第38話

「このバイク、意外と小回りが利くんだ。渋滞の中でも割とすいすい行けると思う。さ、後ろに乗って」


 俺は促されるがまま、左腕の痛みに耐えながら足を動かし、シートに跨った。


「まあ大丈夫だろうけど、変なところは触らないでおくれよ」

 

 その一言に、俺はカッと頭に血が上った。


「そ、そそそそんなわけないじゃないですか!!」

「なあに、からかっただけさ。それじゃ、行こうか」


 ポカンとしている刑事二人を残し、俺は神崎の腰に右腕を回しながら、バイクに揺られていった。


「アキ、今、美耶がどこにいるか、追尾できるか?」

《あっ! もうビルに入ろうとしてる!》

「まずいな……」

「どうだい? 事態の先行きはよくないのかい?」

「美耶はもう、ビルに到着しちゃいました!」


 豪雨に負けないように、声を張り上げる。


「ま、急がば回れってね」


 そういう神崎のドライビングは、実に見事だった。

 俺のように突発的に飛び出すでもなし、細木のようにスタントマン顔負けの曲芸をするわけでもなし。飽くまで緩やかに走る。それでも、景色の流れは極めて速かった。車道の真ん中を、ひゅんひゅん飛ばしていく。

 途中でいくつかのサイドミラーに接触、吹っ飛ばしたが、神崎はそれが当然のことであるかのように、速力を弱めるようなことはしない。


「あとどのくらいで着きますか!?」

「ざっと三十秒かな」


 三十秒? いぶかしんだ俺が上を見上げると、


「あ……」


 サンライズ21は、もはやすぐそこにまで迫ってきていた。軽い上り坂を、相変わらず飛ばしていく神崎。

 すると間もなく、凄まじいスキール音を伴ってバイクは駐車した。見事に、工事用入り口に横づけする形で。


「ぐわ! ……っと」


 俺は危うく反動で振り落とされるところだった。


「はい、到着~」


「そんな呑気そうに言わないでください!!」


『そう?』と言いながら肩を竦める神崎。


「アキ、状況は!?」

《今、電子ロックのかかったドアのデータを漁ってるけど……。あっ、いた!》

「何階だ!?」

《一階からエレベーターに乗ったところ!》

「了解! 神崎さん、ありがとうございました!」


 俺はスマホを仕舞いながら、さっと神崎に頭を下げた。しかし、神崎は首を左右に振りながら一言。


「その言葉は、君が美耶ちゃんを救出できた時に言ってもらおうか」


 ピッとおどけた敬礼のような動作をしてから、神崎はようやく動き出した渋滞の列の向こうに消えていった。


「行くぞ、アキ」

《ええ!》


         ※


 鉄筋コンクリートや金属製のボルトがむき出しの内装。思いの他、殺風景だ。って、建設途中だから当然か。フロアには仕切りなどはまだ存在せず、作業中の人間の姿も見受けられない。

 極めて高い空間が広がっているが、これから天井や床板が取りつけられていくのだろう。

 しばらく左右に目を凝らしながら進むと、ガタンガタン、という僅かな音が耳に入ってきた。これは……エレベーターか!

「アキ、エレベーターの緊急停止と各フロアの電子ロック、できないか!?」

《さすがに無理ね。今の私は病み上がりだから》


 全く、呑気に言ってくれる。

 俺は、音を立てるエレベーターに隣接した、もう一つのエレベーターシャフトを見つけた。

 すぐに一階のボタンを叩き、金属製のドアが開いていくのを待つ。


「間に合ってくれよ……!」


 腹部にジリジリした熱を感じながら、俺は二本目のエレベーターの到着を待っていた。


「くそっ、早く来いってんだよ!!」


 エレベーターシャフトを蹴っ飛ばす。が、痛みは俺の方に跳ね返ってきた。


「い、いてぇ……」


 やはり全身の筋肉はどこかしらで繋がってるんだな。などと感慨にふけっている場合ではない。が、それが思いの外、俺の気持ちを落ち着かせた。

 あちらこちらに取りつけられた裸電球が、無骨な鉄骨や金属板を照らし出す。このエレベーターとて例外ではなく、下りてくる度に黄色、赤、青などといった発光ダイオードの灯りを反射している。真っ暗だったら、俺はビビってこのビルに入ることすらできなかったかもしれない。


 ゴオン、と重低音を響かせ、金属の箱が着地する。俺は乗り込むが、昇降ボタンが見つからない。


「あれ? アキ、これはどうなってるんだ?」

《調べる。ちょっと待って》


 これではますます美耶のリードを許してしまう。と、思った矢先、


「うっく!」


 俺は思わず尻餅をついた。エレベーターが、金属部品を擦らせながら勝手に上昇を始めたのだ。


「おい、アキ!!」

《分かった。そのエレベーター、工事中の現場の階と、屋上にしか停止しないのよ》

「いっぺんに屋上に行くには?」

《もう調べてる!》


 俺は焦りが頂点に達し、右側の柱に拳を叩きつけた。その直後、頭上から足元までが、縮むような錯覚に囚われた。物理的には錯覚ではないのだけれど。


「アキ、スピード上がったぞ!? 一体何があった!?」

《あ、あんた屋上直通ボタン、押したんじゃない?》

「え……?」


 俺が右手の先を見ると、確かにスイッチのようなものがある。そこにある文字は『R』。屋上、ということか。

 自分の足場がぐんぐん上がっていく感触を得ながら、俺は歯を食いしばっていた。

 速く……速く……もっと速く……!

 やがて頭上から、ギリギリと鉄骨材の擦れる音がした。美耶が、屋上に着いたのだ。ここのエレベーターに、到着を知らせる音色はまだ流れてこない。客がいないから当然と言えば当然か。

 やがて俺のエレベーターも、屋上に到達した。と言っても、屋上に繋がるフロアに、だ。そこから屋上に出るには、鉄扉を開錠して(美耶は鍵を持っていたのだろう)、向こう側に観音扉のように開く鉄扉を押し開けねばならない。


「ドアノブがついていやがる」


 左手が使い物にならない俺は、右側のノブだけを掴んで回した。

 しかし、だ。


「あれ? あれ!? 開かねえぞ、これ!!」

《なんですって?》

「でもどうするんだ、このドアは!? すぐ向こうに美耶がいるんだぞ!?」

《きっと、美耶ちゃんが鍵をかけたのよ!》

「俺が追っかけてるのがバレたのか?」

《いや、だったらもっと焦っているはずだと思うけれど。念のため施錠したんでしょうね。誰にも邪魔をさせないために》


 つまり。


「ブチ破れって言いてえのか?」

《そうね》


 うわ、アキの奴『そうね』で流しやがった……。


《ドンドン音はするでしょうけど、外は豪雨。美耶ちゃんはだいぶそこから離れたようね。多少音を立てても聞こえないでしょう》


 まあ、それはそうか。


「よし、じゃあ行くぞ!」


 俺は刑事ドラマよろしく、無事な方の右肩で、ドアに体当たりを試みた。

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