第20話
沈黙が、俺の部屋を支配している。互いにテーブルの反対側になるように座っているのは、俺と、デフォルトの少女姿に戻ったアキだ。俺はあぐらをかいて胸の前で腕を組み、アキは正座して俯いている。そんな状態が、陽が昇っても続いていた。
沈黙していると言っても、何の気配もないというわけではない。言葉を交わさないだけで、俺たちの『思考』は部屋に充満し、二人の胸を締めつけていた。
その『思考』。一言で言えば、『月野麻耶救出作戦における失態に基づく悔しさ』から派生したプレッシャーだ。とは言いつつも、以前のように互いを責め合ったり、怒鳴り散らしたりするようなことはしていない。
まあ、『どうにか次の手を打とう』という気になっているあたり、俺たちも少しは成長したということか。
どのくらい二人で黙り込んでいたのか定かではない。雰囲気を変える意味で、俺は口を開いた。
「エアコン、つけるか」
こくり、と頷くアキ。軽い空気の流れる音がし始めて、同時に沈黙も破られることとなった。
「やっぱり私、麻耶を撃つべきだったのかな……」
「いや、一概にそうも言えねえだろう。美耶を撃っちまった、って前科があるし」
そう。これ以上下手に暴力沙汰を起こせば、麻耶の俺たちに対する信頼は失墜するばかりだ。実際あの場にいた時は、俺は何故アキが発砲しなかったのか、いぶかしんでいた。だが、やはりアキも慎重にならざるを得なかったということは明確な事実だと思う。
「俺の方こそ」
俺は力の入らない身体から声を発した。
「俺が麻耶に、両親のことを思い出させちまったから」
「そんなこと――」
アキは顔を上げ、何かを言いかけた。が、やはり、麻耶に接する上で、俺に非があったと認めざるを得なかったようだ。続きを胸の奥に仕舞い込んだ様子で、俺から視線を逸らす。
「ごめん」
「何がだ?」
「本当に言いづらいんだけど……」
「だから何だよ?」
すると、アキは自らの短髪に指を通し、
「今晩は、麻耶の救出任務につき合えない」
「えっ?」
俺は突如として、自分の足場が崩れ去っていくような心細さを覚えた。
「そんな、どうしてだよ!?」
慌てて声を張り上げる。
「本当にごめんなさい、私が相手にしてるのって、あなたたちだけじゃないから」
ああ、確かに出会った時に言っていたな。『心理的弱者と健常者をペアにして、二人三脚で人生を歩んでいけるようにする』と。無責任だと言えばそうかもしれないが、アキとて時間に縛られる存在だ。アキを俺と麻耶のペア専属にはできないだろう。
「まあ、今晩は俺が何とかする。お前も無理すんなよ」
再びこくり、と頷くアキ。
「じゃあ」
「ああ」
腰を上げて廊下を進んでいくアキを、俺は玄関まで見送った。
※
「おっ! 旦那、ご苦労様です!」
「お、おう」
「麻耶姉のところっすね! ご案内致しやす!」
「ああ、悪い」
キラキラ通り入り口、ツナギ二人組との会話。
「あれ? ショットガン兄貴は?」
「ん? アキか。えっと、あいつはだな……」
正直に答えるわけにもいかないので、
「アメリカに一時帰国することになった。今出立の準備に追われてるんだ」
と言ってみた。露骨に肩を落としすツナギ二人組。
「兄貴のショットガン捌き、また見たかったなあ……」
おいおい、ありゃあ見世物じゃないんだぜ。
「まあ、旦那お一人の方が、俺らも変に緊張せずに済みます。お好みは?」
「は?」
「スピードとか、あ、昔は皆アンパンって呼んでましたね。あとハッパの種類は――」
その後、二人は交互に俺の知らない単語を並べ立てた。それが危険ドラッグの名前であろうことは容易に想像がつく。
「おい、他に何かあったか?」
「いや、今ここにあるのはこんなもんだろう」
二人は顔を見合わせてからさっとこちらに振り向き、
「で、どうしやす? 旦那」
「あー……。俺はクスリやハッパはやらないんだ」
二人はぱっと驚いた顔をして、
「さ、左様でしたか! ご無礼を!」
と言って頭を下げた。土下座でもしかねない勢いだ。
「いや、いいんだ」
「おい、代わりにテキーラをお持ちしろ!」
「あーもう! 俺はウーロン茶でいいよ!!」
何だかやけっぱちになった時の飲み会のノリだが、今の気分で酒は辛い。喉が渇かないよう、これだけを注文した。
ペットボトルを揺らしながら歩いていくと、いつもの公園状の広場に神崎が一人。
「あっ、神崎さん」
「やあ、俊介くん」
軽く手を挙げて応じる神崎。ソファに座っているのではなく、扉にもたれかかっている。煙草を吸いながら何か感慨にふけっている様子だったが、俺を見てすぐに微笑んだ。
普通だったら、また麻耶が飛び出してきて銃撃戦になるんじゃないか、などと思うところだ。だが、今の神崎の表情から、俺は不思議な安心感を覚えていた。今日はドンパチが起こらないような雰囲気だ。飽くまで俺の勘だが。
「麻耶は今日はいないんですか?」
「いるにはいる」
頷いてみせる神崎。
アキのことを尋ねられたので、俺は先ほどと同じようなことを述べた。
「そうか、アキくんは今日はいないのか。なら、私と俊介くんで麻耶の元を訪ねてみないかい? 会って喋って、問題はそれからだ」
俺は無言で首を縦に振った。
「んじゃ」
神崎に先導されて、俺は再び狭苦しいビルの間に足を踏み入れた。
「おーい、神崎だよー」
そう言いながら、神崎は拳銃を取り出し、グリップで扉を無造作に叩いた。金属音が、扉の向こうで反響する。すると、
「姉御一人か?」
との返答。麻耶だ。
「いや、俊介くんも一緒だ」
という返答の後、僅かにドアが開かれ、麻耶の瞳がこちらを窺ってきた。
「美耶がようやく寝ついたところだ。広場で待っててくれ」
『美耶に余計な心配をかけたくない』というのが、麻耶の言わんとするところなのだろう。
俺と神崎は、再び廃ビルの合間を歩いていた。人間二人が並んで歩くのに、ちょうどいい道幅だ。
「そうそう、せっかくだから俊介くん」
「はい?」
「少し私の話を聞いてみてくれないかい」
「はあ」
俺は、自分の後頭部に腕を回したまま返事をした。しかし、次の瞬間、神崎から発せられた言葉は、そんな安易な態度で聞けるものではなかった。
「君は『死ぬ』ってどういうことだと思う?」
唐突な、そして重い問いかけに、俺は狼狽した。
「とっ、突然何を言い出すんですか!?」
咄嗟に神崎の腕を取ろうとしたが、神崎はするりと通り抜けてしまった。神崎の背中から、言葉が投げかけられる。
「いや、あまりに突然だったようだね。失敬」
語るテーマに比べ、神崎の落ち着き払った態度は絶妙なギャップを生み出していた。そのギャップが、俺の神経の混乱を助長する。そして、次の瞬間だった。
「私は一回、死んでみようと思う」
時間が、止まった。何? 『死んでみよう』だって?
尋ねたいことが、一気に俺の頭の中に氾濫した。何か大変なことがあったのか? 心に傷を負ったのか? そもそも、俺なんかが聞いていいことなのか?
俺は離れゆく神崎の背中を、引き留める言葉も見つけられないまま見つめる。
「ああ、いやいや」
神崎は振り返り、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「今の私は、別に何か特殊な事情を抱えているわけじゃない。心理的にも安定はしていると思う。ただしね」
その続きを聞くにあたり、俺はごくり、と唾を飲んだ。
「死にたくはないが、生きていたくもない。そう思ったのさ」
「な……ななっ、何ですって!?」
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