第45話 壊れゆく日常

 村の手伝いに行くことになったのは、久しぶりのことだった。

 マロンとレッドは家の手伝いで剣術の稽古に来ることはなくなったし、ローズは何かの用事があるらしく顔を見ていない。

 気が重いと思わなくもない。

 みんなのことは好きだけど、どうにもゴブリン事件以来、顔を合わせづらくなっているのだ。

 心境的には問題がないのに、気まずくなったりして疎遠になる、あの感じだ。

 僕は領主の息子。

 今後もみんなとは付き合いがあるだろうし、できれば円滑な人間関係を築きたいものだ。


「そういえば、あたしも久しぶりだわ」


 姉さんが少し複雑そうな顔をして言った。

 姉さんも僕と同様に、あの事件以来、少し気まずそうだった。

 稽古中は普通に話すけど、以前のように気軽な感じではないように思える。

 なんとなく先延ばしにしていたけど、いい機会だ。

 腹を割って話すことは難しいだろうが、もう少し気まずさを払しょくすべきだろう。


「三人と話すことも少なくなってるからね……それぞれの家の事情とか色々あるし。

 あの事件だけのせいじゃないと思うけど」

「そうね。まあ、別に仲が悪いわけじゃないし、そこまで気にしなくてもいいと思うけれどね」

「そう、だね。あまり気張らずに手伝うことにしようか」

「ふふ、シオンからそんな言葉を聞けるとは思わなかったわ。

 最初はものすごく人見知りしてたのに」

「姉さん、人はね成長するものなのですよ」

「じゃあ、一人で行く?」

「ごめんなさい。一緒に行ってください」


 僕は即座に頭を垂れた。

 僕の反応が予測できたのだろう。姉さんはカラカラと笑った。


「はいはい。一緒に行きましょ」


 マリーにからかわれても不快感はない。

 いつものやり取りだし、姉さんが僕を本当の意味で馬鹿にしているわけじゃないとわかっているからだ。

 僕達はいつも通り、林道を通り、村へ向かった。

 村の手伝いなのに僕達の恰好は、討伐に向かう時と一緒だ。

 マリーは腰の左右に剣を一本ずつ携えているし、僕も腰から雷火をぶら下げている。

 戦闘時には共に武器を抜き、構えることができる。

 村の中が安全だとは限らないこの世界では、常に武器を携帯するのは常識だ。

 もちろん戦えるのならばという言葉が頭につくが。

 今の僕達は冒険者としてもそれなりに戦えるため、常に武器を持ち歩くようになっている。

 当然、父さんからの許可は得ている。

 戦う力があろうとも僕達は子供だから、勝手に判断する立場にない。

 何をするにしても父さんの判断を仰ぐのが普通だ。

 それでも貴族の割にはかなりフランクだ。

 それに僕は貴族というものは他の貴族やら親戚やらと交流会を開いて、堅苦しい挨拶をして、表面上を取り繕い、顔を繋ぐようなものだと思っていた。

 しかし少なくとも僕達はそのような場に参加したことはない。

 下級貴族だからなのか、それとも僕達がそういう立場にいないのか、この国ではそういう制度がないのかはわからないけど。

 一応は地方領主ではあるのだからまったくないというのもおかしなものだけど。 

 どっちにしても僕達にはまだ関係ない、か。

 畦道を進むと、村の家屋が見えた。

 遠くには畑が見え、領民達がせっせと畑の世話に勤しんでいる。

 牧歌的な光景で、僕はこの光景が結構好きだった。

 都会の中で長らく住んでいたからか、田舎に憧れがあったのだろうか。


「あっ、いたわよ」


 青々と実った作物の影に二人の姿が見えた。 

 レッドとマロンだ。

 ローズはいないらしい。

 レッドは僕よりも成長が早く、ちょっと身長が高めだ。

 マロンはあまり変わっていないような気がする。

 小柄な印象そのままの姿だ。

 二人が僕達の存在に気づき、手を振ってくれた。

 こちらも手を振りかえしながら、近寄っていく。


「あら、ローズはいないのかしら?」

「うん。なんか用事があるんだってー。

 最近ローズちゃん忙しいみたいで、畑仕事もあまりしてないんだぁ。

 ローズちゃんは村長さんのお手伝いとかもしてるし、本当は畑仕事しなくてもいいんだけどね」


 ローズは村長さんであるテッドさんの娘らしい。

 一応、領主の息子なので、僕も何度か話したことはある。

 寡黙な人だった気がする。


「ま、俺達だけでも大丈夫だろ。今日は虫の駆除くらいだし」


 レッドが肩を竦める。

 虫は特に苦手じゃないけど、得意でもない。

 素手で触るのもできなくもないけど、やりたくはない。

 現代とは違って自然が多いから昆虫は多く生息している。

 日常的に遭遇するので昔よりは慣れているけど、好きではない。


「じゃあ、僕達も手伝うよ」

「ああ、頼むぜ」


 ぎこちなく笑うレッドに、僕もぎこちない笑顔を返した。

 まあ今はこれでいいさ。

 時間が経てば少しはリラックスできるだろうし。


「じゃあシオンくんはわたしと、マリーちゃんはレッドくんと一緒に作業しよっか」


 一瞬、姉さんは不服そうな顔をしたけど、僕が視線で「わがまま言わないでね」と伝えると、仕方なさそうにそっぽを向いた。

 まったく姉さんは僕の傍を離れなさすぎる。

 僕も依存しているところがあるので、あまり言えないけど。

 マロンと一緒に畑の奥に移動する。

 数メートルほど伸びている植物を眺めた。

 効果的な農薬なんて便利なものはなく、自然物を混ぜ合わせたものくらいしかない。

 少しは虫を寄せ付けない効果があるが、十分ではないらしく、手作業で虫を駆除するのが基本らしい。

 そうしないと作物がダメになってしまい大きな損害を被ってしまう。

 虫自体を駆除し、卵を植え付けている場合は取り除く。

 非常に手間がかかるが、重要な作業だ。

 僕達は黙々と駆除を続けた。

 昼を超え、夕刻になってもそれは変わらなかった。


「ね、ねぇ、シオンくん」


 作業に没頭していると、後ろからマロンがおずおずと口火を切る。

 僕は視線を動かさず応える。


「何、どうかした?」

「う、うん。その……あのね……」


 明らかに聞きづらそうにしている。

 それだけで何を言おうとしているのかは推測できる。

 しかし僕は何も言わず、ただマロンが次の言葉を出すのを待った。


「…………領主様から、あの日のこと……誰にも話すなって言われたんだけど……。

 その、あれ以来、ずっとなんか、無理やり話題にしないようにしてて、その……。

 やっぱりそれじゃダメなのかなって思って……な、なんて言えばいいのかわからないけど」


 言葉を選んでいることは間違いなかった。

 マロンなりに色々と考えたのだろうことも。

 そうでなければ二年もこの話題に触れずにいるはずがない。

 僕はなんと言えばいいのかわからず、黙して返す。


「あ、ご、ごめんね。別にその、好奇心で知りたいってわけじゃなくて。

 ……ううん、やっぱり知りたいのかな。でも、無理に聞きたいわけじゃなくて。

 シオンくんが話したくないならそれでいいんだ。でも、やっぱり気になるっていうのが本音」


 村人達全員は、父さんからあの日のことは口外しないように言われている。

 マロンもレッドも例外ではない。

 そしてそれは今の今まで守られている、と思う。

 仮に口外しても非現実的なことだし、実際に見たのは僕の家族以外だと、マロンとローズくらい。

 ただの妄言として扱われるだろう。

 しかし僕がゴブリンを倒したという事実は消えない。

 今は問題ないが、雷鉱石の加工のこともあるように、魔法はそれだけで何かしらの影響を周囲に与える。

 善し悪しに関わらず変えてしまうのならば、安易に知る必要も触れる必要もない。

 しかしマロンは信用できない人なのだろうか。

 グラストさんには魔法のことを教えた。

 それは父さんの旧知の仲であり、信用できると父さんが判断したからだ。

 マロンやレッド、ローズはどうだろうか。

 信用できないのだろうか。

 子供だから、思わず話してしまうこともあるだろう。

 でも、すでに三人は魔法の一端を垣間見ている。

 そして二年間ほどの期間、魔法に関して口外していないはずだ。

 だったら話してしまってもいいのかもしれない。

 でも。

 関わらせることでどんな影響があるのかもわからないのに、それでいいのだろうか。

 父さんの考え通り、情報を制限することが、三人にとっていいことなのかもしれない。

 現時点では問題はない。

 でも今後、問題がないとは断言できない。

 そう思って父さんは箝口令を敷いたのだから。

 僕は迷いの中で、作業の手を止めていた。


「……やっぱり話せないよね……あはは。うん、いいんだ。

 無理に話してもらいたいわけじゃないから。ただ、知りたかっただけだから」


 そっと肩口に振り返ってマロンの横顔を盗み見る。

 彼女は悲しそうに目を伏せていた。

 友達と思っていた相手に秘密を打ち明けられなければ寂しい気持ちになるかもしれない。

 胸が痛んだが、僕は踏ん切りがつかずにいた。

 そんな逡巡の中で物音に気付き、視線をそちら側に向けた。


「あら、シオン。珍しいですわね。今日は手伝いに来て下さったのかしら?」


 ローズが威風堂々と言った感じで仁王立ちしていた。

 ローズも成長し、以前よりもかなり身長も女性らしさも増している。

 彼女の隣にはリアが立っている。

 彼女は母さんが傷を負った時、縫合手術をしてくれた人だ。

 珍しい組み合わせだな。

 それとも僕が知らないだけで仲が良いんだろうか。


「やあ、ローズ。それとリア、こんにちは」

「ど、どうも、こんにちは」


 おどおどとした様子のリアは、ぺこりと頭を下げた。

 以前と見た目はそんなに変わっていない。

 彼女は二年目の時点で成長期を終えていたらしい。

 三つ編みでそばかす。村娘という印象をそのまま形にした感じだ。

 そんなことを言えば傷つくだろうから言わないけど。

 ローズ達が来たことに気づいたのか、姉さんとレッドも近くにやってきた。


「ローズじゃない。用事はもういいの?」

「リア姉も一緒か。村長さんとイストリアにでも行ってきたのか?」

「あらマリーとレッドもいたんですのね。ええ、ちょっとイストリアへ行ってましたの。

 作物の卸売と村の用具の購入やらが必要でしたからね」

「わ、私は裁縫道具とか反物を買いに」


 村長の娘であるマリーは比較的自由にイストリアへ行くことがある。

 僕やマリーも馬があるので頻繁にイストリアに行き、ギルドへ依頼を受けに行っているが。

 そんな事情はみんなには話してない。

 十歳と十二歳の子供だけで、魔物討伐をしている、なんて話せば目立つし、村内でも噂になるだろう。

 村内だけならばいいけど、交易商人やら村外の人間に噂が広がるとちょっと面倒だ。

 まあ、ギルドで姿を隠さず依頼を受けているから、あまり意味はないかもしれない。

 ただしイストリア内では、僕達が離れた田舎村の領主の子供であるという情報は広まっていない。

 絶対的に隠さなければならないことでもないけど、あえて教える必要もないという感じだ。

 しかし、ギルド内では噂になりつつあるらしい。

 僕達みたいな子供が二人だけで魔物を討伐しているのだから、おかしなことではない。

 ただ、僕は魔法、姉さんは凄まじい身体能力を活用しているんだけど。


「そういえば、シオン達もイストリアへに足を運ぶことは多いんですわよね?」

「え、ええ。まあ、そうね」


 マリーは僅かに動揺している。

 ギルドに入り浸っていることを連想したんだろう。

 まったく、姉さんはわかりやすすぎる。


「最近、妙な病気が流行っているらしいですわよ」

「病気? どんな?」

「それなんですが……あら?」


 ローズが何か言おうとした時、突然空が暗くなった。

 見上げると、いつの間にか曇天が空を覆っていた。

 さっきまで快晴だったのに。

 そう思ったのもつかの間、すぐに空から雨が滴り始める。

 小粒の雨が大粒になるのに時間はかからなかった。


「今日の作業は中止だ! みんな家に戻ろう!」


 僕が叫ぶと同時に、みんな走り出した。

 虫の駆除は早急にすべき作業ではない。

 この世界では風邪を引くだけで命を落とすことさえある。

 雨に濡れた状態でいるのは危険だ。

 僕達は急ぎ、畑から離れた。

 瞬間。

 ドサッという音が背後から聞こえた。


 僕は振り返った。


 何も考えず。


 何の音だ? という考えしかなく、僕は振り返った。


 そして。

 視界に入った光景に、目を疑う。

 誰かが倒れていた。

 転倒したわけじゃない。

 その人は動かなかった。

 だからつまずいたわけじゃない。


 彼女は。

 姉さんは。

 マリーは。


 地面に倒れたまま動かなかった。


「姉さんッッッッ!!!」


 僕は跳ねるように地を蹴り、姉さんの下へ戻った。

 姉さんの顔を見ると、気を失っていることはわかった。

 触れてみると、反応がない。

 一体なぜ、どうしていきなり倒れたんだ。

 外傷はない。

 誰かが姉さんを襲ったわけじゃない。

 ここにいたのは僕達だけで、姉さんは僕の後ろにいた。

 その後ろには誰もいない。

 みんな僕の前にいたんだから。

 じゃあ、病気? 

 嘘だろ。

 なんで。わからない。どうして。

 あまりの出来事に思考が働かなかった。

 数秒の空白。

 その後に、僕達の異常に気づいたみんなが戻ってきてくれた。


「マリーちゃん、どうしたの!?」

「シオン、何があったんだ!?」

「っ!? と、とにかく運びましょう。シオン、何をしているんですの!!」

「わ、私、大人を呼んできます!」


 それぞれが対応してくれる中、ようやく僕は我を取り戻す。

 そうだ。放心状態でいる時間なんてない。

 まずは姉さんを屋内へ運ばないと。

 僕はみんなの力を借りて、姉さんを近くの家へと運んだ。

 姉さんの身体は水のように冷たく、そして重かった。

 

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