ラバー・ソウルズ〔take2〕

岩井喬

第1話【プロローグ】

 目の前に鉄扉がある。

 僅かに隙間が空いていて、チェーンで繋がれていた。そこからは真っ暗な夜空が覗き、真夏であるにも関わらず、ひんやりとした空気が流れ込んでくる。雨粒もだ。


「くっ……」


 俺は千切れかけたチェーンを睨みながら、奥歯を食いしばる。この鉄扉を破らなければならない。是が非でも。何があっても。


 しかし、今の俺の状況は散々だった。猛ダッシュで階段を上ってきたため、足はガタガタ。右肩は鉄扉に体当たりを繰り返したせいで血が滲んでいるし、左腕に至っては、胴体にくっついているのが奇跡と言えた。


 ここで諦めたら駄目だ。俺は今日、何度目かの鉄扉突破を試みた。足の裏に力を込め、一気に飛び出す。


「うおおおおおおお!」


 ガアン、と鈍い音がして、俺は再び弾き飛ばされる。


「くっ、ぐあっ!」


 麻痺し始める右肩。だが、ここでこの扉に背を向けたら、間違いなく俺は一生後悔する。


「畜生おおおおおおお!」


 俺の身体など、どうとでもなれ。俺は心までも投げ出すつもりで、渾身のタックルを鉄扉に叩き込んだ。その直後のこと。


「え?」


 俺の身体は、宙を舞っていた。鉄扉が外側へと開いたのだ。


「うべっ!」


 体勢を崩した俺は、無様に地面、正確には高層ビルの屋上に倒れ込んだ。びちゃり、と水滴が跳ねる。


「!」


 何者かがはっと振り返る気配がする。俺という追手がいたことに、ようやく気づいたらしい。その何者かは、俺から二十メートルほど離れたところに立っていた。もう、ビルの淵に近い。


 だが、なんとか間に合ったか。俺は人影――一人の少女が立っているのを認め、ゆっくりと膝を立てて少女と目を合わせた。辛うじて立ち上がり、呆気に取られる少女に相対する。


「……て。待て、待つんだ」


 俺の声は、驚くほど掠れていた。


「俺の……俺の話を、聞いてくれ」

「嫌ぁ!」


 少女は両耳に手を当て、かぶりを振った。さらに一歩、後ずさる。もう少女に与えられた距離は、一メートルを切っているはずだ。


「すまなかった。君の気持に気づいてあげられなくて」

「うるさい! 黙って、喋らないで!」


 俺は何とか一歩を踏み出した。右腕は打撃でガタガタ、左腕は身体についているのが奇跡的なほどの負傷状態。それでも、バランスを保つのに苦労しながら、少女との距離を詰めようと試みる。


「何もしない。ゆっくりこっちに来てくれ。それ以上後ろにさがったら、君は本当に取り返しのつかないことになる」

「黙れ! 黙れ、黙れ、黙れ!」


 こちらに負けず劣らず、声を掠らせながら叫ぶ少女。


「そういうわけにはいかない」

「黙れ……」


 海浜工業地帯の七色の光が逆光になって、泣きじゃくる彼女の姿を浮かび上がらせる。

 俺にはもうかけるべき言葉がなかった。ただただ、彼女の元へと少しずつ足を運んでいく。

 彼女が歩み寄ってきてくれることに、微かな期待を抱きながら。

 それが、彼女にとって『生きる』という選択になるのだから。

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