指来たす箱庭

@iwao0606

第1話

かりかりと鉛筆の音だけが響く。

 桜は無心に問題集の空欄を埋めていると、突然、叱る声がした。

「こら、桜さま! もう遅いではございませぬか」

 立てかけた問題集をどかすと、二頭身の少女が現れた。

 つぼ装束にむしの垂れぎぬ、という平安時代の旅装束を纏った少女に、桜は「ごめん、ごめん」と軽く謝った。

「あれ、もうそんなに時間が経っていたっけ? 褪紅あらぞめ」

 褪紅と呼ばれた二頭身の少女は、黒竹の杖をかかげる。

 すると、ふっと和時計が空に現れた。

「子三つ時ですわ」

 杖でびしびしと長針を叩いている。

 褪紅は古めかしい言葉づかいをするのは、桜がそう設定したからだ。

(えっと、夜の十二時くらいってことかな?)

「ごめん、ごめん。ずいぶんと集中していたから」

「勉学に勤しまれるのはけっこうでございますが、寝なくてはいけませぬ。お体に障ります」

「そうだね。ありがとう、褪紅」

 桜はそっと手を伸ばして、褪紅の頭を撫でるような仕草をしてみた。

 けれど決して触れることはないのに、褪紅は嬉しそうに頬を緩めた。

「桜さまのことをお守りするのが、私のお役目でございますから!」

 自分のことを心配してくれるのが、スマホのアプリゲームだけというのも寂しい気もするが、それ以上に桜は褪紅のことが好きだった。

「もう寝る仕度をするから、さきに褪紅は寝ていいよ」

「明日の起床時刻はどうなさいます、桜さま?」

「五時かな」

「かしこまりました、では五時にお起こしいたしますね」

 そう言い終わると、褪紅は机のうえにあるスマホまで歩いていった。黒竹の杖で褪紅がスマホを軽く叩くと、画面のうえに小さな箱庭があらわれた。

 箱庭には、川面に沿って建っている一軒の小さな家があった。その傍らには桜の大木があり、はらはらと花弁を散らしている。褪紅はそこへつながる石段を登り、縁側へ腰を下ろした。そして、桜のほうに向き直ると、深々と礼をした。

「では、おやすみなさいませ、桜さま。良い夢を」

「おやすみ、褪紅」

 その声とともに、褪紅は襖の奥へと消えていった。

 その姿を見送った桜は、スマホをパソコンに接続し、バックアップをとった。毎日の日課だから、すぐに終わる。そして、桜は褪紅に叱られないように早々に、布団に体を滑り込ませた。


<指来たす箱庭>という、いま大流行のスマホのアプリゲームがある。

 基本プレイが無料で課金するものが流行っているなか、1万円という値段で売られているという異例のゲームだ。

 なのに買うひとが絶えず、社会現象にもなっていると言っても過言ではない。

 普段ゲームにまったく興味がない桜でさえ母親にねだって、わざわざ買ってもらったくらいだ。

「こんなものが欲しいなんて、まったくこどもね」

 母の小言も承知で欲しがった甲斐があった、と桜は思う。

 長い時間をかけてつくりあげた褪紅は、母の小言が吹き飛ぶくらい可愛らしく、やさしかった。

<指来たす箱庭>はその名の通り、箱庭を作るゲームだ。

 そして、そこに住まわせる<指来たす>という二頭身台のマスコットを作ることができる。

 ここまでなら、一万円する価値のないゲームに思えるだろう。

<指来たす箱庭>の本領は、空中立体映像技術とAI(人工知能)にある。

 バーチャル技術の発展により可能となった、スマホを介しての空中立体映像により、<箱庭>と<指来たす>は専用の眼鏡なしに現実世界に存在することができる。もちろん、バーチャルなので、触れることはできない。

 また、人工知能の発達により、<指来たす>は流暢な会話が可能となっている。

 会話を重ねることで、主人との関係が深くなれば、色々なことをしてくれるようになる。体調を心配してくれたりするのはもちろん、誕生日のお祝いや、落ち込んでいたりするとちょっとしたサプライズを用意してくれたりするのだ。以前桜が母親に叱られて落ち込んでいたときは、なぜか傘の上で桝を廻してくれた。

 設定さえすれば、スマホ機能の一部を<指来たす>に操作してもらうのも可能だ。さきほど桜が褪紅にいいつけたようにアラームを入れてもらったり、メールの代筆をしてくれたりする。

 と言っても、普段<指来す>は<箱庭>でのんびりと暮らしている。



「桜さま、桜さま、朝でございます」

 褪紅に起こされ、私は学校に行く支度を始める。

 朝食を食べないまま出かけようとすると、褪紅は「行けませぬ!」と叱りつけるので、仕方がなく道中でおにぎりを買うことで許してもらった。

「私がご飯を作って差し上げることができれば!」

 わなわなと体を震わせる褪紅に、桜は適当に愛想笑いをしておいた。

 本当のところ、あまり食欲がない、とは言えなかった。

「じゃあ、学校に行くから、箱庭に戻っておいてくれる? 」

 さすがに褪紅が表に出たまま、通学するわけにはいかない。

「ちゃんと朝餉も昼餉もとってくださいませね!」

 お昼のこともきっちり念を押されてしまい、桜は観念した。

 桜を心配してくれるのは褪紅だけだから、彼女の言うとおりにしようと。

 今日も玄関には桜の靴以外ない。

 両親は仕事にかまけて、すっかり家に帰って来なくなったのだ。

 褪紅に言われたとおり、コンビニでおにぎりをふたつ買った。

 朝の空が赤く燃えるなか、桜はバスを待ちながら、そのうちのひとつを口にした。

 パリッとした海苔に包まれたお米が、ほろほろと口のなかで崩れる。

(おいしい、とは思う)

 でも、それはうわべだけだった。

 生きるために胃を満たすには問題がない、と味覚が感じているだけのことだ。

 食べ終わるころ、待っていたバスがやってきた。

 いつものように一番奥の窓側の席に座り、単語帳を開く。

 でも、今日はなんだか見る気にもなれなく、窓硝子にもたれかかった。

(もし、褪紅が私にご飯を作ってくれたら、どんな味がするだろう)

 桜はぼんやり考えてみた。

(褪紅はきっと和食を作るだろうなぁ。一汁三菜って感じで。釜で炊いたご飯に、箱庭で採れた野菜で作った鉢。たんぱく質が足りないから、川で採れた魚もつけてくれるだろうし、何よりこの前褪紅が自家製の麦味噌を作ったって言ってた)

 腕によりを振るってもてなしてくれるだろう。

 死んだ姉のように。

 彼女の笑顔が脳裏に浮かんだ瞬間、桜の頬に涙が伝った。

 思い出さないようにしていたのに、気づけば、たやすく思い出す。

 しばらく涙を零しておけば、すぐに止むことを桜は知っていた。

 だから、無理に止めず、流れるままにしておく。

 幸い、朝の早いバスにはひとがいない。

 桜がぽとぽと涙を零していると、「 桜さま! 出してください、桜さま!」と叫び声があった。

 涙を乱暴に制服の袖で拭って、スマホを出すと、褪紅が姿をあらわした。

「外で声をかけちゃダメって言ったじゃない」

「まわりにはひとがおりませぬから。桜さま、私に顔を近づけてください」

 言われてとおりすると、褪紅は大きく手を伸ばし、桜を抱きしめようとした。

 けれど、褪紅は小さすぎて、桜を抱きしめるには腕の長さが足りない。

 何より、触れることができない。

「触れることができましたら、良かったのに」

 褪紅は口惜しそうに唇を噛む。

 桜の思うがままに設定された褪紅は、望むとおりに慰撫してくれる。

「さすれば、桜さまの涙を拭うことができましたのに」

 桜の涙は褪紅を通り抜けて、手のひらのスマホに落ちるだけだ。

 いくら防水加工とは言え、塩気のある涙がスマホに落ちるのはまずい、と思いつつも、桜は動くことはできなかった。


 姉が死んだとき、桜は愚かしくもひとつのことを願ってしまった。

 決して自分から離れないものを欲しい、と思ってしまった。

 置いていかれて、寂しいのはもう嫌だから。

 だから、初めてニュースで<指来す箱庭>を知ったときは、衝撃的だった。

 これなら、決して桜から離れることはない。

 たとえ、スマホが壊れてデータが消えたとしても、複製がある限り、何度でも褪紅は戻ってくる。

 大粒の雨に降られる褪紅を見下ろしながら、桜は今日もひどく安堵した。

 今日も0と1でできた箱庭に、彼女を閉じ込めておくことができる。

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