第66話 死なないから

 時刻は夕方に差し掛かっていた。

 店に戻り、見聞きしたことをすべて仲間達に話した。

 全員が沈鬱とした顔をしている。


「あたし達も街を見回ってみたけど、人はあんまり残ってなかったよ。

 大通りにいた人達も、もう街を出て、街中はがらんとしてる感じ」

「そうか……」


 俺達も身の振り方を決めなければならない。

 ……ここまで色々な考えが浮かんだ。

 けれど、結論は一つしか浮かばなかった。


「街を出るしかない、か」


 俺達が残ってもどうしようもない。

 魔物数体と戦うわけじゃない。

 限定的な環境で勝ち抜くわけでもない。

 数人相手にしのぎを削るわけでもない。

 この街や、住まう一部の人達には親しみがある。

 だが、エシュト皇国のために戦う気はない。

 それに、俺達だけで戦っても、仮に街に残った人達と共に戦ってもどうにかできるレベルじゃない。


「……で、でも」


 結城さんは動揺しながら俺の言葉に反論しようとした。

 だが、それ以上は何も言わず、気まずそうに俯くだけだった。

 彼女もわかっているのだ。

 俺達にはどうしようもないことを。

 ここに集まっている面子で一人だけ残留を決めている人がいる。

 だから余計にどうにかできないかと考えている。


「私のことは……気にしないでください……。

 みなさんは……どうか、街を出てください……」

「わ、私達は……私達にできることはないんでしょうか」


 莉依ちゃんは今にも泣きそうなほどに顔をくしゃっとしている。

 その様子を見て、アーガイルさんは精一杯の笑みを浮かべる。


「大丈夫……今まで、親しくしてもらっただけで、嬉しかったです……。

 それにあなた達がいなければ……戦争どころか、食費に困って、死んでましたから……」

「すみません、アーガイルさん」


 俺は何を言えばいいかわからず、謝ることしかできない。

 ぽんっと肩に手を置かれただけで、胸が締め付けられた。


「みなさん、お元気で……」


 最初に出会った時は、陰気な人だと思った。

 けれど今は、そんな印象はない。

 怖がっていたみんなも、比較的仲良くなっていた。

 俺達は関わりがあり、親しかった人を見捨てる。

 そうするしかないと言い訳をして、結局は我が身可愛さに助けない。

 俺は。

 俺だけはそうするべきじゃないのかもしれない。

 そう。

 命が無限にある俺だけは。

 俺だからこそすべきことがある。

 死なないからこそ、その力を手に入れてしまったからこそ。

 俺は力を求めた。

 ただ求めた。

 だがそれだけではなかったはずだ。

 大事なものを守るため強くなろうとした。

 それが、逃げてしまっていいのか。

 仲間を守るため、他のものは手放してしまっていいのか。

 守りたいものがあるならば、傍を離れてはいけない。

 しかし離れることで守れるものもあるはずだ。

 最初の時とは違う。

 彼女達はもう十分に強い。

 ならば。

 俺は……。

 俺は……ッ!

 俺達はアーガイルさんの店を出た。


「虎次さん……」


 莉依ちゃんが消え入りそうな声で俺を呼ぶ。

 俺は彼女を見たが、自分の表情がわからない。

 莉依ちゃんは僅かに下唇を噛んだ後、俯く。


「そう、ですか」


 微かに聞こえた声音。

 俺は聞き返さなかった。

 自分でも、なぜそうしたのかはわからない。

 言い表せない、心のもやもやを抱えたまま、宿へ向かう。

 今日はこの街で一夜を明かすことにした。

 仮に、オーガス軍が来ても、俺達の機動力なら逃げることが可能だ。

 それにすぐに夜になるので、街を出ても意味はなかったからだ。

 俺はディッツとリアラちゃんに事情を伝えに、家へと向かった。

 アーガイルさんと同様、ディッツもリアラちゃんもむしろ俺を気遣ってくれた。

 その心遣いが余計に気を重くした。


   ●□●□


 その日の深夜。

 見慣れた部屋の天井を見上げていた。

 すでにみんな寝静まっている。

 同室の朱夏も規則正しい寝息を漏らしていた。

 俺は音を鳴らさず起き上がる。

 新しく買った――無人だったのでお金を置いて勝手に持って来た――少し高級な衣服を着る。

 その上から軽鎧をとりつけ、シルフィードを装着した。

 鞄には数日分の食料と水を入れている。

 後は――書置きか。


「行くの?」


 静まり返った室内に、澄んだ声が響いた。


「起きてたのか」


 朱夏は寝ていなかったらしい。

 俺は嘆息しつつ鞄を背負う。

 バレたのなら、隠す必要はなくなった。


「まあね。虎次君ならそうすると思ったから。きっと莉依ちゃんは気づいてるよ」

「……そうかもしれないな」


 俺は朱夏に背を向け、部屋を出ようとした。


「ねぇ」

「……なんだ?」

「君はどうして、そこまで自分を犠牲にして戦うの?」

「どうしてって、そんなの守りたいものがあるからに決まってる」


 俺一人でどうにかできるとは思わない。

 けれど、俺一人じゃなければ、確実に死ぬような場所へは行けない。

 誰かを頼りたくないわけじゃない。

 頼りたくても、俺以外に行ける人間がいないだけだ。

 だったら、覚悟を決めるしかないじゃないか。


「強いから戦わなくちゃいけないとか、死なないから傷ついてもいいってわけじゃない。

 持ってしまったものに、責任を負う必要はないんだ。

 君は……自分を軽んじすぎてるよ。

 死なないから、傷ついていいわけじゃない……っ。

 君の姿を見て、胸を痛める人間がいることも……わかってよ」


 思わず振り返ると、朱夏は今までに見たことがないような顔をしていた。

 悲痛な、沈痛な。

 どうしようもないほどに哀しみ、それでもどうしようもないような。

 俺は見ていられなくて、顔を背ける。


「君は君がどれだけ皆に大事に思われてるか、わかってない」


 もし、そうなら嬉しい。

 俺は空気のような存在だった。

 普通で、いやむしろ底辺の人間だったと思う。

 この世界に来て、仲間ができた。

 その仲間に信頼されているのならこれほど嬉しいことはない。

 でも。

 だからといって、俺は俺をそこまで優先できない。


「それでも、俺は行くよ。

 例えどうしようもなくても、どうにかしようとはしたい。

 逃げたくないし、失いたくない。可能性を手放したくない」

「き、君がやらなくても、いいじゃないか」

「俺ならなんとかできるって思ってるわけじゃないさ。

 けどさ……俺は死なないんだ。

 死なない人間が、死ぬ人間のために戦うのは責務なんじゃないか?

 俺はこの力を手に入れてから……普通の人間じゃなくなってしまった。

 だからさ、いいんだ。気にしなくて。

 少しでも俺のことを好きな人がいてくれたら。それでいい。

 痛みなんて慣れた、死ぬのも怖くない。慣れた。慣れたんだ」


 それは嘘だった。

 痛みはある、死ぬのも感覚を覚えているが恐怖が皆無なわけじゃない。

 常に、このまま死ぬかもしれないという怖気がある。

 けれどそれを話してどうなる。

 死なない人間の気持ちは、死なない人間しかわからない。

 そして死なない人間は存在しない。

 俺のような存在は、俺以外にいないのだから。

 だったら決して解消できないこの苦しみを誰かに打ち明けたくはない。

 ただの重荷になるだけだ。


「虎次君……僕は……」


 朱夏の言葉には嗚咽が混じっていた。

 振り向く勇気がなく、俺は部屋の扉を開ける。


「ありがとう、ごめん」


 そう呟き、部屋を出た。

 宿に泊まっている客は俺達だけだ。

 静かな夜。

 廊下を進み、階下へ降りて、受付前を通り外へ出た。


「虎次さん、待ってました」


 莉依ちゃんが、店の壁に体重を預けて立っていた。

 ずっと待っていたのか。

 俺が来るのを。

 朱夏の言う通り、莉依ちゃんは気づいていたようだ。

 だが、俺は莉依ちゃんとは反対方向に歩き始める。

 その場で即座に飛び立つこともできた。

 しかし、それでは莉依ちゃんをただ傷つけるだけだ。

 俺は、歩くことで俺の意思を伝えるつもりだった。

 けれど、莉依ちゃんは俺の隣を歩き始める。

 見送るつもりはない、共に行くつもりだと彼女は言っている。


「俺は一人で行くよ」

「……ヤダ」


 莉依ちゃんは小さな声で、明確に否定した。

 いつものどこか大人っぽい感じは薄い。

 年相応に見えた。


「私も、行きます」

「ダメだ。間違いなく死んでしまう」

「でも、それじゃ虎次さんは一人になっちゃう」

「俺はいいんだ。自分が傷ついて解決するならいい、ってことじゃない。

 そんな自己犠牲からの行動じゃないんだ。

 死なない俺しかできないことだから。

 そんな場所に、莉依ちゃんを連れて行ったら、俺は自分が許せない」

「……自分は死んでもいいって、そう言ってるんですか?」

「みんなには一つしかないものが、俺は無数に持ってる。

 卑怯なんだ。だったらさ、こういう理不尽な状況には丁度いい。

 死にたいわけじゃない。死んでもいいとも思わない。

 けど、死んでも死なないのは俺だけだ。

 確実に死ぬ状況で、どうにかできるかもしれないのは、今は俺しかいないんだ。

 だったら、行くしかない」

「また……私には何もできないんですね。

 いつも、いつも! 虎次さんにばかり頼って!

 わ、私は……なんでこんなに弱いの……。

 いつも虎次さんに何もしてあげられないっ!」


 初めてだった。

 莉依ちゃんが泣いている姿を見るのは。

 彼女はいつも気丈で、大人顔負けなほどに平静で。

 賢く、優しく、慈愛に溢れ、愛らしい女の子だった。

 けれど、それはもしかしたら彼女の本当の姿ではないのかもしれない。

 歳不相応に歪な彼女は、今だけは普通の女の子に見えた。

 俺は無意識に莉依ちゃんの頭を撫でる。

 すると、莉依ちゃんは俺に抱きついて来た。

 高い体温が伝わり、冷えた心と体が温まる気がした。


「俺は、いつも莉依ちゃんに助けて貰ってるよ。

 だから、何もしてあげられない、なんて言わないで欲しい。

 莉依ちゃんがいたから、俺は頑張れるんだから」

「うっ、えぐっ……虎次さん……わ、私は……」

「明日、みんなと一緒に街を出るんだ。いいね?」


 莉依ちゃんは迷った様子だったが、緩慢に頷いてくれた。

 俺は何度も莉依ちゃんの頭を撫で、しばらくすると、やんわりと身体を離した。

 彼女の目は月明りでわかるほどに、赤くなっている。

 朱夏も莉依ちゃんも、俺を心配してくれている。

 それだけでこんなにも気力がこみ上げてくる。


「行ってくるよ」

「ぶ、無事に……帰って来てください……」

「ああ。必ず」


 俺には死が訪れない。

 だがそれは無敵だということではないのだ。

 拘束されればそれまでだ。

 それに……。

 いや、後ろ向きな考えは忘れよう。

 俺は莉依ちゃんに背を向け、空へ飛びあがる。

 空中で蒼月を見上げる。

 満月だ。

 抒情的で悪くない。

 こんな気持ちは始めてだ。

 状況に酔っているのかもしれない。

 だが、それでいい。

 それくらいでなければならない。

 俺が抱いている感情は充実感、多幸感、だろうか。

 違うような気もする。

 今の心情を言葉に表すのが難しい。

 ただ一つだけ言えるのは。

 これ以上ないほどに、心が熱くなっているということだった。

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