香坂新賀2

帰り道に寄ったのはチェーンのカフェだった。チェーンの割にここの店は非常に落ち着いた空気を漂わせていた。

中に入ると、香坂は静かにメニュー表を眺めた。

「ふーむ…カプチーノを1つ。サイズは1番小さいので」

「かしこまりました。他にご注文はいかがですか?」

「いや、大丈夫です」

会計を済ませた香坂は、カプチーノを受け取り、大きな一枚窓が前にある一人掛けのソファにゆっくりと腰を下ろした。そして一口カプチーノを吸うと、静かに空を見上げながら黄昏たそがれた。


しばらくするとスマホに連絡が入った。謎解きサークルの後輩がサークルのグループチャットで呟いたようだ。

「岡部?何の用だろう」

香坂はスマホを開いた。

【先輩、A大祭のミーティング、いつやります?】

「そうか、A大祭までもう1ヶ月か」

香坂は片手でスラスラと文を作った。

【早速やりたいけど、他の人たちもいるからね。来週の今日でいいかな?ダメな人は何か言ってね】

そう送信して、また大空を仰いだ。


何をするでもなく、時間はあっという間に過ぎて行った。スマホの時計は19時を指していた。

「さて、そろそろ帰りますか」

香坂は荷物を片方の肩で背負い、家路を辿った。


部屋は真っ暗であった。一人暮らしだから当然である。香坂はパチリと電気をつけると、そのままベッドへ向かってゆっくりと体を倒した。そして、スマホを目的もなくしばらく弄った。


22時を少々回った頃、風呂から上がった香坂はスケッチブックを棚から取り出した。A4サイズのページを見開きにして、大きく図面を描いた。ノートの上をスラスラと鉛筆を滑らせた。そして描き上げられたのは学生会館1階の一角、謎解きサークルの活動場所であった。

「今日はここまでだな」

そう言って香坂がベッドに横になった時、時間は22時30分をまわった所だった。



次の日の朝は雨だった。外からはザーッと雨が一直線に落ちていく音が聞こえていた。

香坂は少し身震いさせながら服に着替えた。

朝食を終えた香坂は、リュックにスケッチブックを入れた。しかしサイズが大きく、ファスナーを閉めるとスケッチブックの角を噛んでしまいそうだった。仕方なくクローゼットから手提てさげ鞄を取り出し、雨に濡れないようビニールをかけた。


外に昨日までの暖かさはなく、薄い長袖では少々寒い程度だった。香坂は傘を差し、リュックを背負い、手提鞄を持っていた。それでもなお立ち姿は凛としており、すれ違う女子高生なんかは少しばかり顔を赤らめながらその後ろ姿を自然と目で追った。

そんな彼でもやはり寒いものは寒く、赤信号で止まる度に少しいらついてしまう。青信号になる直前に一歩前へ進み、時折赤信号が長引くせいで無駄に動いてしまったような気分が押し寄せた。


「お、新賀。おはよう」

「中桐くんか。おはよう」

ちょうど正門に入る前に会った。

「ひどい天気だな。こんな日は早めに帰るが吉だね。ちゃんと今日来た自分を褒めたいよ」

「全くだね。私も出ようか迷ったけれどね。授業なんてどうでもいいんだけど…」

「お、流石さすがだねぇ」

「まあ、サークルの活動がね。おさがいないと祭りの話が始まらないよ」

「なるほどね。仕方ないな。午前終わったら速攻で帰る予定だったけど、俺も行くよ」

「私も午前なんだ。待ってるよ」

校舎内に入ると、中桐は別の友人の所へ駆けて行った。香坂は少しだけ考え、そして授業は出ずにサークルの活動場所へ行くことにした。


部屋には当然の事ながら誰もいなかった。香坂は中へ入ると、音が響かないようにゆっくりと鍵を閉め、りガラスになっている部分に布をかけた。

蛍光灯1本だけに電気を付けると今度は窓の方へ向かい、遮光カーテンを閉めた。

そして近くにあった椅子に座り、リュックを下ろして中からスケッチブックを取り出し、テーブルの上に見開いた。さらに中から筆箱を取り出し、3Bの鉛筆を取り出した。


そこそこ広い部屋の中に対して、光の量は圧倒的に少なく、朝方であるにも関わらずカーテンも閉め切っているので、暗かった。それ以上になにか陰鬱と言えるような気味の悪さがその部屋には漂っていたが、香坂には何も関係の無い事だった。あいも変わらず、ひたすら筆を動かし続けた。



……分かり切った答えを意味もなく導くよりも………頭を意義を持って動かさなくてはならない…………只管ひたすらルールに沿って物事を動かすのはチンパンジーでも出来る……私がやりたい事はそうじゃない……もっと人間らしい…知的らしい……ホモ・サピエンスらしい思考なのだ……!!!



学生会館前で騒ぐ人の声も、部屋の前を駆け足で通り過ぎる人の足音も、この部屋にだけは入り込んでは来れなかった。

それほどまでに鬱蒼うっそうとした空気に満たされていた。

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