第25話【第五章】
「なるほどねえ~」
「そ、それだけだからな! これ以上、こっ恥ずかしい話させんなよ」
「はいはい」
その日の夕方、俺は再びやって来たアキを出迎えた。やはりエネルギー温存の観点から、自分で歩いてくるより荷物として輸送されてきた方がいいらしい。いつも通り、彼女の前にはウーロン茶の注がれたコップが置かれている。
アキが運ばれてくるとなると、俺が部屋のインターホンですぐに起きられる状態でなければいけないわけだ。それを思うと憂鬱だが、今日はそんな心配はなかった。
この歳で初めてのキスである。錯乱しない方がおかしい。いや、その前日には事故で唇が合わさってしまったが、あれは事故だ。
まあ、確かに奇妙なシチュエーションではあったけれど、これはいわゆる『両想い』というやつだろう。アキからも、救出目標となる人間に恋愛感情を抱いてはいけない、などとは聞いていないし、これからも麻耶を助けてやっていきたいとも思う。
などと考えていた最中、ビシャッ、と俺の顔に冷水がひっかけられた。
「うわっ!?」
目の前には、俺のコップを握ってこちらに腕を伸ばしているアキがいる。
「って何すんだよ!?」
「あんたがだらしない顔してこっちの話聞かないからでしょ。ちょっとは冷静になりなさい」
『お前に言われたくねえよ!』とはアキも言われたくないだろうから、ここは黙っておく。
しかし、だ。
「お前、格好変わったよな。どうしたんだ?」
「ああ、これ?」
アキは腕を広げ、自分の服装に目を遣った。今までのパステルグリーンのワンピースではなく、深い赤のシャツと黒いロングスカート。
「んー、まあちょっとね。追手が結構そこまで来てるらしいのよ」
「追手?」
頷くアキ。そういえば、最初に会った時『逃げ出してきた』なんて言ってたな。
「そいつに見つからないように、部分的にアルゴリズムを変えてみたら、実体化する時に服装の変化、ってことで現れたわけ」
へー。アルゴリズムって何? 美味しいの?
「ところで、神崎さんは大丈夫なのか?」
「ええ。南町病院に無事収容されたわ。いろいろと偽装工作が大変だったけど」
「ふーん」
ご苦労なこった。
「で、あんたは? 今夜も月野のアジトに行くの?」
「多分。ああいや、行けるかどうか分からない」
俺は少し言葉を濁した。別に悪意があってのことではないが。
「明日の昼間に、ちょっと用事がな。出かけてくるぞ」
「出かけるって、どこへ?」
「俺の実家に」
「あ、そっか」
アキの返答は素っ気ないものだった。敢えて気にしていない風を装ってくれているのかもしれない。
「うん……じゃあ、気をつけて」
「お前もな」
※
最寄駅から新幹線で一時間。距離にして八十キロほど南下したところに、俺の実家はある。
俺は何とはなしに、車窓から景色を眺めていた。真っ先に目に入ったのは、ひたすらに高いビル。どこかの財閥の金が動いているのか、などと思うと、麻耶や美耶の両親が支える月野財閥のことが連想されてしまう。
「ケッ、金持ちが」
俺は思わず、毒づいた。
それからしばしの時間が経過した。次の停車駅の名前が読み上げられる。
はっとした。俺は目を覚まし、ゴシゴシと両目を拭った。危うく降りそびれるところだったのだ。やはり昼夜逆転を叩き治すのは一仕事だな、と思う。
「んーーーっと」
とりあえず伸びをして、深呼吸。新幹線のホーム上は騒がしいが、それは飽くまで駅の中だけだ。一歩外に出れば、そこにはよくある田舎町が広がっている。俺の帰省先だ。そしてこの街の片隅に、俺のお袋が住んでいる。
こうして手早く帰省することができるのだから、本当はもっとお袋のそばについていてやるべきだったのかもしれない。しかし、俺には――浪人していた時期の俺には、とても耐えられることではなかった。その家に住み続ける、ということが。
ホームの階段を下りて、さっさと駅のエントランスを出る。懐かしいな。
「あれから一年、か……」
誰にともなく、俺は呟いた。正面には、真っ青な空。そしてそれを背景に、堂々と居座る入道雲。もうすっかり夏なんだなあ。
と思った時には、俺の足は自然に動き始めていた。実家の方面へと。
すると、去年は見なかったものが目に入った。
「ん?」
屋台が並んでいる。そうか。今週の日曜日、すなわち今日は花火大会だった。
既に鑑賞席を確保したのだろう、多くの人が屋台で食べ物を買ったり、お土産品を品定めしたり、金魚すくいなどの遊びに興じたりしている。ふと見ると、射的コーナーが設けられていた。
「はい、残念賞~! ティッシュペーパーです!」
あらら、ケチなことをするもんだ。まあ、アキが大男モードでショットガンを持ち出せば、全部の的を倒しきれるだろう。いや、屋台ごと風圧で吹っ飛ぶか。
俺は思わず笑みを漏らしながら、ジーパンのポケットに手を突っ込んで、人混みを縫って歩いて行った。
祭り会場から歩くこと約三十分。いや、本当は二十分で着くのだが、熱中症対策の飲料水を忘れてきたのを思い出して、コンビニに寄ったのだ。ちなみに、サングラスなしでも視力に支障がない程度には、俺の目も人並みに働くようになっている。
俺が到着したのは、築十年ほどのアパートだった。新しくもなく、古くて窮屈な思いをするほどでもない。ごくごく一般的なアパート。
ここに来るまでずっと、俺が考えていたことがある。
お袋のことだ。
一応部屋番号は教えてもらっていたので、問題はない。はずだったのだが、
「……」
俺はお袋の部屋、三〇二号室の前で立ち止まった。
人殺し。夫殺し。亭主の苦労にも気づけない、愚かな女。
などなど、あらん限りの誹謗・中傷を書いた紙が、玄関一杯に貼られている。郵便受けにも、何やら『死』だの『殺』だのと物騒な言葉の切り抜きが突っ込まれ、一杯になっていた。
こういう事態を避けるために、俺とお袋は引っ越してきたというのに。噂というものは恐ろしい。
それはさておき。まあ、親子とはいえ礼儀はあるだろう。そう思い、俺はインターフォンを鳴らした。
インターフォンの、ジリジリというこもった音と共に『はあい』と気楽な応答が聞こえてくる。パタパタというスリッパの音が近づいてくる気配に、俺は身構えた。
いや、普通は身構えるほどのことはないのだろう。しかし、今更になって突然、緊張感が俺の踵から後頭部までを突き抜けた。やがて、外履き用のサンダルに足を通す音がして、ガチャリ、と開錠の金属音が響き渡る。
「どちら様ですか?」
中年女性の、少しか細い声。それと共に、チェーン越しにやはり女性の顔が覗いた。
「やあ、母さん」
俺はそっと笑みを浮かべた。うまく笑顔を作れたかどうかは甚だ怪しいが。
しかし、それでも女性――お袋はぱっと驚いたように瞬きを繰り返し、やがて笑みを浮かべた。
「あら、俊介! どうしたの?」
「急に母さんに会いたくなってね」
「連絡ぐらいくれればいいのに……」
チェーンを外しながら、僅かに非難がましく言う。
「だって母さん、携帯もスマホも持ってないじゃんか」
「家電があるでしょう?」
ああ、そういえば。
「ごめん、忘れてたよ」
「全く、いざって時におっちょこちょいなんだから」
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