第51話 バルフ公爵

 そこは華美な応接間だった。

 目に入るものすべてが高価であることは明白で、ソファーに座っていても気を遣う。

 隣り合って父さんが座っている。

 厳めしい顔つきで、緊張しているようだった。

 僕達が座っているソファーの正面にはテーブル、その先に同じ形のソファーが置かれている。

 壁際には幾つかの家具やインテリアがあった。

 琴線に触れない絵画は、僕の視線を一瞬だけ奪っただけだった。

 ここがどこなのか、僕は聞いていない。

 ただこの家の持ち主がいわゆる高貴なお方であることは間違いなかった。

 しばらく無言で待っていると、扉が開いた。

 現れたのは初老の男性。

 がっちりとした体格で髭面。

 短髪の上に強面で、眼光は見る者を竦ませる。

 一瞬だけ視線が合うと、僕は萎縮してしまった。

 第一印象は怖そうな人。

 高身長の父さんよりも更に身長が高い。

 多分190センチはある。

 そんな彼は流れるように僕達の正面にあるソファーへと座った。

 そして無言。

 ギラッという効果音が聞こえそうなほどに鋭い視線をこちらに向けている。

 一体、彼は何者なのだろうか。

 そんな疑問と居心地の悪さから、僕は父さんに視線を投げかける。


「バルフ公爵。突然の訪問、失礼いたします。

 こちらは私の息子シオンにございます」


 僕はバルフ公爵に一礼する。

 改めて自己紹介するほど、僕は事情を知らないし、話せることもないからだ。

 僕の所作は特に問題はなかったらしく、公爵は泰然としたままだ。


「早速ですが本題に入らせていただきます。

 先日にご報告した件に伴い、現状の確認をさせていただきたく、参上いたしました。

 先の見えない魔物対策として雷光灯を所持するように進言した件ですが……」


 バルフ公爵と呼ばれた男性はじっと父さんを見つめ、沈黙を貫く。

 雷光灯? 

 そうか。思い出した。

 あの夜、レイスに雷光灯の光を当てると怯んだ。

 もしかしたらそのことを言っているのだろうか。

 僕、いや、魔力を持つ人間にしか恐らくは見えない敵。

 しかし父さんは『雷光灯でレイスを照らした瞬間、その姿が見えていた』ようだった。

 そうだ。

 診療所で、アルフォンス医師も言っていた。

 『おかしな怪我を負った患者がいる』と。

 判然としないが、もしかしたらそれは見えない魔物に攻撃された人なのではないだろうか。

 この三日間、僕が塞ぎ込んでいる間に、父さんはあの魔物、レイスの事を報告していたらしい。

 公爵ということはかなりの上位貴族にあたるはず。

 この世界の貴族の事情なんて良く知らないし、知ろうとしたことがないのでわからないけど。

 あれ? そういえば父さんって爵位はどれにあたるんだろう。

 下級貴族だって言ってたし、子爵とかなのかな。

 交流会とか行ったことがないし、父さんや母さんも参加している素振りはないんだよね。

 今まで興味がなくて聞いたことがなかったけれど。

 僕が考え事をしている最中、バルフ公爵は微動だにしない。

 再びの無言。

 父さんの横顔を盗み見ると、特に動揺した様子はなかった。

 そうして数秒すると、突如として変化が訪れた。

 バルフ公爵が厳めしい顔つきのままプルプルと震えだしたのだ。

 何かの発作だろうか。

 もしそうだとしたら大変だ。

 妙に冷静な頭が導き出した答えに僕は声を出そうとした。

 だが、それは叶わなかった。


「もうやだああっ! なんなの!? なんなのだね? うん!?

 なんで儂がイストリア領を統治することになってからこんなことになっとるの!?

 浮浪者は増えるわ、怠惰病患者が次々現れるわ、未知の魔物が出現するわ!

 なんなの!? どうなっとるのよ!? もうやだ! やだやだ!

 儂はもうイストリア領主やめる! ガウェイン殿に譲る!」


 バルフ公爵は駄々っ子のようにばたばたと手足を動かした。

 強面、大柄のいい大人が、子供のように泣き叫んでいる。

 僕はその異様な光景に声を失った。

 なんじゃこりゃ。

 僕は錆びた機械人形のように、ギギッと首を動かす。

 父さんは乾いた笑いを浮かべていた。

 ああ、そうなのね。

 いつものことなのね。

 僕はバルフ公爵の人となりを『ダメな大人』と認識する。

 理解できれば後は落ち着くだけだ。

 僕は姿勢を正し、正面を見据えた。

 できるだけ公爵は見ないようにして。


「バルフ卿、落ち着いてください」

「これが落ち着いていられるかっつーの! もうやだ!

 公爵ってもっと楽かと思ってたのにぃ!

 偉くなればふんぞり返って部下に仕事任せられると思ったのにぃ!」

「それは難しいでしょう。通常の業務ならまだしも非常事態においては」

「ううっ……やるしかないのか……」

「はい。諦めてください」


 泣きながら、ソファーに倒れ込んでいたバルフ公爵はようやく気を取り直したのか、背筋を伸ばした。

 しかし表情は完全に子供のそれだった。

 この人が公爵でいいのだろうか。

 この街は大丈夫なのかと思わずにはいられない。

 僕の不安をよそに父さんは会話を続ける。


「それで先の件は?」

「……雷光灯なら、街中から集めて、哨戒兵や衛兵、それと防壁上に配置しておいた。

 商人ギルドが独占しようとしていたがね、何とか回収は済んだ……大変だったけどの!」

「さすが、バルフ卿です。辣腕は健在ですね」

「褒めても何も出ないんだからの!」


 そんなことを言いながらもちょっと嬉しそうにしている。

 ちょろい。なんとちょろいのだろうか。

 この人が公爵の地位に甘んじていられる理由がよくわからない。

 こんな素直だと丸め込まれそうだけど。


「改めて他の状況を確認させていただきたいのですが」

「魔物に関しては、報告が十数件上がっていての。その内、何件かは死亡しておる。

 ガウェイン殿の報告通り兵には雷光灯を持たせたが、魔物の姿を見た、という報告はまだないの。

 同時に四日前以降、見えない何かから攻撃を受けた、という報告もない。

 ということは恐らくは魔物が現れていないということだろうのぉ」

「雷光灯が有効かどうかはまだわからないということですね」

「うんむ。現状維持が妥当だろうの。怠惰病に関してはほとんどわかっておらんのぉ。

 治療の目途もたっておらんし、王都に早馬を走らせておるが、まだ帰っておらん。

 異常事態がイストリアだけなのか王都サノストリアにも至っておるのか、それとも世界中のことなのかはまだ判断がつかんのぉ。

 ううっ、やだのぉ。ほんと、平和が一番なのに、どうしてこうなってしまうのか」

「嘆いても仕方がありません。私達に切れるカードはないのですから。

 ならば状況を把握し、無理やりでも対策を練るしかありますまい」

「しかし、その対策がなんもないのよ。ああ、もうおしまいだぁ……。

 穏やかな生活がしたかったのぉ……ううっ……」

「バルフ卿、まだ諦めるには早いです。魔物に関しても、怠惰病に関しても他に情報がございます」

「なぬ!? ほ、ほんとかの!? 聞かせてくれるかの!?」


 バルフ公爵はわかりやすいほどに目を輝かせた。

 さっきまでどんよりとした空気を出していたのに、現金なものだ。

 ほんと子供みたいだな、この人。

 嫌いじゃないけど。


「倅のシオンがその鍵を握っております」

「おぉ……そういえば、そなたはガウェイン殿の……」


 突然、真顔になった公爵を前に、僕は虚を突かれた。

 ギャップが激しい。

 というかなんで父さんのことを『殿』なんて呼ぶんだろうか。

 下級貴族に関しては、この呼称がこの世界の常識なんだろうか。

 まあおかしなことではないような気もするけど。


「して、一体どのような?」

「四日前、私の娘、マリーが怠惰病に罹り、私とシオンは夜半時に馬を走らせイストリアに向かいました」

「それは、痛ましいの」

「……お気遣いなく。これは私達だけの問題ではなくなっておりますので。

 話を戻します。イストリアへ向かう中、夜の魔物に遭遇しました。

 それはブラッディウルフと人型の魔物でした」

「人型の……? ゴブリンやコボルト、オークではなく?」

「はい。まったくの別種でした。空を浮遊しており、身体は半透明。

 淡く光り、青ざめた顔。人を思わせながらも人ではない異形の魔物でした」


 父さんがちらっと僕を一瞥し、小さく頷いた。

 どうやら続きを話せということらしい。

 僕はあの時の状況を思い浮かべつつ、会話を繋いだ。


「その魔物――仮称としてレイスとします。そのレイスは物理攻撃が通じませんでした。

 父が短剣を放りましたが、魔物に触れても通り抜けてしまいましたので間違いないです。

 しかし雷光灯に触れると、光を嫌うように離れました。そして――」


 僕は父さんに再び視線を送る。

 二度の頷き。

 確かに話さなければ話は進まない。

 僕は僅かに間隔を空けて、言い放った。


「僕の魔法で倒しました」


 驚愕か疑念が返ってくるものだと、僕は思っていた。

 しかしそのどちらでもなかった。

 バルフ公爵は顎に手を添え、思考を巡らせている様子だった。

 彼に動揺も疑問もない。

 ただ僕の言葉を受け止めた上で考えているだけのように見えた。

 そうか。父さんが話していたのか。

 でも、どうして。

 父さんは魔法に関してはできるだけ話さず、広めないようにしていたはずだし、僕達にもそうするように言ったはず。

 バルフ公爵には話していたのは、なぜだ。

 互いに親しかったとしても、必要もなく父さんが話すとは思えない。

 グラストさんにも魔法のことは話していなかったのだ。

 では必要があったから話した、ということなのか。


「魔法、か。魔物に有効であり、魔力を用いた不可思議な力であったか。

 シオン。そなたは聞いておらんだろうが、儂はガウェイン殿から、そなたのことをすでに聞いている」

「そう、でしたか」


 予想通りだった。

 僕は視線で疑問を父さんに投げかける。

 しかし父さんは僕の視線を受け止めはしなかった。

 いいさ。

 僕が知りたいのはそんなことじゃない。

 どうすれば姉さんを救えるのか。

 そして魔物対策に関して。

 その二点を考えることが先決だ。


「なるほど。では未知の魔物に関しては雷光灯以外にも、シオンの魔法も有効であると。

 ならば、その魔法の素質のある者を集めればその魔物も倒せるのだな!」

「いえ、それは難しいかと……」


 僕が即座に返答すると、バルフ公爵は泣きそうな顔のまま立ち上がった。


「なんでなの!?」

「魔法を習得するには時間がかかりますし、そもそも魔力を持っている人の大半は怠惰病に罹っています。

 中には僕やローズ……僕の友人ですが、彼女のように無事な人もいますが」

「むぅ!? となると、怠惰病の発症には魔力が関わっているのか?」

「その可能性もあるのではないかと、考えています。

 同時に、怠惰病に罹った場合、魔力量は減少、あるいは消失しています。

 もしかしたら怠惰病発症に関わりがあるのではないかと、僕は考えています。

 浮浪者の中にも怠惰病に罹っている人もいました」

「ふむぅ、むむっ! そうか。すでに街にいる浮浪者達の一部は怠惰病に罹っておったと。

 浮浪者は酔っ払いやら、狂人やら、廃人やらがばかりだからの、気づかんかったわ。

 後で調査兵を送り、怠惰病の症状がある患者を探してみるかの……死んどるかもしれんが」


 怠惰病に罹り、浮浪者になった人の多くは、恐らく独り身の人間。

 そしてかなりの軽度だったのだろう。そのため何とか生きてはいけたのだと思う。

 しかし四日前の出来事で怠惰病は大きく進行した、ということかもしれない。

 すべては推測の域を出ないけれど。

 というか浮浪者に関しての扱いがぞんざいだな。

 こんなものなんだろうか。


「未知なる夜の魔物、怠惰病。その二つは魔力、魔法が大きく関わっておる、と。

 …………シオン。現状、魔法を誰かに教えることは難しい、そう言ったな?」

「はい。少なくとも魔物を倒せるほどの魔法となると習得にかなりの時間がかかるかと思います。

 そもそも、有効だと思われる魔法は魔物と接触しないといけないので、相当な危険を伴いますし」

「となると女子供には難しい、か」

「ええ。その上、魔力を持っている人はそれなりに若い人。二十代以下の人だけだと思います。

 それと魔力を持っている人はほとんど見たことはありません。

 恐らく数千人に一人の割合、なのではないかと思います」

「うぐぐっ、どうしようもないのぉ!

 はぁ……しかし見えない魔物……レイスだったか、そっちに関してはとりあえず雷光灯がある。

 撃退はできなくとも凌ぐことはできよう。心もとないが……。

 怠惰病に関しては、医師の研究も遅々として進んでおらん。

 ならば別の切り口を考え、シオンの言う魔力という観点から調査すべきか。

 うぬぅ、シオン。そなたは怠惰病治療にあたり、何か案はあるか?」

「ございます」


 バルフ公爵は笑顔を咲かせる。

 その表情を見て、僕は小さく苦笑した。

 正直、これはあまり言いたくはないんだけど。

 でも背に腹は代えられないし、必要なことだ。


「ほう! その案とは?」

「生体実験です」

「……ふむ。なるほど。なるほど!? それはつまりどういうことだ!?」

「魔法は使いすぎると魔力が枯渇し、身体がだるくなり、何もしたくなくなり、動けなくなります。

 この症状はとても怠惰病に似ている。

 これを踏まえて、怠惰病のことを考えました。

 現時点でわかっていることは、怠惰病患者は『魔力を失うか、減少したということ』と『怠惰病に罹る前は魔力があった』という実例があるということ。

 これが普遍的なのか局所的なのか、判断は尽きませんが変化があったということは事実です。

 つまり怠惰病は魔力を失うか減少させたことで発症するか、魔力を失うか減少させるということ。

 逆説的に魔力を与えるか、魔力を維持させることで健康状態に戻る可能性があるということです。

 魔力の枯渇状態と症状は似ており、健康状態であれば休息を得た場合、魔力は戻る。

 ですが、もしもそれができなくなっているとしたら」

「それが怠惰病となるのではないか、ということだな?」

「仮説に仮説を立てているだけですが……今のところはそれくらいしか考えが浮かばないので」

「ふむぅ……それで生体実験とは?」

「僕は自分の魔力に関しては比較的研究はしていますが、他人の魔力に関しては特に研究をしていません。

 自分の魔力をどうにかする方法はわかりますが、他人の魔力に干渉し、操る術を知らないのです。

 それに伴い、怠惰病患者に対して魔力を注ぐ、与える方法を僕は知りません。

 魔力を持たない相手は魔力の存在を感知できないし、魔力を持っている人は魔力を持たない相手に対して魔力を注いでもその感覚はない。

 ですが魔力を持つ者同士であれば、感覚はある。

 熱と痛みを感じるのです。それがわかれば魔力を分け与える感覚を掴めるかもしれません。

 もし強引に怠惰病患者に魔力を注げば、痛みを訴えないために注ぎすぎてしまうかもしれない。

 そうなると下手をすれば殺してしまうかもしれない。

 ですから健常者であり意志があり、魔力を持つ協力者が必要です」


 実際、父さんや母さんのように魔力を持たない相手に、魔力を当てても何も変化はない。

 与える側にも、何の手ごたえもないのだ。

 しかし魔力を持つ者同士であれば互いにその『魔力が反応している感覚』があるのだ。

 だが魔力反応は危険でもある。

 レイスに魔力を直接接触させることで浄化させた。

 人間に同じことをすればどうなるかわからないのだ。

 しかし魔力を反応させる感覚がなければ、相手に魔力を注ぐなんてこともできないだろう。


「魔力を持つ者、相手に魔力を与える実験をする、ということか。

 それは危険なのだな?」

「恐らくは」

「しかし、要であるシオンが魔力を注ぎ与えることができなければ怠惰病患者は助けられない」

「かもしれません」


 医学の発展に最も必要とされたもの。

 それは犠牲者の数だ。

 解明されていない病気を治療するには、多くの犠牲を必要とする。

 非人道的である研究や実験もあっただろう。

 だがその所業の上に、昨今の医学は存在している。

 綺麗事で人は救えない。 

 誰かに不安や犠牲を強いなければ得られないものもある。

 僕は、姉さんを救うためならばどんな汚名も責務も罪悪も背負う。

 そうすることで姉さんを助けられるならば。

 隣で父さんが何かを言おうとしていた。

 しかし結局閉口する。

 父さんも同じ気持ちなのだ。

 大丈夫だよ。

 僕は無闇に誰かを犠牲になんてしない。


「とりあえずは魔力を必ず持っていて、殺してしまっても構わない相手がいますので、そちらを使おうかと」

「それは?」

「魔物にございます。

 魔物相手に魔力を注ぐ方法、『浄化』をしていけば魔力を対象に注ぐ感覚も掴めるかと。

 イストリア付近の魔物であればある程度は知っていますので。

 ただ、レイスに関しては今のところできることはないかもしれませんが」

「よい。僅かにでも糸口が掴めただけでも……ううっ、心配だけど、しょうがないし……。

 と、とにかくシオンにすべてを任せるわけにもいかんでの。

 当然、こちらでも調査は続ける。何かわかったら知らせよう。

 それと、医療に詳しい者を選出して送ろう。

 後は、そうだのぉ、魔物に詳しい者も必要か?」

「そう、ですね。色々と聞きたいこともありますし」

「うんむ、では、魔物学者の中で優秀な者を送ろう。

 他に研究に必要な資金、設備等々があれば遠慮なく言うといい。

 魔物相手の研究は危険であろうし、こちらから私兵を出してもいいでの。儂、公爵だし。

 それなりに私財もあるでの!」

「ありがとうございます。その際にはよろしくおねがいします」


 僕は頭を垂れながら、浮かんでは消える疑問を口にするか迷っていた。

 しかし父さんの手前、それはできなかった。


「話は終わりだな。では儂は業務に戻るでの。

 はぁ……やだやだ。早く王都から返答が来ないかのぉ……」


 バルフ公爵は愚痴を漏らしつつ部屋を出て行った。

 そのすぐ後に、侍女らしき人が入室し、玄関まで案内してくれた。

 僕達は公爵家を出て、帰路へ就く。

 バルフ公爵家はイストリアの住宅街の中央付近に位置しており、周辺は高い塀に囲まれている。

 街中では広い庭はあまりないが、公爵家だけは緑であふれていた。

 バルフ公爵。

 彼との会話で疑問は幾つも浮かんだ。

 なぜ父さんは公爵に魔法のことを話したのか。

 なぜ父さんは公爵という高位の貴族と直接話せたのか。

 バルフ公爵との関係性は一体。

 なぜ父さんの進言をバルフ公爵はあれほど素直に受け入れたのか。

 他にも幾つも疑問はあった。

 しかしその中でも最も大きな疑問。


 『なぜバルフ公爵は子供である僕の話を信じたのか』だ。


 あの話し合いの場に侍女なり執事なりがいなかったことも気になる。

 あの空間には僕達三人しかいなかった。

 まるで内密の話をする時のような状況だったのだ。

 最初からバルフ公爵の方から魔法のことを話すつもりだったのか。

 いや僕が来ることを知らなかったように見えた。

 それでは人には聞かせられない話を父さんとするつもりだった、ということになる。

 でも公爵は僕の言葉を聞き、父さんに疑問を向けるでもなく、すんなりと飲み込んだ。

 どうして?

 僕がバルフ公爵の立場ならば、例え魔法という存在を知っていて、その子供が魔法を生み出したとしても、直接会ってもおらず、魔法の存在も確認していない状態で、あんな風に話を鵜呑みにするだろうか。

 いくらバルフ公爵が素直で人を疑うことを知らない人だったとしても、流石にあり得ないだろう。

 では、なぜなのか。


「すまんな」

「え?」


 突然、父さんが呟いた言葉に、僕は思わず聞き返した。 

 まるで僕の心を読んだかのような言葉とタイミング。

 しかし僕の疑問は氷解しない。

 父さんはそれ以上、何も言わなかったからだ。

 僕は――何も聞かなかった。

 父さんを信頼しているからだ。

 父さんは無駄に隠し事をするような人ではない。

 きっと理由があるのだ。

 だから、その時が来るまで、来ないとしても、僕は待つ。

 その揺らぎそうな決意の中、小さく何かが聞こえた気がした。


「いずれ……」


 僕は聞こえない振りをして正面を見据えた。

 父さんの視線も正面から動かなかった。

 掠れそうな声に、父さんの感情が透けて見えた気がする。

 だからこそ僕は何も言えなかった。

 あんなに力なく、怯えたような声を聞いては、どうしようもなかった。

 帰ろう。姉さんと母さんのところへ。

 この状況を覆せると信じて。

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