第80話 侍女と護衛とご主人様と

 僕、ラフィ、ゴート隊長と数名の兵士が並んで見上げている。

 他の兵士達はすでに王都の兵舎に移動しているようだ。

 正面にあるのは家である。


「家だね」

「家だな」

「家ですな」


 家である。

 それは間違いなく家である。

 問題はそれを『見上げている』ということだ。

 僕の自宅よりも大きい。

 左を見ると窓が三つある。

 右を見ると窓が三つある。

 左上を見ても三つ、右上を見ても三つ。

 つまり正面から見えるだけでそれだけの部屋があるということだ。

 広い。

 滅茶苦茶広いのだ。

 バルフ公爵家には遠く及ばないが、一貴族の、しかも僕だけの家だとすれば大きすぎる。

 聞くに部屋数は二十ほどあるらしい。

 もちろん台所、風呂、トイレまで完備している。

 まあ水洗ではないけど。

 いや、それはどうでもいいのだ。

 問題は家がでかすぎるということ。

 どうしよう。

 予想では数部屋しかない家かと思っていたのに。

 まさかこんな豪邸だとは。


「さて、シオン。私達はここで失礼するぞ」

「うむ。ご自宅までシオン様を届けることになっておりましたので」

「ええ!? 帰るの!? 僕一人でこのだだっ広い家に住むの!?」


 ラフィは真剣なまなざしを僕に向けて、がしっと肩を掴んだ。


「これから何があるかはわからない! だがシオンならばきっと乗り越えられる!

 私はそう信じているぞ!

 別に、思ったよりも話が大きくなり、しかも二侯爵なんて地位を貰ってしまったシオンと一緒に行動すれば色々と面倒なことになりそうだと思っているわけじゃないからな! 本当だぞ!」


 嘘だ! 目が泳いでる!

 面倒なんだ!

 気持ちはわかるけど、わかるけど!


「じゃあな! シオン! 残念ながら我々は王都警備の仕事があるのでな!

 これからは一人で行動してくれ! ではな!」

「申し訳ありません、シオン様。我々は国に仕える身!

 命令には逆らえないのです! では、ここで!」


 ばっと手を上げるラフィとゴート隊長とついでに他の兵士達。

 なんて薄情な。道中のやり取りはなんだったのか。

 ラフィ達は瞬間的に立ち去っていった。

 なんという素早さ。

 なんという変わり身の早さ。

 ラフィ、君への評価を僕は変えたよ。

 思った以上に冷たいんだなってね!


「はぁ、でもここまで付き合ってくれただけでありがたいよね……。

 ラフィに頼りきりでもいけないし。一人で頑張るしかない、か」


 僕は無理やりに思考を前向きにすると、無駄に豪華な玄関を眺めた。

 家の正面には中庭があって、実家よりも広い。

 芝生や植物、家回りの状態を見え、かなり手入れが行き届いていることは間違いない。

 誰がしてくれたんだろうか。

 そんなことを考えつつ、僕はなぜか恐る恐る扉を開いた。

 鍵はかかってない。

 ゆっくりと扉を開く。

 と。


「お、お、おお、おかえりなさいませ、ご、ご主人様!」


 玄関口で待ち受けていたとばかりに、がばっと頭を下げる女の子が一人。

 黒髪のサイドポニーテールでやや小柄。

 メイド服を着ている。

 身体の線があまり出ない服装なのに胸の膨らみが強調されている。

 スタイルがいいことは間違いない。

 しかし顔は少女の面影が色濃く残っており、恐らくは十五、六歳程度だろう。

 僕の肉体年齢は十三歳。

 僕にとって彼女は年上だけど、彼女はかなり童顔だったため同年齢のような感覚に陥った。

 彼女は顔を上げると、なぜかびくっと肩を震わせた。


「も、もも、申し訳ありませんっ!」


 呆気にとられたままを見て女の子は慌てて再び頭を下げた。


「え? あ、いや、何で謝ってるの?」

「い、いえ、お、怒ってらっしゃるのかなと、お、思いまして」


 びくびくとしながら彼女は言った。

 なぜこんなにも怯えているのだろうか。

 そんな目を白黒されても困ってしまうのだけど。


「いや、怒ってな――」

「じ、自己紹介を! あっ、し、しし、し、失礼しました」


 完全に僕の言葉と被ってしまい、またしても恐縮してしまった。

 間が悪いというか、挙動不審というか。

 怒ってないのに、なぜか怒っていると思われているらしい。

 とにかくこのままじゃ話が進まない。


「えーと、僕はシオン・オーンスタイン。君は?」

「わ、わたしはウィノナ……と申します。

 オ、オーンスタイン様のお世話をするように仰せつかっております。

 こ、これから侍女として、オーンスタイン様にお仕えするようにと」

「侍女!? お世話!?」


 そういえば、女王がそんなことを言っていたような。

 爵位やら家やらがインパクトが強すぎて聞いてなかった。

 侍女を与えるとか言っていたことを。

 ああ、なんてことだ。

 侍女なんて、扱いに困るじゃないか。


「い、いや、僕は一人で大丈夫なんだけど」

「そ、そそ、そんな! ど、どうか、お、お傍に!

 な、なな、何でもしますから! な、何でも!

 で、ですからお傍に置いてください! お願いいたしますぅぅっ!」


 ウィノナは必死の表情で何度も頭を下げた。

 まさかそんな反応をするとは思わず、僕は狼狽えてしまう。


「ま、待ってよ。そ、そんな頭を下げられても――」

「お、お願いいたします! どうか、どうかご慈悲をっ!」


 泣いてる。

 滅茶苦茶泣いてる。

 号泣一歩手前くらいに泣いている。

 それくらい必死に懇願されてしまった。

 彼女がこれほど必死になる理由はわからないけど、考えてみれば彼女は女王の命令でここにいるのだろう。

 もしも彼女を返してしまったらどうなるんだろうか。

 女王から与えられた『者』を突き返すことになる。

 そうなったら女王の厚意を無碍にしたことになるわけで。

 無駄にへりくだるつもりはないけど、女王を蔑ろにするつもりもない。

 僕はただの人間で、ただ魔法が使えるだけの人間だ。

 もしも僕が何かしらの失態をすれば家族に害が及ぶ可能性もある。

 僕は一人じゃないし、僕自身にもできることには限界がある。

 身勝手な行動はとるべきではない。

 それに……こんな状態の女の子を放ってはおけない。

 単純に可哀想だし。

 ああ、でも侍女ってことは僕の部下のような存在ができるってことだ。

 息が詰まるかもしれないし、何より彼女に悪いという思いが出てしまう。

 侍女という立場からすればそんな風に思われても困るかもしれないけど。


「ううっ、どうかおねがいじまずぅ」


 ウィノナは鼻水を流す勢いまで来てしまった。

 腰に抱き着いてきたウィノナの感触を楽しむ余裕もなく、僕は無意識の内に彼女の顔を押さえる。

 同情と同時に、ちょっと怖いくらいの迫り方に、僕は根負けするしかない。


「わ、わかった! わかったから!

 ごめん、僕が悪かった! お、お願いするから! だから離れて!」

「ほ、ほんどうでずがぁ! ほんどうなんでずでぇ!?」

「ほ、本当だから! だから落ち着いて! ね!?」


 僕の叫びを聞き、ようやく落ち着いてきたのか、ウィノナはゆっくりと僕から離れた。

 彼女は嗚咽を漏らしつつ涙を拭いて、姿勢を正す。


「で、では……こ、ここ、これからお世話させていただきますのでぇ」

「う、うん。よろしくお願いします」


 本意ではないけれど。

 しょうがない。

 僕は妥協しつつも、大きな不安を抱えていた。

 これからの生活がどうなるんだろうか。

 平穏な生活はなさそうだ。

 わかってはいたけど、ここまで色々とありすぎて、僕の許容量を超えつつある。

 もうこれ以上、不測の事態は起こらないで欲しいけど。


「で、では、わ、わたしが、こ、これからの予定を、お、教えし、します。

 オーンスタイン様は、こ、これから、こ、こここ、ここ、ここ」


 ウィノナの顔が真っ赤になる。

 これは緊張からだろうか。

 怯えているのだろうか。

 あるいはどっちもなのだろうか。

 目を泳がせて、肩を震わせて、汗をだらだらと流して、しまいには上半身をぐらぐらと左右に揺らし始めたウィノナを見て、僕は妙な諦観を抱いた。

 ああ、この子ってこういう子なのだ。

 多分極度の緊張体質なんだろう。

 というか僕に怯えてるんだろうけど。

 とにかく冷静になってもらわないと困る。


「まずは落ち着こう。はい、深呼吸! すー、はー、すー、はー」


 僕は両手を広げて閉じて、広げて閉じてを繰り返す。

 それを見てウィノナも同じような動作を始める。


「す、すー、はー、すー、はー……あ、お、おお、落ち着いてきました」

「よし。じゃあ、ゆっくりでいいから、予定を話してくれる?」

「も、もも、申し訳ございません! お、お手数をおかけして」

「うん。大丈夫だから。大丈夫だから、ゆっくりでいいから、予定を話そう。ね?」

「ううっ、お、怒ってますよね? お、おお、怒ってらっしゃいますよねっ?」

「いやいや怒ってないよ。まったく」


 ただ早く話して欲しいだけ。

 怒りも呆れもない。

 ただ困ってるだけだ。

 しかし彼女はそうは思わなかったらしく、またしても涙目になってしまった。


「お、お慈悲を! ば、ばば、ば罰は、お許しください! どうか、ど、どうかっ!」

「罰なんて与えないから! 怒ってもないから!

 ただ予定が聞きたいだけだから!」


 僕は必死に説明したけど、ウィノナは地面に座り込み、ぐすぐすと泣き出した。

 傍から見たら、傲慢な主人がメイドを叱っているように見えなくもない。


「お、怒ってないんですか?」

「何度も怒ってないって言ってるよね!?」

「や、やっぱり、怒ってらっしゃいますぅ! むむ、む、鞭打ち百回されるんですねぇ。

 い、いえ、それともまさか淫らな命令をされるのですか……。

 わ、わたし、まだ男性に触れられたこともないのに……う、ううう、ううっ」

「しないって言ってるでしょ! 怒ってもないっての!」


 ウィノナという少女に対して、僕はすでに一つの印象を抱いていた。

 この娘。

 面倒くさい!

 出会って数分でわかってしまった。

 このメイドと付き合っていくことの大変さを理解してしまった。

 ああ、もう帰りたい。

 でも患者達は一杯いるし、やるべきことは一杯ある。

 帰りたいけど帰れないし、帰るわけにもいかない。

 わかっているからもう諦めるしかない。

 僕は懇願するようにウィノナの肩をかしっと掴んだ。


「ひっ!?」

「お、お願いだから、ね? 予定、話して?

 もう怒ってると思われてもいいから、話して……お願いします」


 短時間でかなり疲弊してしまった。

 僕は脱力しながら視線を落として言った。

 その行動が功を奏したのか、ウィノナは怯えつつも説明を始めてくれた。


「ううっ、は、はい。

 こ、ここ、これからオーンスタイン様は、か、患者が集められている専用施設に移動していただいて、そ、その後、怠惰病治療をしていただくことになっています。

 お、おお、王都内ではありますが、ね、念のために護衛として十名ほどの兵が迎えに来るとのことです。

 か、彼等と共に、こ、今後は移動することになりますぅ」


 家の中も、外も監視がつくのか。

 なんてストレスが溜まる環境なんだ。

 しかも魔法を使うな、とも言われたし。

 拷問だ。

 女王は僕に恨みでもあるのだろうか。


「治療をするのは問題ないんだけど、どんな内容なのか聞きたいんだ。

 期限と治療時間、それと環境、人員……最も重要なのは患者の数はどれくらい?」

「き、期限は今日より二週間。

 そ、それ以降は怠惰病治療の研修会の、じゅ、準備などに割いていただくことになっています。

 治療時間は特に定められてはいません。

 か、環境や人員はイストリアからの情報を元に、整えておりますので問題ない、と思われます」

「患者の数は?」

「げ、げげ、現時点で一万ほどとのこと」

「一万!?」


 イストリアの怠惰病患者は三千人程度だった。

 それでも一週間ほどかかったのだ。

 それが一万。

 しかも期限は二週間。

 単純計算で六千人しか治療できない。

 残りの四千人は治療できないということになる。


「……患者が残った場合は?」

「後日に回せ、とのことです……。

 怠惰病自体は直ちに命に関わる病ではないため、そ、その、優先順位を後回しにしろと……」

「行こう」


 僕は鞄をその場に置いて、すぐに玄関へ向かう。

 ウィノナは慌てて僕の隣に駆け寄ってきた。


「い、行くとは? も、もう向かわれるのですかっ?

 し、しかし護衛の人達を待てとの指示が」

「時間がない。できるだけ早く患者達を治したいから」

「で、ですが怠惰病は直ちに命に関わる病気ではないと」


 僕は立ち止まり、ウィノナに向き直った。


「だから何かな?」

「ひっ!? も、申し訳ありません、申し訳ありません。怒らないでくださいっっ!

 お許しを! お慈悲をっ!」


 別に怒ってないし、ただ聞き返しただけなのに、ウィノナは一気に萎縮してしまった。

 言葉に棘があったかもしれない。

 本当に憤ってはいない。

 ただ聞き返しただけなんだけど。


「いやだから怒ってないんだけど……確かに怠惰病はすぐに命に関わる病気じゃないよ。

 でもずっと寝たきりの家族がいる人達の気持ちを考えれば、すぐに治してあげた方がいいでしょ。

 金銭的にも精神的にも肉体的にも負担は大きいからね。

 全員をすぐに治せるならまだしも、後回しにする可能性があるんだったら尚更。

 僕にも怠惰病になった家族がいたからわかる。

 大事な人が笑いも怒りも泣きもせず、ただ人形のように生きている姿を見続けることは……辛い」


 ウィノナははっとした表情を浮かべて、すぐに頭を下げた。


「す、すみません。わたし、何も考えもせずに無神経なことを」


 この人、いい子なのかも。

 すぐに謝るなんて簡単にできることじゃない。

 それに相手の心を考えて、考えを変えている。

 ただなんというかちょっと自意識過剰というか、すぐに謝って萎縮する節があるけど。

 悪い人じゃないのかな。


「いいんだ。当事者じゃないとわからないと思うし。

 でもね、だから早く治してあげたいんだ」


 時間がないのならばできるだけ時間を割くことしかできない。

 多少は治療に慣れたとはいっても、効率が著しく上がったわけじゃない。

 治療にはどうしても時間がかかる。

 まさかこんな時間制限があるとは思わなかった。

 全員治療させてくれると思っていた。

 見通しが甘かった。


「それとオーンスタイン様じゃなくて、シオンって呼んでくれる?

 僕の家族もオーンスタインだから、後々面倒なことになるかもしれないからね」

「か、かしこまりました。シ、シオン様」


 まだぎこちないけど、その内に慣れるだろう。

 とにかく早く向かうとしよう。

 そう思い玄関を開く。


「おやおやぁ、これはこれはオーンスタイン二侯爵自らの出迎えですかぁ?」


 嫌味な声が僕に向けられた。

 玄関先にいたのは優男だった。

 腰には剣。小奇麗な服の上に鎧を着ている。

 肩には国章が施されており、それは騎士であることは間違いなかった。

 垂れ下がった目、皮肉めいた表情、妙に長い髪。

 第一印象でその人の評価の大半は決まるというが、僕がこの男に抱いた印象はあまりいいものではなかった。

 二十代前半くらいの年齢だろうか。 

 彼の後ろには十人ほどの騎士が並んでいる。

 彼等が僕の護衛を担う人達らしい。

 男は仰々しく礼をしながら口上を述べる。


「僕は王都近衛騎士隊十二番副隊長のフリッツ・エメリッヒ。

 シオン・オーンスタイン卿の護衛任務の命を受け、参上しました。

 あなたがオーンスタイン卿ですねぇ?」

「……ええ、僕がシオン・オーンスタインです」

「いやはや思ったよりも子供……いえ、小柄な方だ。

 言っておきますが、我々は騎士であり、子守はできませんのでねぇ。

 そこら辺、よろしくお願いしますよぉ?」


 見事なほどの皮肉に、僕は内心で感嘆するほどだった。

 こんなどこの馬の骨ともわからない子供の護衛をするなんて、本人からしたら不本意なんだろう。

 だからといって彼の態度が好ましいというわけではないけれど。

 フリッツ以外の騎士達も、僕に蔑むような視線を送ってきていた。

 騎士様の割には何とも子供じみた態度だ。

 もっと割り切ればいいのに。

 まだ若いからしょうがないのだろうか。

 僕は敢えて、フリッツの嫌味な言動を無視した。


「ええ、問題ありません。

 護衛以外では、あなた達の手を煩わせることはないと思いますので」


 本当は護衛もいらないんだけど。

 女王の命で訪問した僕を放置はできないだろう。

 僕も、フリッツも妥協するしかないわけだ。

 僕の返答を受け、フリッツは笑顔のまま、目元をピクッと動かした。

 なんか気に障ったみたいだ。

 敵愾心を持っている人にどう思われてもいいから、別にいいけど。


「そうですか。それは助かる。

 手のかかる子供よりは、背伸びする生意気な子供の方がマシですからねぇ。

 では、参りましょうか。オーンスタイン卿」


 慇懃無礼にフリッツは僕を正門へと促した。

 僕は気にした素振りを見せずに正門へ向かう。 

 ウィノナはおどおどとした様子で僕達に続く。

 彼女もついて来るらしい。

 侍女だから当然なんだろうか。

 ただでさえ問題が山積みなのに、厄介ごとが増えていっている気がする。

 僕は内心で大きくため息を漏らし、気を紛らわせるように歩を進めた

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