第110話 王の視座

 見惚れた、という表現が最も適している。

 これほどの所業は、一度も見たことがない。

 それは生まれながら、顕現した時から何者かに与えられた力とは違う。

 別の、何か特別な強い力。

 それは意思なのか、それともこの男だからなのか。

 神である自身でさえ、この人間にはいつも驚かされる。

 雷を思わせる、鋭い轟音が響いた。

 すでに三桁に届いているはずだ。

 それを正確に冷静に行っている。

 『クサカベの手元で閃光が弾ける』

 同時に遥か遠方で小さな衝撃が走った。

 ――これで三十八人が死なない未来に到達した。

 バシィと鼓膜をつんざく音が響き、そして突如として音は止んだ。


「残り時間は?」

『211秒だね』

「十分だ」


 端的に呟いたクサカベは再び指を動かす。

 西門上部見張り塔、そこから彼は一歩も動いていない。

 もっと言えば正面から顔さえ動かしていない。

 一瞬、彼の動きが止まった。

 どうやら『なくなった』らしい。

 クサカベの腰には革袋が下げられている。

 革袋にズボッと手を入れ、中から取り出したのは直径一センチほどの球。

 高硬度を誇るイグニ鋼を素材とした球だ。

 銃弾でもなく、ただの球であり、武器として扱うのは困難だろう。

 だが、このクサカベという人間は、それを可能としている。

 高硬度を誇るため重量もそれなりにある。

 一定以上の速度で射出すれば、銃弾並の威力を生み出すことが可能だろう。

 クサカベはそれを指で弾くだけで実現している。

 つまり指弾である。

 それを『戦場全てを見渡し、死にそうな自軍の兵がいた場合、助ける』ために扱っている。

 雨は隠れ蓑になり、轟音は雷と勘違いさせることができる。

 力加減は難しく、当然ながら命中させなければ意味はない。

 幾ら鍛え上げたとはいえ、指の力だけでこなせるはずがない。

 だから部分的な兵装を活用している。

 全身を纏う兵装を腕や足だけ、のように部分的に使用することで異常な程の力を発揮する能力だ。

 だが、頻繁に使えば身体は疲弊し身体能力は徐々に下がって行く。

 そこでクサカベは更に極小の部分、

 つまり指先だけを兵装化し指弾を放っている。

 その上、極大感知という多大な集中力を必要とする能力も併用している。

 さらに――。

 時が止まった。

 残り211秒の余裕しかないが、数秒ごとに時間を逆行させれば余力は残せる。


 『時空転移』


 実際はリーシュ以外には時間の行き来を明確に認識はできない。

 使用者であるクサカベでさえ、突然時間が戻ったように感じているはずだ。

 それでも動揺はなく、平静を保ったまま、即座に対応している。

 戦場は広い。

 数百同士の戦いであっても、一人の人間が視認できる範囲は限られている。

 いくらクサカベでも限界はある。

 一人の人間を助けるため指弾を放っても、別の場所で誰かが死ぬことはある。

 そうやって取りこぼした場合、時間を戻し、同時に対処するのだ。

 驚くべき点は、彼が一度も『死んだ人間を見逃していない』ということだった。

 助けられなくとも、助けられなかったことを認識している。

 その上、彼の国民の、ロッドという人物の裏切りを知っても、冷静に対処した。

 その判断は正しいが、常人には不可能なほど、感情を度外視した行動だ。

 的確だ。しかし、異常でもある。


 正確な指弾による射撃。

 広範囲に及ぶ視認性。

 状況判断能力。

 時を止めるタイミング、その思いきりの良さ。

 ここまでに及ぶ布石、計画性。

 何より、すべてを己の考えのみでこなした精神力と先見性。

 彼はもう普通の人間ではない。

 これほどの大業を成す人間は存在しない。

 だが実際、彼はそれを可能としている。

 人間でありながら、人間から逸脱し、神さえ及ばぬ領域に達しつつある男。

 それがクサカベという男だった。

 リーシュは横でクサカベに見惚れている。

 なんという男なのだ。

 リーシュの心は打ち震えていた。

 やはりこの男は異質だ。

 彼でなければ成しえない。

 そう確信した。

 閃光が走る。

 雨粒を避ける光芒は一瞬だけ戦場を寸断する。

 リーシュは思った。

 彼の行動はきっと誰にも認識されない。

 これだけのことを成し遂げても、非難されるだけだろう。

 それでもクサカベは歩みを止めないのだ。

 彼が彼であるが故に。

 彼が望んだ大業を成すために。

 今、この時でさえ、通過点に過ぎない。

 数々の不幸や苦難を乗り越えた、彼だからこそできることだ。

 今回の戦もなんとか終えることができるだろう。

 彼ならば。

 そう思った、矢先だった。

 リーシュは突如として振り返った。

 ほぼ同時に、クサカベも振り返る。


「……そう来たか」


 一瞬にして二人は状況を把握した。

 どうやらただの山賊と思っていたが、ただのバカではなかったようだ。

 別働隊が海路を経由し、都市内に侵入するつもりらしい。

 山賊が船を持っていたのか、それとも海の……そう海賊のような組織があるのかもしれない。

 リーシュは動向を見守るだけ。

 契約により『僅かに力は貸す』がそれだけだ。

 今は、それくらいしかできない。

 ふとリーシュは隣に視線を移した。

 これは……逡巡している?

 ここにきてクサカベの顔に、迷いが浮かんでいるように見えた。

 さて、この男がどういう判断を下すのか、楽しみでならない。

 リーシュはクサカベという人間に期待し、親近感を抱いていることを自覚している。

 だが所詮は神と人間。

 隔たりがあり、距離を縮めるのも限界がある。

 今の距離感でいいのだ。

 自分は彼を見守り、時として手を貸すそれくらいの間柄でいい。

 ――今は。

 クサカベは再び正面に視線を向けた。

 そのまま指弾を放ち、時間を逆行させる。

 また先程までの行動を始めたのだ。

 だがそれだけにとどまらない。

 対処をしつつも、懐からテレホスフィアを取り出し、どこかに連絡したようだった。

 それだけだ。

 それ以上は何もする気はないらしい。


『いいのかい? どうやらかなりの数が港湾区画から侵入しようとしているみたいだけど』

「ああ、今、俺はここを動けない。動けば死人が出るからな」

『君が出れば一瞬で解決するけど』

「それはしない。この機会にそれをすれば、全ては水の泡だ。

 元に戻ってしまう。国民の意識は低く、怠惰な国へと向かってしまう。

 それではダメだ。この戦は好機に他ならないんだから」


 彼の言い分はわかる。

 もし彼がここで手助けすれば『やはり王は助けてくれるのだ』と思うだろう。

 そうすれば結局、真剣さを失い、覚悟を持つ機会も、今後なくなるだろう。

 意思の強さは行動に現れる。

 決意こそが望んだ結果をもたらす条件だ。

 他人に頼る思考では何も成せず、何も生み出さない。

 仮に望んだ結果が出ても、それはただ与えられただけのもの。

 真の意味で利を得たわけではない。

 そして、そのような出来事が重なると、他人が生み出したものを横取りするだけの存在になってしまう。

 寄生だ。

 そんな人間はどこにでもいる。

 楽をすることで利益を得ることほど蠱惑的なものはないからだ。

 身勝手にも『なぜもっと早く助けに来なかったのだ』などと思う輩もいる。

 人間は自身の不幸に理由を求めるのだ。

 どうして、なぜ、そういう疑問は近場にある何かに責任を押し付けたいという欲求でもある。

 そうでなければ気持ちの所在が不明瞭なままだからだ。

 だから八つ当たりする、逆恨みする。

 それは人間のありがちな欺瞞だ。

 リーシュは人間の浅慮さを理解し、そして飲み込んだ。

 クサカベはそれを理解しているだろう。

 ならばどうするつもりなのか。


『じゃあ?』

「……何とかするさ」


 何とかする。それは自分で、という言葉を含んでいる。

 彼は愚かな人間とは真逆だ。

 真摯でモノが見えすぎている。

 だからこそ、彼には誰かに頼るという考えが欠如している。

 何かをさせているように見えて、実際は彼が支え、行動していることですべては回っている。

 この国は、彼がいなければ回らない。

 それを国民が理解していないことが、どうにもモヤモヤする。

 人間の視野の狭さは痛い程、理解はしているのだが。

 それでも国王であるクサカベは今の姿勢を崩すことはないのだろう。

 いや、だからか。

 だからこのような手間をかけても、国民の肉体、精神を鍛えようとしているのだ。

 ならば、彼がこれから何をするにしても、最終的に前述の通りに帰結するのだろう。

 リーシュは黙して正面を見据える。

 暗雲の中、地面を打つ雨がどこか鬱々としている。

 その中、彼の放つ指弾だけが、何かを示すように明滅していた。

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