Blackbird singing in the dead of night ②

 夜に出歩くことはほぼ無い私にとって、夜のアーケードはある種新鮮に感じた。アーケードの天蓋には透明なポリカーボネート平板が葺かれていたが、異変の際に降り注いだ火山灰に覆われた影響で全体が白く濁り、そのため今宵の煌々と照らす満月の光でさえも全く差し込まず、外から見た限りではまるで平野に立ち現れた巨大な洞穴のように見えた。私は外套のポケットから所持していた小型のフラッシュライトを取り出すと、スイッチを入れて前方を照らす。すると、楕円形に伸びた光の円の中から見慣れた薄汚いタイル敷きの道が顔を出した。

「あ、あの、それは」

 背後からコマドリがおずおずと私に訊ねてくる。

「これはライト――まあ簡単に説明すれば、ここから集めた光を外に向けて放出する装置ね」

 私はライトの側面に搭載されたソーラーパネルを指差して背後にいる二人に見せた。私の説明を受けて、コマドリは驚きの表情を浮かべ、ミソサザイは胡散臭そうに眉を顰める。厳密に言えば光そのものを貯蓄している訳ではないのだが、新世代の彼女らに詳しい仕組みを教えるのはきっと骨が折れることだろう。

 私は再び前をライトで照らすと、アーケードの中へと歩を進めていく。暫く進んだところで左右を照らしてみると、並んでいるテナントの看板が見慣れないものであることに気付いた。アーケード自体は今朝身だしなみを整えた噴水がある広場より放射状に分岐しているため、恐らく普段使う入口とは違う場所から入ってきてしまったのだろう。少し時間はかかるが、戻って回り込むとなると尚更時間を要するため、気にせず先へと進んでいく。

 広場の少し前まで来た辺りで、再び背後から声が掛かった。今度はミソサザイからだった。

「あんた、よくそんなに躊躇なく前に進んでいけるな」

「暗いのは慣れているから」私は振り向かずに返答する。

「そういうことを言ってるんじゃねぇよ」

 ミソサザイはぞんざいな口調でそう返した。じゃあどういうことなのよ、と私が振り返りつつ訊ねると、彼女は呆れた様に嘆息し、「セルリアンだよ、セルリアン」と答えた。

「セルリアン?」

「まさか知らないのか?」

「いや、知ってはいるけど――アニマルガールの少ないこの辺りではきっと出ないわよ」

「危機感が足りないな」ミソサザイは再び呆れた様に軽く天を仰いでそう言った。「こいつを見なよ。さっき『絶対、私たちの案内が必要ですっ』とか言ってた割には一番内心ビビッてんだぜ」と彼女は先ほどのコマドリの言葉を茶化すように真似る。

「ビっ、ビビッてなんかないですよぉ!」

「声震えてんぞ」

「うっ……だ、だって、夜の森の中でもこんなに暗くないですし、なんか雰囲気も暗いし……こんな中でセルリアンが出たらわたし……」

 コマドリはそう言いつつ不安そうに辺りを見回す。私も彼女に続いて改めてぐるりを見渡してみる。個人的には見慣れた光景だが、自然の空間で生まれ育った新世代たちにとってはこの人工的で無機質なアーケードは確かに不気味な雰囲気かもしれない、と私は思った。

「ま、実際これくらいビビりの方が丁度良いんだよ」

 ミソサザイの言葉を聞いて私は再び彼女の方へ視線を戻す。

「色々見てきたが、奴らに喰われて命を落としちまうようなフレンズってのは、優しすぎるか、注意力や危機感が欠如しているか、のどちらかだ」

 彼女はそう言いつつ、ゆっくりと目を下に伏した。

「だから、俺はこいつがもう二度と危険な目に遭わないためにも、そのどちらにも陥ることがないよう言い聞かせてるんだけどな」

 ミソサザイがそう言葉を継いだところで、隣で聞いていたコマドリは不思議そうに僅かに首を傾げた。

「『もう二度と』って、わたしがセルリアンに襲われたことは一度もないはずですよ、ミソっち」

「あれ、そうだったか? お前のことだから一度はあると勘違いしてたよ」

「ちょっとぉ、酷いですぅ」

 コマドリが頬を膨らませてミソサザイにそう抗議したのと同じタイミングで、私たちは広場へと辿り着いた。濁った天蓋が途切れている広場は、ライトを使う必要がなくなるほど明るく月に照らされていた。私は中央の噴水に近寄りつつ、枝分かれした各アーケードを見渡していく。間も無くして自分の住処がある見慣れたアーケードの入口を見つけた私は、振り返って二人に声を掛けた。

「私の住んでいる場所のすぐ近くまで来れたから、今度こそ大丈夫よ。わざわざこんな遠くまでありがとう」

 感謝半分、社交辞令半分の言葉を二人へと投げかける。そうとも知らないコマドリは、嬉しそうに口角を上げて見せた。

「それは、とっても良かったです! これにて任務完了だね、ミソっち!」

 一方で、彼女に呼びかけられたミソサザイはそれに応えるわけでもなく、私の背後で口を開けているアーケードの入口を一瞥しつつ疑問を口にした。

「……あんた、本当にこの辺りに住んでいるのか」

「そうよ。まぁ、あなた達からすれば変に思うかもしれないけれど──」私は背後を見やりながら言う。「住めば都というやつね」

 私の返答を聞いてへえ、とも、ほお、ともつかないような曖昧な感嘆の声を洩らした彼女は、改めて私の方を見据えた。その意味ありげな視線を私は訝しむ。

「ああ、いや──別にあんたの住処を深く詮索しようってわけじゃ無いんだ」私の表情を見て、彼女はわざとっぽく肩を窄めつつそう弁解してみせた。「それじゃ、そろそろ俺らも帰らせてもらうよ」

 ミソサザイはコマドリの方へ視線を送ると、そのまま踵を返して広場の中心の方へと引き返していく。コマドリは律儀に、それでは失礼しますっ、と私に一礼したあと、小走りで彼女の方へと向かって行った。

 最後まで何かちぐはぐさを感じるような二人だったな、と私は思う。住処に向かって再び暗闇の中に足を踏み入れようとする時、私が何とはなしにふと後ろを振り返ってみると、反対側に位置するアーケードの天蓋のさらに向こう側に、翼を羽ばたかせて遠ざかっていく彼女達の姿が見えた。無意識のうちに自分の側頭部へ手を伸ばしていた私だったが、掴むことが出来たのはいつも通り、腰まで伸びた長い髪の毛だけだ。不意に去来した虚無感に押し潰されそうになったので、それを振り払うように早足で住処の前へと向かうと、地下に通じる階段を急いで降っていく。


 見慣れた部屋へと戻ってきた私は、背でうるさく軋むドアを閉めると、背をそれにもたせ掛けたまま深く大きな溜息を吐いた。

 ──疲れた。

 抱えていた三冊の本とその上に載ったジャパまんをカウンター席に置くと、私はドアの直ぐ側に掛けておいた簡易な燭台を手に取り、マッチを擦って起こした火をそこに灯した。アーケード内の配電設備は駄目になってしまっているため、このような原始的な方法で光源を得て暖を取る他ないのだ。悴んだ手を燭台の前で温めたのち、帰宅後のルーティンをまともにこなさぬまま疲れ切った身体を硬いベッドの上に横たえた。


 今日は色々あり過ぎた。

 滅多にしない長距離の移動に加え、癖の強い図書館の司書や、先程の二人との出会い。

 普段から快活に外出して誰かと触れ合うような生活をしているならいざ知らず、私のようなある種の隠居生活者にとっては堪えるものがあった。特に、ミソサザイ達との会話がこの大きな疲労の一番の原因だろう。そして、彼女達との会話の中で感じた何かしらの引っ掛かりが未だに私の中で尾を引いているというのも一因としてある。しかしそれについて思慮を巡らせるだけの余裕は、最早残されていなかった。

 最後の気力を振り絞って上身を起こし燭台の火を吹き消すと、私は倒れ込むように再び横になった。

 そして次第に重たくなっていく瞼を感じながら、毎晩そうしているように、一つのことを心の中で願ってみる。


 ──このまま眠って、そしてもう二度と目が覚めませんように。



***



 夢を見た。

 それは、私が異変以来、頻繁に見る夢の一つだった。夕方に見たものと比べて、こちらはより抽象的なものだ。


 気付いた時には、私は日の差し込む地方アーケードの中に立ち尽くしている。

 アーケードの中は異変前と変わらない状態になっている――天蓋は空を流れる雲の動きが分かるほど透き通り、舗装路のタイルは目立ったひび割れクラックも無く整然と敷き詰められ、さらには四散して跡形もなくなっていた通り沿いの屋台ストールも全て元通りになっている。人やアニマルガールが一切いないという点だけを除いて、何もかもあの頃と同じ景色だ。


 私はこの夢の中で自由に歩き回ることが出来る。というのも、これが夢であるということを最初から自分自身で理解できているからだ。この夢を見始めてまだ間もない頃は好奇心から様々な場所を探索していたが、ある時にどうもこの夢の世界において自分が進むことが出来る領域に限界が存在するということに気が付いた。

 一つ目の限界として、まずアーケード内から外に出ることは出来ない。

 各出入口から外の景色を眺めることはできるのだが、外へ出ようとすると、一定の場所を超えたあたりから歩けど歩けど景色が進まなくなってしまう。何度か試してみたが、この騙し絵のような現象はその度に必ず訪れた。

 二つ目の限界として、異変前に自分が訪れたことが無かった場所には入れない。

 私はそもそも異変の発生時に初めてこのキョウシュウの地方アーケードを訪れた。則ち、その際に見かけた景色しかこの夢の中には再現されないということだ。あの時必死に走り回っていた私は、どの店にも立ち寄ることなく、数本の通りと中央の広場を通ったのみであった。したがって、ここにはそれらの往時の姿しか立ち現れない。路面店の入口は開くには開くが、中は真っ暗――虚無が広がっているばかりであった。

 以上のような限界を知った私は、いつしかこの夢の中で歩き回ることをやめていた。どこへ行ってどこに働きかけようと、この世界が変わることは無い。現実で一日中感じている無力感を同じく押し付けてくるこの夢が私は嫌いだった。せめて、夢の中くらい、嫌な気持ちを忘れていたいのに。


 暫く舗装路の上で膝を抱えて座っていた私だったが、意を決して立ち上がると、噴水のある中央広場へと歩を進めていく。

 へ行くためだ。

 そうしなければ、この夢は終わらない。


 中央広場は明るい日差しに照らされていて、吹き抜けに面した各階の欄干や外壁に掲げられた看板やバナーがその空間の彩度を高めていた。噴水は今と変わらず水を噴き上げているが、水の吐出口は全体を覆っていた緑青が剝がれたことで青銅製の小さな彫像の姿が露わとなっており、加えて今朝歯磨きの際にグラスを置いた噴水の周縁部はぴかぴかに磨かれて綺麗なマーブル模様が浮き出ていた。それらを横目に、私は広場を反時計回りに歩いていく。

 目的地は、右から数えて二本目の通りにある。

 通りに曲がる直前で、私は一度立ち止まり呼吸を整える。いつの間にか汗ばんでいた手をスカートで拭うと、目をつぶった。

 

 また、を見るのね。


 目を閉じたことで研ぎ澄まされた聴覚が早鐘を打つ心臓の音を捉える。

 胸に手を当てそれが収まるのをしばし待ったのち、私はゆっくりと通りの目の前へと歩き出た。


 私の目に映ったのは、通りの真ん中でこちらに背を向けて立つ少女の姿と、その向こう側に開いた巨大な――目測で直径10mは超えようという――大穴。

 少女は影絵のように全身が真っ黒に塗りつぶされ、輪郭でしかその姿を捉えることが出来ない。臀部の少し上から飛び出た尾羽ようの形と、頭部の両側面にある僅かな膨らみから、彼女が鳥類のアニマルガールであることが辛うじて分かる。

 私はその異様な光景から目を逸らすことが出来ないでいた。毎回のことだが、ここに辿り着くとまるで体が化石されたように動かなくなってしまう。目を釘付けにされたまま、額から流れる嫌な脂汗を感じる。

 少女は間も無くしてこちらを振り向く――やはり顔は見えない。

 頭部に当たる場所が私を真っすぐ見据えた瞬間、微かな振動が足許に兆したのを感じた。その揺れは段々と激しさを増し、やがて地面を波立たせる程になる。

 いとも容易く地面から弾き出されたタイルが散乱する。躯体が歪み、破砕された窓ガラスと天蓋の平板が降り注ぐ。通りに面した袖看板が外れ、下にあった屋台を潰した。このような混沌の中でも、少女と私の身体は揺らがない。確かに揺れや音を感じているのに、まるで投影された映像の中に立っているかのように、そこに存在していないような感覚にさせられる。

 気付くと、少女の背後にある大穴から巨大な黒塊が這いずり出て来ていた。てらてらと光るその体は液体なのか固体なのか判然としない質感をしており、動くたびに構造色のような、鈍い七色の光をこちらに投げかけてくる。やがてその黒塊は鈍重そうな体組織の内側から血走った目を次々と表面に浮かび上がらせると、それらを正面に凝集させ、悍ましい複眼を作り上げた。複眼は少女と私を睨め付けたまま、こちら側へと身を乗り出してくる。それは天板が外れ切った天蓋から降り注ぐ日光を覆い隠し、私たちを影で飲み込んだ。

 ――嫌だ、もう見たくない。

 私は顔を無理やり背けようとするが、やはりままならない。瞼を閉じようとしても、指で押さえつけられているかのように動かなかった。この世界が、私をしてあの瞬間を刮目せしめようと仕向けてくるのだ。


 刹那、黒塊の体躯が揺らぐ。

 ぐらりと首を振った大質量の塊は、そのまま自由落下を始めた。その直下にいるのは――彼女だ。

 私は伸びない手を伸ばして、出せない足を出そうとして、彼女のもとへ駆け寄ろうとするが、それも空しく、目の前の少女はいつも通りに呆気なく、


 私の目の前で、圧し潰された。



***



「――っ!」

 掛け布団替わりにしていたドレープを弾き落として、私は勢いよく上身を起こした。

 私の間抜けな悲鳴は直ぐに壁に吸い込まれ、間も無くして夜の静寂が私を包み込んだ。うるさいほどの心臓の鼓動が私の耳を支配する。寝汗で身体に纏わり付く上着やスカートを感じて悪寒を覚えた。


「最悪の目覚めだね」


 ええ、本当に――右隣から聞こえた声にそう返答しようとして、全身が総毛立った。


 幻聴か?


 いや、それにしては明瞭過ぎたように思える。もしかしてまだ夢が覚めていないのだろうか? しかし、今自分が座り込んでいるのは、間違いなく現実世界で自分自身が拵えた寝心地が最悪な簡易ベッドだ。幸い今は体が動く。私は頭だけをゆっくりと右へと動かした。

 そして私が目にしたのは――暗闇に浮くだった。

 今度こそ腰を抜かした。ベッドの左側からずり落ちて背中を強かに打ち付けた私は、本棚兼燭台置き場としてベッドの頭側に配置しておいた棚の後ろになんとか身を隠す。

 セルリアンか、それとも新手の怪物か。仮に前者だとして、言葉を解すセルリアンがいるものなのだろうか?

 既に暗闇に目が慣れていた私は周囲を見渡してみる。が、何か武器として使えそうなものは何一つとして転がっていなかった。普段からまめにしていた掃除を悔やむ日が来るとは。燭台は今背にしている棚の上で、迂闊に手を出せない。借りてきた三冊の本はベッドの右側にあるカウンター席の上に置いたので、もっての外。

 そう考えているうちに、背後、則ち声が聞こえた方向から椅子を引く音が響いた。間を置かず、足音がこちらへと向かってくる。足音と一緒に鳴る古びた床の軋みが尚更恐怖を増大させた。足音は私のすぐ左斜め後ろで止まり、頭上で何かを持ち上げる音が鳴った。かたく目をつむる。

 その時、微かな擦過音と共に瞼の裏がぼんやりと明るくなるのを感じた。目を開けておずおずと顔を上げると、黴で汚れた壁が柔らかな光で照らし出されているのが見えた。

「君さ、怯えすぎなんだよ」

 今度は至近距離で聞こえたその声に、ひっ、と再び情けない声を上げつつ私は背後を振り返った。


 そこに居たのは、火の灯った燭台をこちらに掲げた一人の小柄なアニマルガールだった。声も出せないまま、私は彼女のことをじっくりと見つめてしまう。

 焦げ茶のローファーからすらりとのびた脚はダークグレーのタイツを纏っている。そして、その上は膝丈のプリーツから首元に至るまですっぽりと深い黒で包み上げており、この取り合わせにアクセントを加えるかのように、前髪の鮮やかな黄色の差し色と、彼女の黒々とした瞳を縁取って爛々と光る黄金のリングがあった。なるほど、先程この世のものならざる存在として私の目に映った浮遊する二つの黄の輪は、どうやら彼女の光彩の一部だったらしい。

 彼女に手を差し伸べられて、地べたに尻餅をついたままだった私はその手を借りて立ち上がった。立ち上がってみて分かったことだが、彼女の背丈は私よりも15センチほど低いらしく、軽く見下ろす形となった。対する彼女は、私に燭台を手渡すと、自由になった両手を腰に当て、シックな外見とは裏腹に溌溂とした声で言った。


、あおちゃん」

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