第一章 決行の日

1 三つの可能性、ジュエルの性格

「結論から言うと、可能性は三つだ」と男が言った。

「ジュエル」の公開二日目の午後。外は春の嵐だった。横浜ロイヤルパークホテルの窓には、横殴りの雨が吹きつけている。


 カラスの三人はそれぞれ初日の一般公開に申し込んでいたが、当選したのは男一人だけだった。男は偵察の成果を述べた。

「事前に掴んでいたとおり、警備はジュエルがアメリカから連れてきた計八人のシークレットサービスによって行われている。宝石の警備とジュエルの警護、その両方を同時にやっている感じだ。日本の警察や警備会社が関わっている様子はない。十時から十八時までの一般公開中は、四時間ずつの二交代制で常時四人が宝石の警備に当たっている」

「配置は?」と女が尋ねる。

「会場の入り口に一人と会場中央の『ジュエル』のすぐそばに一人。あとの二人は、室内に二か所ある非常口脇にそれぞれ控えている」

「逃げ道はなしってわけね」

「昨日は、十八時の公開終了間際に、先に警備を担当していた四人とジュエルが会場に現れた。最後の客が会場を出たのが十七時五十七分。その五分後に、ジュエルと七人のエージェントが二つのアタッシュケースを持って会場を後にした」

「七人?」

「あぁ。一人は会場の入り口に残った。その後、ジュエルを含めた八人は二手に分かれた。二つのアタッシュケースのうちの一つを持ったジュエルは、四人のエージェントとともに隣接するこのホテルの方向に向かった。残りの三人はもう一つのアタッシュケースを持って、地下の駐車場に降りた」

「三人のその後の動きは、彼らの車に付けたGPSで確認してる」と女が引き継ぐ。「車は十八時八分にランドマークタワーを出発。そのおよそ二十分後に本牧のある一角に到着。そこで十三分間停車」

「本牧? そこに何が?」

「おそらく、これよ」

 そう言って女はスマートフォンの画面を男に見せた。

「なるほど、我々と同じか」

「そう、民間の貸金庫。銀行のとは違って、短期契約ができるから」

「それから?」

「十八時四十二分にそこを出た車は中華街へ戻った。しばらく中華街の中をうろうろしてから、とあるコインパーキングで再び停車。それから約三時間動きなし。退屈で死にそうだった」

 女はうんざりしたような表情を浮かべると、手元のグラスを口に運んだ。


「トマトジュースとウォッカは別々に飲むんじゃなかったのか?」

「最近忙しいのよ」

「退屈で死にそうだったんじゃないのか?」

「退屈だったから、下のバーでカクテルをメニューの上から順番に試してみたのよ。意外とおいしいのね」

「俺だったら、張り込み中にカクテルを片っ端から飲むなんてことはしない」

「私もマティーニを飲んだ後でトイレに行きたくなって、仕事に支障が出ることに気づいたからやめたわ」

「そのメニューが五十音順じゃないことを願うよ」


「動きがあったのが、二十一時五十二分。それからはどこにも寄らず、ここに戻ってきたのが二十二時十二分。さぞかし酔っ払ってるかと思えば、みんな仏頂面でエレベーターに乗り込んでいったわ」

「誰かさんと違ってプロ意識が高いな」

「出て行った時との違いは二つ」と女は男の嫌味には取り合わない。「アタッシュケースは持っていなかったことと、人数が五人だった」

「アタッシュケースを持っていなかったのは、やはり貸金庫に預けたからか。二人増えていたのは?」

 男の質問に、女は、さぁというように肩をすくめる。二人が同時に入り口の方に顔を向けた。

「おそらく、ジュエルとともにホテルの部屋に向かった四人のうちの二人でしょう」とボスが静かに口を開く。「ジュエルと四人が部屋に向かってから十分足らずで二人が降りてきて、ホテルの前に横付けしていたベンツでどこかへ消えていきました。アタッシュケースは持たずに」

「ということは、ホテルに残ったのはジュエルの他に二人か」

「そうなります。その後、ジュエルの部屋の様子を窺っていましたが、三十分ほどでルームサービスが来た以外は特に人の出入りはなさそうでした」

 わずかに空白の時間が生まれる。風音が強弱を繰り返しながら絶え間なく続いている。


「一人は展示会場、三人は車で貸金庫、ジュエルを含めた五人はホテルの部屋。誰が本物の『ジュエル』を持ってるのかしら?」

「一丁、推理ゲームといくか。ボスはどう思う?」

「いきなり他人の推理を聞くわけ?」

「これがミステリー小説だとして一般的な推理をするなら、施錠された扉に警報装置、監視カメラ。防犯設備がフルコースで揃っている展示会場からわざわざ持ち出す必要はないように思えます」とボスが言う。

「一般的な推理としては同感だな。持ち歩けば、盗難だけでなく紛失の危険性もあるし、何らかの不測の事態が起こる可能性もある。だが、ジュエルの場合はわからん」

「というと?」

「あの男の性格」と女が言う。「大胆かつ神経質。そして何より自分以外の人間は信用しない。だからこそ、今回の警備も日本側の協力は一切仰がず、自分に近い人間だけで完結させようとしてる」

「なるほど。それを突き詰めれば、何重もの防犯設備を信じず、僅かな側近にすら任せず、自分の目の届くところに置いて自ら守る、そう考える可能性もあるということですか」

「だけど、ジュエルが持ち帰って枕元にでも置いてるなら、警備と言う点では一番不安があるわね」

「『ジュエル』を狙っている人間からすれば、好機と言うべきだろうな」

「いずれにしても、車の三人組は可能性が低いように思います。今聞いたジュエルの性格を鑑みれば、わざわざリスクを冒したうえに他の人間に宝物を託すとは考えにくいですから」

「囮か」

「残る可能性は二つね。まぁ、私たちにしてみればどっちだろうと関係ないけど」

 女の言葉が窓に打ち付ける雨音でかき消されそうになる。風雨は一層激しさを増しているようだった。ボスの静かな視線が窓外に向くのにつられて、二人も同じ方向を見る。摩天楼が雨粒に滲んでいた。


「それなんですが、今回は手分けをしたいんです」

 ボスの言葉に、二人は顔を見合わせた。

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