平成2022年

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

第1話

 小学生の頃に友達ができる。名前は市橋といい、正義感が強くて人を引っ張る才能がある人だ。いろんなことを知っていたし、彼の家で食べるご飯は腹が膨れるまで食べた。それまでは幼なじみとしか遊んでいなかったから、男子の友達は新鮮だった。しかし、小四の頃に、クラスでいじめが起きる。先生に何でも言い付ける性格の悪い人が虐められていた。ズボンを脱がされたり、体操服を水洗いされていた。その光景は俺とは関係ないところで起きていて、交わることがない。俺は幼なじみと市橋と遊びながら虐められっ子のことを目で追っていた。


『やめなよ』


 数日後、市橋は虐めを止めようとした。彼が擁護する理由は今も理解できない。俺と彼女さえいればいいじゃないかと心で悪態ついた。案の定、市橋も教室で虐められる。それと同時に俺たちを袖にした。心まで屈したのか目に光がなくなって、転校が決まる。彼との最後、幼なじみは俺が悲観していると捉えて励ました。


『良は私が守るから』


 俺はここにいたらダメだと思った。自分を粉にして自意識をなくせるところで身を起きたかった。

 今の俺は彼の空き家を通り過ぎるほどに後悔している。かばえなかった俺は平然と進級していた。市橋は元気だろうか。


 ▼


 人を信じなくなったのはいつだろう。声変わり前から人を疑っていたような気がする。周りの大人は悪い人ばかりじゃなかったけど、悪目立ちする人は多い。俺は無駄に強くなってしまった。


「話し、聞いてるのか?」

「俺がバイトをバレた話だろ」


 ゴールデンウィーク明けの2年生は身体を重そうに昼休みを過ごしている。


「しかし、バイト初日バレるもんだね」


 友人の北野は俺の坊主を指さした。彼は高校からの友達だ。1年間共にしてわかったけど、彼は人を見下す悪癖がある。


「うるさいな。北野のバイト先をバラすぞ」

「口が悪いなあ。できもしないこと言うな」


 1年の冬からバイトを始めるつもりだったが、登校距離と親の折り合いがつかなかった。結局、2年になりGWにバイトが合格する。その初日に担任がバイト先に来店し、アルバイトが気付かれる。処分として丸刈りを命じられた。


「俺は遊ぶために金を貯めるんじゃない。東京に行きたいから金を貯めるんだ」


 俺は死んだ街に住んでいる。高齢者は子供の数を追い越してしまい、空き家は転がる石のように建てられたままだ。歳をとるたびに、俺はこの場所で死にたくないと決意が固くなる。

 俺は東京に行きたい。大学か就職のどちらでも構わない。燻った思いが思春期と絡んで厄介になっていた。


「何をそこまで駆り立てるんかね」


 真面目な学生は学校に負ける。生徒たちは冗談と生意気が最優先されていた。これも北野というよりクラス全体の度胸試しで質問される。


「ここがダサいからだよ」


 俺たちに心を通わせる友達は出来ない。一人にならないようにするだけ。理解できると喋り、理解しない外面が必要だ。


「東京だからって理由で大学を選ぶなよ。それに、東京は凄いところじゃない」


 ほらでた、と俺は椅子から立ち上がり指摘する。


「うわ東京観光者あるあるが出た。『そんなにいい所じゃない』と通ぶりだす」

「声がうるさい」


 昼休みの時間は生徒が多い。騒がしい教室は俺の声を小さくさせている。彼の嫌な雰囲気を感じつつ、席に戻った。


「とにかく、俺は東京に行きたいけど金がないんだ」

「俺は東京よりも羨ましいものがあるよ」


 北野が俺の視線を誘導する。教室の入口に屯する女子グループに眼差しを向けていた。

 機能重視かつ雑誌のような髪型で、地毛の茶髪。嘘みたいな可愛さを顔に宿している。


「浦賀は女子の幼なじみがいるじゃないか」


 俺には幼なじみがいる。彼女は人よりも行動が遅く、誰よりも叱られていた。名前は鳥越えなと言い、とろ女と陰口言われていた。彼女の家を通れば怒声が響いている。


「父親は外人だから鼻が高い。それでいて天然型とか反則だろ」


 鳥越えなは俺の前で笑顔を絶やさない人で、小中学校は一緒に遊んだ。

 しかしある日、俺は東京に行きたいと夢想するようになり、彼女から関心が離れてしまった。そのまま、俺達は高校生になる。すると、当たり前のように彼女は俺から離れた。ネットでよく見る髪型、服装も雑誌に載った女性に近づいた。鳥越エナは高校生デビューをして、俺は取り残されてしまった。


「もう話していない」

「喧嘩か?」


 俺達の間に喧嘩はない。ただこうやって話す機会も減っていくんだろうとだけ自覚している。


「なんとなく、話さなくなった」

「仲直りしといた方がいいぜ。女は敵に回すと怖い」

「誰目線の指摘?」


 北野は背伸びをして、椅子の背中に体を預けた。


「女子の幼馴染がいる。それだけで高校生活のアドバンテージだけど」


 そう言われても、今は会話すらしない。道が同じでも目礼さえしなかった。高校デビューで印象が様変わりしている。


「まっ、幼なじみを持つ苦労はわかんないだろうな」

「うぜー」


 ふと、視られている気がした。女子グループをぼんやり観察していたが、ひとりに焦点を絞る。鳥越が俺を見透かしたような態度をとっていた。その後、会話に戻っていく。


「やっぱ2人は仲いいじゃん」

「冗談やめろよ」


 北野は俺と彼女を引っ付けたがる。でも、それは許されないことだ。女子に恋愛感情を持たないようにする。地味な俺は気持ち悪いことをしない。



 その後は問題なく授業が終わった。夕焼けが夜の涼しさを連れてこようとしている。北野は提出物を無視していたせいで教員室に呼び出されていた。俺は待つことなく靴箱に向かい、帰りを急ぐことにする。俺と北野は乾いた友人だ。

 俺の家は高校から遠い場所にあった。付近にバスは留まらないから、自転車で山を越えている。家に付けば外は暗くなってしまい、やることがなくなる。寮の高校へ行きたかったけれど、要領が悪くて不合格だった。先には長い時間が控えている。それを消費するために到着した。

 すると、俺の靴箱の前に女子がたっている。誰かを待ってるような寂しさを匂わせた。


「良、おそいよ」

「と、鳥越?」


 それは高校から話さなくなった鳥越が、俺を待っていたと言わんばかりに不貞腐れていた。また、彼女は久しぶりに会話したときのような浮かれがない。まるで、中学生の頃と同じように振舞っている。


「どれだけまたせるの」

「帰る約束してないだろ」


 吹奏楽部が練習して音を鳴らしている。外は運動部の窮屈そうな掛け声をしていた。


「久しぶりに帰ろうかなって、ダメ?」


 帰り道は同じだから、断る理由がなかった。でも、彼女は親が来るまで迎えに来てもらっている。今日は違う手段で登校したのか。


「それよりさ、金に困ってるんでしょ?」


 彼女の一軒家が頭に浮かぶ。黒い木の壁に四角い建物。二年前に立て直したから傷が少ない家だ。俺の家と違って彼女の部屋がある。


「人の話を聞いたらダメだろ」


 いい所があるよ。一方的に告げられて背中を見せ歩き出す。靴を履き替えて、外に出る。懐かしいという言葉が頬を緩ませた。


「なんか、久しぶりだな」

「話す機会なかったよー」


 外の風が俺の肌を撫でる。夏じゃないのに背中が湿っていた。


「私、良とこのまま話す機会なくなるんだろーって思ってた」

「恥ずかしいことを自然にいうなよ」

「あ、お金のことなら任せてよ」

「誰かから奪うんじゃないよな」

「犯罪はしないよ」


 彼女はリア充が使う牽制をしてきて、俺を宥めた。立場の違いを確認させられる。舌打ちをこらえた。


「分かった。今からどこに行く?」

「金を稼げる場所だよ」


 どうやら、鳥越は自転車通学に切り替えたようだ。危険だと忠告したいけど、前と同じ歩幅じゃない。接し方を測っていた。

 ふたりは自転車に乗って進む。大きな山めがけて車輪が回転している。

 自転車を運転しているから、赤信号だけ会話した。


「てか、風俗とか怪しいところじゃないよね」

「要さんは慈善事業だってさ」

「誰?」

「女の人」


 緊張した心が緩んでしまい、自身の胸を上から揉んだ。


「到着ですよー」


 自転車は砂利の上に止められた。山の中腹、帰宅の道から程遠い悪路だ。

 付近を見回す。そこに空き家があった。壁は茶色に腐りかけていて、草木が門に茂り、人間を拒んでいる。屋根の上は崩壊しても不自然じゃない。

 彼女は自転車に鍵を閉める。その柵をちゅうちょせず飛び越えた。


「まてまて。何している」

「早くきなよ。お金欲しいんでしょ」


 期待した俺が馬鹿だった。しょせん、鳥越は俺と同じ容量が悪く、周りに置いていかれるやつだった。


「怖いの?」


 リア充の目だった。クラスの隅にいる男子に向けられるような侮辱。北野ほど露骨じゃないけれど、群れない哀れを同情する。鳥越はこちら側だったのに、裏切ってきた。そんな人間が、怖いと聞いてくる。


「誰が怖がるかよ」


 俺も続いた。

 扉の前は冷たい風が俺を包む。震える足を叩いたら、右足から踏み出した。すべては金のためと俺の心に暗示をかけていく。


 俺はためらいながら先に進む。

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