02 俺が間違ってた
「大丈夫よ」
仰向けに倒れたままの青年の横で、ミラッサが言った。
「頭を打って意識を失っているのね。出血の方は大したことがないわ」
「大したこと、ない?」
馬鹿な、と戦士は思った。
「相当深くやられたはずだぞ。すぐに医者に診せる必要があるが、とりあえず俺が応急処置を」
「傷は意外と浅かったみたい」
「ま、まじか? どれ、見せてみろ」
シュナードはミラッサの隣にしゃがみ込んだ。青年のローブはかぎ爪に破れ、露わになった胸元には三本爪の赤い痕が生々しく残っていたが、確かにえぐられたと言うほどでもなく、浅く斬りつけられたという程度だ。
「ふう、確かに」
シュナードは焦げ茶色の髪をかき上げた。
「それにしちゃ、派手にぶっ飛んだもんだな」
青年の眼鏡も落ちている。幸い、割れてはいないようだ。
「あの化け物にはそういう力もあったんかね」
彼はそれを拾い上げながら考えて言った。
「地水火風で考えて風の眷属ということは有り得るかもしれないわね」
「……何? 何の話だ?」
「言うなれば『魔物の家系図』ね。もちろん血のつながりはないわ。ただ」
「何だか知らんがあとにしよう。傷は浅くても治療の必要はある。毒みたいなもんを持ってるかもしれんしな」
シュナードはライノンに眼鏡をかけさせ、それから抱え上げようとした。と、ミラッサが彼の腕に手を置く。
「私が」
「何?」
「本格的とは言えないけれど、治療師の真似ごとならできるわ」
「はっ?」
癒やしの手は通常、神官にしか宿らない。魔術でも血の巡りを抑えて出血をとめたりだとか、毒が回らないようにしたりだとか、そうしたことは可能だが、本当の意味で治すことはできないのだ。
「正直、神女には、見えないんだが?」
「当然ね。違うもの」
あっさりとミラッサは答えた。
「なのに、癒やせる?」
「黙って見ていなさいよ」
じろりと睨まれた。
(まあ、とりあえずやらせてみて、巧くいけばめっけもんだろう)
外傷は一刻を争う事態ではない。最悪でも少し化膿するくらいだろう。即効性のある毒物でもあったなら、診療所に連れて行ったところで間に合わない。ならばミラッサの治療が奏功するという可能性もある。
シュナードは立ち上がってミラッサに場所を譲った。レイヴァスも小屋に入ってきて様子を見ている。
少女は目を閉じ、ライノンの身体の上に手をかざした。そして口のなかでなにやらぶつぶつと呟く。
「う……」
ライノンの声がした。だが気づいたというのではなさそうだ。瞳を閉じたまま――。
「あ、うう……っ」
声は苦しんでいるように聞こえた。
「おい、大丈夫なのか本当に」
「静かに! 集中できないわ!」
鋭く声が飛ぶ。渋々とシュナードは黙った。
「さあ、抗わないで……私の力を受け入れるのよ」
祈るように少女は囁いた。
「怖れることはないわ、これは、あなたを助ける力……」
(へえ、なかなか)
シュナードは感心した。
(こうして見てると、まるで聖女様って雰囲気じゃねえか)
おとなしくしていれば、ミラッサは美少女と言ってもいい顔立ちをしているのだ。怪我人を前に、茶色の巻き毛を垂らしてうつむいている姿は、一幅の絵とも見えた。
(こりゃあもしかすると、本当に)
本当に少女は彼の傷口を癒やしてしまうのではないかと、シュナードは見守った。
しかし。
「う、ああああっ!」
青年の身体がびくんと跳ね上がり、苦悶の悲鳴としか聞こえないものが小屋に響く。
「……あら」
「お、おいっ」
慌ててシュナードはミラッサの身体をぐいっと引いた。
「『あら』じゃねえっ、お前、何したっ!?」
「おかしいわね。間違えたかしら」
「『間違えたかしらー』じゃねえっ」
(間違えたと言うなら)
(高慢嬢ちゃんに任せられると思った俺が間違ってた!)
「悪化させてんじゃないのか!? やめろ、もうやめとけ、素人が手ぇ出しちゃならん領域だ」
彼は少女を押しのけた。ライノンの悲鳴はやんだが、先ほどよりも呼吸が荒くなっている。本当に悪化させたのではないかと思えた。
「失礼ね。もう一度やれば、ちゃんと」
「駄目だっ」
どんな術だか見当もつかないが、癒やそうと思ったからと言ってうっかり死なせてしまうようなことがあっていいはずもない。
「こいつは診療所につれてく。それから街道警備隊にも……」
言いかけて、彼は迷った。今回は、魔物の遺体はない。
(腕)
はっとして斬り落とした右腕に目をやろうとしたが、見当たらなかった。
「どこに……」
「これか」
と、言ったレイヴァスの手に、かぎ爪のついたあの腕が握られていた。
「おい」
シュナードは顔をしかめる。
「持つな! んなもんを!」
「少し見ていただけだ。構造上、ここから毒を出すというようなことはなさそうだな。その男はただ気を失っただけだ。ただし」
少年は肩をすくめた。
「その後の『癒やし』の影響についてまでは知らないが」
「あ……」
失敗を揶揄されて、ミラッサは何と、言い返しもせずにしゅんとした。
「あーその、何だ」
シュナードは咳払いをした。
「とにかく、診療所だ。おいレイヴァス、その腕はその辺に置いておけ。もう一度警備隊に言うのも気が重いが、さっきのはこの辺りじゃ見ない種類だった」
翼を持って空を飛ぶ魔物なんて、歴戦の彼でも初めて目にした種類だ。
「もしほかにも現れるようだと、奴らに対策を取らせにゃいかんからな」
警備隊に射手はそう多くない。かき集めておかなければならないだろう。
「現れない」
少年は腕をぽんと窓枠の上に置き、簡単に言った。
「あ?」
「先のあれはただの魔物じゃない。いささか正気を失っているようだったが、魔族だ。そう何体も群れていることはない」
「……あ?」
「判らなければいい」
レイヴァスはうなずいて踵を返した。
「仕方がない、本の運搬はまたあとにしよう。まずは診療所だ」
「お?」
そんな「緩い」男など放っておけ、とでもくるかと思いきや、少年はライノンの治療に賛成した。
「どうした? いや、結構なことだが」
「僕も少々」
少年は口の端を上げた。
「その男に訊きたいことができたんだ」
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