直とおヨネ
「
もちろん、ケーキなんかないし、コーラもコーヒーもない。メニューは全部和風デザートで、水茶屋が並ぶエリアに近づくと、「だんご」「茶」っていうメニューらしき立て札が目に入るようになった。
水茶屋は、屋台よりもすこし大きな建物で、屋根の下にベンチが並んでいる。ベンチには真っ赤な布が敷かれていて、大きな公園でたまに見かける、和風の休憩所みたいだった。
一軒だけ、やたらと人が集まっている店があった。
「お凜さん。あの店だけお客さんがすごいね。人気なの?」
行列ができているというか、やじ馬が集まっているというか。その店の周りだけ、二重にも三重にもお客さんの輪ができていて、しきりに店の中をのぞいているのだ。
「人気の子がいるんだよ」
「人気の子?」
「水茶屋で働いている娘がかわいいってんで、江戸中から男が見に集まるんだ」
「男ってのは仕方ないねえ」と、お凛は笑っている。
「昔はね、遊郭にいる
「会いにいける――それ、きいたことあるなぁ」
テレビで見かける大人数のアイドルグループも、そういえば「会いにいけるアイドル」っていうキャッチフレーズで人気が出た――って、テレビをみながらお父さんが話していたっけ。そういうアイドルグループは小さな劇場でライブをするから、わりと近くで応援できて、運がよければ握手ができたり、話したりできるとか。
「ふうん、男って、いつの時代も変わらないんだなぁ」
「まったくだよ。男ってのは仕方ない生き物だねえ。――あ、
お凛がちゃっかりのろける。
すかさず「ヒューヒュー」とからかうと、お凜はまた顔を赤くして怒った。
「慧、生意気はおよし」
でも、まったく怖くない。お凜はずっと年上なのに、なぜかかわいく見えて、怒られてしょげるどころか、むしろ、にやにやしてしまう。
「あれ、お凛に、蔵の兄貴。それに、慧か」
うしろから呼び止められる。振り向くと、雑踏の中に立っていたのは、
「おや、吉太。あんたもきてたのかい」
「付き添いでね。――ってことは、アレだな。みんなで慧の帯を選びにきたんだな。よかったなぁ、慧。姐さんと蔵さんに、たっぷり甘やかしてもらいな」
吉太は、やたらとにこにこ笑う。そのまま手を伸ばして頭を撫でられそうな勢いだったので、すこし身構えて、いつでも逃げられる準備をした。
吉太がおれを見る目が、小さな子どもを相手にしているような雰囲気だったからだ。六歳とか、七歳とか、いまのおれよりもずっと幼い子どもにするようで、いっちゃ悪いが、笑顔がヘラヘラしていた。おれはもう十二歳。中一だっていうのに。
吉太は、若い男の人と一緒だった。その男の人の顔を、おれはまじまじと見た。
その男の人は、吉太が「粋」と呼んでいたシンプルな着物を着こなしていて、髪型もちょんまげだ。
この世界の人に、おれの知り合いなんか、誰一人いないはずだ。でも、その人の顔は、どこかで見たことがある気がする。
「ああ、おまえさんは――」
お凛も、その人を知っているみたいだった。
吉太は内緒話をするようにいった。
「こいつ、あの子といい仲なんだ」
「あの子って?」
「水茶屋の、あの――よう!」
人だかりができていた水茶屋へ目をやった吉太は、誰かを見つけたようで、店の中に向かって手を振った。
吉太に向かって手を振り返したのは、水茶屋で働いていた女の人。江戸中から集まったファンが押し掛ける、つまり、お江戸の世界の「会いにいけるアイドル」。
「
水茶屋の屋根の下から、円い盆をもった女の人が、ひょこっと顔を出した。
髪の毛は、この世界の人らしく結い上げている。お凛と同じく、時代劇で見るような髪型で、髪の上に赤い簪をさしていた。
にこっと笑ったその女の人は、たしかにきれいだった。でも、そんなことより、おれは目が点になった。その女の人の顔も、見たことがある気がしたからだ。
「久しぶり、おヨネちゃん。またあとで」
吉太はこそこそと口を動かして、もう一度その女の人に大きく手を振った。
吉太の隣にいた「
「わざわざ声をかけなくても――」
「こいつめ、照れてやがるな?」
文句をいった「
「こいつな、あの子といい仲なんだよ。もうじき夫婦になるんだ。な?」
「やめろよ」
「直」は恥ずかしそうに頬を赤らめて、ふいっと背中を向けてしまった。
さっきの「おヨネ」と「直」は、そのうち夫婦になる……つまり、この二人はもうすぐ結婚するってことだよね。つまり、いまは恋人同士。
と、そういうことを勝手に暴露されて「
(「
「直」は機嫌を損ねたようで、ぷんぷんと肩をいからせながら立ち去ってしまった。うしろ姿が、通りの雑踏の奥にだんだんまぎれていって、着物の端も雑踏の人影に隠れてしまう。
「
二人とも若くて、身体もほっそりしていて、服だったり簪だったり、服にも気をつかっている雰囲気だ。人違いじゃないかっていう妙な気分はうずいたけれど、おれは間違いなく、その二人を知っていた。
おれが知っている二人は、いま会った二人よりもずっと年上で、身体ももう少し大きくて、着物なんか着ていなかったし、ちょんまげや和風の髪型もしていなかったから、気づくのが遅れたけど――。
(「
おれの両親だった。
お父さんの名前が、
――つまり、どういうこと?
この世界ってなに? どうしておれの父さんと母さんっぽい人が存在してるんだ? ここ、江戸時代じゃないの?
「どうしたんだ、慧。口をパクパクさせて」
お凜が、こっちを向いて苦笑している。ううん、おれのことなんか、どうだっていいんだ。
「ねえ、お凛さん。さっきの人たちは誰? 知り合い? 直って人と、おヨネって人だよ」
「ああ」
お凜は目を細めて、ふんわりと笑った。ほんのすこしだけ、寂しそうだった。
「いい子たちさ。二人、お似合いだよ。夫婦になってくれてよかった」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます