03 これくらいの傷ならば

 ますます、彼の選択は限られる。

 その場にとどまるのは愚の骨頂、だが先ほどのように跳んで避けられるかどうかは運次第。

 それよりは。

「うらあああっ」

 戦士は自身の剣を素早く抜くと、振りかぶって床を蹴った。

 何か考えた訳でもない。

 いや、むしろ、考えなかった。

 考えてしまうと動きが止まる――そうなれば待っているのは死だけだということは、理解せざるを得なかった。

「はっ、何度やろうと同じだ」

 いや、と少年は呟いた。

「終わりにすると言ったのだったな」

 魔術師はまた手を振った。シュナードはかまわず、突っ込んだ。

 死ぬ気はない。死のうとは思っていない。

 命を捨てるつもりは、決して。

 この場を切り抜けるために、戦うのだ。

 たとえ絶望的であっても。

(死ぬ前に、せめて一太刀くらいは浴びせてやる)

(いや、俺は、死なん!)

 ひゅんっと鋭い風の音がした。見えない〈風鎌〉がふたつ、戦士の左肩と右脇を革鎧ごと切り裂いた。血飛沫が飛ぶ。一リア遅れて、激痛が。

(大丈夫だ!)

 この程度の傷なら、何度も経験がある。

れる!)

 自分は、戦える。

 これくらいの傷ならば戦える。

 守ろうと決めた少年とも、戦える。

 それが彼の、この場にいる意味であるのなら。

「おのれ、諦めの悪い」

 シュナードの突進が少しも緩まなかったのは、魔術師には意外なことだったようだった。

 彼は反射的という様子で一歩退いたが、その間にシュナードはぐんと距離を詰めている。

「うらああっ!」

 完全に、捕らえた。

 そのはずだった。

 だが力強く振り下ろした剣は、少年が自らを守るように掲げた手に弾かれた。鋭く大きな音がする。

「何っ」

 驚いてシュナードはぱっと下がった。そして愕然とする。

 愛用の剣は、彼の手に柄と衝撃だけを残して、粉々になっていた。

「盾を張る羽目になるとはな。まだ本調子ではないか」

 しかめ面で少年は呟いた。成程、確かにいまの感触は盾に防がれたときによく似ていた。しかしそれを予測するとしないとでは大違いだ。思いがけない衝撃がシュナードの右手に伝わり、彼は酷い痺れを覚えた。

(だいたい、防ぐだけじゃない、結果的には攻撃もしてきやがった)

 一撃を防がれて剣が砕け散るなど想像すらできない。

(錆びまくったスフェンディアならともかく)

 ち、と彼は舌打ちして剣を――柄を――投げ捨てた。もう、持っていても意味がない。

「魔術師って奴ぁ、何でもやりやがる」

「『何でも』はできない。たいていは」

 少年は肩をすくめた。

「ただし、僕に限って言えば、それに非常に近い」

「はは、そういうのは何て言うか知ってるか」

 シュナードは右手を握ったり開いたりして痺れを癒やそうとした。

「増長とか、驕りってんだ」

「驕りかどうかは、既に判っているのではないか?」

「まあ……大したもんなのは認めるさ」

 彼は言った。

「それだけできりゃ、光を出したり剣に火を宿したり、あんなのは『大したことじゃない』ってことになるな」

「言っておくが、あのときは僕自身、自分が何をできるものか判ってはいなかった。ただ、あの程度は大したことじゃないと知ってはいた」

「……お前」

「何だ?」

 少年は片眉を上げた。

「もしや、まだ思っているのか?『レイヴァスは操られている』とでも」

 くっと彼は笑った。

「生憎だな。レイヴァスはかりそめの存在にすぎなかった。我が名はエレスタン。ドリアーレ王国の支配者だ」

 はっきりと、少年は宣言した。シュナードは何だか、胸の辺りが痛むのを感じた。

 奇妙な思いが浮かび上がる。

 もしかしたら自分は、判っていたのではないのか。

 いや、知らなかった。もちろん何も知らなかった。疑うこともなかった。

 だがもしも彼の身体に、エレスタンを倒して封印した英雄の血がほんの少しばかりでも流れているのなら。そのために。

 そのために彼はこの少年を気にかけたのではないか。

 目を離しては――ならないと。

「はん」

 浮かんだ怪しい思いを振り払うように、シュナードは首を振った。

「ドリアーレなんて国はとっくの昔に滅びてる。名称すら知ってる奴がほとんどいない、過去の遺物だ」

「ならば復活させるまで」

 少年は淡々と告げた。

「あの頃は北のエクール族が面倒な存在だった。だがいまでは、その勢力は壊滅したに等しい。僕の邪魔をする者はいない」

「は、南方三地方だけじゃ飽き足らず、大陸全土でも支配しようってのか?」

「アストールさえ邪魔をしなければ、やがて叶ったことだ」

「そういうのは、負け惜しみってんだ」

 教えてやる、と彼は嘯いた。

「黙れ」

 少年は不機嫌そうに言った。

「我が支配の再来、その景気づけにお前を血祭りに上げてやる」

「何だかんだとお喋りが長いじゃないか」

 戦士は鼻を鳴らした。

「本当に殺せるのか? お前に、俺が」

「剣を持たない戦士が何を豪語している」

 少年は呆れたように言った。

「――僕がお前を殺さない、とでも思っているならその誤解は正してやろう」

「もうそれを何度も聞いた気がするがね」

(本気だ、と感じたのは間違いじゃない)

 最初の一撃がかわしきれなかったら、彼は黒焦げになっていただろう。

(だがその後は、致命的な術を放ってきちゃいない)

(どういうことだ?)

 少しは思ってもよいものか。「レイヴァス」には躊躇があると。

 それともそんなのは幻想にすぎず、「魔術王」はまだ力を操り切れていないだけなのか。強烈な雷を放ち、炎の壁を作り出したことで力を弱らせているのであるとか。

(そうだ、レイヴァスは魔力を使いすぎて倒れた)

 そのことが少年自身に警戒をさせている。或いは力を小出しにしてもシュナードごとき殺せると考えている。

(甘い期待は禁物だ)

 「レイヴァス」が彼に親愛を抱いているなど、そんな幻想は、いまは抱くべきではない。

 自分と、そしてライノンが危機にある。頼みの綱である彼の剣は砕け、あとはもうこの拳か、錆びた剣しか。

(スフェンディア)

(英雄アストールの使った剣)

(ライノンは何と言っていた?)

 それはただ「アストールが使った」剣というだけではない。アストールが使ったか、そこに意味がある。

(魔力だか何だか、何にせよ力のある剣だってことだろうが、あんなふうになってちゃ)

(過去の遺物――)

(遺物なんかじゃないですよ!)

 ライノンの声が耳に蘇った。

(シュナードさん、あれは)

 青年は何を言おうとしたのか? 続くはずだったのは、歴史的や学問的に価値があるというような、場にはそぐわないが学者の卵らしい台詞?

 それとも。

(レイヴァスがライノンを閉じ込めたのは、そのあとだ)

(あいつは何か、レイヴァスに都合の悪いことを言おうとしていたのか)

 だとすれば、それはいったい。

 答えは出なかった。彼に判るはずがなかった。彼はただの、せいぜい二流の戦士で、もちろん英雄でもなければ賢者でも、学者見習いでもない。

 判るはずがなかった。

 だが、彼を重要な局面で救ってきた戦士の勘が、彼に告げていた。

(スフェンディアだ!)

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