第48話 レイス

 淡い光。緑色の光。

 ぼんやりとたゆたう物体が、後方からこちらへ向かっている。

 速度はウルフよりもあり、空中を浮遊している。

 物体ではない。しかし生物でもない。

 それは人型だった。

 しかし人ではなく、青白い顔と落ちくぼんだ目が見えた。

 足の先は見えず、ボロボロのドレスを着ている。

 女性なのだろうが、やせぎすの上、髪の大半が抜け落ちているため判然としない。

 それは僕が知っている言葉で表すならば『幽鬼』だろうか。

 あるいは『レイス』でもいい。

 幽体、この世のものではないが魔物に分類される。

 闇夜に浮かぶ不気味な存在に、僕の背には寒気が走った。


「父さん! あれは何!?」


 父さんはバッと振り向いたが、すぐに僕へと向き直る。


「あれとは何だ!? 何もいないぞ!」


 予想はしていた。

 しかしその結果に、僕は唖然としてしまう。

 父さんには見えないのだ。

 レイスも空の光のカーテンも。

 原因はわからない。

 しかし同じような現象には覚えがある。

 魔力だ。

 魔力の有無により魔力を視認、認知できるかどうかは決まる。

 僕が見え、父さんが見えないという理由には魔力があるかどうかが考えられる。

 しかしそれがわかったところで、レイスが迫っているという事実は変わらない。


「人型の魔物がこっちに来てる! 多分、僕にしか見えないんだ!

 よくわからないけど魔力と同じ原理かもしれない!」

「何だと!? そんな魔物がいるとは聞いたことがないぞ!

 くっ、やはりこれは……」


 父さんは僕の言葉に疑いを向けはしなかった。

 しかし焦りと共に僕に聞こえない声量で何かを呟く。


「とにかく、僕が何とか撃退してみる! 父さんはそのまま馬を走らせて!」

「あ、ああ! わかった! 私には見えないから、シオンが指示を出してくれ!」


 一般的な魔物でない相手。

 これはかなり厄介だ。

 僕達は、先人が集めてくれた魔物の情報があるから、多くの危険を回避できている。

 しかしレイスのことは父さんも知らないようだし、対処方法はわからない。

 未知の敵との対峙は危険だ。

 だがそんなこちらの事情なんて魔物は気にもしない。

 やるしかない。


「キャアァァッーーーッッッ」


 女性の甲高い悲鳴のような声。

 後方から聞こえる不快感の塊のような声音に、僕は顔をしかめる。

 しかし父さんの反応はない。

 そうか。

 視覚、触覚だけじゃない。

 魔力に関連する存在に対して聴覚さえも、魔力を持っていない人には感知できない。

 今までは魔力そのものに対してだけだった。

 しかしレイスはどう見ても意志があるように思える。


 幽体。


 つまり幽霊のような存在だとしたら、それは魔力を内包しているというのか。

 あるいは魔力そのものに宿った意志のようなもの?

 だとしたら普通の武器は通じないかもしれない。

 どちらにしても僕が対処すべき相手だろう。

 僕は手元に魔力を集め、アクアブレットの準備をする。

 目の前に浮かぶ四つの水弾。

 それに構わずレイスは左右に揺らめきながら空を泳ぐ。

 数秒後、準備を終えたアクアブレットを放った。

 三つの水弾は真っ直ぐレイスに飛んでいく。

 着弾。

 避ける仕草さえなかった。

 が。


「どうしたシオン! やったのか!?」

「最悪だ。予想通り……当たらなかった。いや、当たったのにすり抜けた」


 相手は半透明状態だった。

 幽霊のような存在なら物理的な攻撃は通じない。

 だから魔法が効くかもしれないと思った。

 しかしアクアブレットは水の塊を飛ばす魔法。

 魔法ではあるが飛ばしているのは物質であり、効果はない可能性は感じていた。

 予想通り、レイスには効果がない。


「他の魔法はどうだ!?」

「アクア以外だとブロウくらいしか……フレアもボルトもこの大雨じゃ使えないんだ!」


 まずいまずいまずい。

 ブロウはまず相手に通じない。

 相手が何かの粒子の集まりで形成された存在であれば効果はあるだろう。

 しかしそれはない。

 なぜならこの嵐の中、レイスは風の抵抗を感じている様子がないからだ。

 優雅に舞っているかのように見える。

 つまり風の魔法では効果がないということは間違いない。

 イストリアまであと一時間はかかる。

 その間、逃げ続けることなんて不可能だ。

 どうすれば。

 魔物は悲鳴を上げながら、口腔を開く。

 真っ暗な穴が三つ、僕達に向けられていた。

 恐ろしい形相とその威圧感に、僕の全身は震えた。

 だが逃げることはできない。

 姉さんを守らないと。

 絶対に死なせてなるものか。

 姉さんにもしものことがあったら。

 僕は生きていけない。

 対策が浮かばず、僕は愚直にブロウやアクアブレットをレイスに放った。

 奴には何も効果はなかった。


「シオン、私がやる! どこだ!?」

「真っ直ぐ後ろ!」


 父さんが僕の指示通りに短剣を投げつける。

 だが、やはり効果はなく、レイスの身体に触れた短剣は闇の中へと消えた。


「ダ、ダメだ。やっぱり武器は効かない!」

「くっ、一体、どうすれば!」


 父さんにはいつもとは違って余裕がない。

 僕も同じだ。

 家族が死にかけているのだ。

 そうなって当然だった。

 レイスは間近へ迫る。

 僕の方へ目標を定めたのか、おぞましい声を発しながら迫ってきた。

 どうするどうするどうする。

 このままだと僕もみんなも殺されてしまう。

 ガギャッという音と共に、レイスの指が刃物のように鋭くなった。

 相手は攻撃が当たらないのに、相手の攻撃は当たる?

 様子からして、まず間違いなくレイスの攻撃は僕に届く。

 レイスは笑う。

 狂喜に満ちた顔を僕に向けて、小刻みに痙攣すると大きく空へ飛び上がった。

 そのまま、僕に目がけて落下してくる。


 避けられない。

 殺される!

 こんなところで死ぬのか。

 姉さんを助けられずに?

 そんなのいやだ!

 瞬間的に頭の中で幾つものワードが浮かんだ。

 魔法、ゴブリン、魔力反応、トラウト、光のカーテン、レイス、怠惰病、異常な出来事。

 生まれてからの情景が一瞬で過ぎ去る。

 これは走馬灯?

 僕は死ぬのか。

 目の前にレイスの爪があった。

 あれに触れれば死ぬ。


 死。

 ……死んでたまるか。

 死んでたまるか!

 こんなところで、死んでたまるか!


 それは無意識だった。

 僕は手を持ち上げる。

 瞬間的に家を襲撃したゴブリンの姿がレイスと重なる。

 すでにレイスの爪は僕に迫っている。

 相手の腕を掴むことはできない。

 しかし『右手で頭を守ること』はできた。

 僕はレイスの爪の切っ先に手を沿えた。

 魔力の脈動が一気に高まる。

 全身にほとばしる、過去に感じたことがないほどの魔力量。

 異常なほどの体内魔力量の放出。

 全身が力を感じ、僕の手にそれは集まった。

 まばゆいばかりの魔力が右手から放たれる。

 次の瞬間、レイスの爪は先から根元にかけて崩れ去る。

 灰が風によって崩れ去るように崩壊する。

 それは正に『浄化』のようだった。


「キャアアアアアアッッ!」


 そのレイスの悲鳴は、狂気から生まれるものではなく慟哭そのものだった。

 痛みに呻き手を庇うように抱きながら、僕から離れる。

 しかしすでに魔力の侵食はレイスを蝕む。

 レイスは僕から離れても、手の先から崩壊し続けていた。

 じわじわと腕の付け根まで消えていく中、レイスは僕ではなく父さん達に視線を移す。

 総毛立った。

 あいつは僕じゃなく父さんと姉さんを殺すつもりだ。

 レイスが一気に速度を上げた。

 死に体でありながらも溢れんばかりの殺意を放ちながら。

 空を走った。


「父さん!」


 僕が叫ぶと、父さんは状況を理解したようで、即座に背後に視線を移した。

 だが、見えないのだろう。

 父さんは視線をきょろきょろと動かしていた。

 こうなったら一か八か。

 ジャンプで飛んで、直接レイスに触れるしかない。

 僕は蔵の上に足を乗せて、膝を曲げる。

 魔力を集め、いつでも飛べるように準備を始める。

 が。

 時間がない。

 判断が遅かった。

 これでは間に合わない。

 ジャンプなしで行くか?

 しかしそれでは距離が。

 もっと近づくしか。

 だけど馬を移動させる時間さえない。

 それに次にレイスに触れても、魔力を練る時間がないのだ。

 体外放出しなくとも、帯魔状態になるまでに五秒はかかる。

 先の魔力反応で魔力はすべて使い切ってしまった。

 あのまま魔力に触れた状態でできるだけ消費しないように維持しておけば、どうにかなったかもしれない。

 だがそれではレイスに大きなダメージを与えられたかわからないし、そもそも考えなしの行動だった。

 どっちにしてもどうにもならない。


 くそぉ! もっと考えていれば。

 早い段階で対処方法を思いついていれば、どうにかなったのかもしれないのに!

 こうなったら最後の手段しかない。

 何の魔法も使わず飛び掛かる。

 魔力を練らずとも、僕は魔力を内包している。

 それは魔物も同じで、魔力を放出しなくとも身体が発光しているのは魔力を帯びているということ。

 魔力がない父さんよりは、僕の方がその効果は間違いなくある。

 もしかしたら素の状態でも何かしらの耐性はあるかもしれない。

 それにレイスは僕が魔力を放出するまで時間がかかることを知らない。

 僕が飛び掛かれば驚いて逃げる可能性はある。

 やるしかない。

 奴が下りてきたら、飛ぶ。

 僕は意を決し、足に力を入れた。


 レイスが降りてくる。

 父さんは顔をしかめ、後方を睨むがその先にレイスはいない。

 僕は上空のレイスを凝視する。

 暗闇の中でも魔物の姿ははっきり見える。

 発光している身体は、僕だけには視認できた。

 父さんには雷光灯の光の範囲内しか見えまい。

 僅か四、五メートル内。

 それでもこの世界の光源としてはかなり優秀な方だ。

 レイスが滑空した。


 速い! 


 死期を悟ったのか、全力で父さん達を襲うつもりだ。

 まだ。

 もう少し。

 奴が辿り着く、その瞬間まで待て。

 もう少しだ。


 ……今だ!


 僕はタイミングを見極め、足に力を入れた。

 雷光灯の有効範囲内にレイスの身体が入った。

 その瞬間。

 視線を泳がせていた父さんが、ピタッと顔を止めた。

 その視線の先にはレイスがいる。

 僕は意味もわからなかったが、反射的に跳躍と中止した。


「キャアア、キィイィイィヤアアッ!」


 悲鳴と共に、レイスは父さんの眼前で止まり、苦悶の表情を浮かべながら光の範囲外へと出た。

 六秒。

 魔力を瞬時に練った。

 足元に魔力が集まる。

 遅い。

 しかし時間はない。

 僕は『自分の力だけで』跳躍した。

 空中で魔力を練り、レイスの身体にしがみつくと魔力を流した。

 『魔物の感触があった』


「キイイイイイイイイイイイイ」


 もはやただの甲高い音にしか聞こえなかった。

 それはレイスの断末魔の声。

 魔力を流されたレイスはすぐに消滅した。

 僕は落下しながら足元を見下ろす。

 地面が視界に広がる。

 足元に貯めている魔力は少ない。

 まだ衝撃吸収できる量ではない。

 死ぬ!

 と思ったが、僕の身体は途中で停止する。

 すぐに身体を持ち上げられ、蔵の上に戻った。


「大丈夫か!?」

「あ、ありがとう父さん」


 どうやら父さんが瞬時に僕の身体を支えてくれたらしい。

 あの一瞬で判断し、僕の馬のすぐ隣で、自分の馬を走らせながら、僕を支えたのだ。

 しかも片手で。すごい腕力だ。

 尋常ではない程の判断能力と身体能力だと感嘆する暇もなく、僕は安堵した。

 後方にはレイスの姿はない。

 あの一体だけのようだった。


「何とかなったみたい。もう魔物はいないよ」

「そうか。それはよかったが、まったく無茶をする」

「そうでもしないと倒せなかったから……ごめんなさい」

「謝る必要はない。おまえがいなければ私達は無事ではすまなかっただろうからな。

 しかしあの人型の、恐ろしい姿をしていた魔物は一体?

 夜型の魔物の中でも初めて見た種類だったぞ」

「やっぱり父さんにも見えたんだ」

「ああ。近くに来てようやくな。シオンは遠くでも見えていたようだが」


 遠くでは見えなかった、ということか。

 レイスの身体が発光していたから見えた、というわけではなさそうだ。

 ということは。


「とにかく急ぐぞ。次の魔物が現れんとも限らないからな」

「……うん。そうだね。急ごう」


 僕達は馬を走らせる。

 激しい緊張から解き放たれ、同時に僕は雨の感覚を思い出した。

 とにかくイストリアへ急がなくては。

 空に浮かぶ光のカーテンを見上げる。

 それは赤く禍々しく光り続けていた。

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