第47話 夜の魔物

「はっ! はっ! はっ!」


 雷光灯を手に、僕達は馬を走らせた。

 空は曇天、大粒の雨が降り注ぎ、視界は最悪だ。

 月明かりもほとんどなく、全く見えない。

 雷光灯のおかげで多少は周囲が可視化できているけど、懐中電灯のように便利なものではない。

 何度も通った場所だから走れるだけで、ほとんど見えてはいない。

 雷光灯の強度は低く、取扱いに気を付けなければならない。

 この世界のガラスは脆い。

 触れるだけでは割れないが、落とせば必ず割れるし、震動にも弱い。

 松明しかなければ雨の中は移動できないため、夜道を歩くことさえ困難だっただろうから、贅沢は言えない。

 蹄の音、雨の音、風の音、そして雷の音。

 時折走る稲妻は、周辺を照らした。

 近くに落ちないのであれば、むしろ頻繁に発生して欲しいと思うくらいだった。


「シオン! あまり速度を出しすぎるなよ!」

「わかってる!」


 全力で馬を走らせれば雷光灯が壊れるし、何より障害物があった場合、勢い余って落馬する。

 そうなれば僕達のどちらか、そして姉さんが怪我を負うか、最悪の場合は命を落とす。

 それでは意味がない。

 神経を張りつめ、絶対に失敗しないように馬を走らせる。

 それが僕達に必要不可欠なことだった。

 時折、雷光灯に照らされた父さんと姉さんの横顔が見える。

 強張った顔。間違いなく僕も同じ顔をしているだろう。

 走らせるだけでも危険だが、もっと危険なものがいる。

 今のところは遭遇していないが。

 できればこのままイストリアまで出会わなければ。

 それは不意に起こった。

 視界に変化が生まれ、僕は無意識の内に見上げる。

 空には『それ』が厳然として存在していた。


「オ、オーロラ……?」


 それは光のカーテンだった。

 空に流れる光の粒子の集まり。

 淡いルビーを思わせる、幻想的ながらも不気味な情景。

 その厚い光の布が空をうねっていた。

 僕達は呆気にとられて空に視線を奪われる。

 こんな空を僕は知らない。


「父さん、あ、あれ、何?」

「あれとはなんだ? 雷か?」

「空に光があるでしょ!?」

「何を言っている! そんなものは見えないぞ!」


 見えていない?

 見えてるのは僕だけだってこと?

 まるで魔力と同じ。

 僕が見えて父さんには見えないならば魔力なのだろうか。

 それともそれに類する何かなのか。

 生物がいる?

 いやいない。

 あんな規模の魔力を生み出す生物がいたら、それは数キロ以上の規模だろう。

 わからない。

 何が起こってる?

 これは、何かの前兆なのか?

 わからない。

 とにかく姉さんをイストリアへ連れて行くしかない。

 わからないことに時間を費やす余裕は、今の僕達にはない。

 と、僕は気配を感じて、肩口に振り返った。

 音は聞こえない。

 何も見えない。

 だが、確かに何かいる。 

 そんな感覚が僕を襲った。

 僕はじっと後方を睨む。

 見えない。

 気のせいだったのだろうか。

 気を張りすぎて、思い込みが激しくなっているのかもしれない。

 そう思い、正面に向き直ろうとした時、視界に変化が生まれた。

 足。

 爪。

 足音。

 それが一気に視覚と聴覚を刺激した。

 おかげで、僕はすぐに相手の存在を認めることができた。


「魔物だ!」


 僕が叫ぶと、父さんは咄嗟に振り返る。


「ブラッディウルフの群れだ! 奴らは人間の血を好む!

 獲物を得るまで執拗に追ってくるぞ!」


 知っている。

 昼の魔物と、夜の魔物ではかなりの違いがある。

 夜行性の魔物は非常に凶暴で昼の魔物に比べると、積極的に人を襲う。

 その中でも最悪なのが、群れで行動する魔物タイプだ。

 ブラッディウルフは名の通り、血を求めて夜の世界を走り回っている。

 その群れに遭遇したら大抵の人間は死を覚悟する。

 かなり最悪の相手だと言える。

 父さんは切迫した様子で腰から剣を抜いた。

 父さんは手綱、雷光灯を手にしたままで走らせている。

 その状態で剣を握れば、何かを手放すことになる。

 姉さんは縄で父さんの身体に巻きつけられているので大丈夫だが、他の部分はそうはいかない。

 父さんは迷いながら姉さんを抱いていた手を離し、手綱と雷光灯を左手で持った。

 かなり不安定で、普段通りの動きはできない。

 父さんに、魔物の相手を任せるのは危険だろう。

 それは事前に覚悟していたことだ。

 僕が、奴らを倒すしかない。


「そのまま、真っ直ぐ! 僕がやる!」

「くっ! 無理をするなよ!」


 僕は蔵の上で姿勢を変えて、後方を向く。

 すると鞭で馬の臀部を叩いた。

 飼いならされた馬は叫びながら暴走したかのように走り続けた。

 馬は僕の命令を聞くこともなく走り続けている。

 その状態で、僕は後方の脅威を睥睨する。

 ブラッディウルフは赤い目をした狼。

 その特徴は群れで行動し、夜の間、獲物を求めて走り続け、獲物を貪り、そしてまた移動する。

 執拗で狡猾。

 見つかれば逃げられないと言われており、移動速度も馬と同等かそれ以上。

 戦闘能力もかなりのものだ。

 一体の力はゴブリン程度。

 ゴブリンと聞くと大したことがないと思うかもしれないが、そうではない。

 ゴブリンは動きがそれほど速くなく、頭も悪い。

 そのため魔法があれば簡単に倒せる。

 そして集団行動をする場合もあるが、大抵は五体以下だ。

 だがブラッディウルフは十数体の群れで行動する。

 魔法で倒せなくはないが、大きな問題がある。

 雨が降っているため、当然ながら火魔法と雷魔法が使えない。

 火魔法は発火した時点で消えるし、雷魔法は自分や馬が感電する。

 フォールは論外。

 残りは風魔法か水魔法、そして単独魔法のジャンプくらい。

 攻撃力だけで見れば、先の二つに大きく劣る。

 ブラッディウルフ達は速度を上げ、距離を詰める。

 連携が取れていることは明白で、戦闘のウルフの後に続いた。

 魚群を思わせる、流れるような移動に、絶対に逃さないという意思を感じる。

 まだ全貌は見えない。

 だが先頭のウルフの後ろに続いている魔物達の殺気は僕達に向けられている。


「ガアアッ、ルゥアアアウゥッ!」


 一定の距離を保っていたウルフ達は、突如として速度を上げる。

 その反応で奴らの狡猾さを理解できた。

 人間の武器を知っている。

 恐らく弓矢などの遠距離武器を警戒しての行動だったのだろう。

 距離を保って追っていたが、何もしてこないので距離を詰めたということ。

 中々に狡猾。 

 だけどその判断は間違っている。

 僕は両手に集めた魔力をそのまま維持していた。

 それは三重の膜。

 一つは円筒の形。近い形を言えば弾丸。内部に『雨』を集めている。

 一つは弾丸の後方部分に集めたブロウ。

 最後は全体を覆う、更に長い筒状の魔力。

 直径三センチ程度の小ささで、内部に浮かぶ水弾の大きさは、実弾を思わせる。

 それが四つ。

 一つの魔力量は二十程度。

 魔法としては魔力量が低い。

 しかし火、雷のように現象を維持する魔法ではなく、実在する物質を活用する魔法。

 そのため上手くやれば必要魔力は少なくて済む。

 下手をすればより多くの魔力が必要になるが。

 僕はかざした両手の前に浮かんだ、四つの水の弾丸。

 それをウルフに向かい放った。

 バシュっという小気味いい音と共に水弾が放たれた。

 三つは真っ直ぐ、一つは僅かに逸れた。 

 予想もしていなかったのだろう。

 ウルフ達は反応もできずに、三つの弾丸を受けてしまう。


「キャウンッ!」


 数体の魔物が跳ねた。

 よく見えなかったが胴体に着弾したようだ。

 威力は思ったよりも大きかった。

 本当に拳銃くらいの威力があるかもしれない。

 僕は内心でガッツポーズをとる。 


 『アクアブレット』


 雨の日に使えるのではないかと考えていた水魔法。

 ぶっつけ本番だったが上手くいった。

 無理ならば時間はかかるが、ブロウを使って対処することになっていただろう。

 アクアブレットの原理はそう難しくはない。

 通常、魔力は放出、つまり大気に触れさせると大気魔力になる。

 その状態から現象に触れさせると魔法になる。

 大気中の水分を集めて凝固することもできる。

 それがアクアだ。

 しかし湖の水を集めるような手法は、魔力の性質上難しい。

 それは大量の水を汲むためのエネルギーが大量に必要だからだ。

 おそらくは重力と張力に反するためのエネルギーがかなり大きいのだ。

 この問題を解消するには大気中の水分を集めるか、できるだけエネルギーを使わず、水を集める。

 それが雨だ。

 雨は空から降り、自然に魔力に触れる。

 自然吸着し、水魔法となる。

 もちろん降雨で生まれる落下衝撃を吸収するために必要なエネルギーもあるが、重力に逆らい水を持ち上げるエネルギーよりも圧倒的に少ない。


 結果。

 雨が降る中、魔力を生み出すとほとんど魔力を消費せず、水を集められる。

 一つ目はその集めた雨、つまり弾丸の変わり。

 二つ目の水弾の後方に固定した魔力、ブロウ。

 小さな魔力の塊を幾つか集めた一つの魔力内で、ブロウを循環させるわけだ。

 非常に繊細な操作が必要だし、規模が小さいため風力も小さく、集中力がかなり必要だ。

 実際、ブロウ自体は風の方向を定めることが難しい。

 その暴走を抑えるために三つ目の筒状の魔力がある。

 銃で言えばバレル、つまり銃身の役割を担う。

 何種類もの魔力と役割を与え、同時に放つこの魔法は、はっきりいって効率が異常に悪い。

 その上、普通の魔法を使用するよりも、疲れが著しい。

 だけど、今使えるのは魔法の中では最も効果的なはずだ。

 僕は再び魔力を練り、水を集める。

 有効だとわかったのならば迷うことはない。

 このままアクアブレットで攻撃を続ける。

 ウルフはまさか攻撃されるとは思わなかったのか、戸惑い、速度が落ちていた。

 その隙を逃さず、僕はアクアブレットを何度も放った。

 一度に四発。相手の数を考えると少ない。

 だけどウルフ達は捨身で僕達を襲ってはこない。

 むしろ距離を保ったまま、僕達を睨んでいる。

 警戒しているのかと思いつつも、僕は何度も水弾を放つ。

 最初に比べ一体、あるいは着弾しないこともあったけど、構わず僕は魔法を放つ。


 おかしい。

 これだけ一方的に攻撃されていながら、奴らはずっと距離を保っている。

 すでに魔物は五体ほど脱落しているのに。

 その不安を抱きつつも、僕は魔法を放ち続けた。

 何があっても、僕ができることは少ない。

 迷う暇はない。

 その決意を抱いた瞬間、僕は目を見開いた。


「なっ!?」


 僕が水弾を放つと、ウルフ達は反射的に避けた。

 偶然かと思い、再びアクアブレットを放つと、またしても避けたのだ。

 なんてことだ。

 奴らはアクアブレットの性質を把握したのだ。

 魔物には魔力がある。

 当然、ブラッディウルフにも魔力は溢れており、身体中が僅かにだが光っていた。

 それはつまり奴らも魔力の形が見えるということ。

 アクアブレットの形はわかりやすく、魔力のバレルはまっすぐ標的に向かって伸びている。

 つまり、狙う方向が明確だということだ。

 制限ができず暴走する場合は、明後日の方向へ飛んでしまうが、それ以外は真っ直ぐに放たれる。

 それをウルフは理解した。

 その疑念は、すぐに確信へと移る。

 二度の回避の後、再びウルフ達は僕へ向かい疾走し始めた。

 捨身の作戦を取らず、確実に獲物を捕らえるつもりだ。

 なんて狡猾な。

 もしかしたら脱落したウルフ達も、死んではいないかもしれない。

 アクアブレットの威力は思ったよりも低いのか。

 しかし僕にできる手段は今のところ、これしかない。

 考えなければ。

 奴らが襲いかかってきたときの対処法を。


「シオン、無理をするな! いざとなれば、私が奴らを倒す!」


 父さんが叫ぶ。

 確かに父さんであればウルフ達を倒すことはできるだろう。

 しかし姉さんと馬を守りつつとなると、かなり厳しい。

 できるなら僕が奴らを倒すべきだ。


「わかった。でも、まだやれる!」


 僕は必死の形相のままに、アクアブレットを放ち続ける。

 連続使用には疲労が蓄積されやすい。

 本来、魔法は一度で相手を打倒することを主とする。

 長期戦は不利であり、魔法使いは接近戦が不得意だからだ。

 だがそんなことを言っても、現状は変わらない。

 やるしかないのだ。

 ウルフ達はジグザグに動きながら、僕の水弾を避ける。

 やっぱり攻略されてしまっている。 

 徐々に距離を詰められる。


 十、八、六、四メートル。

 近い。

 焦燥感が込み上がる。

 不幸中の幸いにも、奴らは僕に目標を定めている。

 だけど僕が殺されては意味がない。

 殺されてたまるか。

 父さんと姉さんを守るために。

 僕は絶対に諦めない。

 僕にはまだやりたいことがあるんだ。

 僕は覚悟を決めつつ魔物を睨んだ。

 奴らは近距離では負けないと思っている。

 恐らくは、僕には対抗手段はないとさえ思っているだろう。

 近づいてみろ。

 接近した状態でフレアを放ってやる。

 それでもダメなら、感電覚悟でボルトを流す。

 覚悟を決めればやれることはある。

 ウルフ達が僕を囲む。

 馬が怯えつつ鳴いた。

 来る!


「シオン!」


 父さんがこちらへ向かっている。

 何体かウルフを始末してくれた。

 しかし数が多い。

 僕の周りにはまだ魔物達が並走している。

 奴らは僕に向かい唸り声をあげ。

 そして。


「ガルゥガウガウッ!」


 一頭が叫ぶと、なぜか速度を緩め始めた。

 僕達は状況をわかっていない。

 何が起こった?

 なぜウルフ達がいきなり退却を始めたんだ?

 何かの作戦だろうか。

 そんな疑念を抱き、僕は魔物達の動向を注視した。

 しかし僕の不安は杞憂に終わる。

 魔物達は徐々に僕達から離れて、闇夜の中へ姿を消す。

 音も気配も消えてしまった。


「一体、どうしたんだ……?」


 父さんも狼狽えていた。

 ということは父さんも知らないのか。

 何があった。

 いや、何が起こるんだ?

 途端に僕は寒気を感じた。

 背筋が凍るとはよく言うが、それを体験したのは初めてのことだった。

 何かの気配。

 それが迫っていることに、僕は気づいた。


「な、何か、な、何かが、く、来る」


 僕の唇は震えていた。

 反射的に僕は正面に向き直り、即座に手綱を握った。


「父さん! に、逃げないと!」

「どうしたんだシオン! 魔物は去ったのではないか!?」

「わ、わからない。でも、早く行かないと! ……あっ!」


 正体のわからない震えのせいで、雷光灯を落としてしまった。

 割れた光源はバチバチと光り、遥か後方へ置き去りにされる。

 だが構ってはいられない。

 感じる。

 来ている。

 すぐそこに。

 雷鳴が響いた。

 瞬間。

 後方へ『浮かんでいる何か』が見えた。

 僕は反射的に叫ぶ。


「来た! 速度を上げて!」


 父さんは戸惑いながらも馬を走らせてくれた。

 すでに視界内に入っている。

 それは――この世のものではなかった。

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