雨が降ると靴が傷む

DDT

第1話

好きで履いているんだから、と何か言われるたびに勢いづいて言い返していた。

軽く10年越えて履き続けているわたしの皮靴。


皮の靴って、素人が修繕しようと思ってもうまくいかない。

履くたびに急速に劣化していって、歯が立たないという感じ。色あせ、ささくれ立ち、底がすり減り、右側の小指には穴が空き、今にも上と下とが分解されそう。


ちゃんと手入れすれば長持ちする、なんて知ってはいる。

だけどそんなに高級じゃない冬のセールで買った革靴を、部屋にあげて丁寧に磨いたりいつくしんだりする?

ちょっと気持ち悪いだろう。


しかしさっきは最悪だった。

屋根のないバス停で、よりによってにわか雨に降られて、足元はぐしゃぐしゃ。

片足をもちあげたら、とうとう底がぺろんととれた。

後ろに並んでいた人があきらかに引いていた。


なんだか可笑しくなって空を仰いだ。

半笑いの顔面に直接、雨粒を受けた。真冬じゃなくてよかったな。

わたしは足を濡らした翌日は、確実に風邪をひくんだ。


「あの」

後ろから、か細い声がした。

振り向くと、首を傾げ顔をしかめた若い女性が立っていた。

私のほかに10人弱はバスを待っていたはずなのに、雨に降られてすぐ、散り散りになったらしい。

今頃はさっそく駅前のタクシー乗り場に列ができていることだろう。


その彼女もわたし同様、傘をさしていなかった。

それどころか、両手に荷物がぎっしり詰まった紙袋を下げていて、みるからに持ち重りがして、雨に濡れつつある袋は今にも底が抜けそうだった。

罰を受けたみたいな顔と相まって、その瞬間、彼女はわたしよりも困ってみえた。


「もしよかったら」

彼女は躊躇なく片方の紙袋を濡れたブロックの上に置いて、空いた手でもうひとつの紙袋をまさぐった。

中から取り出されたのは、いわゆる便所サンダル。大きなサイズの男物だ。

左右を揃えて腰を曲げ、彼女はそのサンダルをそっとわたしの足元に置いた。

「気持ち悪くなかったら使ってください」


わたしは理解した。この駅の最寄には、終末医療を行う中規模の病院がある。

彼女は入院していた家族の、おそらく父親の後片付けをしてきた帰りなのだろう。

「ありがとうございます」

わたしは完全に役目を終えたボロ靴を脱いで、サンダルを履いた。


それが彼女との出会いである。

一足の靴を履き続けてきたモノを持たないわたしと、父親の死とともに自分に関係ない大量のモノに囲まれた彼女。ふたりの生活が始まった。

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