05 神殿の犬
「カチエ、あんたは神殿の調査隊だということだが」
「調査隊の依頼を受けている、と言うのが正しいね。神殿の人間ではないから」
「だが神殿がその辺の剣士を雇うとも思えない。神官の身内だとか、そういう事情があるんじゃないか? もし言いたくないのなら問わんが」
「確かに、あまり言いたい話ではない。だが隠すようなことでもない」
女剣士は手を振った。
「先に、占い師の話をしただろう。魔術王の復活を予言して狂人扱いされたと」
「ああ。その煽り屋がどうかしたか?」
「『その煽り屋』は、私の姉だ」
「おっと」
これはまずいことを言った、とシュナードは目をしばたたいた。
「そいつぁ、すまん」
「かまわない。ともあれ、私は姉の話を信じて神殿に協力をしてきた。その内に信頼関係が築かれ、正式に雇われることになったという訳だ。もちろん報酬などはないが」
「ないのか!?」
思わずシュナードは素っ頓狂な声を上げた。
「当たり前だ。神殿だぞ」
しかめ面でカチエは返す。
「いや、だが、仮にも職業戦士なら無報酬で引き受けるなんてことは」
レイヴァス少年に「ただ働きでもいい」などと口走ったことを忘れたように、戦士は目を見開いた。
「経費はもらえることになっている。衣食住も最低限だが保証されるし、私は充分だ」
「まあ、そうか。それなら
稼ぐというのは端的に言えば衣食住のためなのだから、それが保証されているなら当面は問題ないとも言える。養うべき家族でもいれば別だが、幸か不幸かシュナードは独り身で、カチエも誰かに責任を持ってはいないようだ。
「それで、私が神殿から依頼を受けていたら、何だ」
「神殿では魔術王の復活が
「その向きが強くなってきている、という程度だ。私は姉のことがあるから信じているが」
「――真実の予言であれば、必ず当たる」
ぼそりとレイヴァスが言った。
「そう、らしいな」
シュナードはライノンが「もし明日死ぬと予言されたら」という不吉なたとえ話で説明してくれたことを思い出した。
「お前の姉というのは魔力を持っているのか」
「ああ」
「ならば、当たるということになる」
「お前、淡々と言うなあ」
呆れてシュナードは呟いた。
「感情的に言ったら何か変わるのか?」
レイヴァスは唇を歪める。
「そりゃ変わらないだろうが」
「当たり前だな。非合理的なことを言うのはよせ」
「へえへえ」
すみませんねとシュナードは謝罪の仕草をした。
「魔術王が復活する。そのために英雄の末裔を殺しておこうと考えた者がいる。いささか腑には落ちないし、仮定に過ぎないのが気にくわないが、そうであれば『アルディルム姓を持つ者』が住む場所が狙われたというのは納得のいく話だな」
レイヴァスは「感情的に」否定はせず、「合理的に」考えたようだった。
「となれば、僕はここを越したところで狙われる可能性がある」
「合理的な答えだ」
ついシュナードは呟いてやはり睨まれた。
「だが、どこに行っても同じだとしても、やはりここで寝泊まりするのはぞっとしないな。臭いが問題だ。言っておくが」
少年は咳払いをした。
「もちろん、怖い訳じゃない」
そのつけ加えにシュナードはにやりとしかけ、顔をぬぐってごまかした。
「では神殿にこないか」
カチエが言った。
「おお、そりゃなかなかいい――」
「断る」
レイヴァスは即答し、シュナードがぱちんと叩いた手の音が虚しく響いた。
「僕は神殿なんて辛気臭い場所は嫌いだ」
「おいおい。罰当たりな」
「お前が信心深いとは感じないが?」
「まあ、人並みだ。だがな、カチエがいるんだから」
「神官の犬がいたからと言ってどうだ」
「こら。言い過ぎだ」
思わずシュナードはこつんとレイヴァスの頭を小突いた。少年は案の定、かっとした顔を見せる。
「貴様、何を」
「その年にもなって言っていいことと悪いことの区別もつかんのか。何でも正面切って言えばいいってもんじゃないぞ。そんなのはただの自己満足だ。相手が傷ついたり腹を立てたりすると判ってて言葉を投げつけるのはな。ガキの所行だ、ガキの」
「子供じゃない!」
例によってレイヴァスは反発した。
「犬」
思いがけない言葉だったのだろう、カチエは繰り返すと目をぱちくりとさせた。
「あー、まじに取るなよ? ほら、生意気なことを口走りたくなる年頃というのがあるだろう」
シュナードはいまひとつフォローになりづらいことを言った。
「ぷっ」
だがカチエは怒るどころか吹き出した。
「犬! 神殿の! あっはっはっは」
「そんなに可笑しいか?」
少しぽかんとしてシュナードは咎めるでもなく訊いた。
「そ、それがだな。私の世話になってる神殿に、犬が迷い込んできてな。大人しい犬なので子供たちが飼いたがっていたんだが、決まればまさしく神殿の犬になる訳だ!」
「はあ」
そんな相槌程度しか打ちようがなかった。レイヴァスもむすっとしているなか、カチエはずいぶん可笑しかったと見えて笑いを納めるのが大変そうだった。
「もういい」
レイヴァスは謝りもしなかったが、それ以上カチエや神殿を貶めるのもやめた。
(毒素の放出が終わったか)
シュナードはまるで少年が毒を作り出す生物であるかのように考えた。
(この姉ちゃんのいまの発言が、毒気を抜いてやるためならなかなかのもんだが)
シュナードはちらりとカチエを見た。女剣士は笑いをこらえるのにまだ懸命な様子だ。
(そうでも、ないか)
「で、どうする? 今日はとりあえず、宿でも取るのか」
「金はあるのか」との言葉は飲み込んでおいた。また「下世話だ」と言われそうだからだ。
「宿屋か。手続きが煩わしいな」
少年は顔をしかめた。
「おい、お前」
その視線はシュナードに向けられた。
「お前の部屋を貸せ」
唐突な言葉にぶっとシュナードは吹き出した。
「阿呆か! 何で俺が」
「お前は僕の護衛になりたいんじゃなかったのか?」
「ぐっ、あ、あのな」
なりたい訳ではない。断じて。
ただ、好奇心から事情が気にかかる。
それと、奇縁によるものであろうと関わった子供が、彼が離れたために死んだなどという話をあとで聞きたくない。そう思っただけ。
「何だ。〈狼爪〉……じゃない、シュナードが護衛についているのか。それなら私が口を出すこともないね」
「おいおい」
からかわれているのか、それとも買いかぶられているのかと、戦士は女を見た。カチエの目つきはごく自然で、どちらにせよ特別なことを言ったという様子はなかった。
「すまないが、連絡先を教えてもらえるか。あとでまた話をしたい」
「俺と?……じゃないか、こいつとか」
彼はレイヴァスを指した。カチエはこくりとうなずいた。
「僕には話すことなんてない。英雄アストールがどうのという戯言はもう充分だ」
「『絶対に違う』という根拠がない以上、私は当座、君を英雄の子孫として考える」
「ふざけるな」
「至極、真面目だ」
言葉の通りカチエは真剣な顔つきをしていた。
「魔術王が復活したらどうなると思う。この地方全体、ことによっては大陸全土に及んで暗黒時代が再来する。自分には関係ないでは済まされない」
「そうだな。呑気に本を読んで暮らしてなんざいられんぞ」
ついシュナードは同意した。
「本気でそんなことを案じているのなら、僕ではない、本物のアストールの子孫を探せ。僕にかかずらっていてはお互いに時間の無駄だ」
「無駄かどうかはまだ判らない」
カチエは退かなかった。
「君が『違う』という確証がない以上」
「だから、僕がそれを証明する必要はないと言ってるんだ」
レイヴァスは言った。
「もういい。シュナード、行くぞ」
「あ、おい、待て」
踵を返した少年に戦士は声をかけたが、彼が足を止める気配はない。シュナードはうなった。
「なあ、カチエ。とりあえずは、もうあいつは要らないか? つまり、この場の処理に関してということだが」
「普通なら家の主人は、〈汚れ屋〉たちが勝手に何か持ち出したりしないか見張っているものだが……」
「どうでもよさそうだな」
「まあ、その辺りは私が見ておく。もとより、彼らはきちんと報酬をもらっているし、盗みなどが発覚すれば彼らのなかでも鼻つまみ者扱いされる。そういう騒動が起こることは滅多にないと聞いている」
「そうかねえ? 街道じゃ結構、死体から金品を剥ぎ取るような
「壁の外なら規範も緩い。禁じられていても、『自分たちが到着したときには既に身ぐるみ剥がれていた』ということにもしてしまえるだろう。だが今日ここで作業をしている者に関しては、神殿のお墨付きだ」
「そう言やそうだったな」
シュナードの脅しが効いたのか、街道警備隊はきちんとした〈汚れ屋〉を手配してくれたということだ。
「あの野郎、振り返りもしねえ」
見ればレイヴァスはすたすたと歩み去るところだ。
「――俺は〈暁の湖面〉亭をねぐらにしてる。西の大通りから一本入ったところだ。その辺で誰かに訊けば判るだろう」
手早くシュナードは自分の行き先を説明した。
「有難う」
カチエは笑みを浮かべ、礼を言った。
「〈狼爪のシュナード〉は信じるに値する人物だと聞いているが、その通りのようだな」
「よせって、まじで」
本当に背中がかゆくなりそうだ。そんなふうに思いながらシュナードはしかめ面で手を振ると、慌ててレイヴァスのあとを追いかけた。
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