弩の漢
@GeorgeGobou
第1話 序章
おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん
広い・・・広い空間を余韻のように断末魔が響きます。死の淵へと落ちた魔王の最後の咆哮が、恨みで満たされそれだけで心臓が鷲掴みにされてしまうかと思うほどです。
生けるすべての生き物を脅かし、多数の魔物を率いて人々の国へと進行を企んでいた魔王の死に、しかしアレクセイは動じることもなく、ただ魔王の下僕「だった」死骸の山でしゃがみ込んでいました。
髪の色は派手な七色、それを筒状にまとめ上げた奇妙な髪型に、素肌から直接袖を通した鋲がたくさんついた革製のジャケット。
首から下げた細い鎖につながっている白金で誂えた2枚のタグは彼の身分を証明するものです。
ジャケットと同じく腰にいくつもの鋲を打ち、全体的に厚手で作られた長いパンツと、やはり規則的に鋲を打ち込んである革製のブーツ。
そのすべての服装が強大な国家の兵士が持つ全身鎧よりも防御に優れている一品だとはおそらく、だれも考えません。
「あぁぁぁぁぁぁなぁぁすぅぅ」
いまさっきまで、世界中探してもこれ以上のモノはないと謳われる聖剣を振り回し、魔王にトドメを刺した男とは思えないほど気の抜けた乱暴な呼びかけに、ハーフエルフの少女が振り向きました。
カギノゼ・アーナス・エストッカー。神秘なる銀の森「エストノック大森林」の住民であり、前勇者の従者の一人、オルス・カギノゼ・エストッカーの娘であり、彼が生涯をかけて見つけ出した美しき「夜のエルフ」との混血であるアーナスは、普段は元気いっぱいの可愛い少女の様ですが、今はその面影だけで非常に具合が悪そうにも見えます。
「なによ!? 休ませてもくれないわけ?」
「良いから、モクをよこせ」
アレクセイに言われて、そういえば戦いの前に、彼の煙草を取り上げた事を思い出した彼女は、仕方なさそうに自分のバック・・・の隣にあった荷物を漁りました。
「うぉい、小娘。いつの間に入れたんだ! アレクセイの煙草を人の荷物にこっそり入れるなと言っただろう!」
「仕方ないじゃない。こいつの煙草、すっごい匂いがきついのよ。私の荷物に匂いが付くのなんて、絶対に嫌」
「ぐぬ・・・」
「それに、ラドワルフだって煙草吸うでしょ? 別にいいじゃない」
「っけ。言われてみれば、確かにな」
かくして、ドワーフであるラドワルフの荷物から無事に目的の物を取り出したエルフの少女は、中身の量を確認すると軽い仕草で、ポイッと投げました。
煙草は綺麗な孤を描いて、見事にアレクセイの手の中へ吸い込まれます。目に見えない程のスピードで一本引き抜き、口に加えたアレクセイは…
「焔の子よ・・・」
と呪文を唱え、指先につけた小さな種火で煙草に火をつけました。
「っげ・・・あいつまだ魔力があるの? どれだけ底なしなのかしら・・・」
「今に始まった事でもあるまい。この度で魔力を切らしているところなんぞ、見たことがねぇ」
二人の言葉を気に留める事もせず、アレクセイはゆっくりと胸いっぱいに吸った煙を、広い広い空間に吐き出しました。
「して、あいつはどうだ?」
言われてアーナスはスッと顔を曇らせ、視線を自分たちが進んできた道に移しました。
そこには二人の男がいます。一人は神官の法衣を纏い、神秘の秘石聖印の形に削り上げ、先端に掲げた杖を持つ男。
一人は最高級の樹精霊から授かった大木の芯を削り出し、丹念に魔力を込めて均した杖を転がらせ倒れている男。
神官の名前は、エドモンド・シャンデラ・メイスメイス
倒れている男は、レイビン・シャンデラ・メイジスタッファー
二人共アーナス、ラドワルフと共に魔王を打倒した勇者アレクセイの仲間です。
「レイビン! 死ぬな! いま、いま助けるから!」
これまでにも似たようなピンチはたくさんありました。仲間の誰一人として、生死を彷徨う経験をしていない者はいません。アレクセイでさえ、一度だけ死の淵に足を掛けたこともあるくらいです。
しかし、そのどれにも冷静に対処していた神官エドモンドは、いま誰よりも取り乱した状態でなにか助けがないかを必死に頭を巡らせていました。
「エド・・・まお・・う・・・は?」
「倒した! アレクセイがとどめを刺した! 大丈夫だ!」
「そう・・・か・・」
「レビー! 死ぬな! 結婚するのだろう!アリアーゼを置いていくのか!」
「あれ・・・・く・・・せ」
「なんだ!? アレクセイか!いま呼んでくる!待ってろ!」
アーナスがエドモンドに頷きました。いま、エドモンドをレイビンから引き離せば、そのまま永遠の眠りにつきそうな・・・そんな風に思ったからです。
「アックス! レイビンが・・・・よんでる・・・・」
アーナスが声をかけたとき、いつの間に動いたのでしょう。屍の山から降りてきた彼が、ゆっくりとこちらへ歩いてきました。
「でけぇ声なんか出さなくても、聞こえてらぁ」
声はとても乱暴です。でも、アーナスの肩をたった一回、ポンと叩いて、彼はレイビンの横に立ちました。
「よう」
「アックス・・・・」
「デカブツはやったぜ」
「その・・・ようだ・・・」
「っけ。情けねぇ。毒の呪いなんざ食らいやがって。王国詠唱学院の筆頭が聞いてあきれるな。時期学長じゃねぇか」
「はは・・・おまえが、なる・・・か?」
「っけ。俺がそんな面倒な事をするわけがないだろぅが」
「そう・・・だな・・・・。だがよ・・・」
「っち。どうすんだ、その呪いを受けたまま、生きていくのか? それとも・・・」
「いや・・・いい。楽に・・・して・・くれ」
その声を聞いて、エドモンドがガシッとアレクセイの腕をつかみました。必死に首を振る彼を見ても、しかしアレクセイの瞳の光が揺らぎもしません。
「そうか・・・」
アレクセイが一言呟きました。
瞬く間に抜いた短く肉厚な刀身と武骨で飾り気のない柄の剣が、辺りを灯す精霊の光に反射しました。
魔王の命すら奪ったの剣には目に映るその輝きで対峙した相手を恐怖に陥れ、味方には鼓舞の力を湧き立たたせますが、死を受け入れたレイビンにはどう写るのか・・・。
ゆっくりと剣先が爪先から脚をたどり、やがて胸の真ん中へと向けられました。
「アックス!」
神官の呼びかけをものともせず、ごく自然に突き付けた剣は、抵抗もなくすんなりとレイビンの胸へと沈み、やがて声もなく彼の命を奪います。
アックスは剣を突き立てたままで手放し、ゆっくりと手を掲げました。その手からは雪のように寒々しい青白い火の粉が舞い、燃えることもなくレイビンの体に積もります。
そして・・・
「焔の子らよ」
静かに・・・とても静かに、それはアレクセイの言葉から流れました。グッと握られた拳が起爆となり、火の粉と同じ青白い炎が彼の体をのすべてを包みました。
ひらりひらりと舞い降りて
寒さにさらされ苦しんで
やがては燃え尽き散らしてく
命儚や、旅人よ
命に縋りや 旅人よ
アレクセイの靴が、裾が、炎の舌に舐められ、這いつくされても、決して燃えることはなく、燃え上がることもなく、ただ命じられた対象を消滅するまで焦がし尽くしていきました。
歌を歌ったのはアーナスです。エルフが語り継いできた森に迷い込んだ狩人を謳った歌。
ただひたすら、故郷を目指し、傷ついた体で森の中で息を引き取った男へ捧げた鎮魂の歌が、広い広い洞窟に響きました。
魂(たま)の導きに抱かれて
すべてが母御(ははご)の御許(みもと)へと
いたれ いたれ と呼びたもう
いたれ いたれ と迎えたもう
永遠の命を紡ぐエルフ達の慰みに、愚かな人間を嗤う歌として語り継がれたこの物語はやがて幾多に迷い込んだ中の、一人の詩人が詩を付け足しました。
美しき森の守護神へ、魂が導かれると同時に、彼は会いたいと願った母に出会うことができたのだと語りました。
詩人がこの歌に結末を足すと、いつのまにか死者に手向ける歌として人間へと広まりエルフ達も死者の魂を森に返す時に唄うようになりました。
冷たささえ感じさせる青い炎が晴れたとき、レイビン・シャンデラ・メイジスタッファーだったモノは灰すら残らない程燃え尽きました。
それを見届けた四人は各々で逝ってしまった男の冥福を祈り、やがてアレクセイが来た道を戻り始 め ると、一人、また一人と彼の後を付いていきます。
この日、世界は救われました。
例えそれが一時的の事であることを知っていても
人々は勇者に感謝し、勇者をたたえ
その高潔な魂を信仰するでしょう。
やがて、人々が勇者の栄光を忘れかけたとき
再びこの世は魔王に支配され
新たな勇者が生まれるその日まで
暗闇の世界が訪れるのです。
ですが、それも未来の話
3か月後・・・・
ある春の日。戴冠式を目前にしたその日。
シャンデリオ王国、104代目英雄王アレクセイ・シャンデリオ・ミスリルソードは王国から姿を消したそうです。
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