第21話
俺は半ば、パニックになりかけた。
こんな知的で美形な若い女性が、『特殊な事情を抱えているわけじゃない』にも関わらず、自らの命を絶とうとしていることに驚愕していた。その驚愕は、一転して恐怖に変わる。
「ちょっと待ってくださいよ、神崎さん!」
「大丈夫だよ。死ぬときは一酸化炭素中毒に頼る。眠るように死ねるそうだ。皆には迷惑はかけない」
問題はそこじゃない。
「ど、どうして死ぬ必要があるんですか、神崎さん! あなたはまだ若いんです、これから先明るい未来が――」
「君は本当に信じているのか? 『明るい未来』だなんて」
俺はぐっと息を飲んだ。そう言われてしまうと……。
政治家の汚職、天変地異、世界情勢の暗黒化など、この国、否、世界が混沌の中に放り込まれようとしている今現在。確かに、『明るい未来』など、信じられるようで信じられない。そんなもの、胡散臭い政治家の決まり文句だ。
「私は、つまらない人生を送るつもりはない。それにね」
神崎はくるり、とポニーテールを揺らしながら振り返った。
そして顔をずいっと近づけながら、
「何故自殺はいけないと思う?」
「え? だってそりゃあ……」
俺にだって、言いたいことはあった。一人の自殺が、周囲の人間にどれだけの心的禍根を残すものか。それを、神崎は分かっていない。だが、神崎の目に揺るぎはなかった。熟考し、完全な理論武装で守られた瞳をしている。
「ゆっくりでいいよ。君は私に反論したいんだろう? 試しに言ってみなよ、君が今何を考えているのか」
「それは……」
ええい、強行突入だ。
「麻耶や美耶、それにここにいる皆が悲しみます!」
「何故?」
「神崎さんと、二度と会えなくなるからです! 話をしたり、一緒に酒を飲んだり、西部劇の銃撃戦ごっこをしたり……。それができなくなるって寂しいことじゃないですか。悲しいことじゃないですか。あなたは、そんな大事なことを無視してまで死にたいんですか?」
すると神崎は、軽い調子で口笛を吹いた。
「なるほど。素晴らしい回答だね」
俺は黙って、神崎の次の言葉を待つ。すると神崎は身を起こし、胸の前で腕を組んだ。
「しかし、素晴らしすぎる。これを『理想』と呼ぶんだ、俊介くん。残念だけど、赤点は免れないね」
俺は黙ったまま。しかし、ふつふつと腹の底から怒りが湧いてくるのを感じてはいた。
皆が思っていることを代弁したかったのだ。『自らの経験』も含めて。それを、たった一言『赤点』で退けようというのか?
「あんた……残された人の気持ちを何だと思って……!」
「申し訳ないとは思っているよ」
神崎は少しばかり、眉尻を下げた。
「しかし、私の思う回答はこうだ。『やってみなければ分からない』ってね」
「だから、それを『やってしまったら』もう……」
「じゃあ、君は考えたことがあるかい?」
神崎はスラックスのポケットから両手を出し、腕を広げながら、堂々と語りだす。今度は自分の番だと言うように、
「上手く自殺できてしまった人の気持ちを、考えたことがあるかい?」
「……は?」
「例えば、自殺未遂をして改心し、『生きていてよかったです』という『生存者』、すなわち自殺に失敗した人の話ならいくらでも聞ける。テレビを点けて放っておけば、まあ月に一回くらいは流れてるんじゃないかな、そんな番組。でも、考えてもみてほしい」
神崎の顔つきは穏やかだったが、目だけは笑っていなかった。
「上手く自殺を成功させた人が、何をどう思っているか」
「どういう意味です?」
「要は、『生きている時より死んでいる時の方がマシだ』という答えが出てくる可能性があること、そして私たち生存者には、それを確かめる術がないということ。この二点さ」
俺はその言葉を解しかねたので、目線を強めることで神崎に先を促した。
「例えば、『あの時死ななくてよかった!』『生き残って救われた!』と言う人の言葉は、この世界にはごまんと溢れている」
微動だにせず、口を閉ざし続ける俺。
「だけど、それを鵜呑みにするのはナンセンス、いや、統計学上の暴挙だ。だって、同じように『自殺を試みた人』がいるにも関わらず、そのうちの『生き残った人』の意見しか採用しないのだから」
『ポイントはね』と言いながら、神崎は人差し指を立てた。
「無事に『死ねた人』の意見を採用していない、否、したくともできないということなんだ。例えば、著名人で言うところの芥川竜之介かな、彼は自殺した。もし彼が自殺に失敗し、『生き残った人』として『生きていてよかった!』と語る可能性もある。だが、我々人間は、あちらの世界――死者の世界に飛び込んで、マイクとカメラで自殺者の意見を聞くことができない」
「つまり、自殺者たちには『死んでよかった!』と思っている奴もいるかもしれない、ってことですか?」
「ビンゴ」
神崎は上げていた人差し指をカクッと曲げて、俺の眉間を指した。
「一体誰が保証してくれるんだろうね? 『生きている方が楽しい』とか、『死ぬよりも価値ある行為だ』とか。『神様』なんて馬鹿言わないでくれよ、俊介くん。いるかどうかも分からない存在に依存した理論には、説得力がない。そういう意味で、少なくとも私は、自分を納得させてくれるメディアに出会ったことはない」
『そんな当たり前じゃないか!』と言おうと思ったが、それでは神崎の理論武装には歯が立たない。それどころか、その論理性を強化することになってしまう。
「ま、そんなこんなで、私は死ぬことを割と真剣に考えているのさ。皆にはヤク中になってサツにパクられたとでも噂を流しておくよ。皆を騙すのはそれなりに心苦しいけど、突然いなくなってしまう分には、それなりにリアリティがある噂を流しておかなくちゃね。だからさっき、『皆に迷惑はかけない』と言ったのさ」
飄々と語る神崎に、俺は一気に頭が沸騰するのを感じた。そんな理屈、許せない。許してたまるものか。
「この野郎!」
俺は思いっきり地面を蹴って、神崎に殴りかかっていた――はずが、簡単に足を引っかけられた。
「ぶへっ!」
見事に転倒する。
「暴力に訴えるにはまだ早いよ、俊介くん」
「何だと!? お、俺だって、喧嘩なんかしたことないけど……。でも、あんたを力づくでも止めなきゃ気が済まねえんだ!」
「だからその前にさ」
すると神崎は、すっと息を吸ってから
「どうして君に、この話をしたと思う?」
「は、はあ!?」
「落ち着いて考えてごらんよ、誰にも真実を明かさずに私が消えれば、皆無駄に慌てることはない。君もね。だが、私は自分の思いを君に託した。何故だと思う?」
「そ、それは……」
「誰にも真実を知らせないでいたら、麻耶たちの心配は募るばかりだ。ここにはいろんな連中がいるけど、麻耶や美耶ほど私に懐いてくれた人間はいない」
「分かってるなら、自殺なんて思いとどまってください!」
「だからさ、それじゃあ満足できないから、死んでみようと思ってるんじゃないか」
神崎は軽く肩を上下させた。
っておいおい、神崎さん。答えをはぐらかしているぞ。『何故俺に自殺の真実を託すのか』という問いを自分から提示しているくせに。
「歯切れが悪いな、神崎さん」
神崎はつと視線を上げ、俺の目を覗き込む。すると、ふっと脱力し、微笑んだ。
「君は気づいていないんだね?」
「なっ、何がだよ」
「君のことが、好きなんだ」
……へ?
この話題になんとか食いついていこうとしていた俺は、唐突に牙が引っ込んでしまった。
「えっ、あ、それはどういう風の吹き回しで……?」
その時の俺は、よほど滑稽な顔をしていたのだろう。神崎は
「ぷっ……ははっ」
と身体をくの字に曲げた。
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