると自負している。

 しかしその右手からの魔力供給具合に関しては停滞しつつあった。

 多数の経験により、魔力供給の感覚が手に取るようにわかっているからだ。

 右手の魔力供給の成長は頭打ちらしい。

 すでにこの施設での治療は200人以上を治療している。

 その200人で、今までの経験を活かしてより迅速な右手での魔力供給を試した。

 普段は5ずつ魔力をゆっくりと増やして、魔力が患者の身体に満たされれば、供給を絶つ方法を取っている。

 失敗の可能性を減らすためだ。

 しかしそのやり方では圧倒的に時間がかかってしまう。

 できるだけ無駄を削り、そして安全に治療を終える必要がある。

 今までの治療方法で無駄な部分は幾つかあった。

 まず『基本的に患者の魔力は100から300程度』だということ。

 100を下回ることは一度もない。

 これは子供でも同じだし、性別も関係ない。

 魔力を持つ人間ならば必ず100以上の魔力を内包しているのだ。

 つまり100までは慎重にすることなく魔力を供給していいということ。

 100の魔力の感覚は僕がもっとも覚えている感覚に近い。

 なぜならば今の魔力量になる前、僕の体外魔力放出量は90までだったからだ。

 毎日数十回やってきたことだ。

 眠ってでもできるくらいだ。


 80辺りまで魔力を一気に供給する。

 もちろん、いきなりではなく、何回か実験して、問題ない速度を確認する必要はある。

 急激に供給することで悪影響が出る可能性もあるからだ。

 結論から言えばそれはなかった。

 結局、100まではかなり短い時間で供給することになり、平均的に20秒ほどを短縮することができた。

 あくまで100から300という魔力量を持つ患者という前提で、ある程度の患者の数を想定し、平均した場合の全体的な短縮時間だ。

 患者が魔力量100で足りる場合はすぐに治療できるためだ。

 患者が100人いれば2000秒、つまり約33分ほど、短くできたということ。

 一日に治さないといけない人数が700人だから231分、つまり3時間51分ほどの短縮ができるということだ。

 これは大きい。

 実際1400分かかる治療が1169分、19時間29分で治療が可能。

 最悪、睡眠時間を3、4時間で、休憩を短くすれば治療できる――ように見えるかもしれないが、そうではない。 

 まず治療時間以外の時間がかかる。

 移動である。

 施設内の移動と、次の施設の移動。

 施設内の移動は近い場合は数秒、遠い場合は十数秒はかかる。

 一回であれば大したことはないが、700回ともなればかなりの時間になる。

 そして700という数字は一施設内の人数としては多く、必然的に施設を三つは移動しなければならない。

 その移動時間は十数分。

 つまり右手治療による効率化で生まれた時間は移動時間によって費やされることになる。

 これへの対処はすでにしている。

 イストリアもそうだったけど、今までは患者達がいる部屋に僕が移動して治療をしていた。

 治療を終えると、新たに外から患者を運び、部屋の患者は自宅や別の診療所へ移送される。

 それが基本の形だった。

 王都サノストリアでは治療後の患者は移送されるという部分は、適用されていなかった。

 治療後もそのベッドで過ごし、術後の経過を確認するというわけだ。

 かなり親切で丁寧な対応だと思う。

 しかしこの対応は、あくまで手厚い患者へのフォローであり、必要不可欠な部分ではない。

 僕は治療を終えたからと後は放置するべきだと思っているわけではない。

 効率化を求めるべきだと考えているだけだ。


 そこで僕は、施設の中で最も大きいと言われる第二怠惰病患者収容施設を基点として、他の収容施設からこの施設へ患者を運んでくれるように頼んだ。

 かなりの負担を強いることになるが、イストリアではこれが普通だったし、何より治療するとなった場合、誰もが早く治して欲しいと思うためか不満は上がらなかった。

 第二施設に常に滞在する形だが、医師達はそれぞれの施設担当の医師達と交代することになる。 大きな負担はあるが、怠惰病患者を運ぶことはそれほど難しくないし、何よりそれで患者の病状を悪化させることはない。

 一応、僕は女王の命でここに来ているため、多少の融通は利くらしく、患者の移動が難しいという場合は馬車を用意することもできるようになった。

 結果、第二施設に第三以降の患者達を順々に集め、治療に当たることとなった。

 治療を終えると、それぞれの施設に帰ることになる。

 ちなみに第二施設の患者達は治療後、新設の別の施設に収容されるか自宅へ戻るかのどちらかになった。

 更に治療の際に、僕が移動する時間もなくすため『第二施設で最も大きな部屋に患者を移動させてもらう』ようにした。

 順々に治療し、治療終えた患者は元の施設へ移動させられる。

 僕は隣のベッドの患者を治療し、その間に空いたベッドには待機していた患者が運ばれるわけだ。

 こうすることで僕は室内を移動するだけで次々に患者を治療することが可能となった。

 これらの対処により、移動による無駄な時間を短縮することが可能となった。

 現時点で一日に約1200分の時間を取れば、最終的には一万人全員の患者を治療することが可能なはずだ。

 だが、そんな簡単なものではない。

 僕の魔力は百万、一日の消費魔力は最低でも七万で、最大で二十一万。

 魔力は十分足りるし十分に休めば魔力も回復するはずだ。


 では何が問題なのか。

 それは十分に休めないことだ。

 魔力量が一万の時の例をあげよう。

 魔力を半分、つまり五千ほど消費した場合、一日八時間ほど休めばかなり回復するが、完全に回復するかどうかは微妙な線だった。

 休みには質があり、時間はその条件としては重要だが、絶対的な物ではない。

 質のいい睡眠を数時間できれば回復量も増えるが簡単なことではない。

 では現在の魔力量ではどうか。

 かなりの量があるため、半分の魔力を使用した場合、普通に休養しても完全には回復しない。

 半分の五十万を消費した場合、八時間寝ても半分回復するかどうかだろう。

 一万の時と百万の時では回復速度や必要な回復の質は変わっているということ。

 百万なんて魔力を使うことは早々ないし、イストリアでの治療に関しては睡眠時間をかなり貰っていた。

 僕が倒れたら意味がないという風に周りから説得されたことも大きな理由の一つだが、僕自身、きちんと休養しないと魔力が十全に回復しないと気づいていたからだ。

 それに身体や精神の疲労度によっても回復量は変わってくる。

 くたくたの状態と元気な状態で、同じ時間睡眠をとった場合、後者の方が圧倒的に回復量は多いのだ。

 確保できた240分の内、3時間程度を睡眠にあて、後の50分程度を休憩にあてるとしよう。

 一日の19時間を治療にあてれば、かなり疲弊する。

 魔力を消費することは体力を消費することでもある。

 そんな状態で3時間の睡眠しかできず、それが二週間続いた場合。

 まず間違いなく、いずれ魔力が枯渇する。

 あくまで現時点での計算だが、恐らくは十日後くらいには魔力がなくなり、治療をすることができなくなるだろう。

 そうなったら魔力枯渇状態に近くなり、僕に治療をする意志はなくなる。

 正に本末転倒だ。

 これでは意味がない。


 そこで考え付いたのが『左手を使う』ということだった。

 さて、長々と説明したが、ここで本題に戻ろう。

 この第二施設の大部屋で、僕は左手で患者を治療中だ。

 時間は今まで以上にかかっている。

 だがこれは必要なことだ。

 いつもの倍ほどの時間をかけて、僕は患者の治療をした。


「こ、こ、は……ど、こだ?」

「は、話した。あ、あの子、話したわよ!」

「あ、ああ……話した。は、話したぞ。いつもの、通りに……」

「……ヘンリー……ううっ」


 治療できたのだとわかり両親は泣きじゃくり、婚約者は彼に縋って泣いた。 

 よかった。治せたようだ。

 もちろん適当にやったわけじゃないし、少しでも問題があれば中断するなり、右手で治療するなりするつもりだった。

 危険なことはない。あればすぐに察知できるくらいには僕は治療経験を積んでいる。

 左手の治療は『まったく問題なかった』ようだ。

 ただし時間はかかった。

 『両手同時に治療することは可能のようだ』。

 右手の治療が1分40秒程度だとすると、左手は4分程度。 

 右手の治療が終わっても、左手の治療は継続されるので、右手の治療をしていた患者を移動させて、左手の患者はその場に残ってもらうことになる。

 この場合、負担がかかるのは看護師達だ。

 移動のため、一人一人を僕の近くにベッドに運ぶ必要がある。

 それはそれで仕事なのだから、遠慮する必要はないかもしれない。

 彼等も患者の治療を早くすることを望んでいるのだから。

 両手で治療すれば右手で二人治す間に左手で一人を治せる。

 おおよその計算で932分、約15時間32分程度ですべての患者を治療できることになる。

 一日の余裕が、8時間以上もできるのだ。

 しかしこのままでも休憩や不測の事態のことを考えるとギリギリだろう。

 それに初日の治療人数がまず足りていない。

 現時点で400人ほど治療しているが、深夜を回っており、300人程度の治療が遅れている。

 400分、6時間40分ほどの時間が余分に必要になる。

 二週間あればそれくらいの時間は取り返せるだろうが、現時点の必要時間を考えるとカツカツだし、余裕はない。

 それにまだ左手の治療に慣れておらず、いきなり両手での治療をするのはまだ不安が残る。

 後100人程度は試したいところだ。

 その間はいつもの倍の時間が必要になる。

 そう考えると、どんどん時間がなくなっていく。

 時間に追われている。

 とにかくやるしかない。

 僕の治療中、ウィノナもずっと付き添ってくれていた。

 僕は次の患者を治療しながら背後のウィノナに言った。


「何度も言うけど、ウィノナは自由に休憩していいから。

 治療の手伝いに関しては看護師さん達に頼むから大丈夫だよ」

「い、いえここにおります。わ、わたしはシオン様の侍女ですので」


 これである。

 休んでいいと言っても、僕が休まないのなら休まないと頑なだ。

 明らかに怯え、僕との間に壁を作っているのに、僕を主人として扱うことは揺るぎない。

 彼女の矜持なのだろうか。

 それとも仕事だからと割り切っているのか。

 何度言ってもこれだし、何を言ってもダメだろう。

 悪いとは思うけど、僕は患者の治療を優先させたい。

 全力で治療を続ければ、きっと道は開けるはずだ。

 僕は患者を治療し、感覚を掴もうと神経を研ぎ澄ませた。

 強い意志と共に。

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