烏頭幸一1

春先。東京はすっかり冬の寒さを忘れ、程よく暖かい風を優しく吹かせていた。

外を歩く人は、薄い長袖を着て、時折腕をまくりながらその空気を味わっていた。人が混み合う東京。決して良い空気とは言えないが、年中で一番まともな味にも感じる。それは春になり、人々が心機一転したその心から来たものなのかも知れない。


この住宅街も例に漏れず、明るい日差しを浴びていた。外を行き交う子供たちは、まだ始まったばかりの学校に興奮するように、友だちと笑い合っていた。

「やれやれ、元気なもので羨ましいな」

そんな子供の横を冬場のような猫背で通り過ぎたのは烏頭幸一うどうこういちだった。30歳とは思えぬ風貌である。顔は40ほどかと思ってしまうほどの渋さがあった。またその背中は、何か禍々しき黒い物体が乗っかっているかのごとく丸まっており、周りの空気も一瞬ヒヤリとさせたかのようだった。

「あいも変わらず、私には同じ日々だよ」

住宅街の外れにある家の前に着いた烏頭はゴソゴソと郵便受けを漁り、手にしたチラシをパラパラ見つめながら家の中へ入った。そうして玄関脇にあるゴミ箱にそれらを乱暴に突っ込んだ。


烏頭の家は実に大きく美しい。親の代から受け継いだものだった。烏頭の親は2人揃って一流大学で教授を務めていた。これまた揃って日本の史学を学んでいた。古風で厳かな、そして美しき日本を愛していた2人が建てた家は、美術品とも言えるほどである。

家の門から玄関へ導く石畳は、昼間でも生い茂る柳に冷やされ、美しく黒光りしていた。門から覗く玄関は綺麗な白色で塗られ、白鷺城ならぬ白鷺家と言える。烏頭自身はメンテナンスが億劫だとあまり好んではいないようであるが、建て替えるのはもっと億劫なのでそのままにしていた。


そんな家を建てた2人は既に他界してしまっていた。母親が死んだのが烏頭が14歳の時、父親が死んだのは25の時だった。あまり感情を露わにしない烏頭もこの2回ばかりは心から哀しみ、特に最後の家族であった父親が死んだ時は1ヶ月家から一歩も出なかったそうだ。周りの人はもしや殉死したのではないかと、烏頭の家へ押しかけたという。


さて、そんな烏頭であるが仕事はしていなかった。正確には「仕事らしい仕事」はしていなかった。彼の収入源はネットの広告料。つまり、サイト管理を行なっていた。烏頭がサイトを立ち上げたのは17歳の時だった。謎解きサイト「カラスとミズガメ」を立ち上げ、定期的に謎解きを公開していた。その難易度と完成度の高さから、「四大謎解きサイト」の一つに数えられた。やがて迎えた謎解き全盛期。当然のことながら烏頭のサイトは大人気を博し、いわゆる不労所得を大量に手にした。


中学時代からの天才で、大学には全教科満点で文句なしの首席入学、卒業ももちろん学部首席で出て行った。あらゆる学問系イベントで好成績を収めた彼を受け入れたがる会社やら大学は幾つでもあった。しかし、元来より「贅沢しなくていいから好きに生きたい」と考えていた烏頭は、その全てを断った。そして、趣味である謎解きに人生を賭ける事を誓ったのだった。その後もネットからの収入があるので、悠々自適に烏頭は暮らしていた。

ところがやがて、自らが追い求めるような美しい謎解きを見つけることが出来なくなり、一言目には「暇だ」と呟く、そんな日々を迎えてしまったのである。

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