第11話

「まだ怒ってんのか? 俺のことあんなにぶん殴ったくせに!?」

《当ったりめえだろ!》


 俺は咄嗟に耳からスマホを離した。


《大体、あんたら何だったんだ!? ちょっと気を許したらずかずか乗り込んできて……!》

「お前が自分から連れてってくれたんだろ!?」

《美耶にあんなことしやがって! 絶っっっっっっっ対許さねえ! 次に顔出したら、デコに穴開けてやるからな!》


 ブツリ、と勢いのある打撃音がして、通話は一方的に切断された。

 ツーッ、ツーッと虚しく鳴り響くスマホの画面を見下ろしながら、俺は再び足を止め、立ち竦む。


「ちょっと俊介! どうしたの? 次の作戦を立てなきゃ」


 面倒くさそうに振り返ったアキに向かい、俺は明言した。


「俺は降りる」

「そう、だから問題は――って、え?」

「お前の人選、間違ってたみたいだな。俺はもう協力してやらねえぞ」

「ちょ、ちょっと突然どうしたのよ!?」

「どうかしてるのはお前の方だ!」


 俺の怒声が、ビルの合間に木霊した。


「人助けがこんなに大変だなんて、お前は教えてくれなかった! 麻耶は妹を吹っ飛ばされておかんむりだ! もうどうしようもねえだろう!?」

「え、あ、それは……。私が軽率に発砲したから」

「ああそうだよ!」


 俺はずいっとアキに顔を近づけた。


「お前は軽率なんだ! 人工知能だって? ふざけやがって、結局麻耶に嫌われただけじゃねえか! お前に人の心が分かる、なんて無意識に思ってた自分が恥ずかしいぜ! もう諦めろ、俺に近づくな!」


 アキの顔から、感情がするりと剥がれ落ちた。俺と目を合わせたまま、微かに喉元を震わせる。『え?』と言う音が聞こえたような聞こえなかったような。


「どけよ、ポンコツ」


 俺はそう言い放ち、アキに肩をぶつけながらずいずいと歩み去ろうとした。

 その時だった。


「……待ってよ」


 震えるのを必死に抑え込んでいるような声が、背中にぶつかった。俺は無視して距離を広げていくつもりだったのだが、意志が薄弱だったのだろう、足を止めてしまった。


「待ってって」

「今立ち止まってる。足音で分かるだろ。何だよ」

「私、まだよく分からないの。人間の感情って」

「だろうな」


 取りつく島のないように、短く言い捨てる俺。だがアキは、淡々と言葉を紡ぐ。


「だから生身の人間で、サポートしてくれる人が必要だった」

「それは人選ミスだったって、さっき言ったろ?」

「でも、必要だったの」

「ミスだよ」

「でも」

「だから!」


 俺は今日何度目かの大声を張り上げながら、アキの方へと振り返った。そして、ぐっと息を飲んだ。


 アキは、目に涙を浮かべていた。溢れるような涙ではなく、微かに瞳に光をもたらすような水滴だ。この夜更けの、街灯以外の光のなくなった雑居ビルの底。少なくなった車のヘッドライトが、アキの目元にさっと明暗を浮かび上がらせる。

 ただ、その背景にある感情が何なのか、俺には分からなかった。


 悲しさ? 悔しさ? 非力さ? 彼女は一体、何を考えてる? いや、相手の心が分からないという意味では、俺もアキと同レベルなのか。


 二十歳そこそこだから、という理由で、俺は勝手に自分を子ども扱いしていたのかもしれない。しかし、それは俺の認識の『甘さ』ゆえだった。

 一人で暮らし、しかも引きこもりとなれば、他人の気持ちなんて分かるわけがない。いや、分かろうという気すら起こらない。それが、昨日までの俺だった。しかし、その『甘さ』を俺に気づかせ、覆させるだけの力を、アキは持っていた。


 仮にアキが人間『らしきもの』だったとして、人間とは、こんなものだったのだろうか? これほど、自分の周囲の同類に影響を及ぼすものだったのだろうか?

 ……これほど俺の心に、揺さぶりをかける存在だったのだろうか。


「くっ!」


 俺は頭を抱えた。しゃがみ込みそうになるのを必死にこらえ、歯を食いしばる。

 どうして一日の内に二度も『あんなこと』が頭に……!


「俊介」

「……何だ」


 俺は歯の僅かな隙間から押し出すように、声を上げた。


「拒否権はあなたにある。私が勝手に、あなたの家に押しかけたんだからね。でも」


 俺は目を上げ、視線を合わせることで、自然とアキの次の言葉を導いていた。


「でも、麻耶にはあなたが必要だと思う」

「根拠は?」

「人工知能としての勘」


 そりゃあ『女の勘』だろ。変身するから性別は確かじゃないが。

 俺は仏頂面を取り繕って歩みだした。


「俺は帰る。もう玄関前で騒ぎを起こすなよ」


 その時、アキはどんな顔をしていたのだろうか。俺は少しだけ、それが気になった。

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