第7話 料理屋の娘はギャギャバーの姫になる
グラナード王国の西北に位置する小さな半島の中腹に、ドミナという町がある。王国北部の玄関口として、昼夜日時を問わず、活気にあふれている港町である。
その下町の一角にある料理屋カナデ亭で、巷では北の魔女と言われ畏怖されているミリアは、その噂に似合わぬ蕩けた表情で、至福の食事時を過ごしていた。
「はぁ……お魚さんが美味しいのです。私が焼くと、いつも苦いだけなのですが、どうしてなのでしょう……」
「先生、それって単に焼き過ぎなんじゃないの?」
焼き魚定食を食しているミリアの向かいに座るのは、彼女の自称一番弟子、栗毛の少女クレラである。
テーブルに筆記用具を並べ、ミリアから出された課題の試験の最中である。
「いやぁー。この間、黙って勝手に帰っちゃったときは、クレラに愛想尽かして、もう来てくれないと思ってたよ」
「本当はそのつもりだったのですが、レ・トルトの欲望には適わなかったのです」
「あはは。それはありがとう。光栄だよ」
食後のお茶を注ぎに来た女店主でクレラの母親であるヴィオが豪快に笑う。
「はい。先生、出来たよ」
「はい。ごちそうさまでした。えーと、どれどれ。……凄いですね。とてもよく出来ているのです」
「えへへ。ちゃんと言われた通り勉強したもん。でも、これって魔法と関係あるの?」
クレラが受けていた試験は、医者が勉強するような医療の知識の問題だった。
「はい。魔法でも普通の治療でも、基本的なことは同じなのです。ケガや病気の仕組みを知っていれば、料理をしようとしてやけどしてしまっても、安心なのです」
「ふーん。そういうものなのかなぁ。そういえば先生って、普段料理ってあまりしないんだよね? レ・トルトが無くなっちゃったときって、何食べていたんですか?」
「そうですね。料理しても失敗だらけで面倒くさくなっちゃったときは、ギャギャバーを食べて過ごしていましたねぇ」
ミリアが遠い目をした。
クレラはしばらく考えて、ギャギャバーというのが、いつもミリアが乗ってくるふわふわと浮かぶピンク色の物体だということを思い出した。
「あれって美味しいの?」
「美味しくないです」
ミリアは真顔で言い切った。
「そこまで言われると、逆に食べたくなるなぁ」
「……そうですか? それならどうぞ」
ふわふわと店の屋根の上に浮かんでいたギャギャバーが彼女たちのテーブルが並ぶ窓際に降りてくる。
ミリアは窓を開けると、手を伸ばしてむんずとギャギャバーの一部を引き抜く。
「……なんか怒っているみたいですけど?」
「いつものことなのです」
ギャギャバーが恨めしげな視線(?)が気になりつつも、クレラは思い切って、ミリアから受け取ったピンク色を口にした。
食感は餅より固いが、すんなりと噛み切れて、ねっとりとその合って無いような風味が口全体に広がる。
「もんぐもぐ……ん? あ、悪くないかも」
「……本当ですか?」
「ん。味がしない感じがかえって素朴というか……美味しい、かな」
「はぁ……カナデ亭も、ヴィオおばさんの代でおしまいですね」
ミリアは大きくため息をついた。
「それって、どういう意味?」
ミリアはただ沈鬱そうな顔をしていた。
何となく馬鹿にされたような気がして、クレラが眉をしかめる。
けれどすぐに口が寂しくなってきたので、ミリアにお願いする。
「ねぇ、先生。これ、もっと食べていい?」
「はい。どうぞ。このようなものでしたらいくらでも」
「わーい。やったー」
「せっかくですから、私も食べるのです」
「食べるんだ……」
結局クレラはぱくぱくと、言われるままにギャギャバーを口にしていた。
ミリアもそれにつられたように、ギャギャバーを口にする。
まるでカニを食べているような無言の空気が二人の間に流れる。
――そして気づくと、クレラは奇妙な空間にいた。
☆☆☆
「あれ……ここ、どこ?」
クレラはコクリと首を傾げた。
薄暗く、どこかピンクっぽい色が広がっている空間。
そこにふわふわと浮かんでいた。
だが自分の意志では自由に飛び回ることは出来ず、ゆっくりと下へ下へと落ちていくのが感じられた。
下を見ると、赤いドレスに身を包んだ女性の集団が一糸乱れぬ動きで、髪を振り回しながら一心不乱に激しい踊りをしていた。なんか怖い。
そしてその女性の中央に、巨大なピンク色の球体が浮かんでいた。
(あれって……なんだっけ? どこかで見た気がするんだけど……)
そう思っているうちに、クレアの身体はその物体へと吸い込まれていった。
気づくと周りの風景はさらにどぎついピンク色に染まっていた。
どこまで続いているのか、どこが壁なのか、手を伸ばそうとしても身体が動かない。
そんな彼女の目の前に、やはりピンク色の球体が現れた。
大きさは彼女の顔を二回りほど小さくした程度で、手のひらに乗っかりそうなくらい。風景と同じピンク色なのに、やけにくっきりと見える。
そしてその球体にはぽつんとした目のようなものとともに、ひげのようなものもちょんちょんとその下についていた。
「余はギャギャバーの王である」
突然、クレラの脳内に声が響いた。
だがそれとは関係なく、クレラが口にしたのは素直な一言だった。
「……美味しそう」
「って、き、貴様ぁっ、いままで我々を何度食べてきたっ?」
「えっと……あなたの大きさで言うと五個くらい?」
「おのれっ。今こそ我々は、虐げられてきた人類に復讐を果たすべく立ち上がるのだ!」
「でも美味しかったよ」
どうやら会話出来ているようなので、クレラは素直に答えた。
すると、ぷんぷん怒ったように跳ねていた球体が丸く収まった。
美味しそうに見えた。
「なんと……それは真なのか……?」
「うん」
食べられてきたことを恨んでいたのに、なぜか嬉しそうな顔をしている。表情なんてないけど。
まぁ夢なんだし、そんなものなんだろうとクレラは思った。
「そうか……これから会うときは、そなたに力を貸そう。ギャギャバーの姫よ」
「ありがと。――って、えぇぇっ。あたし、姫になっちゃったのっ?」
☆☆☆
すごい超展開とともに、クレラは目を覚ました。
気づくとそこは、いつもの店内。窓際の席で、テーブルに突っ伏すように眠っていたようだ。
「ああ。起きた。もー。ミリアちゃんと一緒にテーブルに突っ伏していたからびっくりしたよ! 寝ているだけで良かったけど。ほら、片付かないから、早くどいたどいた」
ヴィオは、娘を追い払うようにして、テーブルを拭き始めた。
「うー。なんか変な夢、見たかも……?」
クレラはぼんやりする頭を振りながら立ち上がる。
「あ、お母さん。そういえば、先生は?」
「ミリアちゃんならトイレだよ」
「トイレ?」
クレラが聞き返すと、ちょうどタイミングよくミリアが戻ってきた。
顔色が悪く、下腹部を抑えている。
「変な夢を見て……おなか痛いのです」
「夢? それってもしかして、ギャギャバーのですか?」
「ええ。そうです。ピンク色の物体が次々と身体に……あれ? どうしてクレラちゃんがそれを知っているんですか?」
「あたしも同じような夢を見たから」
クレラがそう答えると、ミリアは自分とクレラの様子を比べるように見つめて、恨めしげに言った。
「なぜクレアちゃんが平気で、私だけおなかが痛いのでしょう?」
その疑問に、クレラは夢の中の出来事を思い浮かべると、笑いながら答えた。
「えっと。美味しく食べたあげたからじゃないかな」
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