第9話 少年は北の谷で留守番をする
グラナード王国の北端。
巨大な断崖絶壁に囲まれた、通称「北の谷」のさらに奥部。
しんと静まり返った空間に、足音が響く。
足音の主は、年は十代前半くらいで、この国ではあまり見られない、身体にピッタリフィットした白い服を着た少年であった。
この閉ざされた空間の中で、今日も彼の一日が始まる。
「んー。今日の天気も晴れ、と。今日もいい天気みたいだ」
朝、最初に行うことはとりあえず天気の確認。
彼にとって、昼夜の区別は特に意味はない。
ただ概念としてそれに従って行動しているだけである。
「それにしても「いい天気」って不思議な言葉だよね。雨が悪いみたいじゃない。まぁこの中ならよほどのことがない限り、天気なんてどうでもいいんだけどね」
今は誰もいないこの空間。
会話の必要性がなくても言葉を発してしまうのは、癖みたいなものだ。
前は食事を作っていたけれど、最近は必要なくなったので作らなくなってしまった。
必要性という面では前者も同じなのに天気の確認だけはしてしまう。それはやはり、外を確認する作業と被っているからだろうか。
「さてと……」
彼にとって、することは多くない。
というより、ここから自由に出ることができないため、出来ることがない。
ただ、その時のために、ここの維持管理をするだけ。
「あれ? 人間だ」
彼の視線の先。いつもと変わらない谷の光景の中に、動く生き物を見つけた。
こんな辺鄙の地に来るくらいだ。単に道に迷った人間と言うことはない。
おそらく、彼もまた北の谷の秘密を探りに来た人間だろう。
その人間はやっかいなことに、まっすぐこちらに向かってくる。
大丈夫だとは思うがこのままだと、もしかするとここまでやって来てしまうかもしれない。
「まったく、ミリアは何をしているのかな。このままじっとして中を見られたらやっかいだよね? うーん、仕方ないかな。ちょっと時間稼ぎでもしてみようかな」
彼はそう独りごちると、準備を始めた。
☆☆☆
谷底の荒れた道を、がたいの良い男がすたすたと進んでいた。
何日も野宿をこなせそうな荷物を背負い、危なげなく岩岩を越えて歩く姿は、いかにも旅慣れた雰囲気である。
「むぅ……。王都は南端と聞いていたのだが、岩と変な生き物ばかりで、建物がまったく見えんぞ」
「南? ここは君たちのいう大陸の一番北だけど」
「おおっ。少年、いつの間に!」
男が驚いたように大きな声を出した。
その声を間近で受けても、少年の方は平然としている。
さきほど、北の谷の奥地にいたときと、まったく変わらない恰好である。
「いつでもいいんだけど。でもどうして南に向かって、北端まで来るかなぁ」
「うーむ。磁石の示すとおりに歩いてきたのだが」
「見方が逆なんじゃないの? こっちが北だよ」
「おおっ。そうだったか! はっはっは。どおりで地図通り進んでも上手くたどり着けなかったわけだ」
「はぁ……」
人との付き合いはあまり積極的に行ってきていないので、彼にとっての「人」のサンプルは少ない。
だが、目の前の大男が変わった人間であることは、理解できた。
ちなみに、その数少ないサンプルの一人であるミリアも、おそらく変わった人間に部類されると思っている。
「助かった。礼を言おう。私はジャズ。とりあえず王都に行って一旗揚げようと思っている。少年、君の名は?」
「僕? 名乗るほどの物じゃないよ。適当に決めてよ」
「では、白い服を着ているからシロとしよう」
「……どうも」
というわけで少年はシロと呼ばれるようになった。
「ところでシロよ。私は道に迷ってからだいぶ歩きっぱなしなのだ。もしよかったら、そなたの家で少し休ませてもらいたいのだが」
「うーん。それは遠慮したいなぁ」
「そうか。それは残念だ。――ところで、君はいったい何者だ?」
「へ?」
ジャズが目を細め鋭い視線をシロに向ける。
「奇妙ないでたち。このような場所に一人でいるのも謎である。なにより、この私に気配を感じさせずここまで近寄れるほどの腕前!」
「うーん。何者って言われてもなぁ」
「それは少年の姿をした悪魔なのです」
突然、谷に第三者の女性の声が割り込んできた。
いつの間にか谷間の上空に、ピンク色の物体が浮かんでいて、そこからひょいっと小柄な女性が飛び降りてきた。
「おおっ。またしてもこの私に気配を察知させずに近づくとはっ」
「はい。存在感が薄いことではマヨーネさんに『後ろからいきなり現れるの禁止』って言われているミリアなのです」
よく分からない自己紹介をするミリアに、シロは口を尖らせた。
「ミリア、最近来るの遅くない?」
「ヒーローは遅れて登場するものなのです」
「ヒーローだかヒロインだか別にどっちでもいいけど、いずれにしろ君って、どっちも柄じゃないよね」
そのやり取りに、ジャズは驚いた様子をみせる。
「むむっ。君たちは知り合いなのか?」
「いえ。まったくの初対面の悪魔なのです」
ミリアはさらりと答えた。
「――ですので、こういうのは退治するに限ります」
ミリアは、きっと少年をにらみつけると、右手をつきだした。
「エターナル・フォース・エクスプロージョンっ!」
シロの周りに巨大な爆発が起こる。
さらに、花火が地面に炸裂したような爆音・衝撃が、幾度となく弾ける。
「うわー。やられたー」
その爆音に、シロの気の抜けた声が混じる。
やがて爆発が終わり、舞った土ぼこりが収まったころこには、白の姿はすっかりと消えていた。
「おお。凄い魔法だ」
「いえいえ。それほどでも。もし迷ってお困りのようでしたら、私の家までご案内しましょうか? レ・トルトの食材もたっぷりあるので、お食事も用意できますよ」
「おお。かたじけない。それは助かる!」
こうして、ミリアに先導される形で、ジャズは北の谷を後にした。
☆☆☆
「はぁ。まったく、ひどいんだから」
例の空間で少年はため息をついた。
戻ってきたわけではない。正確には、彼はこの場所から一歩も外に出ていないのだ。
谷底でジャズと名乗った大男と対面していたのは、少年が投影した幻である。気配がないのも当然だ。
ミリアもそれを知っているからこそ、ためらいもなく派手な破壊魔法をぶつけてきたのだろう。
「それを知っているとはいえ――さっきの魔法、まるで八つ当たりみたいだったんだけど」
ミリアが最近、自分のことを快く思っていないことは、何となく彼も勘づいていた。
だがいずれにしろ、彼女は自分たちに逆らうことは出来ない。
彼女にはここの「番人」以外にもやってもらわなくてはならないことがある。
彼にとっては不本意だけれど、「魔法」だけが頼りなのだから。
「……それにしても、よく考えれば、別に僕が外に行かなくてもいいんだよなぁ。ここまで入ってくれば僕でも対応できるから、そこで口封じすればいいんだし」
理屈では分かっているのに、あまり必要のない行動をしてしまう。
退屈しのぎをしているのなら、それはそれで奇妙なことだ。
本来なら、彼は退屈など感じるはずはないのだから。
もしかすると、谷の生物や仲間たちがそうだったように、自分もここの「マナ」に影響されているのかもしれない。
そんなことを考えながら、彼のいつもとは少し違った一日は過ぎていった。
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