02 遺物なんかじゃない
生意気で可愛げのかけらもなかった少年。
だが何だかんだと世話を焼く内に、親愛の情が全く湧かなかったと言えば嘘になる。
(こいつに剣を向けられるのか)
守ると、決めたのだ。彼が離れたせいで死なせてしまうようなことになるのが嫌で。
「くっ……」
どうすればいい。自分は。
(魔術王)
(本当に、こいつがエレスタンなのか)
信じられなかった。どうしても。
「――レイヴァスッ」
彼は少年の名を呼んだ。
「しっかりしろ。お前は魔術王なんかじゃない。そうだ、たまたま天才的に魔術が使えるもんだから、利用されてる。何か変な術で操られてるんだ。そうだろ?」
呼びかけられた少年は目をしばたたき――。
「く、くくくく」
可笑しそうに、笑った。
「どうやらお前にも詫びなければならないな、シュナード・イーズ。いや、アルディルムと言った方がいいか」
少年は手を振った。
「お前は僕の護衛をして金を得ようなんて、本当に考えていなかったみたいだな。裏など何もない、とんでもないお人好しだったということか」
笑い声が続く。レイヴァスが一度も見せなかった、それは楽しげな。
「そうだな、アストールという男も、なかなか人が好かった。ミラッサを僕に騙された人間の娘と思い込んで、救おうとしていたな」
「人間の……?」
繰り返して、シュナードははっとした。
「人間じゃない、のか」
少年をエレスタンと呼んだ少女は、片眉を上げた。
「エレスタンと契約した魔物……本当にいたのですね」
ライノンが呟いた。
「魔族のなかには人間の何倍、いえ、何十倍、何百倍も生きる種族がいるそうです。そう、もし彼女がドリアーレ王国の時代から生きているのだとしたら」
「んな」
馬鹿な、と言いかけた。
「ずっと起きていた訳じゃないわ」
というのがミラッサの返答だった。
「最後には私もアストールに深手を負わされたのだし。休んで回復しなければならなかった。でも目を覚ませば、エレスタン様が生きておいでのことはすぐに判ったわ。忌々しい封印の向こうであろうとも」
彼女は肩をすくめた。
「エレスタン様のお力が封じられていては、私も思うように動けなかった。封印を緩めるのも、封じ直そうとする愚か者を排除するのも、時間がかかってしまったわね」
「排除」
それは、つまり。
「血筋も見失われる訳だ。そうやって狙われてきたんじゃな」
ぎゅっと彼は剣の柄を握った。
「ですが、完全に途絶えさえしなければ、血縁は増えそうなものです。たとえばご婦人が結婚して、姓がアルディルムでなくなっても、血脈自体は続くのですから」
ライノンがちらりとシュナードを見た。
「何もシュナードさんはこっそりと内密に育てられていたということではないと思います。本当にご存知なかったんでしょう。ご両親も、ということですけれど」
「俺は」
違う。関係ない。レイヴァスが――こうなっては皮肉にも――ずっと主張してきた言葉が繰り返しシュナードの内に浮かぶ。
(もっとも)
(ライノンの言うことは、一理ある)
彼かどうかはともかくとして、アルディルムを名乗っていなくともアストールの血を引く人物がいるというのは、十二分に有り得ることだ。
「お喋りは、もうその辺りでいいだろう」
少年は首を振った。
「お別れと行こう、シュナード。ここまでの報酬に、その錆びた剣をやる」
すっとその右手が挙げられる。
「冥界でアストールに詫びるといい」
(クソッ)
この剣が使えるかとか、レイヴァスに剣が向けられるかとか、そうしたことよりも問題はほかにあった。
(魔術相手に、
彼の戦闘経験は対魔物か獣、たまに山賊などの人間で、それらのなかに魔術師はいなかった。魔術で相手を攻撃できるほどの技術を身につけていれば、山賊をやるよりもっと真っ当な手段で日銭を稼げるからだ。
むしろ街道警備隊に助力者として在籍していた魔術師の手を借りたことならばあるが、敵対したことはない。
レイヴァスは、魔術師ではないと言っていた。だがそれは結局、協会の仕事をしている訳ではないというだけにすぎず、公的な呼称はどうあれ、彼は強力な魔術師であったということだ。
しかも――。
(禁術なんて呼ばれるもんを操る)
認められない気持ちもあった。
だが戦士として培ってきた経験は言う。
感情に任せて視線を逸らせば、待っているのは死だけだと。
少年の手が振り下ろされるのが、不思議とゆっくりに見えた。
シュナードは役に立たない剣を握ったまま、思い切り右に跳んだ。と、たったいままで彼の立っていたところに雷が走る。
「くそ」
閃光と轟音に顔をしかめ、彼は歯を食いしばった。
「くそうっ! ふざけてんじゃねえぞ、クソガキ!」
叫んで一気に、彼は守ろうとした少年の懐に飛び込もうとする。
「やめなさいっ」
ミラッサが躍り出た。
「エレスタン様に近づくことは許さない!」
「ばっ、どけ! 斬るぞ!」
彼は足を止めざるを得なかった。これがまだ戯言、茶番としか感じられないのだ。レイヴァスをどうにかする――捕まえてぶん殴ってやる、くらいの気持ちしかまだ浮かばないが――のならまだしも、女は。
「やれるものならやってご覧なさい」
少女は唇を歪めた。
「私に勝てると思うのならね」
「ミラッサ、下がれ」
少年は命じた。
「これは僕の遊び相手だ」
くっと笑いが洩れる。ミラッサは頭を垂れて退いた。
「ガキが揃って生意気ばかり言いやがって」
シュナードはうなった。
カシェスの町で出会ったばかりのときのように、彼らをただの少年少女であるかのように言った。
もっとも――。
判っている。
信じられなかろうと何だろうと、レイヴァス少年がエレスタンを名乗るのは、冗談でもなければ何かに乗っ取られているのでもない。
ミラッサが彼にひざまずくのだって、子供のごっこ遊びでもなければもちろん大人の特殊な遊びでもない。
そう、なのだ。
何かが彼に知らせる。信じられずとも、これは事実だ。
彼に伝えるのは戦士の勘か。
それとも、アストールの血なのか。
「悪戯が過ぎるガキんちょどもには仕置きが必要だな」
だが、それでもシュナードは彼らを魔術王とその手下などと、口に出して認めてはやらなかった。
認めてしまえばそれが事実になるのではないかという、非合理的な感覚。
彼が認めるかどうかなんて、それこそ「関係がない」のに。
「笑わせてくれる」
言葉の通りに嘲笑を浮かべながら、魔術師は下ろした手を横に薙ぎ払った。
「うおっ」
その途端、シュナードは片足を引っかけられたかのようにつんのめり、黒曜石様の床に無様に倒れ込んだ。
「しまった……!」
その衝撃で剣から手が離れる。錆びた剣はカンッといい音を立てて床に転がった。
「いけない!」
反応したのはライノンだった。青年は飛び出し、スフェンディアに向かって走ると素早くそれを掴み上げようとした。
「下がれ」
短い言葉とともに炎の壁が立った。ライノンがそれに突っ込まなかったのは奇跡的と言えるだろう。
「下がってろ」
シュナードも言った。
「お前さんの出る幕じゃない」
「でも! アストールの、英雄の剣が!」
「過去の遺物だ、命を賭けるようなもんじゃない!」
彼は怒鳴って学者の好奇心をとどめようとした。
「遺物なんかじゃないですよ! シュナードさん、あれは」
「騒がしい小物だ」
少年はライノンを指した。
「だが運がよかったな。僕はお前に聞きたいことがある。死にたくなければそこでじっとしていろ」
ぱちん、と彼が指を弾けば、炎の壁は学者の青年を飲み込んだ。
「ああっ!?」
驚きの声が上がる。
「ラ、ライノン!」
「騒ぐな。あれはまだ殺さない。少しの間、炎の檻に閉じ込められておくだけだ」
「お、檻ったって」
ちらちらと踊る炎がまっすぐ円柱のように立っているのは奇妙な光景だった。
「燃え、ちまうだろ! あんな」
「おとなしくしていれば火傷ひとつ負わない。――座れるくらいの広さはあるだろう、そこで待っているんだな」
後半はライノンに向けられた言葉のようだった。
「やめろ馬鹿。火を消せ。閉じ込めたいならほかにもやり方はあるだろう。何もあんな」
「僕に命令するなと、言ったはずだ」
ぎろりと睨まれた。だがここは、以前のように引くところではない。シュナードは睨み返した。
「いいから消せ。力を顕示したいのか? 自分ができることを見せびらかして相手を脅かそうなんて二流だ、小物だぞ」
「挑発のつもりでも巧くない」
少年は一蹴した。
「あの炎を消させたければ、シュナード、僕を殺すといい。術者が死ねば術は消えるものだ」
「てめえ」
「どうした? たったいま、その気で挑もうとしたのだろう? 無駄だと教えてやったが、それでもう諦めたか?」
面白がるように少年は笑った。
見慣れない笑顔。それを浮かべたまま、少年は彼を指差した。
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