Ch.2 : Kyōsyu Region

Once the girls were here ①

「ねぇ、あおちゃんさぁ」

 隣でジャパまんを咀嚼しながらクロウタドリが私に声を掛けてくる。食べ歩きは行儀が悪いからやめろ、と先ほど諫めたのだが、零れた滓は鳥の餌になるから大丈夫、と何も大丈夫ではない屁理屈を彼女はのたまうのだった。

「飲み込んでから話しなさい」

「君、本当にツグミちゃんのこと覚えてないのかい」

 彼女は私の言葉を無視してそう訊ねる。私は溜息を一つ吐くと、目を周囲の景色に転じつつ返答した。

「さっきも言ったように、覚えていないわ」

「ふぅん。君たち、あんなに仲良かったのになぁ」

 そんな詰るように言われても覚えていないものは覚えていないのだ。と、そこでふと、先刻頭の中に浮かんだあることを思い出した。私は視線を前に戻すと、早くも二つ目の饅頭に取り掛かろうとしている彼女に訊ねてみる。

「そういえば、私、暫く前から嫌な夢を見るのよ」

「ああ、今朝も汗びっしょりで跳ね起きてたね」クロウタドリは饅頭の下に張り付いた薄紙を剥がしつつ応える。「それがどうしたのさ」

「その夢の中で、一人のアニマルガールが出てくるの。前身真っ黒で、輪郭でしかその姿が掴めないんだけど――でも多分、鳥のアニマルガールだと思うわ。それで、私思ったのだけれど、それがクロツグミなんじゃないかって」自信がないので、最後の方は声が尻すぼみになってしまった。「どう、かしら」

「うーん」

 クロウタドリは口元に手を当てつつ悩まし気に唸る。

「君の夢を実際に見た訳じゃないから何とも言えないな。もうちょっと詳しく夢の内容を話してくれない?」

 彼女の言葉を受けて、私は出来るだけ仔細に夢の内容を伝えた。加えて、異変時に私が実際に目にしたと思われる、夢に酷似したあの状況のことも。


「なるほどね」

 彼女はある程度合点がいったのかそう呟くと、私の方を振り返って後ろ向きに歩きながら自らの推論を語り始めた。

「まず夢の内容に入る前に、君が異変の時に目にしたというアニマルガールについてだけど、ツグミちゃんだという可能性はほぼ無いと思う」

「どうして?」

「その子は君の記憶によると、その巨大セルリアンの至近距離に居た上に、注意を引こうとしてそれに攻撃を加え続けていたのだろう? そして、君が運ばれたという最寄りの避難所にも彼女はいなかった。そうなると、飼育員さんが話した通り、現実的に考えてその子が無事で済んだということは考えにくいだろ」

 それに、フレンズがその全身をセルリアンに飲み込まれてしまった場合、まず助かることはないからね、と彼女は目を伏しつつ言い加えた。

「けれど、僕は異変後に確かにツグミちゃんと再会して、彼女の最期まで見届けた。則ち、この時点でその子がツグミちゃんであるという線は消える」

 なるほど、と私は素直に納得する。改めて考えてみれば、あれ程の巨大なセルリアンに飲み込まれてしまった場合、救出は望み薄と言えるだろう。クロウタドリは私が彼女の推論を理解したところを見ると、次に夢の内容について述べ始めた。

「そして夢の内容だけど、状況から察するに、僕と君があの大穴の前で地震に遭うということを映し出した、ある種の予知夢なんじゃないのかな。それならば、君が見た真っ黒な鳥のアニマルガールは僕だったと考えれば平仄が合うだろう。僕の服も真っ黒だしね」彼女はサムズアップした手で自分の服を指し示して見せる。なるほど、これもある程度納得のいく推論ではある。しかし、私は僅かに引っ掛かりを感じた。

「私も予知夢なんじゃないかとは考えたわ。実際、その為にあなたをあの穴から遠ざけようと試みた。でも、実際はあの穴からは何も出てこなかったし、揺れも夢の中より小さいものだった」

「そりゃ、完全に現実に起こることを予測できるわけがないんだから、多少の違いはあるだろうよ」

「でも、何か引っかかるのよ」

 私は食い下がる。夢を見る度に感じる心の嫌な騒めきを考えれば、あんな小さな揺れを予知するだけの夢を数十年も見続けることは不自然に感じた。勿論、予知夢そのものが実際に存在するのかどうかも分からないが、仮に存在すると仮定した場合、クロウタドリの推論は自分の腹に落ちるには不十分なものに感じたのだった。

 クロウタドリはお手上げといった感じで肩を竦めると、体の向きを反転させて再び前向きに歩き始めた。

「夢の内容が厳密に何を予知しているかなんて、流石に僕にはわからないよ。占い師でもいれば話は別だろうけど――」

 そこで、クロウタドリははたと気付いたように立ち止まった。

「どうしたの」

「聞いてみる?」

「誰によ」

「占い師だよ。キョウシュウに当たる占い師がいるって噂があるんだ。ダチョウさんだったかな。ちょうど僕らはサバンナにいる訳だし、会えるかもしれないぜ」


 そう、私たちは今、サバンナエリアにいる。

 アーケードを発ってから数時間、日が燦々と照らす中、段々と気温が上がり続けているサバンナの中に敷設された縦貫道路をひたすらに歩いていた。

 ジャパリパークではサンドスターの力を借りて気候調節を行っており、パーク内の各地には世界中の気候及びバイオームが再現されている。緯度的に存在するはずのないサバンナがこの地にあるのも、サンドスターのお陰という訳だ。人がパークから撤退したのちも、定着したサンドスターの濃度勾配に基づいて様々な気候が現存していた。

 今は乾季なのか、暑い上にかなり湿度が低い。もう11月末にもなるのに、摂氏20度台後半はいこうという気温だった。太陽は南中高度を少し過ぎたところだったが、冬のため低い位置にあることがせめてもの救いだ。アーケード周辺では寒さに凍えて外套を着こんでいた私だったが、今ではすっかりそれがお荷物になってしまっている。ぐるりを見渡してみても、目に見えるのは地平線にまで伸びる一本道と、一面に広がる草本、疎らに生えた灌木、そして遠くに横たわる山頂にサンドスターの大結晶を湛えた中央火山のみ。なかなか過酷な環境にいることを改めて認識した私は、ここまでの疲労が一気に覆いかぶさってくる感覚を覚えた。

「クロウタドリ、そろそろ休憩しない?」

「えー、まだ数時間しか歩いてないだろう」

「数時間も、でしょ」

 彼女の暢気な返答に私はうんざりする。膝に手をついて立ち止まると、額から幾筋かの汗が垂れてくるのが分かった。下を向くと、その弾みで落ちた雫が熱されたアスファルトに落着し、間も無くして蒸発してしまう。これほどの熱さでは、座って休憩することも厳しいだろう。

「仕方がないな」

 クロウタドリはそう言うと、私の前へと歩みより、こちらに背中を向けた状態で屈んでみせた。

「え」

「負ぶったげる。ほら」

 彼女は両手を背中側の腰に当て、軽く手招きした。私は逡巡したが、正直サバンナエリアを抜けるまで自力で歩いて行ける自信もない。ここは、恥を忍んで彼女の背中を借りることにしよう。

 私は彼女の首元から両手を回し、胸の前で組む。自分の腹が彼女の背中についたことを感じるや否や、彼女は立ち上がった。

 ――途端に、違和感を感じる。クロウタドリの背はこんなに高かっただろうか?

 私は違和感の解消のために目を下に転じた。すると、見る見るうちにアスファルトが遠ざかっていく。これは――飛んでいるじゃないか。

「ちょ、ちょっ」

「何だよ」

「どうして飛んでるのよっ」

「いや、こっちの方が速いだろ」

 彼女は百メートル程飛び上がったのち、水平飛行を始めた。目の前で大きく羽搏かれる両翼から起こる風と上空の風両方を受けて私の長い髪が後ろへとはためく。もう一度下を覗くと、まあまあ速い速度で景色が流れていくのが分かった。一応クロウタドリが私の両脚を抱え込んでくれてはいるが、上身は自分が組んだ両手によってのみ支えられている状況だ。これに気付いた途端、手汗が噴き出してくる。

「こ、これ、落ちたりしないわよね」

「大丈夫だって。僕がしっかりと抱えてるんだからさ」

「いや、でも」

「うるさいなぁ、大体、君だって鳥のフレンズなんだから怖がる方がおかしいんだぜ」

「だって、私はずっと飛んでなかったし」

 最後に空を飛んだのは恐らく20年以上前のことになる。異変後はずっと地上で暮らしてきた私は、最早空を飛ぶ感覚など忘れていた。

 後ろでぶつくさ文句を言い続ける私に構わず、彼女は速度を上げてサバンナの空を飛んで行く。私は、ただ目をつぶって、大空の恐怖に耐えることしか出来なかった。



***



 数十分のフライトを終えて、クロウタドリは颯爽と地面に降り立った。かなりのソフトランディングだったために、彼女に呼びかけられて初めて自分が地上へと戻ってきたことに気付いたのだった。

「どうだった、久々の空の旅は」

「最悪よ」

 もう二度とごめんだわ、と言う私に対してクロウタドリは、鳥が言うセリフじゃないだろう、と突っ込みを入れた。


 周りを見渡してみると、植生はがらりと変わっており、目の前には温帯草原、遠景にはアーケード付近と同じ様に色付いた森林が横たわっていた。気温も大分下がっており、風が吹くと少し身震いしてしまうくらいだ。私は彼女に預けていた外套を受け取ると、それを羽織る。

「どの辺りまで来たのかしら」

「大体、北部の湖沼群のあたりまでだね。ほら、あそこにゲートがあるだろ」

 クロウタドリは前方、舗装路が真っすぐ続いていく先を指差す。目を凝らしてみると、数百メートル先に複数の建築物が並んでいる事が分かった。建築物群の中央には、アーチと思しきものが架かっている。

「折角ならゲートの前まで運んでくれればよかったのに」

「あのなぁ、誰かを抱えながら飛ぶってのは結構きついんだぜ」

 クロウタドリは口を尖らせながらそう言う。まあ、確かにそれもそうか。私は彼女を労ってお礼の言葉を述べると、前へと歩を進めた。


 暫くして、ゲートの前に辿り着く。見上げてみると、大きなアーチが建物と建物の間を繋いでいた。

 《水辺エリアへようこそ!》という歓迎の言葉が書かれたそのアーチは日光によりすっかり退色しており、背景にある薄暗い市街地と併せて濃密な退廃感を漂わせていた。きっと営業時はパークのゲストやアニマルガール達で賑わっていたのだろうが、私が暮らしていたアーケードと同じく往時の面影は無くなっている。

 水辺エリア、か。そういえば、異変前に何と言ったか、あるアイドルグループがこの辺りを拠点の一つとして活動していたと聞いたことがあるような気がする。サブカルチャーにあまり興味のない私が何故そんなことを覚えているのか分からないが、まあ、パークが崩壊して諸々の娯楽が消え去った今においては全く役立たない知識だと言える。

「そういえば、どうしてここに来たのよ」

「キョウシュウ地方の東側に架かっている連絡橋へと向かうにはここが近道なんだ。本当は中央の丘陵地帯を通った方がもっと早いんだけど、あおちゃんにはきついかなと思ってさ」

 気遣ってくれてありがとう、と言いたいところだが、聞き捨てならない所があった。連絡橋? 私の記憶が正しければ、キョウシュウ地方の東側にある連絡橋とは、ゴコク地方との間を繋いでいる長大な橋であるはずだ。

「え、ちょっと待って、もしかしてこの地方から出るつもりなの」

「当然だろ。君に広い世界を見ろって言ったのを忘れたのかい」

「それは覚えているけど……どこまで行くつもりなのよ」

「そうだなぁ、ちゃんと決めてはいないけど、僕たち三人――ツグミちゃんも含めてね――に思い出深いところでツグミちゃんを供養してあげたいんだ。そうなると、パーク・セントラルあたりになるかな」

「パーク・セントラル? それって、ここから何十キロも離れているんじゃ」

「直線距離だと百五十キロ位だけど、まあ海は渡れないから、迂回して大体三百キロかな。ま、長い旅になりそうだけど、楽しくやろうぜ」

 クロウタドリはあっけらかんと言うと、意気揚々とアーチをくぐって水辺エリアの中へと足を踏み入れた。対する私は茫然としている。キョウシュウ地方だけでも相当広いのに、その外まで行くとは――早くも後悔の念が押し寄せてきた私だったが、既に帰る住処は失われている。私は渋々ながら、クロウタドリの後に続いてアーチを潜り抜けた。

 

「あのぉ」


 その時不意に聞こえた声に私は立ち止まる。

 前を見てみるが、クロウタドリはこちらをちらとも見ずに前へと進み続けていた。となると、彼女が発した声ではなさそうだ。

「あのっ!」

 もう一度聞こえた声は、背後から発せられたようだった。私は恐る恐る、後ろを振り向いてみる。

 そこには、アーチの陰からひょっこりと上半身を出しつつ、不安そうにこちらを見つめている少女の姿があった。


「あの――良かったら、わたしも付いていっていいですかっ」

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