10 明日にでも

「レイヴァスに何をする気」

「おいおい、妙な誤解をするな。俺たちは何もこいつを苛めてる訳じゃ」

「よってたかって、迫っていたじゃないの」

「うるさい!」

 少年が怒鳴った。

「全く。僕は暑苦しいのは嫌いなんだ。こんな部屋に四人もぎゅうぎゅう詰めで叫び合ってるなんて」

「あー、ミラッサ。久しぶりだな」

 レイヴァスが挨拶などしなさそうなので、仕方なくシュナードが片手を上げた。

「何してたんだ? あれ以来、ここにもきてなかったそうだが」

「少しやることがあったのよ」

「ああ、次の犠牲者、もとい、訓練を引き受けてくれる戦士が見つかったのか?」

「それはあなたしかいないと言ったでしょう」

 ミラッサはシュナードを見上げた。

「私はあなたを見込んでいるのに、レイヴァスに剣を教えるどころか、襲おうとするだなんて」

「襲っとらんわ。さっきから迫るの襲うの、おかしなことを言うな。俺は少年趣味なんてないからな」

「趣味? 何を言っているの?」

「……いや、庶民の冗談だ。気にするな」

 こほん、とシュナードは咳払いをした。

「あのー、初めまして」

 ライノンが呑気に挨拶した。

「もしかして、レイヴァスさんのお姉さんですか?」

「違うわ。あなたは?」

「学者見習いのライノンと言います。レイヴァスさんが英雄アストールの血筋だと聞いてお話を伺いに」

 にこやかな自己紹介を聞いてミラッサは目をつり上げた。

「シュナード!」

「俺じゃないっ」

 戦士は両手を上げた。

「こいつはどっかから勝手に聞きつけてきたんだ。だいたい、レイヴァス自身も自分とアストールの姓の一致くらいは知ってるぞ。関係ないということではあるが」

「ふん、やはりか」

 レイヴァスは顎を反らした。

「お前も僕が英雄の末裔だとか馬鹿なことを考えて、僕のところにきていたのか」

「それは……」

 ミラッサは言い淀んだ。

「そういうことでは、ないの……」

(穢れぬ魂がどうとかって話か)

 もちろん彼女はレイヴァスが英雄の末裔だと考えている。だから魔術王復活を目論む者から狙われると考え、剣術を覚えさせようとしていたのだ。

 シュナードには何だか判らないことだが、レイヴァスの魂は穢れてはならないというのが彼女の言。それは「自分が英雄の末裔であり、そのために命を狙われること」を知ってはならないということ――。

(で、いいんかな?)

(何だか違う気もするが)

 それだけではないのかもしれない。ミラッサは全てを話してはいないし、シュナードも聞こうとしなかった。

 ともあれ、彼には疑わしい数々も、彼女にとっては真実。

 しかしそれをレイヴァスには告げられないということらしい。

「ああ、判りましたよ!」

 ライノンがぱちんと両手を打ち鳴らした。

「レイヴァスさん、男を慕うご婦人の気持ちをむげにしてはいけませんよ。あなたが妻帯者だと言うのならもちろん別ですが」

 にこにこと青年は諭すようなことを言った。

「なっ」

 意外にもと言うのか、少女はぱっと顔を赤くした。

「なっ、何を」

「馬鹿らしい」

 ふんとレイヴァスは鼻を鳴らす。

「下世話だ」

「恋愛は下世話なことなんかじゃありませんよ」

 ライノンは真面目に返した。

「特に若い内はたくさん恋をするべきです!」

 目をきらきらさせて青年は、片手をあらぬ方向に差し上げた。

「お前はしたのか」

 じろりとレイヴァスはライノンを見た。

「うっ……」

 気の毒にライノンはそのまま固まった。

「私は、生憎と、あまりご婦人と出会う機会がなかったので……」

 手を下げるとしょんぼりして呟く。

「まあまあ、お前さんもまだまだ充分若いさ」

 どうして自分がこんなことを言わなくてはならないんだと思いながらシュナードはライノンを慰めた。

「お前たちはここで遊んでいたければ好きにするといい。シュナード、あとでちゃんとそれを運ぶんだぞ」

 うんざりしたという調子でレイヴァスは彼らの間を抜けた。

「まあ待てよ。話ならみんなで、酒場でしよう。うん、それがいい」

「いいですね」

「お断りだ」

「駄目よ」

 二対二となった。レイヴァスはともかく、ミラッサも拒絶するとは少々意外に思ってシュナードは片眉を上げる。

「何が駄目なんだ?」

 彼は少女に尋ねた。

「人の多いところで話なんかできないわ。いまだって充分、多いのに」

 ライノンの分が、ということだろう。

「僕は外してもいいですよ」

 理解して――頭が悪い訳ではないのだ――ライノンは言った。

「ただ、明日にでも改めてお話しさせていただけるなら、ですけど」

「あんたもめげないね」

「そりゃあ、せっかくの機会ですからね」

 学者は笑みを浮かべた。

「僕がこれまで調べてきた古代王国ドリアーレの真実が判るかもしれません。ちょっとやそっとじゃ諦めませんよ」

「真実って何だ」

 シュナードは目をぱちくりとさせた。

「お前さんがアストールの血筋を追いかけてるのは興味って話だったが、実はやっぱり、魔術王復活を阻止しようって正義感があったりするのか」

「何ですって?」

「ああ、この兄さんは、何か知らんが英雄の末裔を探してるってんだ」

 改めて説明をすれば、ミラッサは一瞬、奇妙な表情を見せた。

「ん?」

「困るわ。出て行って」

 次には即、そうきた。

(やっぱり末裔末裔と連発されちゃ困るってとこか)

 レイヴァス抜きでミラッサと話をする必要があるかもしれない。シュナードはそっと思った。

「はい、今日はおいとまします。明日にでも」

 素直にライノンは引き下がった。

「あ、おい」

「はい?」

「ああ、いや……」

 シュナードはちらりと少年少女を見た。

「いや、何でもない」

 明日ここにきてもレイヴァスはいないのだ、ということを告げてやりたい気もしたが、ミラッサに睨まれることは目に見えている。

(俺と会った酒場のおやっさんにでも訊けば俺が訓練所にいることも判るだろうし)

(熱意が本物なら俺を訪ねてでもくるだろう)

 そう思ってシュナードは、挨拶代わりに軽く手を振った。実際、いまはいなくなってくれた方がよさそうだ。

「それじゃ――」

 青年が彼らを見ながら、ミラッサが開け放したままだった扉の向こうに去ろうとしたときだった。

「待て、ライノン!」

 窓の外を何かがよぎった。嫌な予感がした。

「戻れ!」

「えっ?」

 学者の青年に、戦士の緊迫した警告はいまひとつ伝わらなかった。彼はその場に棒立ちとなり、結果として――血飛沫を上げて後方に吹き飛んだ。

「ライノンッ!」

 扉の外に、不気味な影が現れた。

 それは人に似た姿をしていたが、明らかに人ではなかった。

 不自然に大きな手には、かぎのような爪が生えている。何より目立つのは、背中で揺れる、大きな両翼。

「くっ、今日の今日で二度目かよ!」

 シュナードは手にしていた本を投げ捨て、左腰の剣を抜いた。

「レイヴァス、ミラッサ、下がってろ!」

 戦うしかない。

 英雄の末裔がどうだろうと、魔術王の復活がどうだろうと、いまは何も関係ない。

 かつて警備隊時代におこなってきたように。

 いまはただ、背後にいる者を守るために。

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