第132話 アンリミテッド・レベル

 拷問を思い出した。

 あまりに一方的で残虐な行為。

 だがそれ以上に、圧倒的な悪意の中、俺は蹂躙され続ける。

 殴られ、蹴られる。延々と。

 斬られ、刺される。延々と。

 人間による攻撃だ、最初はささいな衝撃で済んだ。

 だが徐々に、俺の体力は奪われ、俺のステータスも減少していった。

 すでに創造の力を失いかけていた。

 そうして。

 長きに渡る拷問は終わりを告げたようだった。

 痛痒の中、意識は薄れ、何とか視界を広げる。

 俺は地面に横たわっている。

 視界には神の足が見えた。


『惨めなものだな、クサカベ。

 先ほどまで神である我と渡り合っていた貴様が、ただの人間に痛めつけられるとは。

 しかも貴様が守ろうとしていた人間にな。わかったであろう?

 人間がいかに愚かか。どれほど貴様が死力を尽くそうとも、守ろうとしようと。

 奴らは己のことしか考えておらん。何も返すつもりもない。

 与えられることを当たり前だと思い、相手のことなど考えない。それが人間よ』


 ――ああ、身体の感覚がなくなってきた。

 神の声も遠くに聞こえる。

 このまま、眠ってしまえば。

 なんて楽なんだろう。

 どれだけの困難を乗り越え、傷ついてきたか。

 もう、休む時なんだろうか。

 俺は……すべてを出し尽くしたんだろうか。

 このまま死ねば、莉依ちゃんに会えるのか。

 ……だったら、いいか。

 莉依ちゃんにもう一度会えるなら、それでいいかもしれない。

 みんなと、莉依ちゃんとまた暮らせるなら。

 こんな幸せなことはないんだから。



 『本当にそれでいいんですか?』



 声が、聞こえた気がした。

 幻だ。そう思うのに、その声が温かくて、無視ができない。

 その声は莉依ちゃんの声だったからだ。


 『本当に諦めちゃっていいんですか?』


 ――もうどうしようもないんだ。それに……疲れた。とても疲れたんだ。


 『そう、ですね。虎次さんはいつも無理して頑張ってますから。

 休んた方がいいと思います』


 ――そう、かな。


 『そうです。いつも無理し過ぎですから』


 ――だったら、もういいよね、莉依ちゃん。


 『ええ、私は嬉しいです。また一緒にいられるんですから』


 目の前に、莉依ちゃんの姿が見えた。

 俺は手を伸ばす。

 彼女の小さな手を探して、手を動かした。



 『けれど、それで本当にいいんですか? もう満足なんですか?』



 ――満足……?


 『虎次さんは、いつも言ってました。自分が勝手にやってることだって。

 自分が好きでやってるんだって。だから、誰かのためじゃないんだって。

 でも、だったら、もう満足なんですか? やりたいことはできたんですか?』


 ――俺がやりたいこと……。


 俺は、なんで戦っているんだっけ。

 大事な人達は殺されたのに。

 ニースのため?

 それとも世界のため?

 沼田のため?

 朱夏や結城さんのため?

 いや……違う。

 そうじゃないだろ。

 俺はずっと、ずっと同じ思いだったはずだ。

 俺が、単純にそうしたいからそうしていただけだ。

 イヤだったから抵抗しているだけだ。

 みんなと過ごしたこの世界を滅ぼしたくない。

 リーシュの望むを叶えてやりたい。

 朱夏達を救いたい。

 例え関わりがなくとも、無残に殺されるような人を見たくない。

 救いたい。

 助けたい。

 そんな身勝手な欲求。

 それだけのため、そのために俺はここにいるんだ。

 大層な理由なんてない。

 最初から今まで、俺は勝手に、自分の望みを叶えるために歩んできただけだ。

 そうだ。

 そうなんだ。

 俺は。

 まだ満足していない。

 俺はわがままで自分勝手なんだ。

 だから、誰かを救って見返りなんて求めたくない。

 俺がしたいからしているだけ。

 だったら。

 まだ諦めるには早い。

 そう思った時、莉依ちゃんの姿は消えていった。

 消える寸前の彼女の顔は……やはり笑っているように思えた。

 


 ――俺は瞼を開ける。

 神を見上げた。


『さて、終幕だ。クサカベ。思えば長い戦いだったが、それなりには楽しめた。

 だがそれも終わりだ。さらばだ、異世界人』


 神は優雅に腕を掲げる。

 そして、衝撃が俺を襲った。

 すでに死に体の俺には十分すぎる程の攻撃。

「あがっ……!」

 が。


『……まだ、死なぬか』


 俺は生きている。

 意識をぎりぎりで保っている。

 死にそうだ。

 死ぬ感覚が浮かんでは強引に振り払う。


『殺そうとしても何度殺しても、貴様は死なぬ。

 初めて、我は恐ろしいという感情を抱いたぞ。

 だが、いつまで持つ?』


 衝撃が再び俺を襲う。


「があっ!」


 断続的に続く衝撃。

 俺はその度に意識を手放しそうになる。

 感覚はもうない。

 それでも死なない。

 死んでたまるものか。

 死なないという意思が、それだけが俺を殺させない。

 死を許さない。

 死には慣れている。

 ならば、死を耐えることもできる。

 死と共に生きた、死の存在ならば。

 しかし、俺は力なく地面に倒れる。

 ピクリとも動けず、そのままの体勢で地に伏していた。

 もう動けない。


『ようやく、動かなくなったか。だがまだ生きている。

 見事、という言葉しか浮かばぬ。人の身で、ここまで抗うとは。

 ようやく終わる。さらばだ、クサカベ』


 衝撃が俺を貫いた。

 そして。


『終焉だ』


 達成感を滲ませた声音を響かせた。

 神はどこか満足気だった。

 だが。

 俺はまた立ち上がった。


『……虫が。そうまでするならばよかろう。この世界ごと消滅させてくれる!』


 神の身体に力が集まる。

 今までにないほどの力。

 弾ければ地上の人間は全員死滅するほどの。

 しかし。

 力が湧かない。

 怠くて、動けない。

 俺はステータスを見た。



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 ああ、仮初めの力はもなくなりつつある。

 体力がなければ、ステータスも発揮できない。

 結局、俺は変わっていない。

 前のステータスに戻った。

 凡百の人間の時よりは上がっているが、それがなんだ。

 神に抗えるはずがない。

 立てたのは奇跡だった。

 限界、だったのだ。

 限界を迎えていたのだ。


 けれど。


 それがなんだ?


 限界はどうやって決まる?


 俺が勝手に決めているだけじゃないか?


 死は限界か?


 では、その死を乗り越えられたのは、なぜだ?


 今、俺がここにいられている理由は?



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 そう。

 そうなのだ。

 限界などない。

 限界は俺が決めていただけだ。

 限界だと決めつけ、そこで立ち止まっただけだ。

 苦しいから、逃げたいだけだ。

 俺は幾度も限界を乗り越えた。

 ならば、それは限界ではなかったのだ。


 決めるな。


 諦めるな。


 逃げるな。


 限界なんてない。


 限界を超えろ。


 想像力で。


 創造力で。


 概念を吹き飛ばせ。


 前例なんて意味はない。


 あり得ないなんてことはあり得ない。


 絶対なんて言葉は身勝手な決めつけだ。


 超えてみせろ!



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 そうだ。


 俺は。


 まだ、限界に達しても、限界を見てもいない。


 そんなものは存在しない。


 ならば。



「だったら!」



 超えろ!


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 超えろ!!


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 超えろ!!!


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 限界を!


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 概念を!


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 己を!


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 神を!


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 すべてを!


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 超えろ!


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 まだ超えられる!


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 超えろ!!!


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 限界を超えろ!!!! 日下部虎次!!!!


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・名前:日下部虎次

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・INT:(error)

・LUC:(error)



●スキル

 ・アンリミテッド・レベル

    …超越せし力。レベルの概念を突破し、限界もまたそこにはない。

     レベルとはそのものの力の数値。だが、すべての段階をも表す。

     すなわち、レベルを超越せし存在はあらゆる限界を超えるということである。



 瞬間、神から解放された力は。

 世界を揺るがした。

 眩いほどの光が、地上を埋め尽くそうとする。

 だが。

 俺を揺るがすことはできなかった。

 片手をぐっと握る。

 それだけで力を霧散させた。

 たったそれだけで。

 世界を破滅させる力を相殺した。

 衝撃の残滓さえなく。

 残響もなく。

 ただただ静寂が訪れた。

 眼前。

 神は畏れ。

 俺を見据え、目を泳がせ。

 指先を震わせた。


『その、姿、は』


 鎧は消えた。

 俺は元の姿に戻っている。

 見た目はただの平民。

 ただの人間。

 何の変哲もない人間だった。

 だが、神は俺を見て、後退りする。


『な、なんだ、な、何なのだ、き、貴様は、一体、何者なのだ!?』


 俺は神に歩み寄り。

 そして、神の肩に優しく触れた。

 と。

 力を込めずとも、神は突然、地面に急激に倒れた。


『がっ!?』


 起き上がろうとしても、衝撃が奴を襲う。

 数分間の一方的な責め苦だったが、神はその場から逃れた。

 逃げられたわけじゃない。

 逃がしただけだ。


『くっ! ……ま、まだだ、我の中には、貴様の仲間が』


 俺は瞬時に神へと迫り、両腕を神の胸にうずめた。


『が、あ!』


 血は出ていない。

 俺は神の内部に手を侵入させ、そして抜き出した。

 俺の手には朱夏と結城さん。

 次々に奴に吸収された人達を助け出した。

 そこにはナディアもいた。

 流れるように行ったからか神は何もできない。

 そして地面に倒れ込んでいるみんなを、神域へと移動させた。


「で?」

『ぐぬうぅうっ!』


 俺には限界がない。

 想像の力も、創造の力も、俺には備わっている。

 そして、もう限界は存在しないのだ。

 ならば。

 概念にとらわれている神に負ける要素はない。

 俺は瞬間的に神の目の前に移動した。

 そして軽く蹴ると、神は空中に浮かび上がる。

 グルグルと回転する神に回し蹴りを放った。

 空気を震わせる音ともに、米粒ほどの大きさになった。

 遠くへ消え去った。

 だが俺は一瞬で移動し、神へと追いつく。

 そのまま更に空中へ蹴り上げる。


「ギギィィィッ!?」


 奇声を発する神を何度も蹴り上げる。

 移動し、蹴り、移動し、蹴る。

 奴に抵抗する隙はない。

 やがて大気圏間近まで上昇した時、奴はようやく態勢を整えた。


『ぐ、ぐぅっ!』


 これで、簡単に地上へは手出しできない。

 俺は神を見据える。

 怯え、俺へ畏怖を抱いている。


『貴様、貴様貴様貴様ああっ! 我は神なのだぞ!!! それを、それをぉっ!

 これほど侮辱するとは!! 貴様ぁ! 許さん、許してたまるものか!!

 殺す、殺すぞ、貴様を殺してやる!』

「殺す殺すといって、まだ俺は生きてる。いつになったら殺すつもりだ?」

『だまれええええええっ!』


 神は激昂し、無防備に俺へと疾走した。


 一瞬の交錯。


 その一幕で。


 すべては決した。


 空は白く。


 雲は晴れ。


 風も止み。


 雨も消え。


 そして。


『……馬鹿……な、この……我……が。神、が……人間、に』


 俺の腕は神の腹部を貫いた。

 神の顔は俺の顔の横にある。

 消え入りそうな声が耳に届く。


『く、くく、異世界人……を……神託、などという……戯れに、巻き込むべきでは……。

 も、う遅い……神にも……わからぬ、こともある……もの、なのだ、な』

「おまえは人を舐めすぎた。それだけだ。神と人も共存できる未来もあったはずなのに」

『くく……愚かな、人間と共存など……我が造りだしたものに……権利など……。

 もう、よい……終わりだ。クサカベ……だ、が、これで終わりではない……ぞ……。

 貴様は……貴様だけは……他の人間とは、違う、のだ……から……な……』

「それは一体、どういう」


 神に問いかけても、もう返答はなかった。

 徐々に姿を光の粒子に変え、消散していく。

 そして光の粒は宇宙へと舞い上がり、そのまま消えていった。

 消えて、いったのだ。

 何も聞こえなくなる。


 神は。


 神はいなくなった。


 神を殺した。


 俺が、この手でこの世界を救えたのだ。


「終わった……のか……?」

『そうだよ』


 声が頭に響いた。

 それは聞き慣れた――リーシュの声だった。

 いや、声だけではない。目の前に、リーシュの姿が浮かんだ。

 俺は驚きながらも、どうしてかそれは必然のように思えた。

 

『ありがとう、クサカベ。君のおかげでオレの願いは達成されたよ。

 最後の力を振り絞って君を助けることしかできなかったけど、君はオレの期待に応えてくれた』


 やはりリーシュが俺を助けてくれたらしい。


『長かった、これまでの時間……それがやっと終わる。君のおかげだ』


 リーシュは満足そうに頷いた。

 彼女がこれからどうなるか、俺は知っている。

 だが、それでもリーシュは笑ったのだ。

 だったら俺は、何も言うべきではない。


『さて』

「行くのか?」

『うん、もうオレのすべきことはないしね。願いも叶った、だから満足さ。オレは逝くよ。

 やっと休める』

「ああ……ゆっくり休め」

『ありがとう。ちょっとさびしいけれど、きっともう会うことはないと思う。

 きっと、これからも君の行く手には困難が待ち受けていると思うけれど、元気で。』

「おまえもな」


 それ以上の言葉は浮かばなかった。

 リーシュが鷹揚に頷くと、姿が消えていく。

 光に包まれ、身体が薄くなり、ゆがて消失した。

 俺は昇る光の粒子を見上げた。


 ――さようなら、リーシュ、ありがとう。


 リーシュとの生活は決して短くなかった。

 何度も助けられた。

 その記憶が蘇り胸を締め付けた。

 ダメだ。

 まだ俺にはやることがあるのだから。

 俺は感慨を抱きつつも、感情を振り払った。

 まだ終わっていない。

 戦争は続いている。

 総力戦を止めなければ。

 地上を見下ろすと、まだ戦いは続いていた。

 神がいなくなっても洗脳はそのままだった。

 神託に従い、人間達は愚かにも戦っている。

 俺は目を伏せる。

 神の言う通り、これほどに愚かな生物はいない。

 だが、それでも俺も人間だから。

 人間は価値のない生物だとは思えない。

 色んな人がいるのだ。

 価値のない人間なんていない。

 偽善でもそう思いたかった。

 俺は地上へと手を伸ばした。

 目には見えないが、神域からみんなを地上へと戻せたはずだ。


「俺なら、やれる、よな」


 俺は意識を集中し、全世界の人間の中にある、神の力の残滓を探る。

 世界中、全員、生きている、人全てだ。

 一人も漏らさない。

 すべてを認識した後、俺は。

 創造の力を活用し。

 想像の力を活用し。

 世界中の人々の心に干渉し。

 聖神の存在を記憶から消した。


「く……は、はっ、くそっ、力を、使いすぎ、たか」


 仮初めのものであっても、根本は俺の力だ。

 使用には多大な体力を使う。

 俺は力を振り絞り、地上へと舞い降りる。


「沼田……おい、沼田!」


 木陰に倒れたままの沼田は意識を失ったままだった。

 俺は沼田の身体を支え、肩をゆすった。

 すると。


「お……お、おう、クサカベか。おまえの顔を見るなんて、寝覚めは最悪だ」

「見えるようになったんだな」

「耳も、な……代償の一部は戻って来たらしい。

 一部、だけだけどな」

「そうか。それより、終わったぞ」

「終わった? 殺したのか、神を」

「ああ、殺した。この手で」

「そうか……クサカベ、さすがだな。おまえは……。

 で? ど、どうなんだ? ナディアは?」

「そこに……」


 命を落としたジーンの横に、全員が倒れている。

 五国の王、それと朱夏、結城さん、江古田、小倉、剣崎さん、金山だ。

 沼田は覚束ない足取りでナディアに近づくと、髪を撫でた。


「ああ……よかった。ナディア、よかった。生きて、るんだな」

「少し体力を失ってるけど、多分大丈夫。すぐに元気になる」

「そうか、そうか……」


 沼田はひとしきりナディアを撫で、そしてジーンの下に移動した。


「おまえも、よくやってくれたな。ありがとな……ゆっくり休めよ」


 沼田は慈愛を持ち、ジーンを何度も撫でてやった。

 今までの沼田の印象とは違い、若干戸惑った。

 だが、俺は立っていられず、地面に座り込んだ。

 終わったのだ。

 すべて。

 これで終わった。

 莉依ちゃん、見てくれたか。

 俺、やったよ。

 ああ、やった。

 満足だ。

 後悔はあるけれど、君のことを忘れることはできないけれど。

 今は、満足だった。


「クサカベ」

「ん? なんだ」

「ありがとう、本当にありがとう」


 真面目な顔で、瞳を濡らしている。

 沼田のそんな顔を見るとバツが悪い。

 俺は視線を逸らしながら答える。


「俺のためだ。おまえのためじゃない」

「それでも感謝してるぜ……本当にな」

「……気にするな。感謝されたいわけじゃない」

「わかってんだ。それでも感謝してぇんだよ」


 俺は何を言っていいか、わからず、無言で返した。

 しばらく沼田はナディアとジーンを見ていた。

 やがて、外套をナディアに被せると、ゆっくりと立ち上がる。


「シュルテンを、覚えてるか?」

「……傭兵団バルバトスの元団長」

「そうだ。俺が殺したと言った、あの団長だ」


 今更、何が言いたいのか。

 俺は訝しがりながら、沼田を見た。


「俺は殺していない。シュルテンとは、たまたま出会っただけだ。

 奴は、酔っ払いとの喧嘩で、野垂れ死にかけていた。

 バルバトスの団長でありながら、その実、奴はかなり不真面目だったみたいだぜ。

 死にかけてた時、奴は言った。

 自分はバルバトスの団長だ、だから助けてくれたら礼ができるってな。

 俺はその時、おまえを抹殺するっていう任務があったから丁度いいと思った。

 リーンガムにおまえたちがいるってのはある程度は想定できたからな。

 結局、シュルテンはさっさと死んじまったが、俺はシュルテンとして団長を担った」


 違和はあったのだ。

 それなりの期間、シュルテンとして団長をしていた沼田。

 だが誰もシュルテンだと気づかなかった。

 いや、それどころか信頼し、尊敬さえしていたのだ。

 それはつまり、シュルテンとして生きていた間、沼田は団長として任務を全うしていたということだ。


「ララノア山での出来事は想定外だった。

 発奮剤を嗅いだジーンは予想以上に興奮してな。

 抑えきれず、多くの団員を殺してしちまった。

 ……今もたまに思い出す。奴等の顔をな。

 だが俺は任務のために、おまえを殺すためにそうした。言い訳にもならねぇ。

 ただ……何となく、おまえには事実を知って貰いたかった。

 あいつらのことは……嫌いじゃなかったんだ」

「……そうか」


 俺は言葉を持たず、相槌を打つことしかできない。

 しばしの沈黙の後、沼田は嘆息した。


「なあ、俺はな……俺の立場で言えた義理じゃないことはわかってんだけど」

「なんだよ?」

「いや……いや、そうじゃない……馬鹿らしい。そうじゃねぇな。

 なあ、クサカベ。勝手な願いだとはわかってる。頼みがあんだ。聞いてくれるか?」

「俺ができることならな」

「ナディアのことを頼む。

 つっても結婚しろって意味じゃねぇぞ、勘違いするなよ、ロリコン」

「……一発殴るくらいなら、まだできるぞ?」

「冗談だ、怒るなよ。ま……頼んだぜ。さて、と」

「何の冗談だよ、意味がわからない」


 沼田は俺の目の前に移動し、俺を見降ろした。


「やるか」

「何をだ? 移動するなら、もう少し待ってくれ」

「今じゃなきゃ無理だ。俺の気が向いてるからな」

「何を言って」


 沼田はおもむろに、俺の肩に手を触れた。

 その瞬間、何か気味の悪い感覚に襲われる。

 何かを奪われた。


「おまえ、何を」

「俺はよ、クサカベ。今も昔もずっと妹のために生きて来たんだ。

 周りから見れば異常だったろうが、俺にはそれが普通でそれが幸せだった。

 けどよ……それだけじゃなかった」

「何を言って……沼田……?」


 俺は沼田が何をしようとしているのか、少しずつ理解していた。

 だが、確信を持てず、その想像から抜け出せない。


「どこに行っても、誰かとつるんでる気持ち悪い奴らばかり。

 一人じゃ何もできないから誰かに縋って、誰かに頼って。

 自分の力だと勘違いする腐った野郎共だと思ってたんだ。

 そんな俺でもよ……でも、俺はよ」


 困ったように笑う沼田は俺を見て、こう言ったのだ。


「俺は、おまえをダチだと思ってんだぜ。笑えるだろ。

 殺そうとした癖に、何を今さらって感じだよな」

「沼田……俺は」


 俺も沼田のことを戦友だと思っている。

 普通の友人ではない。

 互いに、互いの信条を持って戦った。

 恨みもある。好意はないだろう。

 だが、別の、何かが俺達にはあった。

 言葉では言い表せない。他人にはわからないだろう何かが。

 俺は、ようやく立ち上がった。

 沼田のその言葉と顔が、すべてを物語っていたからだ。


「さて、と。頼むぜ、クサカベ。おまえだから、信じられるって思ってんだ。

 ナディアのこと、助けてやってくれ。あいつはわがままだけど、寂しがり屋なんだ。

 おまえのこと、なんやかんやで気に入ってたみたいだし。

 クサカベ。『後は頼んだぜ』」

「おい、沼田、や、やめろ!」


 奴は、俺から奪ったのだ。

 『創造の力によって、一時的に増加した命』と『創造の力そのもの』を。

 だから。

 沼田は両の手を虚空に伸ばし。

 創造の力を扱い、多数の命を世界へ放り投げた。

 500の命を持つ俺はどれだけの不幸と困難を受けたか。

 そして神の所持していた創造の力。

 それを奪い、扱う沼田の代償は。

 想像せずともわかる。

 キラキラと明滅する円状の光が周囲を漂う。


 無数に。


 ぷかぷかと浮き、それぞれの方向へと飛んで行った。


 数えきれないほどの。


 それは魂という概念だった。


 それがどういう意味なのか、俺にもわかった。


「沼田!?」


 沼田は力を使い果たし、地面に倒れ込んだ。

 ほんの数秒の間に、沼田の身体は衰弱してしまっていた。

 身体には力がなく、立ち上がる体力も残っていない。

 抱えると、軽かった。


「ぐ……あ……ああ、はは、やれた、か。はは、多分、大丈夫、だ。

 感謝、しろよ……俺が、ここまで、やってやったんだから、な」

「ああ……ああ、感謝してる。沼田、感謝してるよ」

「あー……しんどい、死ぬのも慣れないし、痛みにも慣れない……。

 おまえは大したもんだ……本当に、おまえはすげぇよ……。

 俺には無理だ……尊敬する……」

「それは俺の台詞だ。俺の……」

「へ……へへ、悪くねぇ、な。お互い、尊重して……いる、関係、ってのも……」

「ああ、そうだな、そう思う。それに……俺もおまえを友人だと」


 俺は気づけば、涙を流していた。

 わかっていなかったのだ。

 俺は。

 沼田を友人だと思っていたのだと。

 嫌いだと思っていたのに、本当は純粋に友人だと思っていたのだと。

 性格は反対だ。

 でもだからこそ、互いのことを理解できた。

 沼田のやったことは、許されないこともある。

 だけど。

 俺は、今の俺は沼田を友人だと思っている。


「沼田?」


 返事はなかった。

 小さく笑い、沼田は動かなくなった。

 満足した。

 そう言っているようだった。

 友人を抱き。

 俺は咽び泣いた。


「ありがとう……力(りき)……」


 泣いて、泣いて、泣き続けた。

 心が叫び、涙が枯れるまで、俺は泣き続けた。

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