第107話 幕間 異質な男

 男は笑っていた。

 整えた口髭、癖のない長髪を後頭部で括っている。

 黒髪でアジア系に見えなくもないが、目鼻立ちはくっきりしている。

 長身痩躯に見えるが、袖から覗く腕は筋肉が纏わりついている。

 手には曲刀。

 皮鎧、動きやすそうな薄めの生地の服、皮製の外套。

 傭兵よりは簡易な装備だった。

 彼の名前はドヴァル。

 エシュト内でも有名な悪逆非道の山賊団、緑鬼団(りょっきだん)の頭領である。

 彼の足元には若い男が横たわり呻き声を上げている。

 人相が悪く、いかにも子悪党という感じだった。

 ドヴァルと同じような服装だったが、彼の服はボロボロで血が滲んでいる。

 地面は血で汚れている。

 ドヴァルは雨に打たれながらも気にしてもいない。

 周辺には簡易テントが幾つか並び、周辺で仲間らしい男達が何やら支度をしている。

 全員が武装しており、物々しい雰囲気の中、ドヴァルだけが浮いている。


「もう一度、聞こうと思うんだ、なあ?」


 ドヴァルは傷だらけの男の胸ぐらを掴み、強引に立ち上がらせる。


「おまえ、仕留め損なったな? おまえが、仕留め損なったんだな?」


 恐らくはこの質問を百回は繰り返している。

 その度に、傷だらけの男は否定していた。

 だが、それも限界だった。

 否定する度に殴られ蹴られ、斬りつけられる。

 繰り返されると次第に、言葉を出すことにさえ恐怖を抱く。

 だが沈黙は最も悪手だ。

 殺されてしまうだろう。

 否定もダメ、沈黙もダメ。

 ならば選択肢は一つしかない。

 もう、限界だったのだ。

 しかし、彼は思っていた。

 殺されはしないだろう、と。


「お、俺が仕留め、そ、損なった」

「はーい、終わり」


 脈絡なく、笑顔のままドヴァルは曲刀を、目の前の男の胸に突き立てる。


「え? が、ふ」


 吐血しながらもなにが起こったのかわからず血に濡れた手を見下ろしていた。

 そして、そのまま倒れて絶命した。

 あっけなく死んだのだ。

 彼は即座に殺されるとは思っていなかった。

 その証拠に、彼の死に顔には驚きの表情が張り付いている。

 なんせ、彼は長い間、ドヴァルと行動を共にしていたのだ。

 友人と言える間柄だったはずだ。

 共に酒を飲み、一夜を明かすこともあった。

 右腕と呼ばれる地位にもなった。

 それがたった一度の失態で殺されてしまったのだ。

 いや、違う。

 彼は勝手に自分の都合のいいように思いこんでいただけだ。

 自分だけは殺されない、そう自惚れていただけだった。

 ドヴァルは興味がなさそうに、死体を見下ろすと、苛立ちをそのままに蹴りつけた。


「あああ! ったくよぉぉ!!

 こいつのせいでさ、こいつのせいで面倒なことになっちまったよぉおぉ!」


 感情的になり、死体を蹴る男。

 仲間達は居心地が悪そうにしながらその様子を見ていた。


「お、お頭!」

「ああっ!?」


 ドヴァルは気が狂ったように仲間だった男を蹴っていたが、苛立ちのままに振り向いた。

 特徴のない部下らしき男は怯えながらも勇気を振り絞り、話を続ける。


「副頭領から情報が! どうやら敵軍はせいぜい100程度らしいです」

「……それだけ?」

「そ、それと、カ、カーグナーから返答がありました! きょ、協力を受け入れると!」


 部下の言葉に、鬼の如き怒りを抱いていた男は、途端にニヤッと笑った。


「そうか、そうか。うんうん、そうかー。

 よかったなあ、おい。エシュト屈指の海賊、青海団(せいかいだん)と手を結べるぜぇ?

 いやいや、俺達、山賊の緑鬼団も海賊と協力する時代かぁ。

 いい時代だなぁ。なあ? そうだろ? クソむかつくよなぁ?

 なんで磯くせぇカス共と手を組まないといけないの? うん?

 クソ腹立つよな? ぶっ殺したくなるよな? うん?」

「は、はい」


 部下は有無を言わさぬ雰囲気に頷くしかない。


「うんうん、そうだよなぁ。

 なんで水の上をぷかぷか浮いている連中と手を組まないといけないんだって。

 そう思うよなあ? くっせぇくっせぇ奴らとさあ、手を組まなといけないんだってさ。

 思うよな? そうだよなあ?」

「は、はい」


 部下が頷いた瞬間、男は曲刀を振るった。

 遅れて、部下の首が地面に落ちる。

 首が乗っていた部分から鮮血が溢れ出し散布された。

 意思を失った身体は重力に従い、地面に倒れる。

 脈絡はない。一瞬の出来事だった。


「だめだろぉ!? これから協力する奴らに向かってそんなこと言っちゃあ。

 いやいや、違う違う。そーじゃないんだなぁ。

 これからリーンガム? あれ、違ったっけ、まあいいか。

 とにかく都市を陣取っている連中をぶっ殺して、仲良く一緒に暮らす相手をさあ?

 ほら? 一応さ、オーガス軍を撃退したとか噂が流れてたじゃん?

 まあ、噂といっても、火のないところに煙は、立たないとか言うし?

 一応警戒が必要、みたいな? それで協力を申し出ちゃったわけで?

 な? だからさ、だめだよ。だめだめ、そんなこと言っちゃだめだろぉ?

 協力して、世界中の悪人を集めてさあ、建国するんだよぉ。

 んでさ、悪人の国を作るの! 最高じゃない、もうやりたい放題!

 住民が逃げたところを狙って奪うような連中とは違ってさあ、きちんとするの!

 なあ? そうしないとさあ、エシュト皇国のクソ野郎どもにさあ、捕まっちゃうわけ。

 そのためにここまで来たのにさあ、調査隊に見つかって、逃しちゃうし。

 この、クソ野郎のせいでよおおおおっ!」


 ガンガンと再び、死体を蹴る。

 誰もが、彼の常軌を逸した行動に怖気を抱いていた。

 間違いなく、この組織をまとめているのは、この男の狂気だった。

 恐怖により誰も逃げられない。逃げてもエシュト皇国に捕縛されてしまう。

 罪人はこの国では生きられない。

 もうそういう風になってしまった。

 戦火の中、どこの都市でも彼等の居場所はなかったのだ。


「はあはあ! クッソむかつくぜ! 

 まさかエシュト皇国の王妃様がよぉ、あんなイカレてるとは思わなかったってんだよ!

 国民を人体実験に使うなんてよぉ!

 信じられんねぇ。普通あっこまでやる? やんないよね? なあ!?

 ちょっとくらいさあ、国内を混乱させるくらいならいいけどさあ、面白いし。

 俺達までこんな目にあわせるとか、ほんっとむっかつくよなあ?

 ま、大半のバカな国民はまだ気づいてないけどよぉ、そろそろ広まるよぉ?

 その前に、やっちまわないとさ、色々面倒だろ?

 難民とかうぜぇしさ、ぶっ殺すのも手間だしよぉ。

 そ、そうだ。そうだよ、忘れちまってた。

 こ、こんなところで死んでたまるかよぉ。あそこに行かないと。

 殺さないと、じゃないと俺達が殺されるよぉ。

 ああ、うん、そうそう。うん? うん。

 問題ないな、そうだな?

 どうせジジイかババアかガキか馬鹿しか残ってないだろ。

 さっさと殺して全部奪って万事解決、な!?」


 哄笑し雨に打たれていたドヴァルは、不意に足元を見下ろす。

 そして、突然、悲痛な表情を浮かべた。

 号泣し、項垂れ、身も世もないとばかりに、くずおれた。


「ああああああ、や、やっちまった。おおお、なんてことを。

 やっちまったよぉ、ああ、す、すまねえ、なぜ殺しちまったんだよおぉ!

 こ、こんな、俺は大して怒ってなかったんだ、なのにこんなことしちまった。

 なんで、あれ? なんでだっけ? なんで殺して……ああ、そうか!

 てめえのせいでぇ、面倒なことになっちまったんだよ!

 クソが、クソが、クッソが!!

 奇襲ができれば余裕でぶっ殺せたのによおおお!」


 再び屍となった、友人を蹴るドヴァル。

 誰も彼に近づかない。

 近づけば巻き込まれてしまうのは目に見えている。

 だが彼の力は誰もが認めていた。

 何かを奪うことに関して彼ほど卓越した人間を、部下達は知らなかったのだ。

 生きるために何を捨てるか、何に耐えるか。

 その問答の中。

 ドヴァルの恐怖政治に耐え、甘い汁を吸うことを選んだ。

 それが緑鬼団の連中だった。


「はあはあ、はあ、ったくよ! 

 疲れただろぉよぉ! はあはあ、はー、めんどくせ。

 ま、仕方ないか。とにかく、だ。もう準備万端。行くか。

 あ、なんか楽しくなってきた! な!? 楽しいな!?

 この雨、冷てぇんだよ! ああ、くそ、ああ、くっそが!

 おい、てめえら! さっさとリーンガム、じゃなくて、あーと、なんだっけ。

 アイリス国だっけ? なんだどこぞの姫様みたいな名前だな。

 まあいいや。とにかく行くぞ、俺に続けぇい!」


 ドヴァルがスキップしながら進み始める。

 部下達はいつものことと、慣れた様子で支度をさっさと済ませて、頭領に続いた。

 二つの死体は野ざらしにされたままで、雨に打たれ続けていた。

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