妹のおねがいごと

@iwao0606

第1話

冬将軍の到来で、今日は冷えると予報では言っていた。予報通りの寒い日に、私は白い息を吐きながら、家路を急いでいた。今日はスーパーで鯖ふぐが安くなっていたのだ。

(こんな寒い日に、鯖ふぐをあつあつのお鍋に仕立てて、もみじおろしとポン酢でしまった身を食べると最高だろうな。熱燗もつけちゃおうかしら)

 つい鼻歌を歌い出すほどご機嫌のまま、アパートの自室に入ろうとした。ポケットをまさぐって出した鍵を穴にはめてみても手ごたえはなく、スカッとした感触が返ってきた。

(あれ、鍵を開けたまま出たのかしら?)

 不用心なことをしてしまったと反省しつつ、部屋に入ると、外気と同じくらい寒くて驚く。部屋の窓は大きくあけ放たれ、秋の終わりにしまったはずの扇風機がからからと回っていた。

(あ、今日のお鍋はなしね……)

 私は部屋の様子から瞬時に今晩の夕食を諦めた。こんな寒い日でも扇風機を回す輩を、ひとりだけ知っている。

「よっ! 姉ちゃん、久しぶり」

 そこには半袖短パン姿で胡坐をかき、アイスキャンディーを頬張る妹の姿があった。

「久しぶり、六花。あなた、どうやって部屋に入ってきたの?」

 両親以外には合い鍵を渡した覚えはなかった。

「鍵穴に指をつっこんで、くるりとね」

 妹は指先をにゅるりと変形させ、鍵の形にして見せた。

「あ、そう……私だからいいけど、よそではしちゃだめだからね」

 常識はずれの回答に、私はため息をついた。妹は多芸だが、ここまでとは思ってなかった。いや、田舎では鍵を締める習慣がないから、私に披露する機会がなかっただけなのだろう。

「うん、わかっている! 常識の範囲内で使っているから、大丈夫」

 胸を張って言えるような事柄でもないのだが、私はあえて言わないでおく。そもそも彼女を常識で推し量ろうとすると、心労が増えるだけなのだ。

「夕飯食べて行くでしょう?」

「うん」

 私はコートのうえからエプロンをして、調理にあたることにした。夏の残りのそうめんが何把かあったことを思い出して、奥から引っ張り出してくる。鍋いっぱいにお湯をわかそうとコンロに火をつけた。すると、それだけでも妹は熱いらしく扇風機を強風に変えた。私は吹きすさぶ風にかたかたと震えながら、コンロの小さな火で暖を取った。

「あなた、どうやってこっちまで来たの?」

 田舎に住む妹が、こちらに来るまでけっこうな距離がある。妹は車内暖房が効いている電車にも乗れないし、耕運機などばりばり運転できるものの公道を運転するための免許証がないのでできない。というか色々怖くて、免許証が取れない。

「冬将軍に送ってもらった」

「……そう」

 斜めうえの回答でも、私はつっこまない。妹には妹の世界があるのではある。私にとって冬将軍は寒波の比喩だが、妹にとっては実在の人物なのだ。

 こんな細事はともかく、私は妹が今でもこうやって元気に生きてくれているだけで十分なのだ。

 数々の奇行をご覧の通り、妹は人間ではない。雪童だ。きょうだいを欲しがった私と、もうこれ以上こどもを望めない母が一緒に作った雪だるまが、願いに呼応して誕生したのが妹だ。

 私の生まれた田舎では、雪童が生まれるのはそう珍しい現象でもないらしく、何人もの雪童が村民として暮らしていた記録が残っている。

 むかしはクーラーや冷蔵技術が発達していなかったから、雪童はひと冬だけの命だったらしい。今では気を付けてさえいれば、何年も生きることが可能だ。夏場の電気代はあほみたいにかかるけれど。

 もちろん、雪童がいるのは、村公然の秘密である。一応雪童にも戸籍はあるものの(色々と村ぐるみで偽造している)、村を離れて暮らすのは危険をともなうので、たいていの雪童は村を離れない。私のように村を離れる若者が多い中、村の貴重な労働力として雪童は地位を築いている。もちろん、雪童は愛情あってこそ生まれる命なので、そうほいほい労働力の補充のために産むことはできない。

「いきなり、どうしたの、こっちまで来て。行きたい場所があるなら休みを取るよ、せっかくこっちまで来てくれたんだし」

「いや、そういうのじゃなくて。ひとりぐらしをはじめたことを言おうと思って」

「ひとりぐらしってあなた、大丈夫なの?」

 電球を変えるのですら火傷をしてしまう妹だから、家事なんて一切させたことがなかった。そんな妹がひとり暮らしだなんて、つい心配になってしまう。

「大丈夫だよ、なんとかやってる。時たま母さんが掃除に来るし。部屋もちゃんと自分の稼ぎでやってるから、なんとか」

 妹は村では引く手あまたなのだ。山の神や妖怪との交渉や、雪掻きなど多種多様な仕事を任されている。

「そっか、よかった。でも、いきなりどうしたの、ほんと。一人暮らしを始めるなんて。お父さんたち寂しがっていると思うけど」

 口には出さないものの、私が実家を離れるときも、父は寂しそうだった。そのうえ妹がいなくなるとまでなると、寂しさは増すだろう。

「父さんも母さんも年でしょ。ヒートショックだっけ、お風呂場と外の温度差が激しいとかで脳出血して危ないって聞いてさ。年取ったひとたちにいつまでも暖房なしの生活をさせるのもなんだって思ったんだ」

 雪童である妹と一緒に暮らすには、冬でも暖房なしの生活をしなければならない。そうでないと、妹は溶けてしまうのだ。こっちで暮らすように、心置きなく暖房が使えるようになったのは、涙が出るほどうれしかった。もちろん、これは妹には秘密だ。

「……そっか」

 じーんと妹の成長に感動している私などおかまいなく、妹は大きな包みを取り出した。

「それで、お土産にP●4を持ってきたんだ」

 今までの会話からの脈絡なさに、私はすかさずつっこむ。

「えっと、私、別にP●4はいらないわよ。それに何もこんな高いものを持って来なくても……」

 お土産というなら、母の手料理をタッパーにつめて持ってきてほしかった。困惑する私をよそに、妹は勝手にP●4の配線をつなげていく。

「すっごいおもしろいゲームがあって、せっかくだから姉ちゃんにもしてほしいって思ってさ」

「私がゲーム下手なの知っているでしょう?」

「私が協力プレイで援護してあげるからさ。だから、やろうよ! ね! ね!」

 妙に押してくる妹に、私は首を傾げる。私はあまりゲームが得意ではないし、かつて妹に一緒に遊ぶのはストレスが溜まるとコントローラーを奪われた過去がある。そんな妹がP●4をわざわざ私のために買ってくるなんて、おかしい。コートのポケットにあったスマホをいじり、P●4について調べてみた。

(えっと、どれどれ、P●4にはボイスチャット機能がついている)

 遠隔地に住んでいても、それぞれのところでゲームをしながら、マイク越しに話すことができる機能らしい。

 そこで私はふと気づく。

(ゲームをするなんて実は口実で……もしかしてひとりぐらしをはじめてさびしいのかしら?)

 寒い冬でも半袖短パンだったり、冬将軍に送ってもらったり、鍵穴に指をつっこんでピッキングしたり、色々私の想像できないことをしでかすわりに、案外かわいいおねがいごとをする妹に、私はおかしくなってしまう。

「……いいわよ」

「やったぁ! これ、遠くに離れてても遊べるから、私が帰っても一緒にやろうよ!」

 予想通りの展開に、私は笑いを噛み殺す。

「……週一回ね、するなら」

「よっしゃ!」

 両手をあげて喜ぶ妹のために、私はキンキンに冷えた素麺を食卓に並べた。氷をたっぷりのせてあげると、妹はますますご満悦のようだ。私の夕飯はというと妹のために茹でた素麺を少し拝借して、入麺となった。生姜がたっぷり入ったお出しが凍えた体に染み渡った。

 翌日、妹は行きと同様に冬将軍に送ってもらい、地元に戻った。

 約束通り、私は週一回、妹と協力プレイをしている。へたくそな私を連れて、妹は意気揚々に敵を倒していく。きっと画面の向こうで半袖短パンの妹は、したり顔でゲームをしていることだろう。私はそんな妹を思い浮かべながら、ぬくぬくとこたつに手をつっこんだままにコントローラーを動かした。

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