第86話 それぞれの道

 会議の翌日。

 部屋でくつろぎながら、今後の工程を考えていた時、扉が叩かれた。

 朱夏とは別の部屋になっている。

 無駄に空き室が余っているからだ。


「どうぞ」


 俺は羊皮紙を睨みつつ言った。

 入って来たのは結城さんだった。

 一人で、俺の部屋に来るのは珍しい。


「どうかした?」


 神妙な面持ちの結城さんに、俺は一抹の不安を抱く。

 彼女は俺に対して、否定的な面が多い。

 しかし同時に、結城さんは現代人の一般的な考えをしているとも思えた。

 俺や莉依ちゃんは、この世界に順応し過ぎている。

 対して、結城さんは日本での考えを現在においても持ち続けている傾向がある。

 どちらが正しいのか俺にはわからなかった。

 だから彼女を否定することもしなかった。


「……え、とね」


 結城さんはかなり言い難そうにしている。

 俺は何を言うでもなく、次の言葉を待つ。

 数分後、ようやく結城さんは重い口を開いた。


「あたし、この街を出るよ」


 予想していた言葉だった。

 けれど、その先の言葉はまだ不明瞭だった。


「勿論、それは構わない。結城さんの自由にしていい。

 けど、街を出て、その先はどうするんだ?」

「なんかね、ババ様に聞いたんだけど、別の国にもネコネ族の集落ってあるらしくて。

 色んな場所にいるっていうのは聞いてたけど、結構安全そうな場所にもいるんだってさ。

 んで、交流があったネコネ族の長老に紹介状書いてくれるって言ってくれて」

「そうか……その、大丈夫なのか?

 道中とか、相手先は無事なのか、とか。

 交流があったとはいえ、最近は連絡取ってないんだろ?

 俺達にネコネ族の捜索を頼むくらいだし」

「ま、ね。ただ、他の場所にもネコネ族はいるから。

 あの人達って、ほら、気が良い人達ばかりだし、さ……それに、ごめん。

 やっぱり、日下部君の考えには賛成できない部分が多い、から……ごめん、なさい」


 結城さんは気まずそうに床を見つめていた。


「謝る必要はないさ。結城さんの考えは間違ってない。

 俺の考えが正しいとは俺も思わない。ただ、俺にはそれしかできないから」

「……ごめん」


 複雑そうな表情だった。

 彼女もわかっているのだろう。

 この世界は優しくない。

 そして俺のように人を殺すことを当たり前とも思いたくない。 

 様々な矛盾と不幸の連続で、きっと結城さんは心を摩耗してしまった。

 ……それでいい。

 俺は承認して欲しくて、行動をしているわけじゃないのだから。

 だが、結城さん一人ではやはり心配だった。

 彼女の能力を鑑みれば、俺の次に瞬発力がある。

 逃亡だけに力を注げば、大概の追手からは逃げられるに違いない。

 だが相手が多数の場合、或いは異世界人の場合。

 戦いに不向きな性格の結城さんでは対応できないかもしれない。


「一つ、提案があるんだ」

「提案、って?」


 元々、考えていた。

 それに、もうすでにこの考えは彼か彼女に伝えてある。

 よかった。

 『結城さんは俺が思っていた通りの行動をしてくれた』のだ。


「実は、朱夏とニースには頼みごとをしてあるんだ。

 建国後、街を出て、各地でネコネ族や亜人達を探して、この街へと誘致して欲しいってね。

 だから、朱夏達と行動を共にしたらどうかな?

 互いに目的は一緒なわけだし」

「そ、それは、あたしとしては助かる……けど……」


 結城さんは驚きながらも喜び、そして徐々に声を小さくした。

 途中で気落ちしてしまったように見える。


「どうした?」

「結局、日下部君に助けて貰ってるんだね、あたしは。

 最初から、今まで。ずっと変わらない。迷惑ばかりかけて、足手まといになって。

 君とは考えが違うからって、こうやって身勝手な考えを押し付けて……」

「いいじゃないか、それで。俺がみんなを助けているのは、俺の身勝手なんだから。

 それに迷惑なんかじゃない。足手まといでもない。

 一緒に居てくれるだけで心強かった。

 きっと莉依ちゃんも他の人達も同じように思ってるさ。

 だからさ、だから、そんな顔しないでくれよ」


 彼女が何を考えているのか俺にはわからない。

 だが、結城さんは、色んな感情が混ざり合って、どうしていいのかわからないようになっているのだと思った。

 突然、異世界に転移させられ、力を与えられ、殺し合いの渦中に投げ込まれた。

 追われ、狙われ、殺されかけ、戦わされて、そんな状況で正気を保っていること自体が奇跡だと思う。

 真面目な結城さんだから心労が余計に多い。

 それを知っているから、俺は何も言わない。

 ただ、仲間を守ることだけを考えた。

 それでもやはり、ずっと一緒にはいられないのだ。

 寂しいと思う。

 胸が痛むが、きっとそれは莉依ちゃんに対して抱いている感情とは違う。

 結城さんには、俺は友情を感じていたのだ。

 莉依ちゃんのために、エインツェル村に残ってくれた優しい少女との別れが訪れたのだから。


「……うん、うん。ごめんね、あたし、ごめん」

「いいさ。いいんだ、本当に。ただ、もしもここに戻りたくなったらいつでもいい。

 好きな時に戻ってくれていいから。

 だから、帰る場所がないなんて思わないで欲しい」


 俺はテレホスフィアを取り出すと、結城さんに渡した。


「朱夏にも渡してある。旅の途中で、ネコネ族の集落を見つけてそこに住むことになっても、これを持っていて。

 何かあったら鳴らして欲しい。

 できるだけ早く駆けつけるから」

「……日下部君」


 結城さんはテレホスフィアを受け取る。

 そのまま俺に手を伸ばし、ハッとした。

 そして自分の手を抱きしめた。

 彼女が何を思ったのか、俺にはわからなかった。

 沈黙の中、俺はなんとか言葉を並べた。


「……明日の朝、朱夏とニースが旅立つから、その時、一緒に出立するってことで」

「うん、わかった」


 結城さんはテレホスフィアを持つ手を抱くようにしながら、頷く。

 そして、俺を一瞥すると、寂しそうに微笑み。

 部屋を出た。


    ●□●□


 翌日。

 リーンガム、正門前。

 そこにズラッと並んでいる人達がいた。

 俺は莉依ちゃんと二人で隣り合って佇んでいる。

 目の前にはロルフと傭兵団の連中が立っていた。


「やっぱり行くのか」

「うん、悪いね。僕はやっぱりここにはいられない」


 傭兵団の連中とも話し合った結果、やはり街に残るべきではないと思ったらしい。

 ケセルとの同盟、沼田との確執、それに聖神からの逸脱。

 色々な部分を考慮した上での結論だったようだ。


「いいさ、俺はかなり身勝手なことをしてしまったと思う。すまない」

「それこそ君が謝る必要はない。君がいなければ僕達は生きてはいないんだ。

 それに、君はこの街や住民の人達のために戦い、考えた末に出した結果なんだろう。

 だったら胸を張りたまえ。僕とは意見があわなかった、それだけだ」


「……わかった」


 沼田に復讐しないのは、彼なりの矜持なのかもしれない。

 シュルテンと傭兵団員の殺害。

 それが沼田の罪状だが、だからといって奴を殺そうとすれば被害は甚大だろう。

 加えて、俺達とは同盟を組んでいるという関係性になってしまった。

 それでは手を出せない、と考えてくれたらしい。

 不服そうにしている団員は俺を睨みながらも、何も言わない。

 そんな連中が何人もいた。


「……許してくれ、彼等の友人達もいたんだ。

 それでも君には感謝している。だから、何も言わないんだ」

「わかってる。わかってるさ」


 すべての人は救えないし、全ての人の気持ちを汲めるとは思えない。

 だから俺はここにいる誰も非難しない。


「さあ、短い間だったけどお別れだ」

「ああ、気を付けてくれ。エシュト皇国の魔兵化は事実だ。

 信じられなくても、頭の片隅には置いておいてくれ」

「わかってる。すまないね、君を信頼はしているが、その言葉は鵜呑みにはできない。

 やっぱり、自国がそんなことをするとは思えないから。

 僕達はやはり皇都に向かうよ」


 その言葉には正当性が含まれている。

 その通りだ。

 彼の言うことの方が、常識だ。

 説得が無理ならば、せめて覚えておいてほしい。

 そうすれば、何かの拍子に危機を察知できるかもしれないから。


「じゃあ、行くよ」

「元気でな」

「そっちも」


 ニコッと笑い、ロルフは立ち去って行った。

 傭兵団員達と共に、街を出る。

 バルバトスの連中と共に、神父セインも信奉者である老人達を引きつれて出て行った。

 病弱や老衰でかなり辛そうな老人もいる。

 だが、信仰心には抗えなかったのだろう。

 一応は、無理はしない方がいいとは言ったのだが。

 ……やめよう。

 説得は無為に終わったというだけのことだ。

 数百人が街を出て行く。

 ぞろぞろと人波が流れた。


「こんなに、いなくなるんですね……」

「しょうがないさ」


 そう、しょうがない。

 それぞれに考えがあるのだ。

 住居は人が生きるために重要な要素だ。

 その部分が適していないとわかれば、転居するしかない。

 この選択が、彼等にとって悪手でないことを祈るしかない。


「やあ」

「にゃ、お見送りご苦労にゃ!」

「おはよう」


 朱夏とニース、そして結城さんが荷物を持ち、並んでいた。

 先日の言葉通り、三人は各国のネコネ族の探索や、亜人達の誘致のため、この土地を出る。

 朱夏とニースの能力は潜入や旅に向いているからだ。

 二人は二つ返事で了承してくれた。

 朱夏は、色々な場所を回りたいと考えていたらしい。

 ニースは戦いができない分、何か役に立ちたいと常々思っていたとか。

 ひょうきんな性格だが、結構健気なんだよな、こいつ。

 おバカだけど。


「大丈夫そう? 見たところ300人くらい? もっとかな。

 それくらい出て行くみたいだけど」

「まあ、なんとかやるさ」


 俺は肩をすくめる。

 すると朱夏はクスッと笑った。


「虎次君なら大丈夫か。ここまで来れたのは君のおかげだしね」

「そんなことはないと思うぞ」

「ふふ、そういうことにしておくよ」

「にゃ、そういうことにしておいてやるにゃ」

「おまえには言ってないよ?」

「にゃ? 失礼なクサカベにゃんにゃ」


 いつの間に、俺に『にゃん』づけし始めたんだこいつは。

 ババ様か。

 いや、ババ様が言っていたから真似たのか。

 まあ、わざわざ訂正する必要もないけど。

 何か言われそうで、面倒だし。 

 しかし騒がしいニースがいなくなると静かになりそうだな。

 ちょっと、寂しいな。

 と、朱夏は、不意に俺の目の前に移動した。

 顔を近づけ、耳元で囁く。


「……帰って来たらどっちか教えてあげる」

「え、と?」


 何が、と聞く前に、意図がわかった。

 つまり性別だ。


「虎次君、戻ったら一緒にお風呂入ろうね。『同性なんだし』ね?」

「あ、ああ。ん!?」


 同性という設定は俺以外のみんなに伝えているもので、実際は違うかもしれないし、正しいかもしれないし、男の娘か、男か、女か、何が何だかわからないわけで。

 あれ、なんかドキドキしてきた?

 戸惑っていると、莉依ちゃんが俺の服をグッと引っ張った。

 これ以上ない程に頬を膨らませている。

 まるでリスだ。

 それくらいプクーッと膨らませていた。

 ご立腹のご様子である。


「はは、じゃ、僕達は先に正門前に行ってるよ」


 言いたいだけ言ってさっさと朱夏とニースは行ってしまう。

 莉依ちゃんに何か言った方がいいかと思ったが、朱夏は同性だと莉依ちゃんは思っているわけで。

 え? 何? 俺って同性が好きって思われてるの?

 普通、嫉妬する?

 わからん。

 わからないからちょっと考えて、あとで謝ろう。


「君達は相変わらずだよね」

「相変わらずなのか……?」

「そうだよ、相変わらず」


 結城さんは楽しそうに笑っていた。

 何が相変わらずなのか、自分じゃわからない。

 とりあえず苦笑しておいた。


「莉依ちゃん、色々とごめんね。それとありがとうね」

「こちらこそ……その、最初、一緒にいてくれて嬉しかったです。

 色々と、助けてくれて、ありがとうございました」

「ううん、いいんだ。あたしが勝手にやったことだからさ」


 莉依ちゃんと結城さんは、昨夜色々と話していたんだろう。

 眼の下に少しだけクマあった。

 だからそれ以上の言葉はいらなかったのかもしれない。

 結城さんは、じゃあね、と明るく別れの言葉を告げた。

 そして俺を見て、微笑を浮かべ、恥ずかしそうに後頭部を掻いた。


「……は、はは、なんか何言ったらいいか、わかんないな」


 これが今生の別れになるかもしれない。

 何事もなければ、結城さんと会うことはないだろう。

 彼女の安否を思えばその方がいい。

 だが、寂寞とした思いもある。

 なんと言っていいかは俺もわからなかった。

 だから、一言。


「元気で。また、会おう」

「……うん、またね」


 それだけを言って、見つめ合った。

 結城さんは目尻に涙を溜め、えへへ、と笑い俺に背中を向けて駆けた。

 その後ろ姿を見て、俺は実感した。

 結城さんと別れることになったのだと。


「寂しい、ですね……」

「ああ、寂しくなるね……」


 莉依ちゃんは俺の手を握った。

 小さな手からは強い悲しみが伝わり、俺は胸を締め付けられた。

 喉の奥が収縮し、頬が硬直する。

 そして、俺は胸中で結城さんに、さようなら、と告げた。

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