第106話 進む者と守る者

 本当にこれでいいのか。

 そう思ってしまうのは、裏切りなのだろうか。

 ディッツは自問自答を繰り返す。

 恩義のある王の顔を思い出し、その冷徹さに身震いしている。

 クサカベがどういう人物なのか、未だにわからない。

 時として年齢そのままに無邪気であり、優しくおおらかに見える。

 時として驚くほど冷静に冷徹な判断を下す。

 時として歴戦の傭兵さえ赤子に思える程の強さと精神力を見せる。

 時として自分と同じ人間とは思えないほど遠くの存在に思える。

 クサカベという人間を、ディッツはまだ理解していない。

 もしかするとそれは全員が同じなのかもしれない。

 王の大事な存在であるリイでさえも。


 シェーンの死はすでに知っている。

 ケインとロッドは警備局の人間なので、ディッツとは交流があったからだ。

 シェーンは総合事務局の調査隊員のため、畑は違うが彼等は仲が良い。

 そのため情報は多少ながら入ってきていた。

 ケインとロッドは王に対して、不敬な態度をとったらしい。

 その気持ちはわかる。

 だが、身勝手だと思ってもいる。

 シェーンは自薦で調査隊に入った。

 自分の意思で入り、危険だと知りながらも逃げなかったのだ。

 彼の雄姿を称えこそすれ、死を悼みつつも、他人に八つ当たりなぞするはずがない。

 だが和王の対応は正しかったとはいえない。

 残念ながらこの国の民は浅はかな人間が多い。

 つまり若いのだ。

 若者であればあるほど何かを新しく始めやすく柔軟な判断ができる。

 歳をとれば考えが凝り固まり頑固になりやすいからだ。

 ハイアスの国民は老若男女、人種も様々だが、行動的な存在はどうしても年齢が若くなる。

 若さゆえに行動的ではあるが、精神的に未熟だ。

 知らないがゆえに行動はできるが、それは経験不足でもあるということだ。

 彼等に王の辛さや努力を汲み取る余裕や、立場を考慮する能力も寛容さもない。

 幼いがゆえに感情的になる。

 だが、ここにきてディッツでさえも、若者達と同じような心境に陥りそうになっていた。

 つまり猜疑心を抱きつつあった。

 クサカベは本当に国民のために行動しているのか。

 この戦で国民が死のうとも構わない、そう思っているらしいことがわかってしまった。

 あの言葉を聞き、ディッツの中の疑念は膨らむばかりだった。

 彼についていっていいのか、と。

 自分のことはどうでもいい。

 問題はリアラだ。

 何かあれば妹に危害が及ぶ。

 それだけは耐えられない。

 いくら恩があっても、妹の命だけは渡せない。

 自分の命ならば差し出す覚悟はできている。

 だがら危険な仕事も望んでしているのだ。


 ディッツは雨の中、帰路についていた。

 走っているので息が荒い。

 リアラに状況を説明するために一度帰宅しなければならないからだ。

 それも時間に余裕があるわけではないが。

 雨音が不気味な死神の足音にも思え始めた。

 信じていいのか、それとも……。

 自宅、それは寂れた住宅街のこじんまりとした家屋。

 必死でお金を貯めて買った家だ。愛着があるため、別の家には引っ越していない。

 いくらでも家は余っているので、もっと良質な家に越すことはできるのだが。

 ディッツは息を整えると家の中に入った。


「お兄ちゃん?」

「ただいま、リアラ」


 妹のリアラが台所に立っている。

 今日は調子がいいらしく、ベッドから出ていた。

 花売りはもうしていない。

 建国してからは花を買うような人はいないし、通貨がないからだ。

 現在、エシュト円貨はすべて回収されている。

 ただ、回収された分だけ、通貨制度が施行されたおりには戻って来るらしい。

 ……和王は色々と国民のために考え、行動してくれている。

 やはり信じるべき、なのだろうか。

 そういえばもう夕飯時か。

 いつもならこのまま妹の手料理を食べるところだが、今日はできない。

 ディッツは身体を拭き、大外套を纏う。

 警備用の部分鎧から、戦闘用の全身鎧に着替え、愛用している斧も携える。

 準備をしながら、リアラに状況を説明した。


「――だから今日は家から出るなよ」

「う、うんわかった……また、怖い人達がくるんだね」


 いつもなら怯えて震えるリアラだったが、落ち着いているように見えた。

 今まで、リアラは憶病なところが多かった。

 特に誰かと会う時。

 リアラは人によって異常な程に緊張したり、逆に落ち着いていたりする。

 それは妹が人の呼吸や所作で、敏感に人となりを感じとるからだろう、とディッツは思っている。

 それ以外にも、目が見えない不安は大きい。

 当然、先のオーガス軍の侵攻時も泣きだすほどに怯えていた。

 だが、今はまるで別人のように冷静だ。


「なんだ、結構平気そうだな?」

「うん。だって和王様がいるもん」


 なぜここでクサカベの名前が?

 以前、一度だけ家に上げたが、その際にもリアラはクサカベに対して親近感を持っていた。

 リイといい……もしかしてロリコン特有のフェロモンとか出ているのだろうか。

 幼い女の子を落ち着かせる何かの成分が出ていたり。

 なんて考えると、あの男が恐ろしくなった。

 なんということだ。

 妹が狙われるかもしれない。

 ますます信用が瓦解する。


「たまにね、来てくれるの」

「な!?」


 あの野郎、どうやらリイだけでなく、リアラにまで手を出そうとしているらしい。

 なんて奴だ。

 なんて変態だ。

 恐ろしい。

 ディッツはあまりの恐怖に手が震えた。

 ロリコンって奴は、見境を知らないらしい。


「お兄ちゃん、多分勘違いしてるよ。和王様はお話し相手になってくれてるだけだよ」

「く! 騙されるなリアラ、そういう手なんだ!」

「違うもん! 和王様は忙しいのに、色々話してくれるの。

 いつも、私のこと心配してくれるよ?」

「な、なんてこった、すでに懐柔されているってのか!?」

「もう! 話聞いてよ!」


 あまりの動揺にちょっと大げさな反応をしてしまった。

 どうやらリアラはかなりご立腹のようで、視線を逸らして、むーっ、と唇を尖らせている。


「悪かった、冗談が過ぎた」

「もう……お兄ちゃん、和王様に失礼なこと言ったらだめだよ。

 親切にしてくれてるし、助けてくれたんだから」


 そう、そうなのだ。

 自分もリアラもあの男に助けられたのだ。

 いや、自分達だけではない。

 この国に住む全員が同じ境遇だ。

 なのに、簡単に疑っていいのだろうか。

 例えどんな理由があったとしても、どんな目的があったとしても。

 彼が国民を助けたことは事実なのだ。

 そして今も尚、国民のために働いている。

 なのに、だ。

 言葉をそのまま受け取り、勝手に失望するなんて身勝手にもほどがある。

 信じるしかない。

 いや、信じたい。

 そう思っていたはずだ。

 それでもやはり自分の感情だけで終わりにすべきでもないと思う。

 やはり、ケインやロッドの和王に対する誤解は解消して欲しい。

 まだ完璧には信用してはいない。

 だが疑うことはもうやめにした。

 迷っていたが決断する。

 この戦いですべてはわかるのだ。

 和王に甘えるつもりはない。

 彼の力に頼れば、恐らくはそれが当たり前になってしまうだろう。

 だから、クサカベは今回、国民だけで戦うように指示したのだと思う。

 それでもやはり国民の死を軽んじて考えて欲しくはなかった。

 ……あの男ならば、自分が考える程度のことは考慮しているに違いない。

 ならば何か対策が?


 信じる。

 そう、信じるのだ。

 きっと悲劇は訪れないと。

 きっと誤解は解消されると。

 この戦いで答えは得られると。

 ディッツはそう信じたかった。

 だから。

 ケインを第二小隊隊長、ロッドを副隊長にすると決断した。

 そうすればきっと、見えないものも見えてくるはずだと信じて。


   ●□●□


 ハイアス西城壁、西門上部、見張り塔。

 城壁の造りは単純だ。

 厚さ七、八メートル程度の壁。

 その上に哨戒、見張り用の平坦な道が伸びている。

 城壁は長方形。その角の四ヶ所と、西南北城壁中央の三ヶ所に見張り塔はある。

 塔といっても高さはあまりなく、数十の階段を昇ると円状の廊下に出る。

 十人並べば満員。それくらいの広さ。

 簡易的な手すりがあるだけで、凝った造りとは言えない。

 階段の踊り場には小さな棚があり、毛布が少しだけ入っている。

 この塔から周囲を警戒するのだ。

 それを警備局の連中は毎日やってくれている。

 もちろん、人数が足らないのですべての見張り塔を使っているわけではないが。

 ザーと小気味いい音を鳴らしながら雨が屋根を叩いている。

 外套を羽織ってはいるが、ここならば多少は雨を凌げそうだ。


「本当にここでよろしいのですか?」

「ああ、構わない」


 俺はハミルと隣り合って都市外を見回しながら会話をしていた。


「しかし、見通しは悪いです」

「いや、よく見える。ここが最良の場所だ」


 ハミルは俺の言葉に呼応するように、遠くを眺め、そして再び俺を見た。


「失礼しました。王には心配無用でしたな……しかし、それは何に使うのですか?」


 ハミルは俺の手元に視線を落としながら訝しげにしている。

 俺の手には革製の袋が握られている。

 これはアーガイルから貰ったものだ。


「こういう時のために、アーガイルに頼んでいたものだ。

 大したものじゃないさ」

「そう、ですか……些か気になりますが」

「気にするな。忘れろ」


 別段困りはしないが、吹聴されて、探られても困る。

 ハミルならば口は堅いとわかっての行動でもあった。


「王がそういうのであれば、忘れます」

「ああ。それと手はず通り、ディッツにテレホスフィアを渡してくれ。

 各隊への指示はここから出す」


 通常、こんな場所から、遠眼鏡の類もなく戦況がわかるはずもない。

 だが俺にはわかる。


「かしこまりました。それでは、私は」

「ああ、頼むぞ」


 頭を垂れ、ハミルは降りて行った。

 周囲には誰もいない。

 俺一人だ。


「さて、と」


 俺は集中し、雨音さえ意識の外に弾きだす。

 次第に視覚だけが研ぎ澄まされ、遠くまで見通せるようになった。



 ・極大感知

   …研ぎ澄まされた意識によって、五感が敏感になっている。

    範囲は広く、数百メートル内であれば集中によって知覚できる。



 この半年で新たに覚えたスキルだ。

 常時発動型なので時折、鋭敏すぎる時もあるが、意識的に集中しなければ日常生活は問題なく送れる程度だ。

 双眸は700メートル程度先の平原と森林辺りを明瞭に映し出す。

 何とか見える程度ではなく、目の前に見える程度だ。

 だから正確にはもう少し先までが視界内だ。

 晴天で、見通しがよければ数キロ先くらいならば見えなくもない。

 だが、今は視界が悪い。

 五感を研ぎ澄ましても限界があった。

 防壁前には人影が見え始めている。

 もう大分、小隊の人間が集まっているようだ。


「……不参加者はあまり多くはない、か」


 聴覚を鋭敏にして会話を聞こうと思ったが、雨の音が邪魔をして鼓膜が痛くなりそうなので止めておいた。

 テレホスフィアを懐から取り出す。

 色だけで意思の疎通を図る石。

 現状ではそれが限界だが、それでもこの世界では有利だ。

 現在、七色の明滅が可能になっている。

 四色は東西南北を指し、三色は進撃、後退、待機を指す。

 細かい命令を考えればやや頼りないが、単純な指示であれば支障はない。

 問題は、指示通り動いてくれるかどうか、だ。

 俺の指示に何の疑いもなく従ってくれるかどうか。


「……厳しい戦いになるかもな」


 俺は無意識の内に呟いていた。

 アーガイルが開発してくれた銃はまだ数が少ない。

 実戦投入するには潤沢とは言えないだろう。

 結局、通常の戦い方で臨むしか選択肢はないわけだ。


『君がさっさと倒せば早いのにね。本当にここまでする必要があるのかな?』


 いつの間にか俺の隣に立っていたリーシュに、俺はジト目を送る。


「わかっている癖に」

『そう、簡単なこと。国民の精神、肉体を育てるのも王の仕事だからね。

 これは必要なことだ。けれど、面倒に思ってる。違うかい?

 何でも、自分でやった方が早い。誰かを育てるよりはね。

 特に、精神の未熟な連中は、まともに育てさせてもくれないからね』

「……それも俺の役割だ」


 リーシュはくすくすと笑った。

 まるで子供だ。

 見た目は子供だけど。

 こいつ、一体何歳なんだろうか、とふと思った。

 口にはしない。さすがに怒りそうだし。


『いいんだ。オレは見てるだけだし。でも、手はほとんど貸せないよ。貸せても少しだけ』

「わかってるって」


 言い終えると満足そうにしながら、リーシュは雨に隠れる情景を眺める。

 消えるつもりはないらしい。

 彼女もこの戦を見守るということか。

 それは、どこか頼もしくもあり、どこか居心地が悪かった。

 彼女は俺に期待している。

 だがそれを裏切る可能性もなくはないのだ。

 こんなところで躓くわけにはいかない。

 俺ならやれる。

 そうやって自信を持たせるしかない。

 俺はリーシュにわからないように嘆息する。

 気苦労が絶えない。 

 それでも気が萎えないのは、諦める気がまったくないからだろう。

 さて、あと数時間程度、だろうか。

 心地よい緊張と、未来への不安が上手くないまぜになっている。

 それも悪くない、そう思えていた。

 革袋を開くと、ジャラっと音が響いた。

 

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