第96話 関係性と関連性 2
――若者達の背後に大きな影が落ちた。
「は?」
素っ頓狂な声を出した若者達が振り向くとそこにいたのは警備局長のディッツだった。
ディッツは腕を組み、仁王立ちしている。
無骨な鎧に、大斧と周囲を威圧するような風貌だった。
初対面の人間が抱く印象は決して良いものではないだろう。
俺が日本にいた時、出会ったら間違いなく即座に逃げ出していたと思う。
ディッツの背後には、彼にも劣らない体躯の男達が立っている。
彼等を見て、若者達の頬がヒクッと動くと、卑屈な笑みを浮かべた。
「こ、こんにちは、ど、どうしたんですか?」
「いやな、ここで諍いが起こっているって通報を受けてな」
「あ……あー! ええ、ええそうなんですよ!」
ディッツの言葉に若者が嬉しそうに言った。
「亜人達が僕達に危害を加えようとしましてね、いやあ、怖かった。
警備局の皆さんには、あいつらをどうにかして欲しいんです!」
「ほうほう、なるほど、彼等がおまえ達に危害を加えようと?」
「ええ! まったく亜人というのは凶暴で困りますね」
若者は胡散臭い演技をしながら、うんうんと頷いた。
誰が見ても怪しいが、彼等自身は気づいていない。
「で? 誰だ? おまえに危害を加えようとしたのはよ」
「え? えーと、ほら、あの、ちょっと赤味がかった毛並みの、あいつです!」
「なるほど、おい」
ディッツは部下に向かって顎をしゃくる。
すると部下の男はディッツの意図を察し、先ほどのライコ族の青年の下に走っていった。
中々にディッツは上手くやっているようだ。
彼に警備局を任せてよかった。
部下の男が先ほどのライコ族を連れて戻ってきた。
青年はかなり不服そうだが、一応は指示に従ったようだ。
「こいつでいいんだな?」
「え、ええ! こいつです! こいつが僕に危害を加えようとしました!」
「ほう? で、なんでそんなことになったんだ?」
「そ、それは……僕達人間が気に食わなかったんでしょう。
突然殴りかかって来ました」
なんと適当な嘘だ。
これは、とりあえずの言い訳を並べれば亜人の責任にしてくれる、と勘違いしている感じだな。
人間社会では、奴隷であり亜人であるライコ族の立場は悪かった。
当然、理不尽な理由でも非は亜人にある、という無茶苦茶な道理も通るだろう。
だが、ここはハイアス和国だ。
人間と亜人の共存を謳っている国だ。
再三言っているのに、若者は理解していないらしい。
「なるほど。もう一度聞くが、ライコ族のこいつが突然、殴りかかって来たんだな?
おまえ達は彼に何もしていない、と。そういうわけだな?」
「ええ、ええ! その通りです」
「間違いないです。俺達も見てましたので!」
口々に肯定する若者達。
数人が同じことを言えば信憑性が増すと思っている愚かな行為だ。
彼ら以外の目撃者が多数いるのに。
「わかった。じゃあ、あんたに聞きたい。
理由なく、こいつを突然、殴ろうとしたのか?」
「馬鹿な! そんな真似をするはずがない!
こいつは我々、ライコ族を罵倒したのだ。
仕事もせず、だらだらと話しながらな!
それもここ数日この調子だ。俺は我慢の限界だった。
それでも働けと一言告げた。なのにこいつらは馬鹿にし続けたのだ。
だから殴りかかろうとした。だが寸前で思いとどまった。それだけの話だ」
激昂はしているが、説明は端的だった。
カンツはライコ族達は頭があまりよろしくないと言っていたが、彼の説明は簡易的ではあるが要点は抑えている。
難しいことはできないが、頭が悪いとはまた違うのかもしれない。
ライコ族の話を聞き、ディッツは首をひねる。
「被害者と加害者の意見が全く違うな。事実によっては立場が逆転するわけだ。
互いに証言を変えるつもりはないんだな?」
「あ、当たり前です! 僕達は嘘を言っていない!」
「俺達ライコ族は姑息な真似はしない。言葉に嘘偽りはない」
このままでは平行線だと思ったのか、ディッツは近場にいた人間に声をかける。
「おい、あんた。あんたは見てたんだろ、何があったのか」
「え? わ、私ですか……?」
口ひげを生やした小太りの男性が困ったように自分を指差した。
運搬していた木材を地面に置いて、とことことディッツの近くに歩いてくる。
「ああ、見ていたんだな?」
「え、ええ、それは、まあ」
「じゃあ、どういう流れだったんだ?」
小太りの男性は汗を流しながら、ちらっと人間の若者とライコ族の青年を交互に見ていた。
人間の若者はディッツに見えないように、男性を睨み、わかってるんだろうな、と無言で伝える。
対してライコ族の青年は嘆息し、馬鹿らしいと思っている様子だった。
だが、彼はどこか諦めた様子でもあった。
目撃者が人間である時点で、亜人の自分に有利な発言はしない、そう思っているようだった。
人間の若者も同じように思っているようで、小太りの男性を威圧しながらも勝ち誇っているように笑ってもいた。
「で? どうなんだ」
ディッツが根気強く落ち着いた口調で小太りの男性に問いかける。
さすがシスコン、根は優しいらしい。
あ、うん、シスコンは関係ないか。
見た目はいかついし、言動は粗雑だけど、彼は善人だと思う。
男性はしばらく悩んでいたが、おずおずと口を開く。
「ライコ族の方の言っている通り、です……その、人間の彼はずっとさぼってまして……。
他の人達も、彼等には呆れているというか、ちょっと腹が立っているというか。
とにかく、亜人さん達はずっと一生懸命働いています」
若者は男性の言葉に驚き言葉を失っていた。
ライコ族の青年も思ってもみなかった言動だったのか、ぽかんと口を開けている。
「だ、そうだぜ?」
「ちょ、ちょっと待ってください! おい、おまえふざけんなよ!
嘘吐いてんじゃねえぞ!」
「嘘? 彼が嘘を吐いていると? それでいいんだな?」
恫喝する勢いの若者だったが、ディッツの冷静な言葉に、一気に熱を失う。
「へ? あ、え? それはどういう意味で」
「目撃者は大勢いる。全員に聞き込みしてもいいんだぜ?
言っておくが、虚偽の発言に加えて、和王の勅命を受けながらもその命令を拒否し、サボっていたという事実。
他の人間の仕事を止めたということも加味して、おまえは厳罰に処されるがいいか?
ああ、それとまだあった。
『人間と亜人の共存を謳っている和国で亜人を見下すような真似をした』んだったな。
聞いているよな?
人間も亜人も互いに敵対したり蔑むような真似をすれば罰を受けなければならない。
もちろん理由も鑑みるけどよ、今回はかなり身勝手で一方的だ。
亜人への名誉毀損罪は免れないな。だけどよ、今認めた方がまだ罪は軽くなるぜ。
で、どうだ?
ライコ族の彼が言っていることは事実か、それとも嘘か? どっちだ?」
若者達はディッツの迫力に小さく息を飲んだ。
周囲を見渡し誰も味方はいないことに気づくと、全員が顔を見合わせた。
逃げようと後ずさったが既に警備局の人間に取り囲まれている。
おいどうする、とぼそぼそと話し合っていた若者達だったが、威圧的なディッツ達の行動にいよいよ覚悟を決めはじめた。
そして。
追い詰められた若者達は小さく、
「お、俺達が、亜人達を侮蔑するような言動をしました……」
と呟いた。
「じゃあ、ライコ族の彼の証言はすべて事実で、そこの男の証言も事実だと認めるか?」
「………………はい」
苦虫を潰したような顔をした若者は消え入りそうな声で答えた。
「おまえ達は警備局に連行する。そこで処罰を決めることになる。
反省するんだな。おい、連れて行け!」
ディッツの言葉を受け、部下達は若者達を連れて去って行った。
ライコ族の青年はまだ信じられない様子で、ディッツを見ていた。
「亜人も人間も関係ない。罪は罪、罰は罰。この国では双方とも同列な存在だ。
何も驚くこたぁねえだろ。そういう風に聞いているはずだ」
「あ、ああ、そう、だな。そうか」
「時間をとって悪かったな。また何かあったら警備局に連絡をくれ」
ディッツは作業場にいた全員に声をかけると立ち去る――風を装い物陰に隠れている俺の方に近寄ってきた。
「お疲れさん」
「ああ、疲れたぜ」
言葉通り、精神的に疲弊したのか、ディッツはいつもは見ない疲労感を顔に出していた。
俺は苦笑し、ディッツの肩を叩く。
「で、あれでよかったのか?」
「ああ、十分だ。一先ずは、楔は打った。これで少しは関係性が変わると思う」
「はー、大変だなおまえも。こんなことにまで気を遣うなんて」
「まあ、仕方ないさ。亜人との共存は簡単じゃない。
物語みたいに都合よく互いの距離が縮まるような出来事は起こらないからな」
「だから『仕込んだ』のかよ」
他の警備局の連中は知らない。
だがディッツだけは知っている。
この一連の流れ、俺が部分的に仕組んだことを。
ライコ族達の行動は本物。
人間の若者の行動も本物。
しかし、あの小太りの男性は総合事務局の裏業務、表に出ないような仕事を任せる人種。
暗殺、情報収集、偵察、侵入などの仕事を任せる連中だ。
彼等は表には出ない。
顔を変え、姿を変え、名前も変える。
ハミルと俺しか知らない存在だ。
ディッツには、あの男性はどこかの街から連れて来たのだろう程度の認識しかないはずだ。
人間側が亜人に歩み寄ることが必然だった。
亜人から歩み寄っても効果は薄いし、何より亜人の『サクラ』は用意が難しい。
そのため人間のサクラを用意し、証言させたのだ。
上の立場だった人間から立場の低かった亜人達の位置に降りれば、心証が大きく変わる。
もちろんそれだけで大きな変化は訪れないだろうが、それでも転機にはなるはずだ。
「これで本当に変わるのかよ、俺にはそうは思えねえんだけど」
「すぐには無理だ。けど、この出来事があったからこそ少しずつ変わる」
「ふーん、まあ、俺はよくわからねえし、おまえの命令に従うだけだ」
「悪いなディッツ。こんな役回りをさせて」
ディッツは目を見開き、何言ってるんだとばかりに口を開いた。
「おまえがいなけりゃこの国の人間は生きちゃいねえ。
俺も、リアラもだ。そんなおまえの頼みなら何でもするに決まってんだろ。
俺ぁよ、覚悟を決めてんだよ。この命をおまえのために使うってな」
思いもよらない言葉に、俺は虚を突かれてしまった。
俺は何も言えず、ただただ驚き、ディッツを見つめるだけだった。
ディッツは俺の様子に恥ずかしくなったのか、鼻頭をポリポリと掻き、背中を向ける。
「ま、そういうことだから。また何かあったら言えよ」
「ああ……ありがとう」
ディッツは背を向けたまま手を振り立ち去る。
俺はディッツの背中を見ながら、小さく嘆息した。
それはある種の幸福感だったように思える。
一生の中で、自分の命をおまえのために使う、なんて言われることがあるだろうか。
日本で生きていてそんなことを思ってくれる人がいただろうか。
きっと普通に生き、普通に働き、普通に家族を作り、普通に死ぬ人生だっただろう。
それさえも幸福な内で、どこかで足を踏み外していれば別の人生があっただろう。
きっと不幸だと言える人生が。
俺は思った。
この世界に来て、多分よかったのだろう、と。
安寧の中で生きることが悪いとは思わない。
だが、きっと俺はそんな人生を幸福だとは思わなかっただろう。
裕福な生活は些細な幸せに気づけない。
満たされず、何に飢えているのかさえわからないかもしれない。
どこかで虚しさを感じ、何のために生きているのかわからなくなっていたはずだ。
そして周りの意見に流され、人生の意味をそのよくわからない風潮に委ねていただろう。
自分の意思。
それに呼応した人達の意思。
その純粋さと、強さに俺の心は打ち震えているのだろう。
決して褒められたものではない。
人間関係を良好にするために仕込みをするなんて。
それでも手を汚しても、正しさを主張できなくとも、俺は俺の信じる道を行く。
そうしなければ、俺が先んじて行動を起こさなければ事態は好転しないのだから。
俺は作業中の人達を見た。
そこにはぎこちないながらも会話をしていた亜人と人間の姿があった。
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