直とおヨネ

 「水茶屋みずぢゃや」っていうのは、お江戸の喫茶店みたいなものだ。つまり、カフェ。


 もちろん、ケーキなんかないし、コーラもコーヒーもない。メニューは全部和風デザートで、水茶屋が並ぶエリアに近づくと、「だんご」「茶」っていうメニューらしき立て札が目に入るようになった。


 水茶屋は、屋台よりもすこし大きな建物で、屋根の下にベンチが並んでいる。ベンチには真っ赤な布が敷かれていて、大きな公園でたまに見かける、和風の休憩所みたいだった。


 一軒だけ、やたらと人が集まっている店があった。


「お凜さん。あの店だけお客さんがすごいね。人気なの?」


 行列ができているというか、やじ馬が集まっているというか。その店の周りだけ、二重にも三重にもお客さんの輪ができていて、しきりに店の中をのぞいているのだ。


「人気の子がいるんだよ」


「人気の子?」


「水茶屋で働いている娘がかわいいってんで、江戸中から男が見に集まるんだ」


 「男ってのは仕方ないねえ」と、お凛は笑っている。


「昔はね、遊郭にいる女郎じょろうだの太夫たゆうだのってのが美人で品があるってんで男からも女からも人気だったんだけど、そんな美女は高嶺の花すぎるってんで、最近じゃ、水茶屋のかわいい子やら、お座敷の芸妓げいこやらが人気でね、会えない美女より、会いにいける美女のほうが手軽でいいって、男どもが騒いでるんだよ」


「会いにいける――それ、きいたことあるなぁ」


 テレビで見かける大人数のアイドルグループも、そういえば「会いにいけるアイドル」っていうキャッチフレーズで人気が出た――って、テレビをみながらお父さんが話していたっけ。そういうアイドルグループは小さな劇場でライブをするから、わりと近くで応援できて、運がよければ握手ができたり、話したりできるとか。


「ふうん、男って、いつの時代も変わらないんだなぁ」


「まったくだよ。男ってのは仕方ない生き物だねえ。――あ、くらさんは違うけどね」


 お凛がちゃっかりのろける。


 すかさず「ヒューヒュー」とからかうと、お凜はまた顔を赤くして怒った。


「慧、生意気はおよし」


 でも、まったく怖くない。お凜はずっと年上なのに、なぜかかわいく見えて、怒られてしょげるどころか、むしろ、にやにやしてしまう。


「あれ、お凛に、蔵の兄貴。それに、慧か」


 うしろから呼び止められる。振り向くと、雑踏の中に立っていたのは、吉太きちただった。


「おや、吉太。あんたもきてたのかい」


「付き添いでね。――ってことは、アレだな。みんなで慧の帯を選びにきたんだな。よかったなぁ、慧。姐さんと蔵さんに、たっぷり甘やかしてもらいな」


 吉太は、やたらとにこにこ笑う。そのまま手を伸ばして頭を撫でられそうな勢いだったので、すこし身構えて、いつでも逃げられる準備をした。


 吉太がおれを見る目が、小さな子どもを相手にしているような雰囲気だったからだ。六歳とか、七歳とか、いまのおれよりもずっと幼い子どもにするようで、いっちゃ悪いが、笑顔がヘラヘラしていた。おれはもう十二歳。中一だっていうのに。


 吉太は、若い男の人と一緒だった。その男の人の顔を、おれはまじまじと見た。


 その男の人は、吉太が「粋」と呼んでいたシンプルな着物を着こなしていて、髪型もちょんまげだ。


 この世界の人に、おれの知り合いなんか、誰一人いないはずだ。でも、その人の顔は、どこかで見たことがある気がする。


「ああ、おまえさんは――」


 お凛も、その人を知っているみたいだった。


 吉太は内緒話をするようにいった。


「こいつ、あの子といい仲なんだ」


「あの子って?」


「水茶屋の、あの――よう!」


 人だかりができていた水茶屋へ目をやった吉太は、誰かを見つけたようで、店の中に向かって手を振った。


 吉太に向かって手を振り返したのは、水茶屋で働いていた女の人。江戸中から集まったファンが押し掛ける、つまり、お江戸の世界の「会いにいけるアイドル」。


吉太きちたさん、なおさん」


 水茶屋の屋根の下から、円い盆をもった女の人が、ひょこっと顔を出した。


 髪の毛は、この世界の人らしく結い上げている。お凛と同じく、時代劇で見るような髪型で、髪の上に赤い簪をさしていた。


 にこっと笑ったその女の人は、たしかにきれいだった。でも、そんなことより、おれは目が点になった。その女の人の顔も、見たことがある気がしたからだ。


「久しぶり、おヨネちゃん。またあとで」


 吉太はこそこそと口を動かして、もう一度その女の人に大きく手を振った。


 吉太の隣にいた「なお」と呼ばれた男の人は、照れくさそうに横を向いている。仕草が、なんとなくさっきのお凛に似ていた。


「わざわざ声をかけなくても――」


「こいつめ、照れてやがるな?」


 文句をいった「なお」を軽くあしらって、吉太はお凛と蔵に向き直った。


「こいつな、あの子といい仲なんだよ。もうじき夫婦になるんだ。な?」


「やめろよ」


 「直」は恥ずかしそうに頬を赤らめて、ふいっと背中を向けてしまった。


 さっきの「おヨネ」と「直」は、そのうち夫婦になる……つまり、この二人はもうすぐ結婚するってことだよね。つまり、いまは恋人同士。


 と、そういうことを勝手に暴露されて「なお」は怒っている――そういう雰囲気だと、それはわかった。でも、そんなことより。おれは今度こそ、目が点になった。


(「なお」? 「おヨネ」?)


 「直」は機嫌を損ねたようで、ぷんぷんと肩をいからせながら立ち去ってしまった。うしろ姿が、通りの雑踏の奥にだんだんまぎれていって、着物の端も雑踏の人影に隠れてしまう。


 「なお」の姿が見えなくなると、おれは水茶屋を振り返った。そこにはまだ「おヨネ」という名前の女の人がいる。「おヨネ」も「直」も同じくらいの年で、現代でいうと大学生くらいに見えた。


 二人とも若くて、身体もほっそりしていて、服だったり簪だったり、服にも気をつかっている雰囲気だ。人違いじゃないかっていう妙な気分はうずいたけれど、おれは間違いなく、その二人を知っていた。


 おれが知っている二人は、いま会った二人よりもずっと年上で、身体ももう少し大きくて、着物なんか着ていなかったし、ちょんまげや和風の髪型もしていなかったから、気づくのが遅れたけど――。


(「なお」と、「おヨネ」――名前も似てる)


 おれの両親だった。


 お父さんの名前が、上田直人うえだなおと。お母さんの名前は、上田夜音子うえだよねこだ。


 ――つまり、どういうこと?


 この世界ってなに? どうしておれの父さんと母さんっぽい人が存在してるんだ? ここ、江戸時代じゃないの? 


「どうしたんだ、慧。口をパクパクさせて」


 お凜が、こっちを向いて苦笑している。ううん、おれのことなんか、どうだっていいんだ。


「ねえ、お凛さん。さっきの人たちは誰? 知り合い? 直って人と、おヨネって人だよ」


「ああ」


 お凜は目を細めて、ふんわりと笑った。ほんのすこしだけ、寂しそうだった。


「いい子たちさ。二人、お似合いだよ。夫婦になってくれてよかった」

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